第24話 盗塁
それからと言うもの。私から謝る気にもならず、安達との関係は、それこそ歪んだ歯車のようだった。
クラスの中では勿論、部活中にも最低限の会話を交わすだけで、彼女との会話はまるで無くなったと言ってもよかった。
彼女からは謝ってきた。だが、私はそれに答えようともせず、ただ彼女を一瞥するだけ。
安達の転校初日の頃のように、今まで私が他人にそうしてきたような視線だけを向けて、無言のまま「話しかけるな」という雰囲気だけを漂わせた。
私はまた、果てのない積み石を再開したのだ。
一度は揺らぎかけた石の楼閣は、結局倒れないままだった。謝ればいい。ただ一言、「ごめん」と言えばそれでいい。
でも、私には出来なかった。彼女への怒りが収まっていないと言えば嘘になる。
彼女は卑怯だ。私の心の深いところに干渉しておいて、自分の心の内は晒さない。おかしいじゃないか。自分だけ、秘密にするのは。
他人の心を知りたいなら、まずは自分の心を 見せるべきじゃないのか。 そして、私は気付く。
安達の心を知りたいという自分の心に、気付く。
彼女は私を知りたがっている。同じように、私も彼女を知りたい。
他人の心を知りたいなら……か。全く、私もつくづく卑怯な人間だ。自分のことを棚に上げておいて、他人に怒りをぶつけるなんて。卑怯者もいいところだ。
それでも、私は言い出せずにいた。歪んだ歯車は、元に戻らない。このまま石を積み続けるのも悪くない、かな。
そう思いながら、一週間を過ごした、ある日のことだった。
部活が終わり、家に帰ってきた私は、何をするでもなくただ過ごしていた。強いて言うなら、夕飯はもう食べた。
今、家には私しかいない。周りは民家ばかりで、いつも外からの騒音もない。静かな夜だった。
――プルルルルル、プルルルルル
静寂を突き破るように電話が鳴った。私の携帯だ。発信者を確かめる。静江さんだった。
「…………はい」
電話を取った。すぐに、静江さんの声が聞こえてくる。
「敦子。最近どうだ。元気にしてるか?」
まるでしばらく会っていない親戚のようだ。毎日顔を合わせているはずなのに。
「お前、奈々君と何かあったのか? ここのところ、やけに会話が少ないじゃないか。喧嘩でもしたか」
鋭い。
いや、もしかすると、周囲にはバレバレなのかもしれない。別に、大丈夫ですとだけ私は答えた。大丈夫じゃなかった。
「そうか。ならいい。奈々君にも聞いたが、何も答えてくれなかったんでな。心配していた」
静江さんは最後に、あまり無理をするなよ、とだけ付け加えて電話を切った。静江さんに相談すれば、もしかしたら解決するのかもしれない。
でも、こんな時まで静江さんに頼るのは、何か間違っている気がした。
何か、間違っている? 馬鹿馬鹿しい。
何が間違っているのか、なんて。
私が間違っているに、決まっているのに。
「…………バカみたい」
私は独り呟いた。いつぞやの時と同じように。どうすれば、変われるだろうか。どうすれば、歪んだ歯車は元に戻るのだろうか。
どうすれば…………彼女と、やり直せるのだろうか。
答え簡単だ。彼女に謝ればいい。そうすれば、今までのような関係に戻れるだろう。
だが、そこで終わりなのだ。
私が謝れば、安達はもうこれ以上私を追及してこなくなるだろう。そして、私が彼女に感じた違和感の正体を知ることもなくなる。
だから、私は謝れない。謝れば、彼女との関係は修復できてもそこで終わる。
けれど、謝らなければ、彼女の違和感の正体を知るチャンスは残されていても、そのチャンスを掴めるかどうかの保証はない。
ジレンマだった。
一点ビハインドで迎えた延長十五回の裏、ワンナウト一三塁。今の私はそんな状態だった。
スクイズをすれば、同点にはなる。だが、そうすればツーアウト二塁。私の後ろは下位打線。ランナーを帰すのは難しい。そして、そのまま引き分けに終わってしまう。
ヒッティングをすれば、もしかするとヒットになって同点でチャンスを残せるかもしれないし、長打が出れば一気に逆転サヨナラだ。
しかし、下手をすればゴロを叩いてゲッツーになる。そうすれば、チャンスを生かせないまま負けて終わりだ。
そんな場合、私ならどうする。
「……盗塁、してみるか」
私は携帯を手に取った。
そして、使わないまま机の上に無造作に置かれていたクラス連絡網を拾う。
転校生の加入に際して、再発行された真新しい連絡網。その、一番上の端にある番号を叩く。
安達奈々の、電話番号を。
「…………はい、上野ですが」
安達の声だ。そうか、一応は上野家になるのか。
智美さんが初めに出るのかとも思ったが、そういえば今日はナイターだった。家にいるはずがない。
「…………今から、行くから」
「え? ちょ、ちょっと待っ――」
要件だけ短く伝えて、私は電話を切った。 私はすぐ家を出た。
盗塁は、スタートが肝心だから。




