第陸話【DOGMA】
【DOGMA】
①教義。教条。
②独断。独断的な説・意見。
(岩波書店『広辞苑』第七版より)
徹はここまでの話を2階からこっそり聞いて、
(やっぱりクロガネさんについていきたい)
と思っていた。今まで信じていなかったとか嫌いだったとかそういうワケではなく。どうしても微妙に納得できなくて。怪しくて。でもクロガネは表面に出さないだけで、自分には想像できないくらい優しくて温かいモノを心に宿しているのではないかと、2人の話を聞いて思った。
クロガネが銃を突きつけられた。守ってくれる人がいなくなるのが嫌だったからという不埒な理由かもしれなかったが、ワケはともあれ青年の脚は勝手に駆け出していた。脚が勝手に動いたのは徹だけでは無かった。彩芭は徹よりも速く、手摺りをほとんど飛び降りるようなカタチで駆け抜けて、鞘に納まった『月下楓葉』を左手に出現させた。夕陽のせいで彼女の影はぼんやりと伸び、燃え滾る闘志が映し出されているようだった。
徹と彩芭が今の今まで行動に移さなかったのは、女の第一印象のせいだった。フレンという人間は一見、口調も振る舞いも丁寧で上品、カリスマ性があって、度量が大きく慈愛に溢れている、そういう人物に見える。既に無機質な冷たさは滲み出ていたのに、放つ清純な雰囲気に呑まれていた。故に、クロガネを本気で殺そうとしているとは、夢にも思わなかった。
彼女はまるで脊髄反射かと見まがうほどに速く、躊躇いなく引き金を引いてしまった。
「ああ……」
徹は起こった事象を受け止めきれず、声が漏れ出た。フレン・ダーカーに慈愛という言葉は似合わない。例え旧友だろうと、邪魔だと思ったモノは躊躇なく排除する人間だからだ。
徹はすぐに事態の異常さに気づいた。発砲音がしなかったのだ。それに一番驚いていたのは撃った本人だった。
「……何をした?」
確かに彼女は引き金を引いていたが、撃鉄は下ろされず、弾丸は発射されていなかった。クロガネはその隙を逃さず、拳銃を持つ方の手を左手で掴んで、もう片方の手で顎に向けて殴り掛かった。だが、拳が届く寸前、手首を掴まれてしまった。握られた彼の手は開いてしまっている。物凄い握力だ。
「チッ……どうしても届かないな」
「これはどういうことですか。何をしたのですか?」
「装導『導関連対策所』が発動した。ここでの装導と拳銃の使用は全て不発になる」
この建物も装導の一種――これも徹が知らされていなかったことだった。どうして僕の能力で感知できなかったんだ、と考えている暇は無い。2人が組み合っている間も、彩芭は鞘をいつ抜くかと、様子を窺っている。
「装導であるなら一般人には見えていないはずです」
「人に見えるくらいのパワーを発生させられる……『巨心装導』の1つさ」
「『あの男』の置き土産ですか」
「どうだかなあ。何れにせよ、大人しく犬舎に帰った方が良いぜ」
そう言うと同時に、クロガネは腰を捻って勢いよくフレンを後方に投げ飛ばした。しかし彼女は瞬時に体勢を整え、今度は逆に男の腕を掴み投げて組み敷く。徹はどうしていいかパニックになり動けなかったが、彩芭は既にフレンの懐に入っていた。
「覚悟!」
左手で逆手に持った『月下楓葉』を右肩から静かに振り抜く。その刃は流れるように首筋に吸い込まれていく。が、届かなかった。フレンは光り輝く西洋剣を左手に出現させて、防御していた。
「何時の間に剣を!?」
「貴女でしたか、生身で装導者と斬り合うバケモノとは」
鍔迫り合いになっているその下で抑え込まれていたクロガネは、
「緊急解除……『STEELファング』」
