第伍話【教義/狭義】
【教義】
特定の宗教や宗派の信仰内容が真理として公認され、信仰上の教えとして言い表されたもの。教理。ドグマ。
(岩波書店『広辞苑』第七版より)
夥しい数のバッタが圧倒的なパワーで人里を蹂躙する――所謂『蝗害』を、徹は間近で見たことは無かったが、テレビや映画で見たことがあった。それは決して最近のことでは無かったが、その圧倒的な数の暴力に、幼いながら畏怖の念を感じていたのをよく覚えている。『STEELファング』の『起導』・『形態:S-AD』は、そんな蝗害の恐怖を呼び起こさせるのに十分すぎる気味の悪さがあった。渦巻き、蠕動する砂鉄に覆われた『STEELファング』が放ったのは、18本の黒い渦から無尽蔵に供給される、大質量の混沌。高層ビルを横向きにしたぐらいの大きさか、それよりもっと大きいように思われる。もはや破壊の対象が騎士団だったことを忘れてしまうほどに、極大。進路に邪魔なモノを遠慮なく抉り取りながら、地上を蹂躙する。それはもう砂鉄と呼ぶには程遠い。1つの生き物のようにグロテスクに脈打っており、心音すら聞こえてきそうである。蝗害の先端部は龍の頭ともドリルともとれる奇妙なカタチをしており、赤い光が眼球のように3つ点灯している。先端部があるのならば、この混沌は蛇のようなカタチなのかと言えばそうでもなく。蝗害の如く、その形状はやはり自在。必要があれば腕部のようなモノを出現させて対象を握り潰す。飛び道具が必要なら、口のような場所から鉄塊を吐く。分厚い鉄板をなまくらで割くような轟音で、有象無象を掻き消しながら無秩序にのたうち回る。逃げ惑おうが立ち向かおうが、そんなことに意味は無い。『起導』・『形態:S-AD』は其処にあるモノを潰滅する。隠れる奴らも立ち向かう奴らも、全部、全部。皆為す術なく、恐怖の権化に嚙み砕かれていく。
徹と彩芭は、これらに圧倒されてへたり込んでしまっていた。蠢く砂鉄が視界を遮り、それ以外何も見えなかったのは、幸か不幸か。軋み擦れる轟音が常に鳴り響いていたので、視覚以外の感覚はまともに機能しなかった。それでも行われていることの異常性は認識できた。彩芭に至っては、『形態:S-AD』が段々と大きくなっていることまでも勘付いていた。
そんな中、徹は2つのことに気づいた。1つは、『STEELファング』は見えるのに『導』は感知できないということ。ここまで砂鉄を展開しているのに『黄色』が全く見えない。『チェイサー』、『オーロラデザイン』の時もそうだった。どちらの時もそんなことを気にしていられるほど余裕が無かったが、今考えてみると、その時の『黄色』はクロガネから発せられていたモノではなかった。実は、見えたり見えなったりする、そういうモノなのだろうか。そういえば、キラの『導』も感知できなかった。彼女の動きがあまりにも速かったからかとも考えたが、相手の動作の予知すらできるこの力が使えなかったというのは少しおかしいと思った。ただ、この謎に関して、徹はこれより踏み込もうとする気になれなかった。無知な自分が考えてもしょうがないと思った。もう自分は答えに辿り着いているという直感もあったが。
もう1つのことの方が気掛かりであった。『起導』とは、人間文化の完全燃焼なるモノは、こうも単純で恐ろしいのかということだった。――クロガネという人間を、徹はそこまで知り得ているワケではない。しかし、きっと良い人なんじゃないかと思っていた。そんな人間の文化の燃焼がこんなにも醜いモノであったのならば。導乱がそんな文化と文化の押し合いへし合いまたは殺し合いなのならば。それが分かったところでクロガネへの評価を変える気は、徹には無い。が、とにかく既に、悪魔も地獄もすぐ近くにあったのだ。青年はそのことにようやく気付いた。
「一足遅かったようですね」
