村の異変を調査せよ!③
「なんと。それでは救い主さまは魔族だったとおっしゃるのですか……!」
「そうよ。しかも人間界への侵攻を決めた、黒幕的な立場のヤツなのよ」
「王女マリアの名のもとに、魔族ヴァールは引き取らせていただきます。よもや異存はありませんね?」
マリアの念押しに、壮年の男性は額の汗をぬぐって頷いた。
奥の部屋にいた村長さんである。傍らには奥さんも寄り添っていて、夫妻はひどく困惑した様子だった。
「父さん、母さん。救い主……じゃなくて、ヴァールさんから得た知識は無駄にはならないよ。これからもがんばって村を盛り立てていこう?」
「そ、そうだな。周辺の村との交流も再開しよう」
ジェフの言葉に、村長さんもほっとしたように頷いた。
……さて、こっちはうまくまとまったとして。
私は窓を開け放ち、庭にいるヴァールたちの様子を確認する。
庭ではなぜか、エーリクがヴァールを洗っている真っ最中だった。桶の中に乱暴に突っ込んで、わしゃわしゃと激しく泡を立てている。
「どう、エーリク? 綺麗になったー?」
のんびり声を掛けたら、エーリクが嫌そうに首を振った。
「いや、全く。……レグロ、もっと石けんを泡立ててくれ」
「了解っ! しっかし全然落ちねぇな。ヴァールお前、確かこんなに真っ黒じゃなかったよなぁ?」
レグロの言う通り、最後に見た時のヴァールの体毛は灰色だった。
それなのに、再会後のヴァールは完全に黒ネズミと化していた。こんなに汚れた状態では魔空挺に乗せられないと、エーリクが強く主張したのだ。
「つ、冷たいっ! 何をするのだこの化け物勇者めー!……うひゃひゃひゃっひゃめろぉっ!?」
抗議の声も何のその。
エーリクはヴァールネズミをわしわしと豪快に洗い続ける。暴れるヴァールのせいでシャボン玉が宙を飛ぶが、エーリクは気にした様子もない。
「こんな不衛生なネズミをアリサに近づけられるものか。おかしな虫にでも刺されたらどうしてくれる?」
「いや相変わらずバカ娘のことしか考えてないな貴様!? 僕は決して汚れてるわけじゃないっ。この美しい漆黒はっ、僕が魔族に戻りつつある証なんだ!」
ヴァールの言葉に、エーリクが手を止めた。
顔をしかめ、懐に隠れていたシンちゃんにささやきかける。
「シンちゃん。こいつの言うことは本当なのか?」
エーリクの呼びかけに、シンちゃんがひらりと飛び出してきた。
優雅にヴァールネズミの周りを飛び回り、その瞳をじっと覗き込む。ヴァールネズミが居心地悪そうにうつむいた。
ややあって、シンちゃんはぷはっと噴き出した。
「違う違う、魔族になんか全然戻ってないってば。むしろ逆で、これは闇堕ちしかけてるだけだなー」
「闇堕ち?」
「どういうことよ、それ?」
マリアとブランカも側に寄ってきた。
わけがわからない私たちに、シンちゃんが得意気に説明してくれる。
曰く、ヴァールは現ネズミとはいえ元々は魔界の生き物であり、彼らにとって負の感情は力の源となる。
おそらくヴァールはエーリクへの恨みつらみといった負の感情を、己の中に日々溜め込むことで再起を図ろうとしたのであろう。
……けれど今のヴァールは、くどいようだがれっきとしたネズミでもあるわけで。
「魔族の闇を受け止めるには、ネズミの器なんかじゃ小さすぎたんだろうな。悪い影響が出て体が黒ずんじゃってるんだよ。このままじゃ力を蓄えるどころか、自我を失って破壊衝動だけのネズミに成り下がるぞ」
「はああッ!?」
目を剥くヴァールを見下ろしつつ、私たちは室内で議論する。破壊衝動だけのネズミって……何だそれ?
「そうですね。自我のないネズミさんが言葉をしゃべれるとは思えませんから、まずはチューとしか鳴けなくなるのでは?」
マリアの予想に、ブランカがうんうんと頷く。
「あとは動物としての欲求に支配される感じじゃない? 食い意地に突き動かされるまま、きっと人間の食料を食い荒らすのよ」
「それ、もはや普通のネズミじゃない?」
私たちの議論はヴァールの耳にも届いていたらしい。
ぴきんと硬直し、「そっ、そんにゃあ……!?」と悲痛な声を上げる。エーリクがため息をつき、ヴァールの泡を綺麗に流した。
「そういうことなら、こいつはこのまま放っておいてもよくないか。一匹のありふれたネズミとして、余生を満喫していくことだろう。可愛い雌ネズミと幸せな家庭だって築けるかもしれない」
「余計なお世話だぁっ!?……どうかお願いしますよ慈悲深き勇者様ぁっ、哀れな僕をお助けくださいよぉ~っ!」
恥も外聞もなく泣きついてくる。
エーリクは面倒くさそうに鼻を鳴らすと、ヴァールをタオルで拭きながら振り返った。
「マリア。こいつの闇を浄化することはできるか?」
「それは……まあ、できることにはできますけど」
マリアが言いにくそうに語尾を濁す。
「ですが、鍛錬を重ねた今のわたくしの法術では、魔族のヴァールごと完全に消し去ってしまいますよ? それこそ後に残るのは、自我のない無垢なネズミだけかと」
「そんなの嫌だあぁっ!!」
「んもう、わがままなんですから」
マリアはあっさり匙を投げてしまった。
さすがにヴァールが可哀想になってきて、私はおろおろと彼らを見比べる。シンちゃんを手招きして飛んできてもらい、「何か他に方法はないの?」と尋ねてみた。
「そうだな~、浄化ってのはいい手だと思うぞ、うん。相手がマリアだから問題なんであって、もっとへぼい術者に頼んでみたらいいんじゃん?」
えーっ。
そんはちょっと……難しいのでは。
「ヴァールネズミを蝕む負の感情だけなら消せるけど、でも魔族の部分には一切太刀打ちできない、絶妙にうっすい浄化しか使えない術者を探せってこと? 浄化を使える人自体が稀なのに? そんな中途半端で都合の良い術者、そうそういるわけが――……」
いるわけが――……?
