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第漆話【交信】

【コウコク様伝説】

「咒い纏う者達、コウコク様を以て悪無き世を創らむ」の一文で始まる神話。導乱と思しき戦争の概要と『コウコク様』の超常性の一端が示されている。装導者にしか感知できない書物であるはずだが、ある時期に何らかの淵源的イベントが起こった結果、一般社会でも周知されるようになった。現在、当該書物は国指定の教科書にも載せられており、来たる脅威への早急な対処が求められる。

(『【咒之伝】、現時点での考察(著者:詩島詩恩)』から抜粋)



 青空ピーカン、涼しい風も時折吹き付ける爽やかな気候。今日の朝食係が自分でなければ、気持ちの良い朝だと言えた。全く気乗りしないけど、朝ご飯を作らないという選択肢は存在しないんだからしょうがない。僕は今、気分を上げるため、お気に入りの藤色のパーカーを着て目玉焼きを焼いている。簡単な料理だし、他に用意するモノも野菜炒めと焼鮭と味噌汁くらいだけれど、そもそも料理すること自体が嫌だ。僕だけのためならまだしも、他の人のために作るのは面倒くさい。ぶっちゃけ自分のために作るのも気が重い。タダで貰うモノはやっぱり嬉しいし、他人のお金や労力で手に入れたモノも正直言って嬉しい、それと同じ。人間だもの。まあ、確かに、美味しい美味しいって言って食べてくれるのはちょっと嬉しいけど?喜ばれるのは悪い気がしないし?僕も頑張らなきゃと思うし?でも嫌なモノは嫌だよね?…………こんなことを考えているのは生産的でないので、いくらか気分が晴れるように、『夜にダンス』を鼻歌で歌いながら味噌汁の具合を見ることにした。その間に皿に各料理を盛りつけていると、向こうでドアがガチャリと開く音がした。

「お~徹。早いな。御早う」

そのキンキンとした声は、彩芭さんの部屋からだった。僕の部屋の、廊下を挟んで向かいの部屋。丁度空き部屋だったらしく、クロガネさんがそこを彼女のスペースとさせた。

「あ、おはようございます……。朝ご飯まだです……」

「もっとこう、爽やかに言えぬのか?『やりたくね〜!』という心の声が顔と口調に出ておる」

隠し切れていなかったらしい。

「だって……いや、でも、クロガネさんの分は頑張るつもりですよ?ホントに」

僕は身振り手振りを大きくして自分の誠意を示してみるが、

「そうか……そうかぁ……んー……」

今度は腰に手を当てて困ったような顔をしだしたので、僕も困ってしまった。

「もしかして疑ってます?ホントに頑張りますよ」

「いやいや、そういうつもりで言ったのではない。実際、私も寝坊助のクロガネの分まで頑張らんとなーと思ってな」

僕らがクロガネさんのスペースの方を見る。(いびき)をかいてうつ伏せで寝ていた。腹が減れば起き上がって、独り黙々と食べた後にまた寝る。あれから3日間この調子だ。


 僕には詳しいことは分からないが、哲也さん曰く、この3日間光心倶楽部の怪しい動きは確認されていないとのこと。これは、彼らが決戦の準備を始めているということと共に、フレンさん抜きで他の装導者とやり合えるほど彼ら単体では強くないということを意味している……らしい。

 また、僕らが遭っていないだけで、日々ト市にはそれなりの数の装導者が潜伏しているらしい。彼らはこの機を逃さまいと『ROGUE』――つまり僕を探すのをリスタートしたのだという。しかしそのような者達は大抵実力が低く、クロガネさんの元へ辿り着く前に他の装導者に倒されたり、哲也さんを筆頭とした『高異常事例対策部』の者に捕縛されたりしていた――というのが、僕が聞いた話だ。

