化物、とは
次の日から永遠は、放課後に久遠と行動を共にしなかった。
別に謝罪をしない久遠を相手に意地を張って避けたわけではない。久遠との間に漂い続けるなんとない気まずさ。それが永遠に久遠へ声をかけることを躊躇わせていた。しかも久遠の方からは決して話しかけてこないものだから、そのままずるずると会話のない日々が続いているのだ。
このままでいいはずがない。そういう気持ちは、当然、永遠の中にあった。でも何と言って声をかければいいのか。怒ることの少ない永遠は、経験のなさ故に自身が激怒した後に和解する方法が分からなかった。そうやってなかなか行動に移せず、時間ばかりが過ぎていた。
今日も永遠は思い悩む。
と、そこへ。
「とわちゃん」
机に向かってぼーっとしていた永遠の前に、ぴょこりと穂香が顔を出した。
穂香は学生鞄を抱えている。時間は既に放課後で、クラスメイト達の大半がぞろぞろと教室を出ていく途中だった。
「あ、穂香ちゃん。瑛奈ちゃんは?」
「瑛奈ちゃんならクラブの練習があるからって急いで出ていっちゃったよ。本当は校門を出るまで一緒に行こうとしたんだけど、とわちゃん何か考えごとしてて全然わたし達の声聞こえてないみたいだったんだもん」
「ご、ごめんね」
「それでとわちゃん。今日はこの後用事ある?」
「……えっと」
言葉が詰まる。即答はできなかった。
「ないなら一緒に帰ろう? わたし、今日は塾お休みなんだ」
永遠は視線をずらす。少し離れた席には、荷物をまとめる久遠の姿があった。
本来ならこれから一緒に街中を巡回するのだ。そして宇水に住む人達に危害を加えている強大なイマーゴを見つけ出して、そして一緒に……。
でも永遠は、今日も久遠に声をかけられない。
久遠だって、今日も永遠を見やりもしなかった。
荷物をまとめ終えた鞄を手に提げて、久遠は一人で教室を出ていった。
彼女の消えたドアを見つめ。
このままじゃいけない。思いながら、でも。
「……私も今日はなにもないよ。一緒に帰ろう、穂香ちゃん」
永遠は、そう言った。
「この新作のアイスクリーム美味しいー。とわちゃんのはどうだった?」
学校からはそう遠くない街中。近くに店を構える、若者に評判のアイスクリーム屋が出したトマト味のアイスクリームをスプーン一口頬張り、穂香は実に幸せそうに頬へ手を当てる。
ハッと我に返り、永遠は俯いていた顔を上げた。
「あ、うん、美味しいよ。とっても」
「そう言う割には全然減ってないみたいだけど」
穂香の視線に沿って永遠も目を落とす。
永遠の持つカップの中には、殆ど綺麗なドーム状をしたシャーベットが鎮座していた。
「えと、これは……」
「溶けちゃもったいないよ。それじゃわたしに一口くださいな」
そう言って顔を近づける穂香。少し恥ずかしさを感じながらも「うん、いいよ」とスプーンに一杯掬って、永遠は穂香の唇の先にアイスを差し出した。
「あーん。んっ。こっちも美味しいねー」
満面の笑みを見せる穂香。瑛奈と違って普段は大人しめの彼女が今みたいに時折見せる無邪気な表情が、永遠は幼い頃からたまらなく好きだ。
でも今はちょっとだけ、穂香と同じように笑うことは永遠にはできなかった。
また視線を下げる永遠。
すると今度は穂香の方からスプーンが差し出された。
「とわちゃんもどうぞ」
「いや、私は」
首を横に振る永遠に、一層の笑顔で穂香はスプーンを永遠の口許に寄せる。
「いいから、いいから。すっごく美味しいよ?」
あまり穂香の厚意を無碍にするわけにもいかない。
