乖離
大きく開けた仏間には、黒い服がずらりと並んでいた。
最前に置かれた棺の中には、死装束に身を包み、眠るように横たわる少女の姿。
惨たらしい傷を負い死んでいった彼女の身体は、今はとても美しい。
仮面の男がその不可思議な能力で遺体を修復したのだ。しかしそれは悲哀の心情故の行動ではなく、単に「このままでは後々面倒でしょうから」と、そんな理由からだった。
遺族や親族の人々の背中を前に、永遠と瑛奈は後ろの方に立つ。
あれから数日。永遠は、穂香の葬儀に参列していた。
穂香の母親は永遠が来たときからずっと泣いている。通夜のときにも泣いていた。きっと、穂香の死を知ったときから泣いていない時間などないのだろう。
当然だ。大切な一人娘が今日も元気に学校へ出て行ったと思えば、唐突に物言わぬ死体となって帰ってきたのだから。
彼女の嗚咽が、永遠の心臓を握り潰すくらいに締めつける。
それだけではない。泣き崩れる妻の肩を抱きつつ自身も悲痛に顔を歪める穂香の父親のその表情が、それを見て口許に手を当て涙流す祖父母の声が、この場にいる全ての人間の悲しみ、苦しみ、そして穂香を死に追いやった何かへの憎しみが、まるで自分に向けられているようで、永遠は息が詰まる思いだった。
「……ねえ永遠」と瑛奈が言った。
「穂香の顔、見た?」
永遠は言葉なく頷いた。来てから一度、永遠は棺の小窓から穂香の顔を拝んでいた。
「あたしさ、何回見たってやっぱ眠ってるようにしか見えないんだよね。呆れるくらいにおっとりしたあの子のことだからさ。今だって本当は熟睡しちゃってるだけなんじゃないかって、頬っぺた引っ叩いてやれば目を覚ますんじゃないかって、そんでいつもみたいにこらー瑛奈ちゃんって、少しもこわくない説教を始めるんじゃないかって、そう思っちゃうの」
だんだんと震えを増していく瑛奈の言葉に、永遠はただ「うん」と返すことしかできなかった。
「でも違うんだよね。もうあの棺の中にいる穂香が目を覚ますことはなくて、あたし達とお喋りすることもなくて。笑うことも、怒ることも、泣くことも、何もかもがなくなっちゃってさ。それってつまり……死んでるってことで」
瑛奈の声は既に平静ではなかった。あと一回でも口を開けば、もう言葉としての形を保ってはいられないほどに。
それでも瑛奈は続けるのだ。瞳一杯に涙を溜め、けれど懸命に笑顔を湛えて。
「だ、だいたいさ、穂香の奴ったら勝手だよね。平気で約束破るような真似してさ。今週の、日曜にさ……一緒に……一緒に遊ぶって、約束、してたのに……っ!」
とうとう瑛奈は唇を震わせ、ぼろぼろと涙を零しながら泣き始めた。
「どうして……どうして死んじゃったんだよ……っ! どうして穂香が死ななきゃいけなかったんだよ……!」
そう訴えるように瑛奈は泣く。
手で顔を覆い号泣する瑛奈を前に、永遠だって涙をこらえられたものではなかった。
俯き、涙を流し、だが声だけは上げまいとして唇を噛む。それは永遠が、自身に責任を感じていたから。自分に被害者を気取って泣く資格などないと、そう思っていたから。
だがそれも長くは保てなかった。
泣きながら瑛奈が言ったのだ。
「穂香、痛くなかったかな……苦しくなかったかな……。あんなに綺麗な顔で眠ってるんだもん、安らかに逝けたんだよね……きっとそうだよね、永遠」
その言葉に、永遠が頷けるはずもなかった。
穂香が本当はどんな死に方をしたのか、永遠は知っているから。
穂香が本当はどんな顔をして死んでいったのか、永遠は知っているから。
そしてそれが誰のせいであるのかを、永遠は知っているから。
穂香を、友人を、かけがえのない親友を殺したのは、紛れもなく――。
永遠は耐えきれなくなって、声を上げて泣いた。
既に日は暮れていた。
暗がりの中、永遠の自室は散らかっていた。机上には本やプリントが散乱しており、鞄は開いたまま投げ捨てられたように床に落ちている。忌まわしい首飾りも永遠の首元になく、積み重なった本と一緒に机の上にあった。