 何にせよ、クロガネさんも彩芭さんも、その傷を十分に癒やす時間と決戦までの猶予が十分にあるのだ。


「いつもこんな生活なのか?」

目玉焼きの白身を、箸で丁寧に切り取りながら彩芭さんが訝しむ。

「え、どういう意味ですか?」

「クロガネはいつもこんな自堕落な生活を送っておるのか?と聞いておる」

「んー、いつもこんなですって言えるほど長く暮らしてるかは良いとして……まあ、何においてもやる気は無いですけど、実際はヒマさえあれば仕事仕事って感じですよね」

「其れは……楽しい生活なのか?」

確かに。楽しそうには、見えないけども。

「僕と喋っている時よりは活き活きとしているように見えます……」

僕はそう言いながら、半熟の目玉焼きの黄身をつついた。中から液体とも言い難い生温いモノが溢れ、皿を汚す。

「えぇ……御前達、普段どれほど詰まらぬ話をしているのだ?というより、そもそも喋っておるのか?何となくぎこちなさを感じるのだが」

心の底から戦慄しているのか、鮭の身から皮を外すのを止め、身を乗り出してきた。

「いやー……彩芭さんが思っているより、全然喋ってないと思います。『導』の話と、それこそ業務連絡ってヤツだけですよ……それ以外の時はお互い黙ってますし。あと、勉強はちょっと教えてくれる、のかな?」

僕はそう答えてから、焼鮭の身と皮を剥がさずにムシャリと齧りついた。

「何だろうな……何だろう……こう、歯痒いな。喧嘩などもせぬのか?」

「喧嘩っていうのは、意見のぶつかり合いってことですよね?怒る怒られるっていうのは多少あるんですけど、多分ぶつかり合うところまでいってないんですよね」

「仲が良い悪い以前の話ではないか」

「まあ、それはそうなんですけど……ビジネスパートナーというか、上司と部下というか、僕とクロガネさんの関係は……一時的なモノですから、大局的に見ればそんな感じでも良いんじゃないのかなって……」

「ふぅ〜ん……面白くないのう。仲良くして貰わんことには先に進めんぞ」

面白いか面白くないかは、彩芭さんには別に関係ないのではないかと僕はモヤモヤした。趣味とかエピソードトークとか色んなことを話したがり、聞きたがる彩芭さんのことを、僕は全然嫌ではないし、むしろ明るくて良い人だなと思っている。話すのも聞くのも上手だし。だからこそ、僕とクロガネさんの間の話に首を突っ込んでくることに関しては、特に不思議で不満だった。

 「……とは言ったが、ま……時間が解決してくれるかもしれんしな……あっ、そうだ思い出した。聞きたいことがあった」

「何ですか?」

「答えづらいかもしれぬ」

「まず言ってみなくちゃ分かりませんよ」

「そうか?では言うぞ。どちらでもよいことではあるのだが……如何して御前は此処におる?」

「え?」

想定していたよりもかなり抽象的なことを聞かれた。そんなポエトリーな人だったっけ。僕もポエトリーに返すべきか。

「えっと、うーん……コウノトリが僕を運んで……」

「其のようなことを聞いておるのではない。御前のような餓鬼がなぜこの日々ト市に、導乱を求めてやって来た?」

そんなことを聞かれても、それは……

「それは、両親がクロガネさんの元で世話になれって……だから理由とかそういうのは……求めてやってきたって言われるのは納得いかないです」

「然し御前がそうしたかったから、逃げることもせず、此処で生活することを選んだのだろう?」

「僕は……僕がしたかったっていうんじゃなくて、そういう流れで、それこそ導かれたから……逆らわなかっただけなんです。選んだっていうのは自分の意志で身体を動かすってことでしょう?僕は何も選んでない。何も考えちゃいないんですよ」

そうだ。命を握っているのはクロガネさんだ。僕に何かを決める余地など無い。

「其れは、違うな。選ばないということもまた選択だ」

「……それって……屁理屈じゃないですか。選ばないってことは択を選んでないってことですから選択じゃないです」

「ふっ、そうかもしれんな」

彩芭さんは微笑して続けた。

「私には導くとか導かれるとかそういった話はよく分からぬ。だが最後に選ぶのはいつも自分自身であるということは、何者であっても変わらないはずだ。なりたいモノにしかなれぬし、やりたいことしかやれぬ」

「……」

彩芭さんはなんだか、すごく本質的なことを言っているような気がした。

「あ~、鵜呑みにせんでよい。私も人生経験が深いワケではない故、この考えが合っているとは限らぬ。何、御前はどんなことを思って此処におるのか、少し聞きたくなっただけだ」

