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プロローグ 過去


 

 初めて飼った犬の名前はチロだ。

 

 一郎が幼稚園生の時だからもう三十年以上前のことだ。

 親戚のおじさん一家が転勤の都合で飼えなくなったとのことで、一郎の家で引き取ることになったのだ。

 むやみに吠えず噛みつかず、一通りの芸もこなすとても賢いオス犬だった。

 

 姉と弟と一郎、はじめは三人で大層かわいがっていたが早々に飽きてきて、ついつい散歩をさぼるようになった。

 チロははじめこそクンクン鳴いていた。

 しかしこいつらに任せてはおけない!と切り替えたのか、チロは頭をドリルのように回転させて首輪から引っこ抜く技を開発し、庭を飛び出しひとりで小一時間遊んで勝手に帰ってくるようになった。

 この凶悪な技は何度首輪を変えても再現され、祖父がハーネスという強力なカウンターを用意するまで無双した。

 

 元々中年だったチロは、一郎が小学校の高学年になる頃にはずいぶん老いてしまっていた。

 ある朝学校へ行く時に、いつものように犬小屋を覗くと、チロはいなくなっていた。

 誰か散歩にでも行ったんだろう、一郎はそのまま学校に向かい、また帰ってきて、いつものように犬小屋を覗いた。

 やはりチロはいなかった。

 

 結論から言うとあの朝にチロは死んだ。

 こどもたちが見たらショックだろうと、家の大人たちが相談してどこかに埋めたらしかった。

 チロをどこに埋めたのか、大人たちは頑なに教えてくれなかった。

 犬小屋を覗いても、あちこち掘り起こしてもチロは見つからなかった。

 毎夜眠れずメソメソ泣いたが、子供は薄情なもので、一週間もするとチロは思い出に変わっていた。

 でも一郎は今になって思うのだ。

 

 ――チロはどこにいったんだろう?


 あの問いは未だ一郎に投げられたままである。



 佐藤一郎四十歳、久々に一人で誕生日を迎えた。

 今日のメインは最寄りのスーパーの、バカ安いのにいっぱい入ってるサーモン握り寿司。

 デザートには行きつけの洋菓子店で買ったショートケーキとモンブラン。

 四十歳不惑の年。

 よく聞くやつだ。

 

 『孔子曰く四十にして惑わず』

 

 よく聞きはするが、意味はよく分からなかったので、生成AIに聞くと、「四十になったら世の中の仕組みがざっくり分かってきて、パニックにならずに対処出来るようになりますよ」とのことだった。

 かぶりついた寿司をビールで流し込みながら、なるほどなあ、としみじみ思う。

 一郎はゲームが好きだったので、自分の人生をRPGのように生きてきた。

 父も、要はRPGみたいなもんだよ、と教えてくれた。

 一生懸命レベルを上げて、いい装備を身につけて、仲間と頑張るとハッピーエンド。

 だが実際にプレイしてみると世の中は王道RPGではなかった。

 上げた学力は容易く下がり、ブランド品も一年そこらで陳腐化し、連れ添った妻は交通事故で亡くなった。

 

 世の中は常に分からん殺しを一郎に仕掛けてきた。

 

 ――なんで死んだら終わりなのに、世の中は死にゲーみたいな難易度なんだろう

 

 それが一郎が四十年の人生でなんとなく分かったことだ。

 孔子先生の言う通り、一郎が初めから世の中を死にゲーだと分かっていたら、布団にくるまって泣く夜もいくらか減っていたに違いない。

 あの時父がRPGだと言ったのは、子どもたちが大人になった時、それくらい分かりやすく生きていけたらな、という願いでもあったかもしれない。

 チロが死んだ時、どこに埋めたか言わなかったのも同じだ。

 

 寿司を平らげた一郎は、ショートケーキを小さな仏壇に置き、手を合わせ、自分のモンブランに大口を開けてかぶりついた。

 おそらく明日は胃もたれする。

 でもいいんだ。

 今日は記念日なんだ。

 

 一郎は今日から、出家をする。

 

 妻がどこにいったのかを知るには宗教しかない。

 ナンマンダブ――と唇だけでつぶやいて一郎はVRベッドに寝転んだ。


――『JODO ONLINE』START――

 

 

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