そんな部屋で、明かりも点けずに、永遠はベッドの片隅で縮こまっていた。
ぼうっとしては泣き、ぼうっとしては泣き、そんなことを繰り返してはろくに食事もとらずに一人で引き籠っていた。祖母もあえて部屋から出るよう促してくることはなかった。
独りぼっちで、生きているのか死んでいるのか分からない状態を永遠は続けていた。
そんなとき、それは唐突に姿を見せた。
「そんなに目を腫らしてしまって。大丈夫ですか、永遠さん」
いつか見た光景と同じように、月の光を浴びつつ窓際に腰掛ける仮面の姿がそこにはあった。
永遠は顔を上げない。たとえ仮面に隠れていようとも、そいつの顔など見たくもなかった。
「誰のせいだと思ってるの」
永遠の言葉。
すると場の空気にまるでそぐわない嗤いを起こして、ジョーカーは言う。
「彼女、御木本穂香さんが命を落とした責任がこの私にあると言うのなら、それは心外ですよ、永遠さん。彼女が死んだのは他でもない貴女のせいだ。貴女が死んだから彼女は死んだのです。逆に貴女が死ななければ彼女は死なずに済んだ。これはつまり彼女の死の原因が貴女にあるという事実を指し示すことに違いはないでしょう」
何を馬鹿げたことを。永遠はそう思った。
「けどそんなこと、あなたは一言だって私に教えてはくれなかったじゃない……!」
「まあまあそう怒らなくても良いじゃありませんか。確かに少々説明不足だったと私自身反省した上で、今度こそきちんとした説明をして差し上げるべくこうして貴女の元に馳せ参じたわけなのですから」
「今さら説明したってなんになるって言うの……!」
永遠は奥歯を噛む。
「それにしてもらう必要だってない。私達ソリテュードは不死身じゃなかった。死ねば生き返る代償として家族を、友達を、一人ずつ失っていく。敵を殺して、そして自分が殺されたときには大切な人達の命を殺して奪って生き続ける存在、それが私達……違う?」
「ふむ、どうやら貴女は優れた理解力をお持ちのようだ」
ジョーカーの満足げな頷きが永遠には堪えられない。
本当は口にしたくもなかった。否定して欲しい事実だった。
瞳に翳りを落とす永遠と対照的に、ジョーカーはにこやかな声音をして人差し指を立てる。
「では永遠さん、貴女はイマーゴがどういうものかについて正しく理解されているのでしょうか」
薄らと永遠の記憶に数日前のことが蘇る。
自分が殺し殺されたイマーゴがどのようにして目の前に現れたのか。それを思い出せば、答えは自ずと出た。
「……あれも、私達」
「その通りだ」
仮面の下に潜む男の顔は、きっと醜く歪んでいた。
「永遠さん、もしもある一人の人間が永遠を手に入れたとしてその先に待ち受けているものが何であるか想像がつきますか」
ぴくりとも口を動かさない永遠を、男はまるで気にしない。
「答えは《孤独》だ。人は永遠という出口無き迷路を彷徨った挙句、やがて孤独に辿り着く。自分の知る者は誰もおらず、自分を知る者は誰もいない、そんな世界に終着するのです。そこに心の拠り所は皆無であり、そのとき人は生きてはいなくなる(、、、、、、、、、)。死ぬのですよ、人は。いつか孤独になったとき、人は死んでしまうのです」
「そして」と月に照らされた仮面は続ける。
「それこそがソリテュードの本質。ほぼ不死という永遠に近いものを手に入れたソリテュードはやがて孤独に辿り着く。アニマカルタの奪い合いはソリテュード同士での馴れ合いを許さず、しかし戦いの中で命を落とす度に自分を支えてくれる人間は死んでいく。そうした日々の果てに心の拠り所を失くしたとき、遂にソリテュードは死を迎えるのです。イマーゴという化け物に姿を変えることによってね。すなわちイマーゴとは、ソリテュードの亡霊だ」
「……そういうこと」
無感情な瞳をした永遠の口から、一言そんな台詞が零れた。
「いつだったかあなたは言ったよね。イマーゴはパンドラの匣から放たれた災いのような存在だって。それってつまり、その災いの元凶は私達だって、私達ソリテュードが他でもないパンドラの匣(、、、、、、)なんだって、そういうことだったんだね」