茶碗に反射した日光が眩しかったのもあって、僕は俯いた。

「……考えて、おきます」

「うむ」

彩芭さんは満足そうに返事をした。そして、

「御前、何でも理由をつけたがるようでいて、本来は本能で動くタイプなのだな。変なの」

と付け足した。ちょっとイラッときたし、どういう意味か分からなかった。


 それから彩芭さんと取り留めのない話ある話をしながら朝食を食べていた。

「クロガネさんは……本当にフレンさんと戦いたいんですかね」

「ヤツのことはヤツしか知らん。クロガネに聞け」

「うーん……そういえば、『導関連対策所』って誰の装導なんですかね」

「私に聞くか?『導』が何かすら分かっておらんのだぞ。それこそクロガネに聞いてみろ」

「えぇ……」

「お、ほら、噂をすればだ」

クロガネさんが急に、ガバッとベッドから出た。無言で食卓につき、朝食にピンとかけられたラップを外して、新聞をチラチラ見ながらすごい勢いで食べた。そして、お茶を飲み干して息を吐いた後、一言こう言った。

「だりいけど……特訓ってヤツをするぞ」

「話し始めたと思えば、何だ急に……気色の悪い奴」

彼女は下顎の前歯を見せた。少し引いている。クロガネさんは親指で自身と彩芭さん、僕を順番に指差しながら言った。

「お前の腕は治った。俺はよく寝た。徹はここの生活に慣れてきた。ならば、やらなくちゃならねえことは1つ、違うか?」

彼は机の上に鍵を投げた。僕は覗き込んでみる。事務所のどこがどの鍵に対応しているかは大体覚えていたけど、見たことがない鍵だった。

「どこの鍵ですか?」

「秘密の部屋……ってところだな」


 僕達は1階に降りた。焦げたり溶けたりであれほどボロボロになっていた室内は、襲撃前とほぼ同じくらい綺麗になっていた。哲也さん達『高異常事例対策部』が手伝ってくれたらしい。

「憩いの場所が散らかってたら落ち着かないから」

とかいう理由だったかと思う。「らしい」、「とかいう」という言い回しなのは、僕が実際にその様子を見聞きしたワケではないからだ。実際に見ていないのに他人に感謝するというのは気持ち的に引っ掛かるけど、ひとりひとりが誰かと支え合うとはそういうことなのだと僕は思っている。だからお礼は言った。……クロガネさんは言わなかったけど。なんで?

 1階に着いてクロガネさんが最初にやったのは、床を這うことだった。

「この辺りだったような……」

「……おい……何をやっておるのだ?変態なのか?」

「違う!鍵穴を探してんだ……おっと……これだな。あったぜ」

何の変哲も無さそうな床に鍵を近づけると、鍵穴が出現した。そして鍵を差し込み、ガチャリと回すと床が扉のように開いた。そこにはコンクリートでできた内壁と階段。奥へ奥へと続いており、先は暗くて見えない。少しの恐怖と中くらいの好奇心が僕の足を止める。

「この先に……行くんですか?」

「安心しろ、恐ろしいモノがあるワケじゃねえ」

 階段の先にあったのは、だだっ広い空間。端から端まで走ったらバテてしまいそうだ。天井も遥か遠くにある。内壁全てがコンクリートでできているように見えるけど、足音が響かないから何か加工がしてあるのだろうか。地下だから寒そうなのに温度は丁度良い。明かりが灯っているワケでもないのに全体が明るいのも不自然だ。この空間も『導関連対策所』装導の能力の一部ということだろう。

 クロガネさんが下に着いてすぐに壁を叩くと、壁の一部が自動ドアのように開いて大きな倉庫が現れた。中には大量の重火器やトレーニング器具、その他様々な装備や装置が収納されている。

「ほぉ〜、驚いた。此の様なモノが地下にあったとは」

彩芭さんは手を眉に添えて見渡していた。僕と彼女がキョロキョロしている間に、クロガネさんは倉庫の中から大きな土嚢のようなモノを引きずり出してきた。それを用意していた柱に取り付けると、サンドバッグが完成した。クロガネさんは一歩離れた後、振りかぶって構えた。そして勢いよくそれを殴る。ドンッという重い音と共にサンドバッグが跳ね、軋む音と共にビリビリと揺れた。装導を使っていないとはいえ、かなり強い力で殴ったことが分かる。

