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ポニーテールは笑わない。  作者: 藤和春幹
第二章
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第26話 夢

「どうして、私なんかに構うの?」


 彼女は迷っているようだった。


 私の話を整理しているのだろうか。彼女はたっぷり数十秒ほど悩んでから、やがて、その重い口を開いた。


「…………私はね」


 彼女は自嘲するような調子で語り始めた。


「私は、独りになるのが嫌なんだ。もう」


 そう、前置きして。


「私が養子だっていうのは、前に言ったと思うけど、元々私は孤児院に入ってたんだ。里親っていう言い方をしたのは、そういうことだよ。私はそこで今のお母さん……上野智美に拾われて、親子になった」


 孤児院に入っていたと言うことは、私みたいに両親が亡くなって、ということだろうか。


 いや、最近は単純に経済的な理由で一時的に子供を預けておくこともあるそうだが。


「私は捨て子だったらしいの。といっても、すごく小さい頃だったし、両親の顔も覚えてないんだけどね。何も分からないまま、物心ついた時にはもう孤児院の中にいた。それでも、私には何となく両親の記憶は残ってて、それで、あるはずのものがないことが悲しくて、泣いてばかりだった。そんな私は、孤児院の中で孤立しちゃって、ちっちゃい頃はいつも独りだったんだ」


 捨て子、か。なるほど。境遇は違うが、感覚は何となく分かる。


 私も、昔の記憶がまるで夢のように感じている。温かかったあの世界。それが、幻であったかのように。 それがだんだん消えていってしまうようで、私は恐い。


 けれど彼女は、そんな恐怖すらも感じないのだろう。


 彼女にあったのは、失う恐怖ではなく、得られない恐怖だったのだ。


「それは、小学校に上がっても変わんなくて。私は泣き虫で、独りで、本当は独りが嫌なのに、やっぱり独りで…………」


 でも、と彼女は声色を明るくして言う。


「そんな時に、私はお母さんに拾われたんだ。何がお母さんを惹きつけたのかは分からないけれど、お母さんは私を選んだ。選んでくれた」


 彼女は本当に嬉しそうな表情だった。


「私は、初めて……えっと――」


 急に、迷ったような表情をする安達。


 何かを探して、でも見つからないような、そんな顔だった。


「……『孤独』の反対って、なんなんだろ。あっちゃん」


 あっちゃん言うな。しかし、よく考えてみれば孤独の対義語は何なのだろう。


 一人、ということに対してなら全体や集団といった言葉が考えられるし、孤立ということを取るならば連帯だろうか。


 だが、私にとっては、


「『夢』だと思う」


 それは、二重の意味で。


「そっか。じゃあ、私は初めて夢を見ることができた……ってあれ?」


 と小首をかしげる安達。


「なんか、虚しいよ?」


「……別に、そんなことはないと思うけど」


「そうかなあ」


 納得がいっていない様子だった。まあ、仕方の無いことだろう。彼女が納得いかない理由は、なんとなく分かる。


「まあいいや。とにかく、私は孤独から抜け出したんだ。そしたら、今度は孤独に戻るのが恐くなった」


 つまり彼女はそこで、失う恐怖が芽生えたということなのだ。


 しかし、その恐怖は形の上では同じでも、私とは全く種類が違う。逆なのだ。



 ――私は、誰かを失うのが恐い。だから孤独でいる。


 ――彼女は、孤独でいたくない。だから誰かを失うのが恐い。



 同じようで違う。私は、失いたくないから手に入れない。彼女は、手に入れたものを失いたくない。


 だから、私にはたとえそれが夢だったとしても、すでに夢の中にいる彼女にとって、孤独の反対は夢だと言われても、いまいち合点がいかないのだろう。


「だからさ、私は……。あっちゃん。君であっても、いや、君だからこそ、失いたくない」


 それじゃ理由になってない。私はそう言い返した。


「転校、してきてさ。最初はまた独りになっちゃうんじゃないかって、内心はすごい恐かったんだ。それまでも転校は何度かしてるし、いつものことだったんだけど」


 でも、と彼女は逆接した。


「あっちゃんを見て、何となくだけど、私に似た雰囲気を感じたんだ。孤独感、っていうのかな。そんな感じ」


 私は驚いた。彼女が言っている感覚は、私が彼女を初めて見た時に感じたものと同じだったからだ。


 他人とは何かが違う。


 その、何か。あの時は分からなかったが、今それがやっと分かった。


 彼女は、本当の孤独を知っているから。そう考えれば、あの山内先生の言葉も、なぜ私に向けられたのかがはっきり分かる。


 ――安達さんのこと、本当によろしく頼むよ。


 先生は、恐らく彼女の事情を把握していたのだろう。


 そしてまた、私の事情も把握している。似た境遇の私だからこそ、彼女のことを頼むと私に言ったのだろう。


 いつか、私は同じようなことを考えて、でもそれが少し残酷なことだったからあえて口には出さなかった。


 でも、本当は違う。


 彼女は、こんなにも強い。孤独を受け入れている私なんかよりは、ずっとずっとだ。


「だから、しつこく話しかけちゃった。ごめんね。だって、独りなんて寂しいでしょ?」


 それが答えだった。


 私は、彼女にとても酷いことをした。勝手に怒って、突き放して。この一週間、安達がどんな気持ちで何度も謝りにきていたのか、私は気にも留めていなかった。きっとまた不安でいっぱいだっただろう。


 安達は、話は終わったと口を閉じた。そして私の方を見てくる。今度は君の番だと目が語っていた。


 ヒッティングは見事成功したらしい。


 ワンナウト二三塁からの安打。三塁ランナーは悠々帰る。二塁ランナーもまた、帰る。


 逆転サヨナラ。


 私の孤独にも、また――



「……私、本当は嬉しかった」


 ポツリ、と私は言う。


「あの日、試合で打ち込まれた後、あんたに誘われたとき。鬱陶しかったけど、すごく、嬉しかった」


 だが、私は嘘をついた。


 孤独を抜け出して束の間の夢に身を預けることに、躊躇いを感じていた。


「でも、結局私は行った。何となく、本当に何となくだけれど、今度は夢じゃ終わらないって、思ったから」


 私は今日、初めて安達の目を直視する。


 彼女の目を見ると、思い出す。楽しかった、まるで夢のような時間のことを。


 自分の内からこみ上げてくる何かを感じた。それは、多分、大きな正の感情だと思う。


 私はもう泣きそうだった。


 いや、泣いていた。


 彼女は、そのかわいらしい顔に微笑みを浮かべて、ただ私を見ていた。


 その表情を見て、私はまるで支えを失ったように倒れこむ。その微笑に向かって、一直線に。


「ねえ、安達……、奈々……」


 そして彼女に抱き止められながら、私は言った。



「私……もう、独りは嫌だよ……っ」



「うん」


 安達は一言、それだけを言って私のことを抱きしめた。


 すごく温かくて。それは、夢でなくて。彼女なら、私の前から居なくなることはないだろう。


 あの日から自然と失ってしまった私の笑顔を、大事なものを、きっと取り戻してくれる。


 そんな予感がしていた。

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