永遠は目の前に差し出されたアイスを口に含んだ。
「どう。美味しい?」
「……うんっ。美味しい」
さっぱりした甘みが、暗かった永遠の表情を少しだけ和らげた。
「ふふっ。よかった」
満足げに笑う穂香。そしてそれは、やがて永遠に向けられる穏やかな微笑みへと変わっていった。
「とわちゃん、ひょっとして叶世さんと喧嘩しちゃった?」
「えっ、ど、どうして……?」
目を丸くする永遠。
そんな永遠を見て、おかしそうに穂香は声を漏らした。
「分かるよ、幼馴染だもん。でもとわちゃんの場合は誰が見たって分かっちゃうレベルだけどね」その言葉に続けて、
「もう何日も続いちゃってるみたいだけど、仲直りしないの?」と、穂香が言う。
これ以上誤魔化しても仕方がないと、永遠は口を開く。
「したいんだけど、どうしたら分からないっていうか……いや、素直に謝ればいいのは分かるんだけど、なんとなく話しかけづらいっていうか」
ぼんやりとした永遠の言葉を、穂香はしっかりと頷きながら聞いてくれる。
そして答えをくれる。
「それはとわちゃんが話しかけづらいって思っちゃってるから、きっと叶世さんもとわちゃんに声をかけづらくなっちゃってるんだと思うよ」
「私が、思ってるから……」
穂香は頷く。
「それともとわちゃんは、叶世さんがちょっと喧嘩しただけで人のこと嫌いになっちゃうような人だと思ってるの?」
「そんなことない……と思う」
確かに出逢ってすぐは冷たかった。でも、一緒に行動するうちにだんだん多く口を開いてくれるようになって。今思えば、自分に華蓮との関わり方について指摘してきたのも根本的なところを見れば自分を思ってのことに違いはなかった。自分が他人を傷つけるようなソリテュードに騙されないように言ってくれたのだ。
そんな久遠が本当の意味で薄情な人間のはずがないと、永遠は思った。
「だったらとわちゃんから声をかけてあげなきゃ。きっと待ってるよ」
永遠の言葉を受けてそう話す穂香。そして。
「友達を独りぼっちにしちゃダメだよ、とわちゃん」
と言って穂香は優しく笑った。
穂香の言葉が永遠の胸にじんと響く。
ああ、親友の言葉はいつだって私を救い。いつだって私を導いてくれるのだ。
少しの沈黙の後。永遠はこくりと首を縦に振った。
「うん。ありがとう穂香ちゃん」
そうだ。何を迷っているのだ、自分は。数週間前の自分を思い出せ。
「そうだよね。自分から動かなきゃだよね」
永遠は穂香に感謝した。
本当に小さい頃から、今日になっても助けられてばかり。改めて自分にとってかけがえのない存在なのだと、再確認した永遠だった。
やっと表情を明るくした永遠を見て嬉しそうにする穂香。
「よかったー。やっととわちゃんがいつものとわちゃんに戻った」
なにやらテンションを上げた穂香は、「それじゃここでとわちゃんにお話があります」と笑顔で人差し指を立てた。
「え、なに? どうしたの?」
「実はね、今週の日曜日にわたしと瑛奈ちゃんの二人とも予定が空くことが分かったの」
「ほんとう!?」
「本当だよ。だからとわちゃんは今週の日曜の予定、空けといてね」
「うん! もちろんだよ!」
先ほどまでの曇天みたいな表情から一転、真夏の太陽みたいに顔を明るくする永遠。中学に入ってからは各々の都合があり、休日に三人で遊ぶことは少ないのだ。遊べるときに思いきり遊んでおかなくては。そのためにも明日一番に久遠と仲直りして、またイマーゴ退治を頑張らねばと、永遠はそう思った。
「やっとみんなで遊べるねー」