「よし……使えそうだな。他のモノも多少劣化しているようだが、いけるだろ」

納得したようだったが、彩芭さんの方をチラッと見て少し考えてから、

「……大丈夫だとは思うが……一応お前も蹴ってみろ」

とサンドバッグの前に立たせる。

「本気で蹴ってもよいのか?」

「ああ」

彩芭さんはグッと構えた後、右足を引いた。そして

「えいやっ」

と肩から足の先まで全てを全力で旋回させて蹴り込む。それが速いのなんの。クロガネさんの時よりもかなり速い。当たった時はドンッという音どころではなく、グシャッという音が轟いた。僕はつい、

「ひっ……!」

と短く悲鳴を上げてしまった。サンドバッグは真っ二つに引き裂かれ、皮1枚で繋がった上半分からは大量の布切れがなだれ落ちていた。

「彩芭……お前……」

「い、いやあ、すまんのう。ガハハハ……」

後頭部を擦り、苦笑いをしている。本気でやっても良いと言ったのはクロガネさんだし、謝る必要なんか無い気もするけども。とにかく、力こそパワーだった。

「あー、気にするな。そういう運命だったさ。むしろ、流石だ」

クロガネさんは相変わらず涼しい顔をしていたけど、指を折ってサンドバッグ代の勘定をしていたのを僕は見逃さなかった。


 クロガネさんはブランクを取り戻すため、彩芭さんはさらに強くなるために、決戦までに残された数日間を地下での特訓に充てることにした。僕はというと、秘密の部屋から閉め出されて、その間の家事担当になってしまった。今も竹箒で隅っこを掃除している。当然といえば当然の役回りではある。なのだけれども、やはり自分は戦力外なのだな、足手纏いなのだなと、思わざるを得ない。僕とクロガネさんとの()()とは、そういう、強さという部分だと思う。

 僕は弱い。身も心も弱い。理想なんかも無い。彩芭さんの

「どうしてここへ来たか」

という質問にもすぐ答えることができないほど、何も考えていないのだ。僕なんかより光心倶楽部のフレンさんとかの方が全然立派だ。クロガネさんは対立の姿勢を崩さないけど、彼女なりの立派な理想があるのだろうから、僕には否定できないし尊敬もする。

 さっきクロガネさんが僕の質問に答えてくれなかったのも、きっと僕が弱いからだ。

「クロガネさんがどれだけ頑張っても、僕が死ぬまでは導乱は終わらないんじゃないですか?どうすれば導乱は終わるんですか?」

ふと思い立って、そのようなことを尋ねたと思う。クロガネさんは黙っていた。僕は胸の中で割り切れていなかったことを、さらに重ねて尋ねた。

「何を求めて導乱に参加してるんですか?それって、自分の先輩と殺し合わなきゃいけないほど重要なことなんですか?」

すると、彼はぷいと背を向けて

「落ち着いたら話す。人のことを気にしている余裕があるなら宿題でもやっときな」

と話をどこかに吹っ飛ばしてしまった。何を言うのも悪いことな気がして、僕はそれ以上何も尋ねることができなかった。



 僕はどうしたら良かったか。どうしていけば良いか。僕はこのままモブで良いだろうか。この時の僕は、今すぐ結論が欲しかった。無知な僕が得るべきモノは本能的に分かっていた。それは人や運命との巡りあいだ。結局地道に経験するしかないのだ。何においても、出会いや出逢い、出遭いが助けてくれると、両親もそう言っていた。だからこそ僕はこの後、“姿の見えない人”でも信用しようと思えたんだ。



 『――えますか?』


「え……?」

何の脈略もなく、突然だった。誰かの声が聞こえた……?『導』は見えないみたいだけど……。


『わたしの声が聞こえますか?』


「だ、誰が話しかけてくるの……?」

どこからともなく聞こえたその声。周りを見渡しても誰もいない。確か今、「自分の声が聞こえるかどうか」、と女の子に聞かれた……気がする。もう一度周りを見るが、やはり誰もいない。これは……

