↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
3/3

二つの月

ありがたいことに、これで言葉の壁はなくなった。


「そりゃ助かる」


思わず笑みがこぼれる。


「ところで、ここがどこなのか分かるか? それに、どうして俺たちはここにいるんだ?」


装置が起動した時、こいつの姿はなかった。


つまり、俺とは別の経路でここへ来たってことか。


「いや、さっぱりだな」


体についた草を払いながら、青年は肩をすくめた。


「むしろこっちが聞きたいくらいだ。さっきから何度も話しかけてたんだけど、通じなくてさ。ていうか、どうして急に会話できるようになったんだ?」


予想通りだ。どうやら彼も事情を知らないらしい。


もう装置を見られている。今さら隠しても意味はない。


「これだよ」


右手を開き、灰色に淡く発光する黒い装置を見せた。


「この変な機械が、俺をあの場所へ送り込んだ。それと、多分だけど翻訳機能もある」


青年は興味深そうに近寄ってくる。


「これで互いに分かり合えるってわけか」


「たぶんな」


「ちょっと触ってみてもいいか?」


「どうぞ」


装置を手渡す。


彼はあらゆる角度から観察し、ひっくり返したり、押したりしていた。


やることは俺とほぼ同じだった。


数秒後、装置が返される。


「駄目だ。使い方が全然分からない」


ノヴァは深いため息をついた。


「持ち主に聞くのが早いんだろうけど、君も知らないみたいだな。その様子だと」


「まあ、その通りだ」


苦笑するしかない。


青年は改めてこちらを見た。


「そういえば、まだ名乗ってなかったな」


右手を差し出す。


「ノヴァだ」


「よろしく。俺はアルマン」


握手を交わした。


「アルマンか。珍しい名前だな。初めて聞いた」


「実はそこまで特別じゃないんだ。カザフ語っていう言語で、『夢』って意味なんだ」


「夢?」


ノヴァが小さく目を見開く。


「カザフ語っていうのは、言語の名前か?」


「ああ」


「聞いたことないな」


「世界には何千も言語があるんだよ。まあ、カザフ語のコンテンツはほとんどないけどな」


「なるほど」


ノヴァは遠くを見つめた。


「……とにかく、まずは現在地を確認しないと」


そう言って歩き出す。


後を追いながら周囲を見回した。


どうやら小さな丘の頂上にいたらしい。


麓にはどこまでも広がる草原。ところどころに細い道が走っている。


太陽は南西へ傾き始めていた。影もかなり長い。


もう昼はとうに過ぎている。


「下りよう」


ノヴァが斜面を降り始める。


その途中、地面に見覚えのあるものを見つけた。


俺のリュックだ。中にはノート数冊とペンが入っている。


今のところ役には立たないが、貴重な持ち物には違いない。


「君のか?」


ノヴァが振り返りもせず聞いてくる。


「ああ。転移の時に落ちたんだろうな」


回収して再び歩き出した。


やがて一本の長い道へ出る。


人が踏み固めたような跡だ。どこかへ続いているのは間違いない。


それからかなりの距離を進んだ。


しかし人工物らしきものは何も見つからない。


気づけば空は茜色に染まり始めていた。


このままだと野宿確定だ。それは避けたい。


途中で休憩することにした。提案したのは俺だ。


空腹だった。考えてみれば随分長いこと何も口にしていない。


幸い、大学へは腹を空かせたまま行ったことがない。


リュックから弁当箱を取り出す。中には朝、母が作ってくれた麺とパンが入っていた。


残っていた分をノヴァと分け合う。


「うまいな……」


ノヴァが感動したように呟く。


「あっという間に食べ終わりそうだ。こんなの初めてだ。これも……君の世界のものなのか?」


「普通の家庭料理だよ。母が朝、容器に入れてくれたんだ」


そう言いながら残りを口へ運ぶ。


だが、ふと胸が痛んだ。


母は心配しているだろうか。講義が終わっても帰らず、電話にも出ない息子のことを。


ここに電波なんてあるのだろうか。


スマホを取り出して確認してみる。


予想通り圏外だった。バッテリーは六十四パーセント。


無駄遣いはできない。


食事を終えると容器を片付ける。


そして、気になっていたことを切り出した。


「なあ、ノヴァ」


「ん?」


「君はどこから来たんだ? あの空間へ飛ばされる前のこと、何か覚えてるか?」


その瞬間。


ノヴァの表情が固まった。


視線が宙をさまよう。外套の端を握る指先にも力が入っていた。


何かを思い出そうとしている。そんな様子だった。


やがて眉をしかめる。


次の瞬間、両手で頭を押さえた。


「っ……」


苦しそうな声が漏れる。


「どうした!?」


「分からない……」


震える声だった。


「思い出せないんだ」


嫌な予感がした。


「何もか?」


「断片だけなら……」


荒い呼吸の合間に、途切れ途切れに言葉を絞り出す。


「冷たい金属の壁。恐怖。長い列。そして……眩しいオレンジ色の光だ」


ノヴァは目を閉じた。


「誰かに命令されて台の上へ立たされた。その後に衝撃があって……爆発が起きた」


額に汗がにじむ。


「その後は君と落ちていた記憶しかない。名前は覚えてる。ノヴァだ。番号も……二十一だった気がする」


そこまで話すと首を振った。


「駄目だ。そこから先がない。人生の一部を無理やり切り取られたみたいに」


記憶喪失か。


状況を考えると最悪の情報だった。ここがどんな世界なのかすら分からないのだから。


「無理に思い出そうとするな」


肩を軽く叩く。


「何とかなるだろ。追い追い考えよう」


「……そうだな」


ノヴァも苦笑した。


その頃には太陽が地平線の向こうへ沈み切っていた。


空は濃い青紫色へと変わる。


そして、この世界が地球じゃないと確信した。


森の向こうから、二つの月が姿を現したのだ。


片方は大きく、淡い青緑色。


もう片方は小さく、紅玉のような赤い光を放っている。


道路脇の草や低木までもが、ぼんやりと緑色に発光し始めた。


空気も急激に冷え込む。


その直後。


森の奥から低く重々しい咆哮が響いた。


犬でも狼でもない。聞いたことのない獣の声だ。


ノヴァの雰囲気が変わる。


先ほどまでの穏やかさが消えた。


瞳が細まり、全身に緊張が走る。


まるで危険に慣れた人間の反応だった。


「ここに留まるのは危険だ」


低い声で言う。


「夜の平原は目立つ。格好の獲物になるぞ」


「同感だ」


リュックを背負い直す。


「月が二つある時点で十分異常だしな。そのうえ色までおかしい」


ノヴァは夜空を見上げた。


「確かに」


ありきたりな返事だな。まあ、俺も当たり前のことを言っただけだが。


心の中でだけ突っ込む。


しばらくして、丘の向こうに小さな光を見つけた。


森の隙間から漏れる暖かな黄色い明かり。


焚き火か。あるいは建物の灯りかもしれない。


向かおうと一歩踏み出した時だった。


ポケットの中で装置が震える。


聞き慣れた機械的な女性の声が、脳内に直接響いた。


もう疑う余地はない。あの時、血が付着したことで完全に同期したのだろう。


[環境分析完了。]


[座標特定:中央大陸、エリディウム州。]

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。