集落に着きました
ワアッ、と。 喜悦に満ちた歓声の中、私達は出迎えられた。
「あぁ! あぁ! 黒衣の天魔様! 生きているうちにお目にかかれるとは思いませんでした…あぁ、光栄にございます!」
大騒ぎの人々の中からずいっと前に出てきた男は、涙を流しながら跪いてそう言った。 ズルズルと引きずりそうな長い着物に手も隠れる程の――正直サイズ間違ってるよって言いたい――大きなローブを羽織っている。 その頭の上では、と●がりコーンを赤くして先っぽからスカーフを垂らしたような珍妙な被り物が強烈な存在感を放っていた。 男はどうやらこの集落の長であるらしかった。
長さん(?)が頭を下げると、集落の人々も一斉に跪いて頭を垂れる。
お、おぉ…壮観。
「本日はよくいらして下さいました…今神殿に部屋の用意をしております」
「あぁ、分かった。 今日は用向きがあってきた。 しばらくはここに留まるつもりだ」
「あぁ…有り難き幸せにございます…!」
長は感極まった様子で、うんたらかんたらむにゃむにゃとよく分からない口上を述べ始める。
…一生懸命なところ申し訳ないが、そろそろ地面に下ろしてくれないだろうか。 崇められてるカラスちゃまの上に乗ってるの、ちょっと居心地悪いんですけど。
何とか降りられないかともぞもぞしていると、長はそこで初めて私に気付いたらしい。 口上の途中で口を開けたまま固まった長と目が合った。
「…んなっ!? 何と穢らわしい!」
「へっ?」
フリーズ状態が解けるや否や、突然生ゴミを見る目で叫ばれて驚く。 が、すぐに気付いた。
うわ、やっべ、私泥だらけだわ。 そりゃ汚いわ。
人々もカラスちゃまの上の私の存在に気付いたようで、その場が一気にざわめきに包まれる。
長は彼等を代表するようにビシッと私を指差して怒鳴った。
「貴様! 不浄の者め、恥を知れ! その不浄の足で天魔様を踏むとは何事か! ええい、早く退かぬか! 無礼な!」
顔を真っ赤にして怒り心頭、と言った様子の長は鬼気迫る表情でドスドス大股でこちらへ向かってくる。
しかし、如何せん着物が長いせいでその歩みは遅く、よたよたと危なっかしい。
その様子が何だか水族館のペンギンを彷彿とさせて、私は思わず吹き出しそうになるのを堪えた。
「こっこの…! 不浄の者め! 早く降りろと言うに!! ……ッくそ! 引きずりおろしてくれる!」
長も足に纏わりつく着物にはやはり苛立っているようで、燃えそうな程顔を赤くして怒りのままにこちらへ手を伸ばした。
刹那、
「寄るな」
カラスちゃまが大地を震わせるようにズン、と響く、低く恐ろしい声で言った。
驚いて咄嗟に後退しようとした長はついに着物の裾を踏んでしまい、盛大にひっくり返った。
私は、それを見て――
「ぶっふぉあ!」
……堪えきれなかった。
カラスちゃまの一声で水を打ったように静まり返っていたその場に、それはよく響いた。
いや、あの……わ、分かってたんですよ? これはシリアスな場面で、間違っても笑って良いような場面じゃないって。
でも長さん、ひっくり返って、大胆に生足披露した後、乙女座りするんだもん!
笑うでしょ!? 笑うなっていう方が無理でしょ!?
当然、馬鹿にされたと思ったらしい長はまた烈火のごとく怒り出した。
「このっ…このっ、穢らわしい夜魔の子供が! 忌々しい悪魔め! この…っ!」
「黙れ!!」
空気がビリリ、と振動するのを肌で感じた。思わず私もびくりと固まってしまう。
カラスちゃまが、本気で怒っていた。
「調子に乗るなよ、人間。 コイツは穢れてなどいない。 ましてや悪魔なんかでもない。 この、俺様の、加護を受ける者だ。 少しでも危害を加えてみろ……俺様が食い殺してやる」
ガチリ!