「久しぶりで私とっても楽しみだよ。穂香ちゃんはなにがしたい?」
「うーんとね。実はわたしちょっと気になってる映画があるんだ」
「それって今よくCMで流れてるあの?」
「そうそう! とわちゃんは興味あるかな?」
「ありありだよ! あれ私も観てみたいって思ってたの。まずはそれにしよう? 瑛奈ちゃんもきっと賛成してくれるよ。ていうか瑛奈ちゃんが一番好きそうな感じだし」
「そう言われてみれば確かにそうだね。ふふっ」
弾む会話。永遠は日曜日が今から楽しみでたまらなかった。笑顔に笑顔を重ねて街中を二人で歩く。
そのまま一日が終わってくれればどんなに良かったことか。
しかし、そうはならなかった。
永遠の視界にそれが映ったのは、ふと瞳が前を見たときだった。
ここ一ヶ月ほどですっかり見慣れてしまったそれ。人のような形をしていて、けれど決して人ではない漆黒の影。一般人の目を誤魔化し、擬態し、人の中に紛れる異形の姿があった。
「イマーゴ……!」
険しくなる永遠の顔。
「どうしたの、とわちゃん」
そんな永遠の顔を穂香は訝しそうに見る。
永遠の手は握り拳をつくっていた。
どうやら、明日からなんて悠長なことは言っていられないようだ。ここで奴を逃せば誰かが犠牲になるかもしれない。それは避けなければならない。
選択肢などなかった。
「ごめん穂香ちゃん。私行かなきゃ」
「え? ちょ、と、とわちゃん!?」
急に走り出した永遠に驚く穂香だったが、永遠の表情からただならぬ事情であることを感じ取ったようで非常に心配そうな顔をしていた。
けれど詳しいことは説明できないし、している暇もない。
「本当にごめん! また今日の夜に連絡するよ! そのときに瑛奈ちゃんとも一緒に日曜の計画立てよう!」
努めて笑顔を模り、言って、永遠は再び黒い影を視界に捉え走る。
遠くなっていく永遠の背中を見つめる穂香の目は変わらず不安の色を映していた。
「とわちゃん……」
穂香の唇から零れたその言葉はもうその耳には届かないほど、永遠の姿は小さくなっていた。
永遠の追跡に気がついたらしいイマーゴは他の化け物達と同じように路地裏へと逃げ込んでいく。
向こうとしては餌を誘き出しているつもりなのだろうが、ソリテュードである永遠にとっては実に好都合な奴らの習性だった。
人通りが完全に途絶えた路地裏。
この先に、いる。逃がしはしない。必ず仕留める。
永遠はフェイタルオーナメントを握り締め、烏羽色のロリータ衣装を纏った姿へとその身を変貌させる。
そして両刃剣を握り締め。曲がり角の向こうへと飛び出した。
「――――っ!」
あった。確かにイマーゴの姿はあった。ただしそれは。
既に息をしていなかったのだ。
おそらくは刃物で滅多刺しにされ、身体の至る箇所を斬り落とされ、それは既に絶命していた。
それはそれで良かった。別に永遠自身、自分が必ず始末をしたいというわけではないのだから。
だがしかし、妙だった。今そこでくたばるイマーゴの息の根を止めたはずのソリテュードの姿がない。
死体を処理することなくこの場を去ったというのか。
いや、それは考えられない。だってこの怪物が落とすアニマカルタを多くのソリテュードは喉から手が出るほど欲しがっているのだから。そもそもアニマカルタのためにイマーゴを狩るソリテュードが殆どなのだから。
不可解な状況に内心で首を傾げる永遠。
と、前方に気配。
両刃剣を握り締め、永遠は奥の暗がりに目を凝らす。
…………ずり……ずり……。
何かが、くる。
やがて狭い空から注ぐ光を浴びて姿を顕わにしたそれは。
