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ヴァイの休日

 寿司屋の引き戸が重々しく開き、冷たい風が店内に吹き込んだ。




 ヴァイが入ってくると、瞬間的にその場の空気が凍りついた。




 全身シルバーのメタリックな肌、黒いサングラス、素肌にまとった革ジャン。異様な存在が、静かにカウンターに向かう。革のブーツがフローリングの床に響くたび、店内の誰もが視線を逸らした。


 大将は一瞬だけその姿に目を留めたが、すぐに顔を伏せた。言葉を発することさえ忘れ、無言でヴァイを迎える。彼の手元で包丁が音もなく動き続ける。


 隣の席のサラリーマン二人も、その異常な存在感を感じ取り、顔色が青ざめる。


 それでも、お互いに目を合わせることなく、必死に会話を続けようとしていた。何か話さなければ、この恐怖に飲まれてしまう気がして。




「……最初に大トロ頼むやつって、ほんとバカだよな」


 一人が声を震わせながら言う。もう一人が頷くが、その表情には余裕がない。


「通はまずコハダからだろ。順番って…、あるんだよ…」




 会話はまるで空虚な音のようだった。


 二人とも、ヴァイに触れないよう、そして彼の存在を無視しようと必死だった。しかし、その異様な圧力は彼らの神経を追い詰め、冷や汗が頬を伝っている。


 ヴァイは無言のまま座り、大将に軽く手を上げる。


 言葉は不要だった。彼が何を欲しているか、大将は理解していた。震える手で大トロを切り出し、カウンターに静かに置いた。


 ヴァイはゆっくりとそれを口に運び、咀嚼する。サングラス越しに、隣の二人に冷ややかな視線を向けることなく。だが、確実に彼らはその存在を感じていた。息が詰まるような沈黙が続く。




「……なぁ、こっち見てないか?」

「……黙れ。見るな、関わるな」


「でも…」

「黙れって言ってんだろ!」




 ヴァイが、ふと笑みを浮かべた。


 それを見た者は誰もいなかったが、その狂気は確かに空間を支配していた。彼はゆっくりと箸を置き、無言で次の一貫を手に取った。口を開くことはなく、ただ淡々と寿司を食べ進める。


 隣のサラリーマンたちはついに耐え切れず、無言のまま席を立った。勘定もそこそこに、店を後にする。逃げるように、恐怖に駆られて。


 店内には、ヴァイの冷たい存在感と、寿司を握る大将の震える手音だけが残っていた。




*********




 シルバーアクセサリーの店に入ったヴァイは、ショーケースを物色している。


 全身シルバーのメタリックな肌、ゴツい鎖のネックレスが胸元で輝き、拳を飾るのは人を殴っても問題なさそうな指輪。


 腕にはまるで金属の塊のようなブレスレットが、ジャラジャラと音を立てて揺れていた。異常なほど大量のアクセサリーを身につけたその姿は、他の客や店員の目に明らかな威圧感を与えていた。


「い、いらっしゃいませ…」


 店員がヴァイを見て、一瞬言葉を詰まらせる。


 だが、ヴァイは気にも留めず、サングラス越しにショーケースの中を覗き込む。


 視線の先には、さらに巨大なシルバーアクセサリーが並んでいる。見ているだけで痛そうな指輪、無骨でゴツゴツしたチェーンネックレス。




「……そうですね、あまりジャラジャラ身につけない方がいいかと」




 店員は小さな声で、近くの客に言葉を投げかけている。その言葉を耳にしたヴァイは、ニヤリと口角を上げた。




「おい、」




 不意に低い声が店内に響く。ヴァイが店員に向けて指を上げ、手を軽く振り回す。




「いっぱい着けろよ!ジャラジャラ着けようぜぇ〜!?」




 楽しげに声を上げたヴァイの顔には狂気の笑みが浮かんでいる。


 彼は自分のゴツい鎖をジャラジャラと揺らしながら、笑い声を漏らす。


「シンプル?それで満足してんのか?この鎖があんだろ!」


 手首を突き出し、巨大なブレスレットを見せつける。その無骨さに客と店員は言葉を失い、ただ沈黙が場を支配する。


 店員は震えながらアクセサリーを手に取り、ヴァイに差し出すが、彼はそれを無視して、自らショーケースからゴツい指輪を取り上げた。


 まるで拳を強化するための武器のように、指輪を指にはめてみせる。




「これだよ。これで一撃、ぶん殴れそうだろ?」




 ヴァイは笑いながら、店員をからかうように見下ろす。その背中に感じるのは恐怖だけだが、ヴァイにとってはそんな反応すら、娯楽に過ぎなかった。




「ジャラジャラ、もっとだ!着けりゃ着けるほど、楽しくなるぞ?」




 彼は満足げにアクセサリーを重ね着けし、何事もなかったかのように店を出て行った。その背中を見送りながら、店内の客も店員も、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。




