久し振りのスケッチ
『異世界ではじめる二拠点生活』が3月30日に発売です。早いところでは既に売っているところもあります。
素敵なイラストで彩っていただいたので何卒、よろしくお願いします。
エミリオ商会から転移を繰り返すと、俺はレフィーリアのアトリエへとやってきた。
静かな住宅街に佇む二階建ての木造建築。敷地面積はそれなりに広く、芝の生えた庭がある。
北区のような華やかな建物とは違って、落ち着いた家だった。
「ここが私の家です。アトリエは奥にあるので付いてきてください」
「では、お邪魔いたします」
中に入ると、生活感のあるリビングが見える。が、今回は遊びにきたわけではないので、そちらはスルーして奥へ。
外から見ると気付かなかったが、意外と奥まった造りをしていた。
やがてレフィーリアが扉を開けると、そこには大きな広間があった。
いくつもの絵画らしきものが並んでおり、丁寧に布が掛けられている。
テーブルにはいくつものインクや刷毛などの画材が置かれている。
リビングと違って生活感は皆無だが、並んでいる道具を見るだけでレフィーリアの仕事ぶりを想像することができた。
「すみません、展示品を描き終わったばかりで散らかっていて」
「いえ、気にしませんから」
色々な道具が出しっぱなしでお世辞にも綺麗とはいえない状況だったが、いかにも画家の仕事場という雰囲気だった。
「必要なものがあれば言ってください。俺が魔法で収納していきますので。細かな道具は箱に入れてもらえると助かります。取り出す時が非常に楽なので」
「では、このイーゼルをお願いできますか?」
「わかりました」
レフィーリアが指さすイーゼルを亜空間に収納する。
「……消えちゃいました」
「ちゃんと取り出せますよ?」
レフィーリアが呆然とするので、もう一度亜空間を開いてイーゼルを取り出してみせる。
「なるほど。そういう風に取り出しができるんですね。すごく便利そうで羨ましいです」
レフィーリアの心底羨ましそうな視線に俺は苦笑するしかない。
これだけ色々な画材があれば、持ち歩きだけでなく用意も大変だろうな。
イーゼルを収納すると、レフィーリアはテーブルにあるいくつもの道具を箱に入れていく。
絵具や筆などの様々な道具を箱に詰め終えると、俺が亜空間へと収納した。
「これで問題ありませんか?」
「はい! これならいつも通りに描けます!」
「それでは写生場所に移動しようと思うのですが、どんな場所がいいですか?」
そのように尋ねると、レフィーリアは顎に手を当てて考え込む。
「そうですね。漠然としたリクエストで申し訳ないのですが、普段生活していて行くことのできない場所がいいです。そういった所に心当たりはありますか?」
「では、中央広場の近くにある鐘塔の頂上なんてどうでしょう? 王城の次に高い建物から見下ろす街の光景は絶景ですよ」
「いいですね! そこでお願いいたします!」
「これから転移しますけど、心の準備は大丈夫ですか? ちなみに今度の場所は全長八十メートルくらいあるのでかなり高いですよ」
レフィーリアが誤って落下しようと転移で救助はできるが、それなりに危ない場所なので注意してほしい。さっきのようにトランクに躓かれると心臓に悪いし。
「……あ、あの、念のために手を繋いでいてもらってもいいですか?」
そのように忠告をすると、レフィーリアは恥ずかしそうにしながら手を差し出してきた。
なんだかそういう初心な反応をされると、こちらまで緊張してしまう。
「わかりました。手を繋ぎますね」
小さな手の平とは違う、大人の女性の手にドキッとする。
が、俺は努めて意識しないようにして表情を取り繕う。
レフィーリアはエミリオの昔からの友人であり、俺の依頼人だ。
仕事のためだと考えれば、それほど意識はしないで済むな。
「では、行きますよ?」
「はい、お願いします」
レフィーリアがしっかりと頷いたのを確認した数秒後、俺は空間魔法を発動。
アトリエから中央広場の鐘塔へと転移した。
転移の浮遊感に慣れていないから、レフィーリアは少しだけたたらを踏んだが俺が手を繋いでいたために無事に着地することができた。
繋いでいた手を離すと、レフィーリアが視線を巡らせる。
「……綺麗な景色」
鐘塔から見下ろせる王都を眺めて感嘆の息を漏らす。
差し込む陽光が艶ややかな銀髪を煌めかせ、肌を撫でるような風がふわりと長髪をはためかせた。空中で銀糸の軌跡が描かれる。
ここから見下ろす王都の景色も綺麗だが、それを眺めるレフィーリア自身にも美しさがった。まるで絵画のワンシーンのようである。
「クレトさんは、どういった時にここにくるんですか?」
ぽつりとレフィーリアが景色を眺めながら問いかける。言葉を発しながらも視線は前に向けられたまま。
「無性に一人になりたい時ですかね。後は、呑み足りない時にお酒を買って、月や星を眺めながら晩酌したりします」
「それはとても素敵ですね」
後半の言葉を聞いて、レフィーリアがクスリと笑う。
「それでは早速絵を描きたいと思います」
それから十分ほど無言で眺めると、レフィーリアは静かな声で言った。
トランクを広げ出す彼女を見て、俺は先程アトリエで収納したイーゼルなどの画材を取り出しておく。
レフィーリアはテキパキと道具を取り出し、イーゼルに真っ白なキャンバスを設置。
「クレトさんがいれば、アトリエはいらないですね」
確かにそれくらい便利な自覚はある。
そのように苦笑してレフィーリアだが、鉛筆を手にすると真剣な顔つきになった。
既に自分の中で収める構図はできているのだろう。手の動きに迷いはない。
まるで鉛筆まで自分の腕の一部と錯覚するような繊細で軽やかな動きだ。
柔らかな笑みを浮かべている表情とは一転して、凛とした表情。
傍で見ていてもわかるくらいに集中している。
どんな風に一枚の絵画が出来上がっていくのか気になるが、あまり傍で観察していても迷惑だろう。
冒険者が相手なら適当にまた迎えにくるのであるが、レフィーリアから目を離すのは少し怖い。
建物を観察するためにフラフラと歩き出して、落っこちてしまいそうだ。それを考えると、とても離れて時間を潰す気にはなれない。
「……せっかくだからスケッチでもしてみるかな」
ボーっとしているだけというのも勿体ないしな。こういった時間も有意義に過ごしてこそのスローライフだ。
そう決めれば、早速亜空間から自分用のスケッチブックと鉛筆を取り出す。
座り込んでアイラインを設定すると、ここから見える景色をしっかりと観察。
それぞれの建物の輪郭をしっかりと捉えて、鉛筆を動かしていく。
前世では、授業中にノートに絵を描く程度。
絵を描くのは間違いなく好きだったが、それで食べていこうとは思わなかった。
家庭環境もあってか、とにかく安定した企業で正社員として稼いでいこうと決めた。
結果として正社員になれたもののブラック企業で精神をすり減らしていたな。
こうやって絵を描くために鉛筆を握るなんて何年ぶりだろう。
俺は年甲斐もなくワクワクとしながらも鉛筆を動かし続けた。




