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グラス・ヘキサゴンの虜  作者: 陶ヨウスケ
20/21

小泉えりな編 最終投票 後編

「まず俺の身の上は2人とも知ってるよな?」

 一樹はそう前置きした。

 えりなはうなずく。

 美里の方は、聞きもしないのに具体的に話す。


「例の両親が殺し合いをしたって話でしょ、知ってるわよ。それでそのあといじめられたって話も。聞きもしないのに、アンタと同じ小学校だった取り巻きの馬鹿な子が、べらべらしゃべってたわ。なに、結局私と不幸自慢で争うつもり?」

「する気はねえよ。それと殺し合いじゃなくてお袋が親父を一方的に殺したんだ。この話を知ってる奴はそこまで珍しくない。ただその理由まで知ってるのは当事者だけだろうな」

「ちなみに私も納屋程度の知識しかないわ」

 えりなは自分の知っている情報を素直に話す。あえて一樹と駆け引きをする理由もない。

 美里は大して興味もないのか、「それで」と適当に先を促す。


「その理由は納屋の親子関係同様、墓の中まで持ってくつもりだった。あの時納屋に話そうとした内容もあくまで祖父ちゃんと祖母ちゃんだけの話で、それ以上は話すつもりもなかった。でもさっきのお前の家の事情を聞いたら、もう黙っているわけにもいかなくなった」

「だから結局不幸自慢じゃ――」

「違う!!!」

 一樹はかっと目を見開き、言葉を荒げ否定する。

 初めて見る一樹の激昂に、2人の女性は思わず後ずさりをした。

 普段めったに怒らない一樹の怒声は、それだけ迫力があった。


「俺は不幸を自慢するためじゃなく、不幸になりたくないからこの話をするんだ。お前が家の不幸を忘れられるから学校での幸せな自分を否定させないのと同様、俺も自分の人生を不幸にしたくないから、お前の生まれの不幸を否定するんだ」

「……なんで私の不幸話がアンタの人生と関係があるのよ」

「それを今から話す」

「・・・・・・・」

 そこまで言われれば、美里も口を挟むことはできない。

 えりな同様、黙って一樹の話を聞くことにした。


「親父が殺され、お袋が刑務所に入った後、俺は父方の祖父母の家に引き取られた。いじめ云々はここではどうでもいい。問題は祖父ちゃんと祖母ちゃんが、納屋の万引きの被害を受けていたってことだ。それが心労になっていたのは事実だが、小泉が考えているように、その心労が原因で死んだわけじゃないはずだ」

「え……」

 えりなは驚き、また顔色を失った。

 一樹たちが眠っている間の調査の結果、一樹の祖父母は万引きで書店が傾いたことによる心労のため体調を崩し、早死にしたようにしか思えず、そう思いながらクレアにもインプットした。

 クレアもその結論に賛成し、グラス・ヘキサゴンではああ言ったのだ。


 その発言は絶対でなければならない。

 そうでなければ、彼女の信念のもう一柱、機械こそ完ぺきという定理が、足元から崩壊してしまう。

 そもそもこのグラス・ヘキサゴンという施設も、クレアの完璧さがあってこそのものだ。

 彼女が全知全能の存在として君臨することにより、人は外部からの圧力を受けずに、正しく自らの本質をさらすことになるのである。


「で、でも、瀬尾君にはそれを知るすべは……」

 えりなはすぐさま一樹に反論する。

 そもそも自分が眠っている間に死んだのだから、身内とはいえその理由を一樹が知っているはずがない。

 そう思っていた。


 だが一樹には確信があった。


「悪いけど事実だ。なぜなら祖父ちゃんと祖母ちゃんは、その万引きを必要経費のように考えていたからな。心労の原因になったのは、刑務所にいるお袋の方だろう。あのババアのせいで店の売り上げが大幅に下がって、ニッチな商売に切り替えざるをえなくなったし。折に触れては、「だから結婚しなければよかったのに」と恨み言ってたよ。まあこういどっちがつらいかなんて話は、直接当人に話聞かないと分からない話だ。機械の限界だな」

「・・・・・・」

 えりなは黙り込んだ。

 結局インプットするのが人間である以上、完ぺきな機械などあり得ない、そう結論付けるを得ない。

 つまり完ぺきな機械になるためには機械自体が情報を集めなければならず、それにしても大本をたどれば結局人間のインプット情報に頼ることになる。

 どうしようもない矛盾だ。


 尤も、えりなとていっぱしの研究者だ、それぐらい最初から分かっていた。

 ただ今まで全く問題がなかったため、神のような機械も作れると思い込んでいた。

 そんな妄想を今ここで、完全に打ち砕かれた。


「必要経費ってまあずいぶんとありがたい話ね」

 黙り込んだえりなの代わりに、美里が勝ち誇ったような顔で言った。

 その様子に一樹は明らかに気分を害したようだが、その点には触れず話を続ける。


「それを踏まえると、クレアの『遠回しに今ここにいる人間の家族を殺した人間がいる』という質問は当然間違いになるが、実はそうでもない。遠回しという解釈次第で、一人だけ該当する殺人者が誕生する」