ジョーカーは否定することなく言った。
「実に賢い人だ」
永遠の拳が強く握られる。
「ふざけないで……っ! あなたは反省なんか少しもしてない! 最初から私のことを騙すつもりだったんだ! ねえ……どうして。どうしてこんな酷いことをするの……大切な人達を守るために、そのためにあんな怖い化け物と戦ってるって、そう信じてたのに。結局私達は同じ人間同士で殺し合ってるだけで、そのために周りの人達の命まで犠牲にしてるだけで、本当に災い以外の何物でもなかった! こんなことなら私は……私は生き返りたくなんかなかった……!」
言い終えて、永遠の目からまた涙が溢れてくる。それは生き返ったことに対する後悔であり、これからも誰かを犠牲にしてしまうことへの恐怖だった。今すぐに自身の存在を消したい思いで、永遠の胸は一杯だった。
そんな永遠の様子を見て、ジョーカーは困ったように仮面を掻くだけだった。
「しかし最低限のことは確認したではありませんか。やがて孤独になりゆく運命だとしても生き返りたいのかと。そして貴女は私の言葉を受け入れた。だというのに今更私のことを恨まれても少々困ってしまいますよ」
どの口が言うのかと、永遠は怒りを覚えずにはいられなかった。
だが何故この男はそのような真似をする。
いまだに涙を止められないまま、しかし声音だけは精一杯威圧的に、永遠は言った。
「あなたの目的は……一体なんなの」
「さあ何でしょう。それを貴女に教える義務は私にはありません」
そう言いながらも、「しかし、そうですねえ」と。
まるで永遠の憤る様子を愉しむかのように焦らし、彼女を眺めながら。
やがて仮面の男はふざけたような口調で一言告げた。
「強いて言うのなら――――退屈をするのが嫌いなのですよ、私は」
それからずっと、永遠は学校を休んだ。部屋に閉じ籠る毎日。教師の訪問にも応じなかった。クラスメイトの訪問にも応じなかった。瑛奈の訪問にだって、応じはしなかった。外の人間に限りはしない。祖母とだって一日のうちに何秒と顔を合わせることはなかった。それどころか合わせない日すらあった。
人との関わりを、永遠は避けていた。
だって自分はソリテュードなのだ。関わりを持てば持つほどに、親しくなれば親しくなるほどに、その人間を殺してしまうかもしれない。そう考えると恐ろしくて、永遠は相手の顔を見ることができなかった。
しかし自分から他人を拒んでおきながら、独りで部屋にいることが寂しくないはずがなかった。悲しくないはずがなかった。
我慢できずに涙を零し、部屋の隅で蹲りながら永遠は思うのだった。
今の自分は孤独だと。ああ自分は、ソリテュードは、他人との関わりを持とうが持つまいが、結局は孤独にならざるを得ない存在なのだと。
そう考えてはまた泣く、そんな日々だった。
それが幾日も続き。引き籠りを始めて数週間が経った。
相変わらず、永遠は知った人間との接触を拒み続けていた。今日だって祖母と朝食を共にしてはいない。というかずっと、永遠はほとんどと言っていいほど食事を口にしてはいなかった。けれど、かつて久遠が言った通り食事をとらずとも身体は平気だった。お腹が減ったような気はするが、かといって食べずとも気にはならない、そんな感じ。しかしそれがまた自分が普通の人間でないことを思い出させ、永遠は苦しい思いをするのだった。
鬱々とした気分を少しでも紛らわそうと、やがて永遠は外に出た。
歩いて向かったのは街中。
時間はまだ正午を過ぎて間もなかった。
こんな時間に知った人間が街にいるはずはないと、そう思って出てきたのだ。
行き先はお気に入りの書店だった。
訪れたのは久々だった。引き籠っていた期間を抜きにしても、それ以前からイマーゴの駆逐に忙しい日々を送っていた永遠はここ一月ほど本を手に取っていなかった。
自動ドアを過ぎると、視界一杯に本の山が広がる。それを見るだけで、ちょっとだけ永遠の沈んだ気持ちは躍った。そして良さげな本を探して店内を回る間だけは、昔の、ただの女の子だった頃の自分に戻れたような気がして、永遠の表情は穏やかだった。