街並みに不釣り合いな、喪服のような色の、長袖のミモレ丈ワンピースを着た女はそう言った。爽やかな夏風がいつもよりよく吹き抜ける大通り。どの建物も抉り取られるように破壊されている。遮るモノが減って、空が広い。原型を留めている建造物も多かったが、夕焼けを眩しく映していた窓は粉々に崩れているし、鉄筋が剥き出しになった建物も見られる。まさに災害現場と呼べるこの地で、その女のこの国の血統では無いであろう彫像のような顔立ち、艶やかな金髪と挑発的なボディラインが光っていた。極めて精巧な鴉の意匠のネックレスと、磨き上げられた革の着装品は、気品を感じさせる。女の名は、『フレン・ダーカー』。何者かと交戦していた『STEELファング』、『ROGUE』を発見した部下達に加勢するため、ここ――日々ト市中央区に来ていたのだった。転がっている自身の部下達には目もくれず、辺りの大量の砂鉄、幾ばくかの瓦礫を見回す彼女の元に、白いスーツを着た男が駆け寄って報告する。
「事前に人払いは行いましたから、やはり死者はいません。しかし、差し向けた『神託』45名は全員が装導を解除され、内42名が気を失っており、残り3名も自力で起き上がれないほどのダメージを受けているようです」
「そう……いくら即席の部隊と言っても、『教義』の力をその身に宿した熟練者達ですからね……流石は『STEEL』、と言っても差し支えないでしょう」
女は艶っぽい包容力のある声で、穏やかに返した。
「これは『STEELファング』だけの仕業なのでしょうか?『音響支配』でもあるまい、一個人の装導者がここまで馬鹿げた力を所持しているとは思えません。口を聞ける者は、その場に“鬼の仮面を着けた生身の人間”も居たと言います。その者の能力かもしれません」
「なるほど。生身の人間がこれをやった、と。しかし所詮ただの人間、たかが知れています。ええ、貴方が『STEEL』の戦闘力を認めたくないのも分かります」
女は膝同士をぴったり付けてゆっくり屈み、そこら中に落ちている砂鉄のうち、一塊を掬い上げる。
「『STEEL』は確かに一装導者でしかない。まあ、ただの噂に過ぎない『音響支配』と比べても仕方がありませんが――仮に本当に存在しているとして、『STEEL』はそれには遠く及ばないでしょう。しかし彼の『起導』ならば、ここまでの高範囲、高威力を実現できます。どんなに見窄らしく見える人間でも、その“執着心”を甘く見てはいけません」
スーツの男は『起導』の超常性に対し未だ半信半疑であったが、いつになく厳かに話す様子を見て、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「『STEELファング』の『起導』は、そこまでのモノなのですか……」
「分からなくとも無理はありません。我々で『起導』を使えるのは、まだ私と『正義の子』だけですし、見せたこともありませんから」
フレンは少し目を細め、砂鉄を乗せた右手にだけ自身の装導を出現させた。光沢色の白い右手に触れた砂鉄は、炭酸のようにシュワシュワと消えて無くなった。
「これは周囲から集めた砂鉄ではなく、能力で生み出したモノ……『STEEL』は『ADシリーズ』を使用したのでしょう。想定していたよりかなり脆い……私の記憶のそれは、もっと繊細で鮮烈で背徳的なモノでしたが」
「随分とお詳しいのですね」
「ええ、昔からの……旧知の仲なのです」
女は砂鉄を放り投げて立ち上がり、風でなびいた髪を後ろに流す。
「この局面で『起導』を使ってしまうとは、余程余裕が無かったのでしょうね。それに、私の知る『STEEL』ならば、ほとんど全員の気を失わせるなどという半端なことは決してしない。きっちり全員を殺害する。彼はそんな男でした。力のコントロールもできていないようですし……『STEEL』は誤魔化しきれないほど極端に弱体化している、それを知ることができただけでも十分な収穫と言えるでしょう」
女はスーツの男に背を向ける。
「……さて……翼さん、貴方は先に『神託』の皆さんを連れて帰って下さい。私は用事を済ませてから戻ります」
そう指示して、女は目的地に向かって歩き出した。
『光心倶楽部』の襲撃を受けた3人は、命からがら退散した。現場から去る時、仕留め損なった騎士から反撃を受けたのは流石に肝が冷えたが、どうにか彩芭が叩き斬った。相手も疲弊しきっていたのが幸いだった。『STEELファング』は非常に衰弱しており、戦える状態では無かった。彼と比べるとかなり身長が低い彩芭に支えられて、ようやく歩けていたほどだった。徹は狼狽しつつも最初は一緒に支えていたが、非力すぎて、彩芭1人で支えるのと大して変わらなかったため、バツが悪そうに帰路の安全確認に回っていた。