「……あぁ……かふっ……あぁ……」
人のような形をしていて、真っ赤に染まった、人間(、、)だった。
もはやまともに声を出せない彼女を見て、永遠は言葉を失った。
深紅の衣装。首の装飾にはダイヤマークと6の文字。そして、かつて出逢った際にはとても強気で憎らしげでとても厭らしげに嗤っていた、けれど今は視線も定まらない上にまるで魚のように口をぱくぱくさせるだけの哀れな顔を晒す少女。
彼女のことを、永遠は知っていたのだ。
「暮乃……さん……!?」
紛れもなく数日前に永遠を襲ったソリテュード、暮乃朱音の変わり果てた姿がそこにはあった。
自身を深紅に濡らし、腕や足は変な方向へ曲がってしまっていて。それはもう、目を背けたくなるほどに惨たらしく傷めつけられた姿であった。
「あぁ……あぁ……」
苦痛に呻きを漏らしながら、踵が前になった片足を引き摺りながら、朱音は必死に何かから逃げていた。
身体中から赤い涙を流す中、透明色の滴を零す瞳が永遠を見る。
「……た……たす……たすけ……て……」
最後の力を振り絞ったような、虫の羽音にも掻き消されてしまいそうなか細い声で、朱音は永遠に助けを求める。骨を砕かれ、変形してしまった手を伸ばし。永遠に助けを求める。
かつて襲われたことなどどうでもよかった。ただ助けたくて、永遠は朱音の元に駆け寄ろうとした。
けれども朱音の手を永遠の手が握ることはなく。
どさり、と。崩れ落ちるように。朱音は力尽き、その場に倒れ伏した。
瞬く間に、朱音の周囲に赤黒い水溜まりができあがる。
もう呻き声は聞こえなかった。助けを求める言葉も聞こえはしなかった。
暮乃朱音は、死んでいた。
「そんな……暮乃さん……っ」
永遠の表情が酷く歪む。
惨い。なんて残酷な殺し方なのだ。
永遠は憤りを覚えずにはいられなかった。
一体誰がこんなことを。
そんな憤怒の感情ばかりが胸の中を駆け巡り、身体の外に溢れだそうとするのを必死に押さえ込みつつ、永遠は朱音の元へ歩み寄ろうと一歩、足を進める。
……ぴく。
「え……?」
永遠は自身の目を疑った。
明らかに致死量以上の血を流し、確かに死んでいた朱音の身体が微かに動いたのだ。
実はまだ生きているのか? だとすれば早く処置を施さなくては。
駆け出そうとした足は、しかしすぐにブレーキをかけた。
……どうも様子がおかしい。
朱音の動きは異様だった。ばたばたと跳ねる朱音の身体、その所々が不自然に膨張し収縮しては、またそれを繰り返す。それはまるで、内側から何かが朱音の皮膚を突き破ろうとしているようで。そしてその感覚に間違いはなかった。
弾ける朱音の肉体。破裂した水道管の如く辺り一帯に鮮血を撒き散らしながら。
それは、現れた。
「――オオオオオオオ……ォォォォォ!!」
永遠の脳は、目の当たりにした事実を受け入れられなかった。
人間のように二本脚で立ち。しかし、皮膚は蒼白としていて気味が悪く。極めて黒目が小さく、ぎょろりとした眼には理性の欠片もない。そしてなにより、聞く者全てに等しく恐怖と戦慄を植えつけるおぞましき咆哮。
人を喰らう異形の化け物が永遠を見下ろしていたのだ。
「なん、で……! これは一体……!?」
どういうことだ。何故、イマーゴが。自分達の敵であるはずの化け物が、何故にソリテュード(自分達)の中から姿を現したのだ。
筆舌に尽くし難い衝撃に、永遠は目眩すら覚えた。
これは現実なのか? それとも幻覚か何かなのか。今こうしてイマーゴと対峙していることも、もしや夢ではないのか?