カラスちゃまがくちばしを鳴らせば、長は真っ青になって震え上がった。
「も……も、もう、申し訳、ございませんでした……お許しを」
地面に額を擦り付けるようにして謝罪する長。
先程まで固まっていた民衆達も、慌ててそれに倣う。
カラスちゃまは彼等をしばらく見つめた後、ゆっくりと身体を下ろして「下りな」と、私に優しく促した。
戸惑いつつもそれに従い、そろりそろりと地面に降りる。 そんな私の様子をしっかり確認してから、カラスちゃまは静かに言った。
「部屋へ」
* * *
その後、私は集落の女の人達に連れられて、念願のお風呂に入った。
カラスちゃまと離れると途端に不安になる。冷たい目に囲まれて、また忘れていた孤独感に苛まれてしまう。
神殿のお風呂とやらはやたらと広くて、何だか自分が場違いである気がした。
落ち着かなかった。
身の回りの世話をすると言って付き添ってくれた女の人は、まるでガラス細工でも扱うように恐る恐る私に触れる。手つきはこの上なく丁寧だが、その目には侮蔑と恐れが浮かんでいた。それは異端者を見る目だ。私がこの世界にとって異物であると再確認させられるようで、震える。
落ち着かなかった。
私の肌色は乾いてこびりついた泥を洗い流してもその前と大して変わらなかったが、それとは対照的に長い髪は降り積もったばかりの雪のように白くなった。私の髪を拭きながら、世話役の女の人が嫌悪するように眉をひそめるのがチラリと見えた。 備え付けられた鏡の向こうで、赤い目の少女が心細げに私を見ている。
落ち着かなかった。
綺麗な桃色の着物を着せられて、豪華な食事を頂いた。 周りの人が、皆一歩引いた所から私の様子をじっと見ていた。砂を噛むように味を感じない。不味い。
落ち着かなかった。
結局、寝室へ通されたのはこの集落へ着いて数時間も立ったあとだった。カラスちゃまはいないようだった。 布団は一つしかないので別室なのかもしれない。
私は綺麗に敷かれていた布団に思いっきり倒れこんだ。 布団は嗅いだことのない、不思議なお香の匂いがした。
落ち着かない。落ち着かない。落ち着かない。
この世界はやっぱり私の世界じゃない。
私はここに落ち着けない。
一人は怖い。一人は不安だ。静けさは、見たこともないこの世界で自分の居場所などないと私に思い出させるようで。真っ暗闇の中に宙ぶらりんで吊るされるような恐怖。カラスちゃまと会って誤魔化していた孤独、不安が押し寄せる。そのカラスちゃま……ヤタガラスだって、この世界の住人で、大事な人がいる。私は、いつまで、彼に縋っていられるだろうか。
震えていても、小さな身体はもう疲れを訴えていてまぶたが勝手に垂れ下がってくる。うとうとしながらぼんやり考えていると、ふわりと何かが私の目を覆った。
くちばしではない、ふわふわの羽毛でも、艶やかな翼でもない。
人間の手だった。
「……おやすみ」
優しく響くテノールの声に詰めていた気がふっと緩んで、意識が沼に沈むように奥底へ落ちていった。
* * *
――…ぃ…ぉー…い、おー…おーい、おーい!
誰かが呼んでいる。
耳元で何度も、何度も。
おかげで目は覚めてしまったが、正直面倒くさかったので、私は狸寝入りを決めこむことにした。
「おぉーい…うーん、なかなか起きないな。 おぉーいおいおいおぅい!」
しかし相手はしつこかった。 私を起こそうと、髪を引っ張り、鼻をつまみ、ほっぺをつつき……とにかくしつこかった。
流石に無視しきれなくなってきた私は、ようやくパチリと目を開けた。
そして、何も言えなくなった。
「あ! やっと起きた!」
私の顔を覗き込んで、花が咲くように笑う少女。
本当は、文句の一つや二つ、言ってやるつもりだった。 しかし彼女の姿を見た瞬間、頭が真っ白になった。
その白い髪はふわふわと、羊の毛のように少女の小さな身体を飾り、コーヒーミルク色の肌は幼い瑞々しさに張っている。 細い足は剥き出しで、その身には編み目の荒い布で出来た丈の短い着物もどき。 そしてその髪の白に囲まれた小さな顔は小動物のような愛らしい顔立ちで、その中に綺麗に収まっている大きくてまんまるのルビーの目がきらりと輝いていた。
――少女は“私”の姿をしていた。
「ありゃりゃ? お姉さん、また動かなくなっちゃった。 あ、もしかして目ぇ開けたまま寝てるのかな?」
「……っえ… 」
ようやく声が出るようになると、私ははくはくと口を何度も開閉して、
「な…何で…“私”が、もう1人…!?」
「うん? ……あぁ、そうだね。 あなたも“私”だし、私も“私”だもんね。 “私”が2人だね!」
うんうんと頷いて、何やら1人納得している少女。
事情の飲み込めていない私は置いてけぼりだ。
少女は――どうやら寝転がった状態でいるらしい――私の傍らにしゃがみこみ、その子供らしい柔らかそうな小さな手を差し出した。
「こんにちは! …ん? こんばんはかな? おはようございます…じゃないよね。 ……ま、いいや! 初めまして、前世の“私”さん」
「前世の……って、まさか、あなた…!?」
思わず目を見開くと、少女はにっこりVサインを作って見せた。
「うむうむ、そうです! 私が今世の“私”さんです!」