しばらく見ない間に新しい本が増えていた。中には好きな作家の新作も並んでおり、永遠は迷わずそれを手に取るとレジへと向かった。
買った小説を大事そうに抱えて永遠は店を出る。
帰ったらすぐに読もう。永遠は思った。
それは純粋に小説の織り成すファンタジーの世界に没頭したかったのではなく、少しでもこの現実から目を背けたいと、多少なりともこのつらさを忘れたいと、そう逃避を望む気持ちからだった。
とにもかくにも、永遠は自宅へと急ぐ。
知らない人間とはいえ、周囲の人達と目を合わせたくなかった。そして万が一にでも、人以外の存在(、、、、、、)などを視界に入れたくなかった。
視界に入れなければ気にする必要はない。気がつかなければ対応する必要はない。
だから永遠は急ぎ足で歩く。それを認識することなく家に帰るために。
かつかつと、自身の足音だけが永遠の意識を支配していた。
そのときだった。
俯き気味だった永遠の頭が何かにぶつかったのだ。急ぐあまり通行人を避け損ねたらしい。
すぐに謝って、それでまた家を目指そうと永遠は顔を上げた。
目と鼻の先に見えた彼女の顔を見た途端に、永遠は目を丸くした。
こんな時間に出会った彼女は、とても知った人間だったから。
「叶世……さん」
制服姿の叶世久遠が、目の前に立っていた。
次に永遠が口を開くより、久遠の言葉が早かった。
「来なさい」
そう言って強引に永遠の手を取ると、久遠は無理矢理に永遠を引っ張った。
有無を言わさぬ久遠の様子に何も言えず、永遠は久遠に連れられていく。
強く握られていた腕が解放されたのは、ひとけのない路地裏だった。
周囲に奴らの気配があるわけではない。二人きりになりたかったということか。
ちらと久遠の顔を覗けば、彼女の表情は怖かった。とても無表情で、それが怖かった。
無言の眼差しと静寂に耐えきれず、永遠は口を開く。
「叶世さん、こんな時間にどうして」
「それはこっちの台詞よ」
久遠の語調は非常に強かった。
「随分と長い間引き籠っていたと思ったら突然街中をぶらぶらとほっつき歩いて、かと思えばフェイタルオーナメントも身につけていない。あなたは一体何をしているのかしら」
「私はただ、本を買いに来ただけで……」
「それじゃこの後はお家へ帰ってその本を読み耽るってわけ。本当にそんなことをしている場合だと思っているの。そんなことをしていられる立場だと思っているの」
淡々としていて、かつ冷淡なその言葉が永遠の頭を上から叩く。
「あなたと私は今、協力関係を結んでいるのよ。この町で暴れているイマーゴを倒すまで、あなたは私に協力する義務があるの。きちんと理解してる?」
永遠は本をぎゅっと抱え、俯く。
久遠は待つ、永遠の返事を。
ほどなくして永遠は重たそうに唇を動かし。弱々しい口調で、けれど心の底から言葉を吐く。
「私は……もう、戦いたくないよ」
久遠の瞼が僅かに動いた。しかし決して表情は、崩さない。
「自分が何を言っているのか分かっているの」
久遠は言った。
「それはつまり、あの人喰い共を放置するってことなのよ。化け物共が罪もない人々を無差別に喰い荒らしていくのを見て見ぬ振りをするってことなのよ。それを分かってあなたは言っているの」
久遠の言うことはもっともだ。永遠だって理解していた。
自分がなんて酷いことを言っているのか。とても卑怯で、臆病で、非情で、残酷で、最低なことを言っていることくらい理解していた。
けれどそう思わずには、そう言わずにはいられなかったのだ。
たとえ他人を犠牲にしたとしても。
「でも戦わなければ傷つかずに済むんだよ。死なずに済むんだよ。そうすれば家族を失わずにいられるんだから、友達を失わずにいられるんだから……私は、戦いたくない」
「そのために他人が喰い殺されても、御木本穂香のように無惨な死を遂げたとしても、あなたは平気なのね」
永遠は何も言わない。答えることができなかった。