の一言と共に砂鉄に覆われ、漆黒の鎧と縫合された頑強な顎、そして三つの目を持つ竜人、『STEELファング』へと変貌。人を超えた筋力で背中のフレンを跳ね除ける。
「能力適用範囲は細かく絞れるのですね」
女は受け身を取ってすぐに立て直した。西洋剣を持ってはいたが、彩芭には刀を、『STEELファング』には砂鉄の鎌を向けられて壁に追い込まれていた。
「御前の体術は見事であったが、此処で終わりだ」
「おい徹、そこの電話で哲也を呼べ」
「えっ、あっ、は、はい!」
徹は急いでクロガネの席に駆け寄った。……が。
「その必要はありません。貴方達はたった今滅んで、私の玉座になる運命です」
声の主はフレン。先ほどの朗らかな目とは異なる、猛禽類のようにギラついた瞳は、青年の脊髄を震え上がらせた。
「クロガネ。その稚拙な作品は私の能力の前では無意味だと、知っているでしょう?」
「知っているとか知らねえとか関係ねえ。装導を使えなきゃ能力も使えねえだろうが」
「舐められたモノです」
フレンは剣の切っ先を床に突き刺して、両手を柄の上に置く。
「秩序の無い遊戯は終わりにしましょう。我が正義の前に平伏せ」
「はっ、神仏を気取るとは!ほざけ!」
悪態をつきながら斬りかかる彩芭。
「待て彩芭、何かがヤバい――」
クロガネがそう言おうとしたのと、フレンが装導名を発声するのはほぼ同時だった。
「『教義』」
その一声と共にフレンの全身から白い閃光が放たれる。そこから飛び出た何かによって、彩芭と『STEELファング』は後方に弾き出されていた。すぐに起き上がった剣豪であったが、流石にさらに一歩距離を取り不快感を露わにした。
「おいおいおい!装導は使えないのではなかったのか!?」
困惑しているのが仮面越しでも分かる。
「な、何なんですかっ、これ!?『導』が見えないんですけど!?」
目の前にフレンはいるのに、光の中に隠されてしまったかのような、またはフレンとその周りが箱に入ってしまったような、初めて味合う気持ちの悪さがあった。
クロガネは弾き飛ばされた際に取り落とした砂鉄の鎌を拾って、槍のカタチにし、光源に向けて投げつけようとする。しかし槍は男の手から離れる前にボロボロとただの砂鉄に戻り、窓の外へ還っていった。
「そうだったな……それがお前の『教義』だったな」
瞬く白き光は、個人の存在も意志も、決して赦すことは無い。
窓から侵入して来るオレンジの光を上書きするように、その装導は3秒ほど鬱陶しく発光した後、光を破って姿を現した。まず目を引いたのは、背中から生えた一対の純白の翼。先ほど彩芭とクロガネを弾き飛ばしたモノはこれだった。今は畳まれているが、恐らく自身の頭身並みの大きさである。身体は、クロガネ達を襲った騎士団――『神託』同様に白一色だが、造形が大幅に異なっていた。『神託』が現実の騎士をモチーフとしているなら、『教義』のモチーフは、天使や神話を象った大理石彫刻と言えよう。人型の素体の上から、服のように白い装甲を纏っていて、地面に付くぐらい裾が長い。ドレス若しくは一枚布の上着――『トガ』というヤツによく似ているが、胸部や腿から下は騎士の鎧のような意匠が施されており、あくまで鎧であることがよく分かる。『教義』の首先には、人の頭の代わりに檻のような枠組みが接続されていた。取ってつけたように付いているそれは、頭部を模してはいるものの、簡略化されすぎている。ぱっと見は生き物の顔にすら見えない。目であるはずの部分はそれぞれ小さなシャンデリアがくっついている。白い灯火が点いているが、本当に目の役割をしているのかは分からない。頭らしき枠組みの上に乗っている王冠は、玉座に鎮座する鴉の形状になっている。