*********




 ヴァイが次に訪れたのは映画館だ。


 映画館の暗闇の中、スクリーンには激しいアクションシーンが映し出されていた。


 銃声と爆発音が鳴り響き、主人公が敵に立ち向かう。観客たちはスクリーンに集中し、緊張感が漂う。しかし、その静寂を破るように、異質な声が映画館に響き渡った。




「おいおい、そりゃ無理だろ!そんな簡単に飛び越えられるかっての!」




 ヴァイの声だ。


 彼は観客席の中央に座り、サングラス越しに映画を見ながら、まるで友人と映画を観ているかのように大声でやじを飛ばしていた。


 隣の観客は驚いて彼を見たが、そのメタリックな肌とゴツい鎖のネックレス、そしてサングラスを目にして、何も言えずに目を逸らす。




「爆発?もっとやれよ!火薬足りねえぜ!」




 またもやヴァイの声が響き渡る。周囲の観客たちは困惑し、ちらちらと彼の方を見ながらも、声をかける勇気がなかった。




 だが、後ろの席に座っていた中年の男性は、ヴァイの姿をはっきり見ていなかった。苛立ちを隠せず、つい声を荒げてしまった。




「うるせぇぞ!静かにしろよ!」


 その瞬間、映画館全体が一瞬静まり返る。




 ヴァイはゆっくりと振り向き、サングラス越しにその男を見た。


 暗闇の中でも、彼の全身がシルバーに輝いているのがはっきりと分かる。サングラスの下で、唇の端を僅かに吊り上げ、ニヤリと笑った。




 男の顔から一瞬で血の気が引き、言葉を失った。


 まるで時間が止まったかのように、男は何も言えなくなり、視線を逸らし、椅子の中に縮こまるようにして座り直す。


 ヴァイは満足げに小さく笑い、再びスクリーンに目を向けた。


「そうそう、それでいいんだよ。もっとド派手にやれよ、あぁ?」


 まるで映画のシーンに直接介入しているかのように、彼は楽しげに声を上げた。周囲の観客は緊張した表情を浮かべ、誰も彼に文句を言おうとはしなかった。


 ヴァイは映画が進むにつれ、ますます興奮した様子で笑いながらやじを飛ばし続けた。映画の激しいアクションシーンと、彼の異常な存在感が混ざり合い、映画館全体が不気味な静寂と恐怖に包まれていた。




 映画館の中は、まるで現実と錯覚するかのような熱気に包まれていた。


 スクリーンの中で、主人公がついに友人を殺した悪役を追い詰めた。


 観客たちの目はスクリーンに釘付けで、誰もが息を飲んで結末を見守っている。悪役の顔を銃弾が掠め、壁に当たって粉砕する。




「……お前なんか殺す価値もない。生きて罪を償え」




 その一言が、劇場全体を静寂に包み込んだ。誰もが息を詰め、今後の展開を期待していた——しかし、ヴァイを除いては。




 ヴァイの眉がピクリと動いた。

 突然、彼の口元が怒りに震え、拳が固く握りしめられる。


「おいッ!」


 静かな劇場内に、彼の怒鳴り声が響き渡る。隣の客がギョッとして彼を見たが、ヴァイはもう抑えられなかった。






「ふざけんじゃねえぞおおぉっ!やっちまえよッ!」






 周囲の観客たちは、ヴァイの突然の激昂に驚いて振り返るが、すぐにその異様な風貌に恐怖を感じ、目を逸らす。彼の全身は金属の輝きに包まれ、シルバーの拳が震えている。


 そしてヴァイは、手に持っていたポップコーンを拳いっぱいに掴み、勢いよくスクリーンに向かって投げつけた。




「こんな甘ったれたヒーロー、いらねぇんだよ!」




 彼の声はもはや狂気に満ちていた。


 次に手に取ったのはドリンク。


 カップを豪快に振り上げ、中身をぶちまけるようにスクリーンに投げつける。さらには、隣の客が恐る恐る抱えていたホットドッグを強引に奪い取ると、それさえも投げ捨てた。




「俺なら絶対にやる!復讐しねぇ奴なんてヒーローじゃねぇ!」




 隣の客たちは怯え、誰一人として彼に文句を言うことができなかった。


 ヴァイはまるで自分が映画の一部にでもなったかのように、スクリーンの中の展開に激しく苛立ちをぶつけ続ける。頭の中で、彼の理想の結末を思い描いているかのように、苛立ちが膨れ上がっていった。




「お前ら全員聞いてんのか?あのクソ野郎を、生かしちゃダメなんだよ!」




 映画の音はかき消され、スクリーンに向けられたヴァイの怒りが場を完全に支配していた。


 周囲の観客たちはただ息を潜め、震えながら彼の狂気に圧倒されていた。誰も手を出さない。誰も声を出さない。


 ヴァイの眼差しは依然としてスクリーンに向けられ、怒りが治まる様子はなかった。彼は、復讐をやめる主人公に対する憤りを、爆発させずにはいられなかった。

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