剣を構えることも忘れて、永遠は立ち尽くしていた。
「――きゃあああああっ!!」
背後から響く悲鳴に永遠の意識が引き戻される。
まさか一般人が通りかかったのか。こんなひとけのない場所にどうして。
焦りを覚えつつ、永遠は後ろを振り向く。
そうして永遠の視界に映ったのは。
「ほ、穂香ちゃん……っ!?」
驚愕。なんということだ。
腰を抜かし、へたり込んでいたのは穂香だった。
動転する永遠。
どうしてこんな場所に穂香が……まさか自分を追ってきたというのか。
「とわちゃん、その格好は……!? それにその怪物は一体なんなの……!」
怯え震えた瞳で永遠とイマーゴを見やる穂香は、完全に身体を硬直させていた。
逃げろと言ったところで、今の彼女には不可能だ。
「くっ……!」
ぐっと歯を食い縛り、永遠は眼前のイマーゴを見据えた。
今はああだこうだと考えている場合じゃない。よく見ろ。目の前にイマーゴが存在することは事実だ。そして自身の後ろには穂香がいることも事実。ならば早急に眼前の化け物を斬り捨てなければならないこともまた絶対の事実であることに違いはないのだ。
永遠は鈍色に煌めく両刃剣を構えた。
「そこから動かないで穂香ちゃん! すぐに、終わらせるから――っ!」
戸惑う穂香の言葉を背に、永遠は思いきりアスファルトを踏み蹴った。
風切る速さで、イマーゴへ肉薄。
「えええやああああああああっ!!」
そのまま鎧のような胸部、その奥の心臓を目がけて真っ直ぐに剣を突き出した。
しかし、永遠の鼓膜を揺らしたのは金属音。永遠の剣はイマーゴの両腕からうねるように生えた刃状の突起に軌道を逸らされていた。
体勢を崩した永遠はそのまま身体を転がしつつ即座にイマーゴを向く。
既に化け物の双腕が目の前にあった。
思いきり剣を薙ぎ払い、弾き飛ばす。がら空きになった懐を今度こそ貫こうとするが、下から尖った爪先が迫る。胸を逸らし、後転してそれを回避し、すぐさま地面を蹴る永遠。しかし、それは相手も同じだった。
再び、刃の交叉。火花を散らし、血を散らし、弾き弾かれては裂き裂かれる剣戟の応酬。
永遠は思う。
このイマーゴ、強い。そして似ている。両腕から生える刃状のそれ。繰り出される手数。そして撓るような身のこなし。
全てが、あの暮乃朱音と瓜二つの様子を呈している。
……まさか。まさか本当にこのイマーゴが暮乃朱音だというのか。彼女の中からイマーゴが現れたのではなく、彼女自身がイマーゴへと姿を変えたのだというのか。
馬鹿な。そんなことがあるものか。もしそうだとするのなら、すなわち自分だって――。
「グルルルオオオオオオオォォォ!!」
しまった、と。
思考に意識を傾け過ぎたせいで、叩き込まれた斬撃への対応がコンマ数秒遅れる。
「くっ、きゃああああっ!」
受け流すことができずに真正面から受け止めた一撃は非常に重く、永遠は後ろに大きく弾き飛ばされた。激しく背中を打ちつけ、息が詰まる。
「とわちゃん! 大丈夫!?」
ハッとする永遠。
見やってみれば、最悪だった。
弾き飛ばされた場所はまさに穂香の傍らだったのだ。
もう目と鼻の先にイマーゴが迫っていた。
くる。二つの追撃が。避けることはできない。そんなことをすれば、自分の代わりに穂香の身体が八つ裂きにされてしまう。
考えている暇などなかった。
一つの禍々しい刃が突き出され、もう一つのおどろおどろしい刃が振り下ろされる。
盾になるはずもない手で顔を覆い、目を瞑る穂香の前。見開いた瞳でそれらの切っ先を睨みつけながら、永遠は――
「――がふっ……!!」
何かを嘔吐した音。
恐る恐る目を開ける穂香。
その視界に映ったのは、がぷり、がぷり、と口から血を零す永遠の姿だった。
「と、とわちゃん……!」
片方は両刃剣に受け止められていた。刃状の突起の生え際に刃を挿し込むことによって、永遠はその攻撃を堰き止めたのだ。