硬さと同時に軟らかさも感じられる特異な質感。神々しさを覚える曲線の美。中世の彫刻と言われても疑問を覚えないだろう。違いがあるとすれば、その彫刻は目の前の者に対し明確な殺意があるという点だ。『教義』は西洋剣を胸の前で構え、ゆっくり鼓動する灯りで『STEELファング』を見つめる。彼はその殺意に対抗して、直ぐ様砂鉄を集めようとしたが、それは叶わなかった。掌が炭酸のような泡を発するだけで、何も起こらない。天使の彫刻はその隙を見逃すはずも無く、上から斬り掛かる。その一撃はギロチンのように速く、激戦続きで疲弊しているクロガネにとっては回避不可能な攻撃だった。
「ぐっ……」
両腕を交差して受け止めたが、刃は強い力で確実に鎧を裂き、火花を散らす。
「さっさと私の側へつけば助かったものを」
少しエコーのかかったフレンの声が響く。そこに割って入ったのは彩芭。机の上を華麗に疾走し、横から得物を振り抜く。日本刀によるものとは思えないほど攻撃範囲が広かったため、『教義』は大きく後ろに避けて距離を取った。彩芭は少しだけ余裕ができたので、男に喝を入れるかのように尋ねる。
「クロガネ!なぜ砂鉄で応戦せんのだ!」
「砂鉄が一粒たりとも動かねえんだよ」
掌を彩芭に向け、先ほどの泡を見せた。
「『教義』は自身以外の能力の使用を禁ずる」
「よく分からんが、その『教義』装導とやらも使えなくしてしまうのが『導関連対策所』なのではないのか?」
「導きの強さで押し負けたんだろ、多分。もうこの建物には頼れねえ」
よく意味が分からなかったのか、彩芭は首を傾げて後頭部を擦っていたが、すぐに『月下楓葉』を構え直して低い姿勢を取った。
「……ふん、ならば装導者ではない私が戦うのが相応しいというもの」
「おい待てよ、ここは連携して――」
「いざ!」
止める声も届かず、大きく脚を踏み込んで急接近していく。クロガネ同様に体力は限界に近いはずだが、それでも突進の風圧は、観葉植物が音を立てて揺らぐほどだった。それに気圧されず、『教義』は接近に合わせて横薙を放つ。剣豪は宙返りしてそれを避けた後、上から刀を叩きつけた。が、剣を捻って衝撃の方向を変えられ、いなされる。続けてカウンター気味で振るわれた斬撃は、彩芭の仮面を掠めた。
(果たせるかな、かなり戦い慣れておる……)
手持ち無沙汰となったクロガネが斜め後ろの方を見てみると、並びが崩れた多数の机の端っこで、徹がうずくまって震えていた。
「……何やってんだ」
「あの装導が出てから『導』が見えないし……電話も繋がらなくってぇ……」
「はあ……事態が事態だ、お前は部屋の隅っこ行って大人しくしとけ」
(これじゃ、ただのお荷物だよ……)
と思う気力も無く。黙って『キャッチ装置』の方へ、ズルズルと四つん這いで移動していく。
そんなことにはお構いなく、前方の戦闘は加速する。丁度彩芭が窓枠から跳んでいるところだった。斜めから全身を捻って振りかぶる一撃に対し、『教義』は脇腹に向けてさらに早く剣を振るう。勝ったという確信がこの装導者にはあった。が、このバケモノにとってはそんな生温いカウンターを捌くなど児戯に等しい。刀は床と垂直に構えられ、剣を明後日の方向に弾く。そして素早く床に着地し、極めて低い位置から刺突の構えを取った。
「ほう……」
フレンは、タダの人間が初見の装導者に対してここまで立ち回ったことに感服した。それと共に、この存在を今すぐ消さねば脅威となり得ることを理解した。
「……厭わしいですね。『起導』・『Parabellum Spes』」
(『起導』、だと……?)
