奥の部屋のお掃除
朝9時
「むにゃ……寝坊した!」
ガバッと飛び起きるノエル
疲れの残っていない身体
快眠だ――体感的に寝すぎたと分かる
窓からは朝日が高くなり始めている
心臓がバクバクと急加速した
「……あっ出勤は昼の12時からになったんだった」
ベッドから飛び降りようとしていた足が止まる
転職してまだ2日目
時差出勤の仕事は簡単には慣れない
昨日は夜9時過ぎに帰宅して
顔を洗って、パジャマに着替えて、恋愛小説を読んで
9時間ぐっすり寝ても、まだ朝9時
(時差出勤 サイコーかよ)
――
11時30分
ゆっくり朝の支度をして
ポカポカ陽気の中を散歩して職場に着いた
寂れた酒場に偽装された闇ギルドの表向きの顔
「依頼者のプライバシーとかも大事だよね」
偽装は肯定的に受け取るノエル
「おはようございっんっ!」
ガコッ
ドアを開けようとするが鍵が開いてない
昨日は開いてたんだけどな~
困って立ち尽くしていると鍵が開く音が聞こえる
「ノエルさんでしたか おはようございます」
マスターが少し警戒しながらドアを開けてくれた
「はい!今日もよろしくお願いします」
「出勤時間ですが12時に【入る】という意味です 着替えて仕事開始が12時ではありません」
(なんとっ!サイコーかよ)
「すみません?気をつけます」
「余裕を持つのは良い事なのですが、うちでは時間に厳しいです 早すぎもダメですよ」
――
「ノエルさん、ちょっといいかな」
カウンターに立つノエルにマスターが声をかけた
「はいっ!」
ピシッと姿勢を正すノエル
「今日は最初に応接室の掃除を頼みたい 珍しく汚れてしまってね」
「はいっ!喜んで!」
秘密の部屋に初めて入る
ノエルの胸が高鳴る
期待と緊張が入り混じった気持ちで、ノエルは掃除用具を抱えた
スイッチを押し酒棚が反転 鉄扉の奥へと進む
もう1枚の扉を開けると
「うわ……!」
応接室はノエルが想像していた以上に豪華だった
壁に飾られた、年代物の絵画
革張りのソファは光沢を持ち、高級感のある革の香りがする
ホワイトの応接室より豪華だ
緊張で手が震えそうになる
ノエルは慎重に傷をつけないよう掃除を始めた
――
「よし完璧!」
息をつき立ち上がるノエル
ふと、絵画の前の床に小さな汚れを見つけた
近づいて見ると──
それは汚れではなかった
細い線が床材に一定方向に刻まれている
引きずられたような、何かを引っかいたような……そんな跡
立ったり、角度を変えて見ないと気付かないくらい薄い
豪華な応接室だけに異質に感じる
「傷……?何だろこれ」
ノエルが手を伸ばしかけた瞬間
「ノエルさん」
背後からマスターの静かな声が響いた
「さすがキレイになりましたね 受付に戻ってください」
振り返るとマスターはいつもの微笑み
だが、その瞳の奥に冷たく鋭いものを感じた気がした
「はいっ戻ります」
褒められてノエルは一瞬で元気に
掃除道具を抱え、るんるん気分で応接室を出ていった
――
扉が静かに閉まる
その前に立ち尽くすマスター
ふと微笑みが消え誰にともなく呟いた
「……知らない方が良い 今はまだ、ね」
部屋の空気がひんやりと沈む
「優秀過ぎますね試験が必要かもしれません」
そして――
絵画の壁にうっすらと【見えない扉の輪郭】が浮かび上がっていた