男がやっと装導を解いたのは、『導関連対策所』2階のベッドに腰掛けた時だった。顔面蒼白で脂汗をかいているが、体調は悪化していないようだった。
「みっともねえ……」
クロガネが仰向けになって顔を腕で覆いながらそう言った。
「ふはは、『起導』を間近で見ていた時は全く気づかなかったが、まさか嘔吐しながら戦っておったとはなぁ。うげー。これはもう、『SAD』というか『MAD』だな。ふははは」
食卓の椅子にふんぞり返り、楽しそうにそう話すのは、久寿米木彩芭だ。人と思えぬほどの怪力・怪速を持つこの女剣豪は、室内でも相変わらず仮面を外さない。先ほどまで大立ち回りを演じていたが、直前にクロガネとの戦いで痛めていた手首を無理に動かしたせいで、前腕には包帯がグルグルと巻き付けられている(「3、4日で治る」と彩芭が自信満々で宣言していたが、それに対して徹は非常に懐疑的だった)。彩芭は、自身の知的なギャグに対する2人の反応が芳しく無かったからか、咳払いをして話題を変えた。
「ん……まあ……まず、今回のことだが……元を辿れば私が御前達を襲撃したのが糸口……そこは謝っておきたい。すまぬ」
クロガネが少しだけ身体を起こす。
「いや……お前がいなくとも、奴等は俺達を嗅ぎ付けていた。どちらにせよ『光心倶楽部』本拠地には辿り着けなかった。あちらの戦力と殺る気を見くびっていた俺が馬鹿だったな。謝らなくて良い。お前のおかげで生きて帰って来れた、それでチャラだ」
彩芭が下を向き、顎に手を置き考え込んだ。
「そうか?……ふむ……んー……いや、それでは納得いかんな」
「何が?」
「これで終い、というには些か気に入らん。分からぬことがある。御前の使った『起導』というのは結局何なのかーとか、フレンとかいうヤツや徹は何者なのかーとか」
「お前が俺達と関わるのは今回限りだ、教えてやる必要性がない」
クロガネは彩芭の包帯を見ながら、感情をほとんど込めずに言った。
「よいではないか!今では私はお前達の共犯者だ」
「好奇心は猫をも殺す、やめとけ」
「ぬぅ……しかしながら、此奴も先ほどから、腑に落ちんといった顔をしておるぞ」
彩芭が徹を親指で差す。少し離れたところで椅子に座っていた青年は、急に自分の話題が出て面食らっていたが、すぐに思っていたことを口に出した。
「そ、そりゃ……腑に落ちないことしかないですよ。僕だって知りたいことが山ほどあります。なのに、教えてくれなくて……『起導』ってヤツも、あんな……あんなしょうもないとは思いませんでしたし」
「御前、今しょうもないと言ったか?」
食って掛かったのは彩芭。男の方は顔色1つ変えずに黙っていた。
「腑に落ちないことはあるかとは聞いたが、それは無いだろう!私達はその『起導』に助けられておるのだぞ。見ただろう、あの破壊的な威力を。急に何を言う」
「だ、だって、しょうもないですよ!……力があればどうとでもなると思っているような人には、分からないでしょうけど」
「何ぃ?餓鬼の癖に!ぶち殺すぞ」
彩芭が徹の胸倉を掴む寸前で、クロガネが割って入った。
「待て待て待て。俺が怒るのは分かるがお前がキレるのは違えだろ」
「それはそうだが……」
クロガネは1度目を閉じた後、徹の顔を見つめてゆっくり問う。
「なぜ、しょうもないと思った?」
徹は少しの間浮かない顔で俯き、顔を上げて何回か言いかけようとしてやめた後、ついに結んでいた口を開いた。
「なぜって……クロガネさんが……『STEELファング』のクロガネさんが切り札って言ったんだ、もっとご都合主義の魔法みたいなモノだと、僕は予想してたんですよ。例えばですけど、相手の装導だけに砂鉄が取り憑いて、装導だけを砂にしちゃう、みたいな。でも実際は、今までと同じ、目の前のモノを薙ぎ払うだけの砂鉄の嵐だった……クロガネさんのその力の本質は、無益な傷を生むだけのただの武器なんだって感じちゃったんです……きっと、住む場所や仕事が無くなっちゃった人もいるんだ!『起導』も所詮戦争の兵器なら、それはしょうもないでしょう?」