シャンデリアと王冠の鴉の瞳がさらに白く爆ぜた。『教義』の身体全体が照り輝く。既に『STEELファング』の『起導』を間近で見ていた彩芭にとって、これまでで最も命の危険を感じた瞬間であることに違いなかった。『起導』が何なのかさっぱりだが、とにかく回避なんてできっこない。終わった――そう思った時だった。
「あんま調子乗んな」
「うおっ」
彩芭は後襟を引っ張られて、そのままクロガネに抱えられるようにして庇われた。
「クロガネ!?」
秩序を布教する閃光は、空間全体に、人には過ぎた明るさを齎す。『キャッチ装置』付近に届くほどの攻撃範囲ではなかったものの、冷水を高熱の鉄板にかけたような音は徹にも聞こえた。
「ぐっ、かっ……!」
呻き声も掻き消されそうな威力。装導であるこの事務所の窓や壁、天井をも貫き、屋外も閃光に包む。背中に突き刺さる光線は、鎧を溶かし、削り取り、火花を炸裂させる。どんどん溶かして貫いて、中まで達しようかという時、突如攻撃が止んだ。彩芭が『STEELファング』の肩越しに『教義』を見た時、その姿はフレン・ダーカーに戻っていた。
「これは……!」
フレンの驚く様子から見て、『起導』のキャンセルは『導関連対策所』によるものだった。この機会を逃さず、『STEELファング』は振り返って2丁の拳銃を構えた。フレンは
「あっ」
という顔をした後、腕で頭を守りながら窓に向かって走り出す。クロガネは躊躇いなく撃ちまくって、銃声を轟かせた。いくらか命中したようだったが、ダウンするほどのダメージではなかった。彼女は割れた窓から脱出し、何処かへ走り去って消えた。
「また会いましょう」
そんな声が微かに響いた。彩芭は彼女を追おうかと一瞬迷ったが、それより優先したいことがあった。
「大丈夫か!」
クロガネの元へ駆け寄って背中をさすった。
「ああ……あー、痛え。痛えけど、何とか平気だ」
「本当か?私を庇って……」
「平気だって言ってんだろ」
そう言うと、彼女の手をぞんざいに振り払い、その場でどっかりと胡坐をかいた。彩芭はそれを特に気にせず、溶け崩れた室内を見回した後、溜息を吐いた。
「……彼奴は、強かったな」
「ああ……」
幾ばくかの沈黙の後、奥からガタンッという鈍い音と共に短い悲鳴が聞こえた。
「痛ぁっ……いったい、どうなっちゃったんですか?」
「……運が良かった」
クロガネはそれだけ言った。
「まあよいではないか、全員無事なのだからな」
彩芭は言いながら、仮面を触って何かをしていた。
「ん~、やはりヒビが入っておる。よいしょ」
般若の面を顔から外そうとしていた。徹は
「あっ!」
と指を差し、何だか見てはいけないモノを見せられている気がして、
「外していいんですか!?」
と思わず言う。
「御前達は素顔を見せているのに、私が見せないというのは不公平だろう?それに――」
こめかみ辺りに設けられたロックを外し、仮面を上げていく。汗が滑らかに顎を滴り、短めの前髪が弓なりにしなっていく。
「これから世話になるからな」
仮面が外され、露わになった。殆どアーチのかかっていない眉。真面目な印象を受ける、少し離れた一重の吊り目。すっと通った鼻筋、きっと結んだ薄い唇、シャープな顎。精悍な顔立ちだ。徹は、
(王子様顔って感じ……)
と思った。年齢は彼女の方がいくらか上のようだった。20代前半くらいだろうか。クロガネは彼女の顔よりも、発した言葉の方に気を取られていた。
「待て待て、世話になるってのは……」
「暫く此処に住むことにしたのだ。お互い近くに居た方が心強いだろう?なあ?そうだろう?」
「コイツ……押しが強い……」