ふと気づいて、口をつぐむ。
いつの間にやらみんなも黙り込んでいた。全員の視線が私に集中する。
私は恐る恐るケープに手を突っ込んで、伝説のリコーダーを取り出した。
これ、かな……?と小さく首を傾げて確認すると、みんなも無言のまま大きく頷いた。
「…………」
いたよ。
中途半端なへぼい術者が、ここに。
◇
「はい、じゃあ今日も元気に浄化しましょうね~」
「くッ。僕ともあろう者が、こんなバカ娘に……! 屈辱ッ!!」
今日も今日とて、憎まれ口を叩くヴァールに浄化を施してあげる。
曲目はもちろん、悪しきものを浄化する【月光の夜想曲】。
本当に本当に効果が薄いので、面倒だが毎日重ねがけしてやらねばならない。二週間近く経ってやっと、ヴァールの体毛は最初のころの灰色に近くなってきた。
「ちょっと、あたしの使い魔ちゃーん? アリサに無礼な態度を取ったら、おしゃべり禁止にするって前に忠告したわよねぇ?」
「はッご主人様!! 申し訳ございませんッ!!」
歩み寄ってきたブランカに、ヴァールネズミがぴゃっと背筋を伸ばした。私は思わず噴き出してしまう。
「いいよ、ブランカさん。この間もそう言って、一日『チュー』としか鳴けなくなっちゃったじゃない。可哀想だよ」
ブランカは苦笑すると、私の頭をぽんと撫でた。
「ほら、優しいアリサは許してくれるって。感謝しなさいよ、使い魔ちゃん?」
「チュー……」
ヴァールが力なくしっぽを垂らした。
そうなのだ。
なんとあれから、ヴァールは魔術師ブランカと使い魔契約を交わすことになったのだ。
しゃべれる以外の能力はなくなったヴァールだが、魔族として培ってきた知識は健在で(しかもそれに加えて宮廷魔術師コリーの知識まである)、捨ててしまうには惜しいとブランカは判断したらしい。
そしてヴァールはヴァールで、自我が消えて単なるネズミになってしまうのを恐れている。
ブランカと契約したら私が浄化すると約束したので、使い魔となることを了承したのだ。二人の利害が完全に一致した形と言える。
「さっ、今日の浄化はおしまい! エーリクたちと合流しよっか」
「甲板に行くって言ってたわよ。面白いダンジョンを見つけたとか騒いでたけど」
ヴァールネズミを肩に載せたブランカと、私たちも甲板へと急ぐ。
甲板にはすでに全員が集合していて、エーリクが嬉しそうに振り向いた。
「ああ、見てくれアリサ。空に島が浮かんでいるんだ」
ええっ!?
慌てて空を見れば、エーリクの言う通りだった。
「すっごい、あれって【天空島】だよ!? 常に移動してるからなかなか出会えない、すっごくレアなダンジョンなんだから!」
大興奮で駆け寄って、手すりから身を乗り出す。
空に浮かんだ島が、ゆっくりと雲の間をすべっていく。新たな冒険の予感に、胸がわくわくと高鳴った。
「ふふっ、アリサったら嬉しそう。今すぐ上陸しましょうか?」
「おうっ、異議なしだ! 腕が鳴るぜぇっ!」
「あらレグロってば。お化けと違って高いところは苦手じゃないのね?」
からかうブランカに、レグロが真っ赤になって慌てふためく。マリアが涼やかな笑い声を立てた。
「アリアリ~っ、あそこにも面白いアイテムがいっぱいあるかな!?」
「うん、シンちゃん。シンちゃん用のおしゃれなリボンも手に入るよ」
「うおお、やる気出てきたぁっ!!」
エーリクはふっと笑うと、シンちゃんのたてがみをかき回した。シンちゃんがくすぐったそうに笑う。
自動操縦モードは目的地を天空島に指定しているらしい。
だんだんと島が近づいて、音も立てず静かに島の端っこに着陸した。
やわらかな芝生の上に一番にエーリクが降り立ち、すぐに私に手を差し伸べてくれる。
「さあ、行こう――アリサ!」
まだいくらでも書けそうですが、ひとまずこれにて番外編も終了です♪
お読みいただきありがとうございました!