投げつけるように言った徹の、クロガネを真っ直ぐに見つめる瞳は、丸く煌めいていた。ゆらゆらと紫炎が瞬いていた。己の若さと不安定な良心を燃やす身勝手な魅惑の炎。ただ成り行きでここまで来たこととクロガネに守られているということは、徹に傍観者という役割を与えたのと同時に、自由性も彼に与えたのだった。知らないということは罪だが、束縛されないということでもある。獲得してしまった知識は己の力を支配するが故に、無知の状態ほど融通が利かない。今の徹は何だって言える。
「……そうか」
男はどうにかして『彼』に似たその煌めきを見ようとした。けれど、耐えられずに目を背けた。クロガネの目は煌めきに応えられるほど磨かれていなかった。もし男の心が銀だったら返せたかもしれないが、最早錆びついた鉄。鈍い黒は煌めきを到底受け入れない。
――だけれども。男は目を背けたけれども、不思議なことに、徹の煌めきをほんの少しだけ受け入れていた。その実感があった。煌めきはクロガネの何かを動かした。いったい何が動いたのかは、まだ男にも分からない。
クロガネが暫し沈黙した後、ようやく何か話そうとしたその時、徹がハッと顔を上げた。
「誰か来た」
「やはりか」
クロガネが自分の腰に拳銃を装備していることを確認しながら言った。
「誰かが来ると分かっておったのか」
「ああ、大体な。出力を上げまくった『起導』を使っちまったんだ、当然ビッグなヤツが引き寄せられて来るだろうよ。徹、ソイツの位置は分かるか」
「靄がかかってて、ちゃんとは分からないんですけど……1階の扉付近、かな」
「そこまで分かれば十分だぜ。靄がかかっている、か……あの人が来たか」
「まさか……!」
徹の不安げな表情を受けて、クロガネが頷く。
「どうやらここに導いちまったようだな。フレン先輩を」
「客人が来ることだってあるでしょう?もう少し座り心地の良いモノを買ったらどうですか」
オフィスチェアに座りながら、フレン・ダーカーは昔馴染みに話すようにそう言った。双方この事務所で戦うつもりは無かったようで、1階の扉の前で待っていたフレンと2人だけで対談をすることになったのだった。
女の高貴さは、安っぽい椅子に座っていても失われていない。オフィスチェア同様に古っぽさを感じる服装だったが、姿勢の良さや落ち着いた振る舞いなどのおかげか、そんな印象を全く与えなかった。美人は何を着ても似合うということか。
「開口一番がそれで後悔しないのか?」
クロガネもヨレヨレしながら対面の椅子に座り、机に両肘をついた。天板が軋む音がする。
「久しぶりですね、あなたは昔と全然変わりません――とでも言った方が良かったでしょうか」
「いいや、昔話に花を咲かせる時期にしては遅すぎる」
「そうでしょうよ」
うっすら赤みがかった陽の光が、ブラインドから漏れて2人の間を突き刺している。ペン立てに入った様々な文房具は、その光を闇雲に反射させる。クロガネが出したのは、季節外れのホットコーヒー。市販のモノに他の豆をブレンドしてさらにドス黒くなったそれは、淀んでいるとも言えるし清らかであるとも言える。デスクに置かれた2つのカップから立ち昇る湯気が交じり合うことは、決して無い。
「……要件は何だ」
クロガネがフレンを真っ直ぐに見据えて言った。
「単刀直入に言わせて貰います」
フレンが目を細めてクロガネに自分の手を出す。
「クロガネ。私と共に来い」
「……何を言い出すかと思えば」
「私と共に煌黒装導を破壊しましょう、そう言っているのです。そうすれば貴方と『ROGUE』の安全は確保し――」
「断る」
フレンが言い終わらないうちに男は言った。
「信用できませんか」
「当たり前だ」
「全員が幸せになるための方法です。悪い話では無いはず。考えておいて下さい」
「いくら考えても答えは同じだ」
フレンは少しの間黙っていたが、薄っすら微笑んで話を変える。
「……先に貴方の提案を聞きましょう。そのために私の本拠地に来ようとしたのでしょう?」
「最初からこちらの提案を聞く気があったのなら、わざわざ道中を襲撃しなくても良かっただろう」
「従来の装導を『教義』でオーバーライドした『神託』装導を試すため……それが理由ではいけませんか?」
フレンが椅子に座りなおすと、背もたれの部分がキシリと音を立てる。
「チッ……まあいい……俺からの提案はこうだ。俺達がお前らに故意に干渉しない代わりに、お前らは徹――『ROGUE』の破壊から手を引いてくれ」
「貴方のような雑魚に干渉されたところで痛くも痒くも無い。割に合いません」