ガキがもう1人増えるのか、とクロガネは自身のベルトが視界の中央に来るほど頭を抱えた。
夜になって、表にパトカーが停車した。パトライトを光らせず、サイレンも鳴らさなかったものだから、運転手が事務所の中に入ってくるまで誰も気づかなかった。
「うわ、こりゃまた派手にやったな」
コートを着た小太りの男。彼の名は哲也。警察の部署の1つ、『高異常事例対策部』に所属している。『導』が関わる事案を専門とする唯一の部署――というのは建前。その実態は、初動捜査と事後処理くらいしか行わない、あってないような組織。捜査に関わるほとんどの権限を持たされていないのである。『導関連対策所』に任せておけば良いという理由だろうか。ただでさえ警察にオカルト研究部を置きたくないのに、好き勝手させるワケにはいかない、という理由かもしれない。哲也は、クロガネと共同戦線を張ることで何とか権限以上のことをやれている。
「あっ、こんばんは」
小走りする音が上から聞こえた後、徹が階段の上からひょこっと顔を出して挨拶をした。不安そうな顔だ。
「あれ?クロガネはいないの?」
「上で寝てます」
「こんな状態のままでかよ」
哲也は腕を軽く広げて、室内を指す。天井も壁も焼け焦げてボロボロ。窓は枠だけになっていて風通しが良い。デスクもその他物品も、位置だけは整理されているが、凹んでいるモノが多い。
「電話で報告してからそんなに時間経ってないですもん」
「ま、それもそうか。徹くんは今何やってんの?すげえ良い香りすんだけど」
「夕ご飯作ってるんです」
「カレー?」
「そうですそうです」
「へー、食わせてくれよ」
「それって……ナントカわい?とかにならないんですか?」
「贈収賄のことか?ならないんだってさ。警察とは兄弟みたいな関係だから良いらしいよ。詳しいことは知らないけど」
2階に上がると、スパイスの幸福な匂いがさらに漂ってきた。まだキッチンすら視界に入っていないのになんて破壊力だ、と哲也は驚嘆した。左に徹の部屋がある廊下を抜けて、まず哲也の目に飛び込んできたのは、ニッコニコの女だった。笑窪がくっきり見えて、眉はハの字に近くなっている。目は元々くっきりしている方だろうに、ほとんど線と言えるくらい細くなっている。ここまでの満面の笑みを見せる人間を、未だかつて見たことがあっただろうか。よっぽどカレーが楽しみなのだろう、鼻歌を歌っている。そして右手は包帯でグルグル。さらに、イケメン。着ているモノは、和服っぽい灰色の装束。
(情報量が、多い)
こちらに気づいたのか、不意にハッという顔をした。途端に接近し、唇をきっと結んで、何処からともなく出現させた日本刀を向けてきた。
「貴様何者だ!」
キンキンした声は耳も超えて歯にまで響く。
「オイオイ、人に刀を向けちゃいけないって学校で習わなかったの?」
哲也は困惑していたが、こういったことは慣れているのだろう。構えもせず、頭を掻いている。
「ダ、ダメですよ彩芭さん!この人警察ですよ!」
徹の方が余程青ざめている。
「であれば尚更。普段から拳銃を向けているような奴等なのだろう?刀を向けられても文句は言えぬだろう」
「何この子、すごい暴論言うじゃん」
徹はどうやったら彩芭を制止できるか困り果てていたが、クロガネがカレーの匂いで起きて、互いについて説明してくれたために誤解がやや解けた。
「そうであったか。先刻は刀を向けてすまなかった」
彩芭が深々とお辞儀をした。
「びっくりしたわ、マジで。しかしすげえな、生身で装導者と戦うなんて」
「そうだろうか?まあ、そんな話はよい。それよりまずは食え、このカレーを!さあさあ!クロガネも来い」
「俺ケガで動けねえんだけど……」