「幻聴だ……!」

幻聴の最大の原因は精神的ストレスであるとどこかで聞いた。誰かに相談した方が良さそうだ。クロガネさんに――いや、こんなことで頼ってちゃ、僕は成長できない。


『あっ、聞こえていますよね?』


エコーのかかった声がはっきりと聞こえる。

「い……?いや、やっぱり幻聴……ですよね?」

幻聴に幻聴ですかと聞くくらい、気が動転していた。

『いいえ、幻聴ではありません。何はともあれ……良かったわ!聞こえているのね』

何かのサプライズか?そう思った。けどこの人の迫真の具合は演技のそれじゃない。はつらつとしていて活力を感じる声だけれど、語気には焦燥が感じられた。

「いったい、何なんですか?」

『わたしの能力、テレパシーを使って話しかけています。お名前を教えていただけますか?』

「え、えっと、徹……朝風徹」

『っ!やはりあなたは……いえ……時間が無いのでよく聞いてね、朝風さん。ここから、2回右に曲がった先で――ですから、北方向に直線距離で650m進んだ先、そこで戦闘が行われます。彼らを止めて欲しい。誰も煌黒装導に近づいてはいけないから』

一気に捲し立てる。その焦りからは決意と根性すら感じる。

「……は?き、急に言われても、ワケ分かんないですよ!まずあなたは誰なんですか?知らない人の話を鵜呑みになんてできませんよ!」

『わたしは詩恩(しおん)、詩吟の“シ”に恩赦の“オン”で詩恩と言います。勝手なことを、しかも唐突に言っているというのは分かっているわ、ごめんなさい……ですから、その後の行動はあなたに委ねます。事態を導くのは朝風さんです』

「僕が、導く?」

彼女は何か返事をしたようだったけど、ノイズが混じってきて聞こえない。

『どうやら――持続――限界です。最後に――あなたは――じゃない――せめてわたしは――あなたを信じてる――』

途切れ途切れで詩恩さんの声が聞こえてきた後、通信は切断された。


 何なんだいったい。彼女は何者だ。信用して良いものか。目を瞑って顎の下に手を置いてみる。クロガネさんも考える時、よくやってる。

(……………………)

……………………

(考えてもしょうがなさそう……)

「北方向に650m進んだ先……」

ひとまずその方向を見てみる。事務所の中だから『キャッチ装置』と壁しか目に映らない。やっぱり何も起こらないんじゃないか、そう思う。――いや、でも。決め付けるってことは逃げるってことだ。それはくやしい。見えないんじゃなくて、見ようとしていないだけだ。僕は事務所から飛び出した。見通しの良くなるところまで走る、走る。

「やっぱり何も見えない……」

僕の『導』感知が実はいい加減なのかもしれない。だったら余計にさっきの交信が胡散臭いし、第一僕が動くべき事態ではない。やっぱりサプライズとかじゃないのか?

 でも、ただのドッキリだと決め付ける直前、脳裏に詩恩さんの最後の言葉が浮かんだ。


『あなたを信じてる――』


「はあ……」

僕は……もしかしたらチョロいのかな。でも、チョロくても良いよ。僕は僕を信じてくれる人、気にかけてくれる人達を信じたい。彼女も、クロガネさんも、そして彩芭さんだって、みんな信じたい、応援したい。だから応えたい。護ってもらうばかりじゃなくて、『なりたいモノ』になりたい。

『心の導きに従え』

それが大事だってクロガネさんも言ってたんだから。

 そうして一歩踏み出した時、視界が晴れた。まるで霧が飛んでいったかのように世界の彩度が上がったような気がした。いいや、気がしただけではなくて、実際に『導』がもっと見えるようになった。向こう約647m先、2軒の建物越しに、装導者が2人戦っているのが正確に分かる。ハッキリと黄色で描写され、シルエットまでよく見える。片方は図体が大きくて体内にパワーが凝縮されている。もう片方は中身が生き物っぽくない、変な感じがする。

 やることは1つ。無我夢中で北に向かって駆ける。少し登り坂だけど、そんなことは気にならない。

 走ることは落ちることに似ている。スッと浮遊して時間がゆっくり進むこの感じ。脳内の有毒物質が上方に流れてブラッシュアップされていくこの感じ。段々と頭が冴えてくる。

 ビル街を抜け、短い橋梁を渡って目的地を目指す。来たことが無い場所だけど、引き寄せられるように、前へ前へと迷わず走る。電光掲示板に表示される携帯電話のCMや、カフェの前で流れるジャズは邪魔にならず、むしろ気分を良くさせた。僕がどこまで対処すれば良いのか、どこまで対処できるのか、何も考えていなかったけど、だからこそ気楽でもあった。