「『あの男』の装導、『ブライトファング』もそっちにやると言ったら?」
「……それで私が手を引くと本気で思っていますか?」
「ああ」
クロガネは即答した。
「……確かに魅力的ではあります。“行き着くところまで行きかけた者の装導”です。煌黒装導モノ。新世界への近道。大いに価値がある。この機を逃す理由は無い」
「だったら――」
「が、しかし……私は噓を吐きました。貴方の提案を聞くとは言いましたが……それはやはり無理です」
フレンは髪を耳に艶っぽくかけながら言った。
「煌黒装導と『ROGUE』は破滅へと導く力そのもの。人を不幸にします。誰にとっても邪魔です。私達の活動は人類の正義のため。貴方が何を差し出そうともきっと揺るぎません」
「正義ねえ」
「そんなもの正義ではない、とでも言いたいですか」
「言わねえよ。ただ……こう、フワッとしていて気色が悪い。そう思っただけだ」
「人間全員を幸福へ導くための正しい行いです」
「ならばその正義は既に死んでいる」
クロガネはコーヒーを一口飲んでから続けた。
「フレン先輩の考える正義が正しいかどうかを確認するには、全人類に聞いて回らなければならないんじゃねえのか。要するに、個人の考える正義はどこまで行っても行き過ぎたエゴでしか無い。俺もアンタも。ましてや、導乱は煌黒装導という娯楽のための戦争だ。やらなくても良い、しょうもない争いだ。そんなモノの果てにある煌黒装導を当てにしてフレン先輩を縋るほど、人類は馬鹿じゃない」
「……『ROGUE』と共に生活しているうちに頭をクソにされてしまったようですね。貴方のためにも、平和のためにも、まず『ROGUE』は滅ぼさなければなりません。貴方も最初は朝風徹を殺害しようとしていたはずです」
「……無駄に生き存えちまったせいか、最近は何をするにしても、すぐ気が変わる」
「世界を護ることより『ROGUE』の命を選択するのですか」
「俺達大人がガキを護らないで、いったい何を護るってんだ?」
「それでも『ROGUE』は破壊しなければならない。有能な貴方なら分かるはずです。アレは『ROGUE』の名の通り『悪党』なのですよ?」
「それは俺やフレン先輩が勝手にそう呼ぶだけだ。俺達の方が悪党だという自覚は無いのか?一個人同士の私的な喧嘩、我欲のために周囲を巻き込んで繰り広げる醜い争い……何処かの人間を不幸にする争いは例外なくクソだ。だから極悪戦争犯罪人は俺達なんだ」
「貴方は分かっていません」
「分かっていないのはアンタだ。煌黒装導の正体も知らずに追い求めているフレン先輩こそ分かっていない」
「煌黒装導の正体?『コウコク様伝説』の通りのはずですが」
クロガネの眼光が鋭くなる。
「やはりか。それも知らねえで、平和のために煌黒装導を破壊するという理想を掲げている……道理で言葉に重みが無いワケだ。本当は人智を超えたその力を使って世界を手に入れようとしている、違うか?何が『光心俱楽部』だ。やっていることは他のヤツと変わりねえ」
「……どうやら……妄想だけは得意になりましたか」
女は手首を鼻辺りに当てる。
「貴方が長年のブランクのせいで、まともに戦うのすら難しいことは分かっています。そして『STEEL』の『起導』、つまり『ADシリーズ』は『STEEL』装導の本質、“徐々に大気を砂鉄に変えていく力”であること。さらにそのパワーも全盛期に比べると著しく低いこと。そして先ほど『神託』に使ったモノは、半ば暴走状態であったことまでも分かっています。対して貴方は『光心倶楽部』の力がどれほどか知らない。情報量の違いは戦力差にイコールです。貴方は決して私の『教義』には勝てない」
「そうかい。だったら何だ」
「それでも抗うのかと聞いています」
「アンタと同じ釜の飯は食いたくねえからな」
「……変わりましたね……本当に……」
フレンは立ち上がり、腰に隠していた拳銃を無造作に引き抜いた。
「私達はこれから何千年話し合っても分かり合えないでしょう。残念ですが、ここで死んで貰います」
クロガネのこめかみに銃口が向けられる。
「やってみろよ」
男は抵抗しなかった。フレンに出されたコーヒーはすっかり冷えていた。そして全く減っていなかった。
第伍話【教義/狭義】-END-