「皆で食べるのがそんなに嫌か?ほれ座れ座れ!」
目から星が出そうなほどニコニコしながら、クロガネと哲也の背中を押して食卓に座らせた。3人とも、彼女の押しの強さに圧倒された。加えて徹は、
(もっとクールな剣豪キャラだと思ってたのに……)
と勝手にガッカリしていた。
「うんんんめえなこれぇ!徹くんすごいね君!」
カレーと徹を交互に何度も見る哲也。
「美味いっ!辛み、コク、深み、ヤバみ……全てが高次!此処まで美味いカレーは食べたことがないぞ!餓鬼の癖に大したモノよ!なあ、クロガネ?」
立ち上がり、天にスプーンを掲げるのは彩芭。
「ああ。前にも思ったが……そうだな、特にこの肉の活かし方が手練れのそれだ。肉のパワーだけが強すぎるのではなく、スパイスの力が強すぎるのでもなく……どうだこれは、最強のバランスだ。だが、両者が手を取り合って調和を生み出しているのではない。互いが拳と拳でぶつかり合い、悠久の戦いの果てに宇宙を創り出している。全くとんでもないヤツだぜ。ガキのクセに」
3人とも太鼓判を押すほどの仕上がり。徹のカレーは至高の領域に限りなく近い。
「クロガネさん、そんなこと思ってくれてたんですか?」
徹が掌を頬に当てて驚いている。
「む?御前今まで感想を言ってやらなかったのか?」
スプーンで飯を掻き込む彩芭の眉が逆ハの字になる。
「いちいち言う必要もねえだろ。こっちは文句なく食ってんだから、感想なんて口に出さなくとも伝わる」
その言葉を聞いて哲也は額に手を当てて悶えた。
「はあ~~!けち臭いっつーか自分勝手っつーか……お前という男を、俺は恥ずかしく思うよ。ねえ徹くん?」
「え?いや、まあ、美味しく食べてくれてたのは嬉しいですけど……無言で無表情で食べられて、良い気持ちはしないですよね、全然。僕に何でも押し付けるならそれぐらいはやってもらわないと」
「あ?押し付けてんのはお前だろうが!お前が自分のことをやらねえから――」
「ハハハッ!クロガネ、これから頑張ろうな。人間の営みを」
「うるせえな……」
男は、肩を組んで来た哲也を煩わしそうに振り払った。しかし追撃が止むことは無い。
「よいかクロガネ。好きなモノを好きと伝えるぐらいはしろ。餓鬼でもあるまい」
彩芭にも口撃された。
「分かったよ……クソッ、どいつもこいつも……」
クロガネは、そっぽを向いて軽く溜息を吐いた後、本題を切り出した。
「で……お前が来た理由は何だ」
哲也は、
「もうちょい駄弁ろうや……ったく」
と呟いた後、
「2つだ。理由は2つある」
と厳かな口調で話し始めた。
「1つ目は、まあ、ほとんど俺の興味だけで聞くんだけどさ。お前、『起導』を使ったよな」
「ああ」
「あの辺の建築物がどこも耐震改修が進んでないって知っていて『起導』を使ったのかどうか、それが聞きたかった」
「……さあな」
「日々ト市は防災とかそういうところに変に厳しい。だからこのままだと、ビルの持ち主もそこで商売やってるヤツもみんな莫大なモノを払わされるところだった」
「……」
「天災のせいで全部ぶっ壊れて有耶無耶になっちゃったっていうシナリオを作ったワケだ、お前は。俺は、個人的には強引すぎだったと思う。結局そのシナリオに無理矢理寄せなくちゃいけないの俺なんだよ?」
「そうか」
クロガネは眉をピクリとも動かさず、無表情で相槌を打った。徹は目をパチクリさせて、
(そんなことまで考慮していたのか)
と顔をしている。彩芭は、
(やはり私が見込んだ者。此奴、やりおるよ)
と鼻をフンスと鳴らしてドヤ顔をしている。
(何様だよ)
哲也は息を大きく吐いて肩を揺らした。