「けれど残念ね。あなたの意思に左右されることなく、そもそもソリテュードに戦わないという選択肢は用意されていないわ」と、久遠が言った。
「私達は他者の命を糧に生きる存在。そしてそれは死んだときに限りはしない。日々、私達は他者から命を奪って生きているのよ。イマーゴという化け物からね。イマーゴを殺した後、その死体を武器に吸収させるでしょう。あれは単なる隠滅行為なんかじゃない。そいつの命を、そしてそいつが喰らってきた人間の命を吸っているの。それが私達を生き永らえさせているのよ」
平坦な声音で久遠は語り続ける。
「だからソリテュードはイマーゴと戦い続けなければならない。もし戦うことを避け続ければ、いずれソリテュードの命は尽きるわ。それでもあなたは戦わないというのかしら」
逃げ場などなかった。戦い続けたとしても孤独に行き着き、戦わなかったとしても孤独に行き着く。惨い仕組みだと、永遠は思った。
だが永遠は答えられなかった。戦うことを肯定することも、否定することもできなかった。
やがて、久遠の声が聞こえた。
「そう」
駆け抜ける光。次の瞬間、永遠の眼前にあったのは変身した久遠の姿と、自身の喉元に突きつけられた巨大な斧であった。
ひたり、と冷めた刃が永遠の皮膚に触れる。
「だったら今ここで殺してあげる」
久遠の双眸には確かに、偽りのない殺意が籠っていた。
「あなたが死ぬまで殺して殺して殺して殺して、そして化け物に為り果てたあなたもしっかりと殺してあげる。そうすれば私はアニマカルタを手に入れることができるし、後々あなたが手にかけるはずだった人達の命だって救うことができるわ。これってとても良いこと、そうでしょう?」
刃が永遠の皮膚に食い込む。あと少しでも押し込めば、途端に首の皮は裂け、おびただしい量の鮮血を撒き散らすに違いなかった。
恐怖はあった。だが、永遠は口を噤んだ。
凍てついた久遠の眼差しが永遠を射る。
永遠は何も言わない。
鋭くなる久遠の瞳。
しかし何も言わない。
さらに鋭くなる。
それでも、何も言わない。
どれだけ経っても、永遠は何も言わず。
じわりじわりと目尻に涙を溜めるばかりだった。
「……愚か者」
久遠がぽつりと言葉を零した。そして永遠の首を斬り落とさんとしていた巨大な斧が下ろされる。
変身を解き、制服姿に戻りつつ、久遠は言った。
「いいわ。今ここで協力関係を解消しましょう。足手まといなんて必要ないもの。木崎永遠、あなたは一生そうやって悲劇のヒロインを気取っているといい。目的のイマーゴは、私が一人で片付ける」
そうして久遠は永遠に背を向ける。
その言葉が永遠の鼓膜を揺らしたのは去り際だった。
彼女が、実にか細く、消え入りそうな声で呟いたのだ。
「……これでいいのよ。結局私は、孤独な存在なのだから」
その私が指していたのは、彼女個人か、それともソリテュードという存在か。
本当は分かっていた。分からないはずがなかった。でも永遠は、久遠を引き止めることができなかった。
久遠の姿が消えた。彼女の足音が消えた。
一人残った路地裏の中、永遠はその場にしゃがみ込んだ。
彼女に手を差し伸べたのは自分だった。だというのに、自分から彼女を突き放したのだ。弱虫だった。最低だった。痛いほどそれを感じていた。それでも何もできなかった自分を、何もしようとしなかった自分を、いっそのこと殺してしまいたかった。
けれどできるはずがなかった。
だから永遠は涙を流した。
「……ごめんなさい、ごめんなさい」
自分以外には誰もいない暗がりの中で永遠は、謝り、泣いた。
夕陽が沈んで空は闇色に染まり、街のあちこちで街灯が点き始めた頃、永遠は自宅に戻り、自室のベッドに横たわった。
袋に入ったままの小説は、床の上に放り投げた。
折角買ったお気に入りの作家の新作も、まるで読む気になどなれはしなかったのだ。
何だってする気にはなれなかった。
ただただ己の弱さを悔いながら。
そして、今はどこにいるのかも分からない久遠のことを思いながら。
永遠はベッドに顔を埋めた――。