そしてもう片方の刃は永遠自身に受け止められていた。その身、腹部を貫かせることにより勢いを殺し、永遠はその攻撃を堰き止めたのだ。
穂香の言葉に返答する余裕があるはずもなかった。
先日のように脇腹を少し抉られたレベルではない。捻じれた刃は完全に永遠の腹部を貫通し、肉を、骨を、内臓を目茶苦茶に掻き回していた。
痛みを超えた痛み。しかし、悲鳴を上げてのたうち回りたい気持ちを殺し、永遠は殺意を籠めた眼差しを化け物に向ける。
「うおおおおおおおああああああああああ――――!!」
絶叫し、両刃剣を振り抜く。剣は硬質の突起と皮膚の間に喰い込み、やがては比較的軟質の腕本体をまるで生魚を下ろすように削いでいった。
「ギャアアアアウウウアアァァ!!」
悲鳴を上げながらイマーゴは飛び退く。
当然、腹部に刺さっていた刃は無理矢理に引き抜かれ、さらに永遠の内臓を痛めつけると共にそこからおびただしい量の血液を溢れさせた。
自身の内側から力が抜けていく感覚。そして身体が震える。
死ぬかもしれないと、永遠は思った。
けれど永遠は立ち上がる。そして虚ろとしてきた双眸を、それでもイマーゴへと向けて走り出す。
殺さないと。目の前のこいつを殺さないと。
半ば朦朧とした永遠の意識には、もうそれしかなかった。
「でやああああああああああアアぁァあアあアアッ!!」
もはや人ではなく、眼前の化け物のそれに近い絶叫を繰り返しながら。がむしゃらに、ただがむしゃらに永遠は両刃剣を振り回す。
片腕が使い物にならなくなったイマーゴを相手にすれば、永遠が押し負けることはなかった。
相手の刃を寄せつけず、そして相手に無数の傷を刻んでいく。
「グ……グオオオ……アアアァァァ……!」
瞬刻の後、イマーゴは瀕死であった。
もう終わらせる。次でトドメを刺すのだ。
渾身の一撃を繰り出すべく、永遠は血濡れの両刃剣を振り上げた。
が、しかし。
「な――」
永遠の膝が折れた。致命傷に近い傷を負ったまま身体を酷使した結果、土壇場で言うことを聞かなかったのだ。それがなんとも残酷なタイミングだった。
次の瞬間には、永遠の胸部を衝撃が駆け抜けた。
――視線を落とせば、イマーゴの刃が自身の左胸部を貫いていた。
「ごぷっ」
吐血。確実に、心臓を傷つけられた。
視界が霞む。いくら丈夫なソリテュードといえど心臓を抉られては生きていられるはずがなかった。
今度こそ致命傷だ。即死でなくたって間もなく自分は死ぬと、永遠は悟った。
だがまだだ。まだ死んでなるものか。
永遠は歯を食い縛り、柄を握り締め。
「えあァあアあああァぁあぁあアあアアァアっ!!」
両刃剣の刀身を、イマーゴの心臓に突き刺した。そして両足に力を込め、そのまま化け物ごと猛進する。
イマーゴをコンクリート壁に叩きつけ、抉り、抉り、抉り、抉り、抉り、抉り、抉り、抉り、抉り、そしてさらに心臓を抉る。
「ああアあぁアあアアァアアあぁァああアぁアあアアあァあアあアアア――――!!!」
正真正銘、最後の力を振り絞り、永遠は剣を握る。
「ガアアアアアアアアアアアァァァァァアアアアァァァァアアァァ!!」
逃れようともがき、悶えるイマーゴの悲鳴。
しかし永遠は逃さない。
対峙する絶叫と悲鳴。悲鳴はやがて断末魔となり。そして、無機質的だった眼から生気までもが消え失せる。
遂に異形の人喰いは、動きを止めた。
「……はあ……はあ……がふっ……ごぷっ……」
絶えず血を吐き、絶え間なく傷口から血を流しつつ剣から手を離す永遠。
その眼前、だらしなく四肢を垂らした上で壁に磔にされて、イマーゴは絶命していた。
……やった、倒した。
私は倒したんだと、そう安堵した途端。
もう永遠を支えるものは何もなくなり、彼女の身体は崩れ落ちる。
そしてそのまま。
ほぼ時を同じくして木崎永遠もまた、その心臓の動きを止めた――。