「えー、んで、2つ目はとてもシンプルな問いで、最も重要だ。光心倶楽部とお前達の戦闘内容は大体把握しているが、敢えて聞く。フレン・ダーカーには勝てるのか?」
「現状無理だ」
クロガネは即答した。
「俺が入ってもか?」
「お前の装導のように、出力の全てを能力に注ぎ込んでいるタイプは特に不利だ。戦力になるかも微妙だな」
クロガネは額を小指で搔いた後、状況を整理し始めた。
「そうだな――俺と彩芭が本調子だったとしても、今のところ勝ち目は無い。俺は攻防の半分以上を砂鉄操作に依存しているし、彩芭は単純な実力ではフレン先輩より勝っているが『導』の使い手として負けている」
「其れを実力不足と呼ぶのだ」
彩芭は目を瞑って真剣な表情をしていた。クロガネは一旦それを無視して続けた。
「『導関連対策所』も出力の不安定さが露呈した。そしてフレン先輩に対する徹の感知も機能しない。おまけに『教義』は翼も剣も『導』の光線も使えるときた」
哲也は椅子にどかっと寄っかかって、
「強すぎんだろ。もしかして主人公か?ソイツ」
と掌を宙に向けてギブアップを表した。
「そうだな。俺達悪役を狩る、正義のHEROってヤツかもな」
「…………」
徹は心配そうな、追い詰められたような表情をしている。自分の安全だけを憂いているのではない。自分の存在が導乱を生み出し、クロガネ達を追い詰めているということに責任を感じていた。それを感じ取ったか、クロガネが口を開く。
「だが、勝てないとは言っていない」
「え?さっき、勝ち目は無いって言ってたじゃないですか」
「今のところ、だ。相手は神を気取っているが、所詮一介の装導者だ。糸口は必ずある。それに俺は知っている。『勝つのはいつも、諦めなかった方だ』」
徹はその言葉にハッとした。――自分はその言葉を知っている。何かのキャラクターのセリフだったか。靄がかかったように思い出せないが、自分にとっても大事なセリフだったはずだ――。徹がセリフの出自を思い出せなくても、男は続ける。
「これは甘っちょろい戯言なんかじゃねえ。俺は『あの男』がそれを証明したのを幾度となく見てきた。想いは『導』となり、確実に力に変わる」
クロガネの瞳はいつもより輝いているように感じられる。
「決戦の時がいつ来るのかは分からない。だが、必ず俺達は『教義』に怯える生活にサヨナラする。『汝平和を欲さば、戦への備えをせよ』、だ」
彩芭はほんの少し笑ってから、
「既に方針は決まっているようだな。ならばまずどうする?」
と尋ねた。
「そりゃあさ、目の前のカレーを美味そうに食う、これに尽きるでしょ。なあクロガネ?」
答えたのは哲也だった。
「ま……そうだな。それしかねえよ」
クロガネは肘を付きながら、またスプーンを動かし始めた。
一日というモノは本人が思っているより長く、濃密で忙しい。そのクセ、なるようにしかならない。故に、悩みを一旦忘れて休息をとるのも、悪くは無い。何せ……この人数で食卓を囲むのも久方ぶりなのだから。そう思ったクロガネは、一時の安穏と幸福な香りに心身を委ねた。
一方で徹は、フレンと戦うことが本当に幸福な結末を齎すのか、やや不安を感じていた。クロガネはフレンを先輩と呼んでいる。それほど大事な人のはずなのだ。少なくとも、以前は互いに大事な人だったはずだ。なぜ戦うのか。
導乱だからだ。戦うことは、彼らにとって導かれるべき、避けられない運命だからだ。クロガネもフレンもそれを分かっている。徹はこの導乱が戦争と呼ばれている理由が、湯気ほど微かに分かってきた。しかし、だからといってどうすることもできない。自分も導かれる他無いのだった。
第陸話【DOGMA】-END-