 2人の装導者が戦闘を行っていた場所は、公園だった。階段を降りた少し低い位置にあって、透き通る小川と噴水を見ながら休憩する……そんな場所なのだと思う。

 階段の上から恐る恐る覗いてみる。一般人はみんな逃げたのだろうか、見た感じ人は見つからない。地面や壁、簡単な遊具やベンチは尽く破壊され、原型を留めていない。公園のモノはコンクリートや合金など、とても頑丈な素材でできているはず。言わずもがな、これをできるのは超常を操れる者だけだ。そして首を振って探す必要もないくらい、その犯人はすぐ近くにいた。まだまともに稼働している噴水の前で、2人が取っ組み合っていた。黒いロボットのような装導者を、ガタイのいい力士のような装導者が組み伏せている。この力士のようなヤツは、橙色の筋肉のようなカタチの装甲を纏っていて、脇や背中、膝といった場所から蒸気を放出している。ロボットの方の姿は、橙色の大きな身体のせいでよく見えない。膠着状態が続いていると、黒いロボットの装導から機械的な音声が流れた。

[『JOKER-1.3』、支配的『導』との邂逅を確認。第二障害を排除後、速やかに対象を――]

その音声は途中で打ち切られた。橙色の装導者が顔面を叩き砕いていたのだ。直視できないほど酷いひしゃげ方をしていることは想像に難くない。

「よそ見してると舌噛むぞ」

低い声でそう言った後、黒い装導者を片手で容赦無く噴水に叩きつけた。地面を震わせる音と同時に水の柱が巻き上がり、コンクリートの外枠は粉々になってしまった。水飛沫を浴びた橙色の装導者は、自身の装甲をゆらゆらと生物的に発光させている。

(これはヤバいって、僕にも分かる……まずは……まずは事務所に戻って、クロガネさんに報告するんだ)

徹がゆっくり後退りしようとした時、装導者の大きな肩がピクリと動いた。

「ん?お前……お前、俺の姿が見えているな?」

しまった、気づかれたと思ったけど、違った。装導者の視線の先にいたのは、尻餅をついてがくがく震えている少年。さっきは気づかなかったけど、逃げ遅れた人がいたのだ。僕よりもだいぶ幼い。状況が分からないのか、キョロキョロし続けている。装導者の存在を認識していない。

「見えていないようだな……だが生かしておけない。『導』の認識力はこういった拍子で覚醒するからな。未来の導乱の相手は、ここで潰す」

橙色の装導者が拳を構えてゆっくりと少年に近寄る。当然彼はそれを認識できない。無抵抗のまま頭を掴まれる。身体は宙に浮き、少年はいよいよ命の選別が行われることを心で認識したようだった。わなわな泣きながら手足をバタつかせる。しかし無意味。

「悪く思うなよ」

段々と握る手に力が入っていく。鬼のような仮面は生暖かい橙色に発光し、禍々しく拍動している。その仮面の下は今どんな表情をしているのだろうか。目の前の蝿を叩き潰す時のような、冷めきった表情か?それとも、快楽を感じてほくそ笑んでいるのだろうか?

 僕は脳が焼き切れる感覚に襲われた。ふざけるな。こんなのただの虐殺じゃないか。許されない。この装導者の存在を許してはいけない。こんなの……ダメだ。そうだ、急いで、急いでクロガネさんを呼ぶんだ。急いで、急いで走って、逃げよう、助けを呼ぼう。行くんだ、それが使命だ、急げ、急げ、急げ急げ急げ……


 (あれ……?)

足が動かない。逃げたくても逃げられない。それどころか、敵に向かって進もうとしている。どうして?震えながらも、階段を下りて立ち塞がろうとしている。どうしてなんだ?分からない。相手の能力?だったら、なんてセコいことをするんだろう。僕は……僕は戦う気なんか……無いのに……。


 ――いいや……違う。能力を使われたんじゃない。これは僕が、僕自身が――


 「やめろ!」

僕はいつの間にか、震えを起こすその手で腰のホルスターから拳銃を抜き、装導者に銃口を向けていた。

「そ……その子を、離してください!離さないんだったら……う、うっ、撃ちますっ!」


 そうだ。僕が自分の意志で足を動かしたんだ。自分では気づけなかっただけで、もう覚悟はできているんだ。事務所から拳銃を持ち出した時から、『悪党(ROGUE)』ではなく1人の人間として、理不尽と戦う覚悟ができている。



第漆話【交信】-END-

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