「へえ、いったい誰なのよ?」

 自分の無罪が関係者から証言されたと思い、美里は身を乗り出して一樹に聞く。

 その一方でえりなはさらに青い顔をしていた。


 勝ち誇った美里に打ちひしがれるえりな。

 今までの図式が逆転したような状況だ。

 けれどそれはすぐに変わる。

 より対比が浮き彫りになって。


「……お前だよ納屋。やっぱり人殺しはお前だ」


「な――」


 美里は絶句した。

 今までの話からどうやって自分が犯罪者になるのか、全く理解できていない様子だった。

 以前と違い、今の美里はかなり感情表現が豊かだ。


「ど、どういうことよ!?」

「……話を戻す。お袋が親父を殺したのは、いわゆる痴情のもつれからだった。親父が不倫した上、しかも不倫相手に子供を孕ませたんだよ。ただ親父が祖父ちゃんに話してそこから俺が聞いた内容だと、ただ単純な惚れた腫れたの話じゃなかった」

「あ……」

 美里が開きかけた口を閉じる。

 まるで言いたいのに言えないタブーが頭に浮かんだようだ。

 美里の動揺で自分を取り戻すことができたえりなは、何かをこらえているような表情の彼女を見てそう思った。


「そもそも俺の親父はええかっこしいの美男子、お袋はまあブスで、押しの弱い親父がお袋に強引に迫られて仕方なく結婚したんだ。だからお袋は親父にぞっこんだったけど、親父は別にそうでもなかった。そんな親父がある日知人の知人……要するに赤の他人に、頼まれたんだ。「自分を孕ませてくれ」って。しかも相手の女は主婦だった」

「何かその時点で異常な話ね……」

「俺も初めて聞いた時はそう思った」

 えりなのつぶやきに一樹はうなずく。


「押しが弱く、お袋に辟易していた親父はこの話に乗った。ただそこに恋愛感情はなく、ただ親父は火遊び、女は子供ができないことをなじる夫やその親族を黙らせることが目的だった。結果女は妊娠し2人は別れた。お互い赤の他人同士だから、もう二度と会わないと思って。もし、女の方がもう少し頭が働けば違う相手を……いや、そもそもこんな馬鹿げたやり取りはしなかっただろうな」

「・・・・・・」

 次第に美里の顔が曇っていく。

 えりなもだんだん一樹が何を言いたいのか理解でき始めてきた。


 そして納屋美里がどういう人間かも。


「結論から言うと、女の旦那の方は血液型に多少は詳しくて、自分との間に絶対に生まれない血液型の子供が生まれたとすぐに気づいた。その後、夫は執念で浮気相手を探し当て、お互いの家族の間でド修羅場に突入。罵り合ったのは旦那と俺を生んだばかりのお袋で、当事者の2人はただ縮こまっていただけだった。その後、嫉妬に狂ったお袋が親父を刺し殺したことで、相手の旦那もこれ以上瀬尾家に対しては何も言えなくなり、両者の問題はフェイドアウトした。しかし、言うまでもなく子供は残った。俺の親父の血を受け継いだ俺とは腹違いの()がな」

「・・・・・・」

 美里の顔が青を通り越して透明と思えるほど白くなる。

 ここまで言えば、もはや説明は不要だった。

 部外者のえりなにも2人の関係が完全に理解できた。


「俺の祖父ちゃんはそれを知っていたから、万引きを許したんだ。まあ刑法上も身内なら申告がなければ罪に問えないしな。俺がこの事実を知ったのは、そいつを警察に通報するって言った時だった。その話を祖父ちゃんにしたら泣いて止められ、今の話をしたんだ。だから俺は本人に話すだけにとどめた。さて、もう十分だろ()()。間接的に殺人者になった理由もな」


「私が……」


「私が…………アンタの妹だということね……」


 少し言葉に詰まりながら言った美里の言葉に、一樹は大きくうなずいた。

 えりなはこの重要な場面に、部外者の自分がいていいものかと不安になる。

 ただ、ここで帰るのもグラス・ヘキサゴン責任者としての問題がある気がしたので、黙って成り行きを見守った。


「それで話は最初に戻る。俺は言ったよな、お前の不幸を容認する態度は、俺の不幸も認めることになるって。お前が不幸だと言い張るなら、生まれる前から不幸な人生確定していた俺も、それを免罪符に何をしてもいいことになる。何せお前が生まれたことで、俺の父親は死ななかったし、母親も捕まらなかったし、俺もいじめられることなかったんだから。けどその代償として、俺は小さな幸せすら、生まれの不幸で塗りつぶさなきゃいけなくなるんだよ。お前が何があっても不幸だ不幸だと嘆いている陰で、同じ十字架背負いながら兄貴が一生懸命幸福になろうと頑張ってるのにさ」

「・・・・・・」

 美里は黙っていた。

 しようと思えば不可抗力だと反論できたが、それだけはできなかった。

 もし言えば、今までの不幸が絶対的に理不尽なものから、一樹のように自力で変えられたものになってしまうから。

 それでは今までの悪事が正当化されず、逃げ道がなくなってしまう。

 だからといって認めれば、今までの虐待は生まれ出たことに対する罰となり、一樹に対しても責任を負う羽目になってしまう。


 美里に残された道はもはやどこにもなかった。


「この話を聞いた時、ひどい親だと思ったが、俺はお前の存在まで恨んじゃいなかった。むしろお前を真人間にしなくちゃいけないと、使命感さえ沸いたよ。でも、さっきの話を聞いて今はしっかり恨んでる。お前が生まれに胡坐をかいて何もしなかったことにな」

「・・・・・・」

「何もしなかった?」

 黙して語らない美里の代わりに、えりなが言った。

 一樹は美里だけ相手にしていてはらちが開かないと思ったのか、その呟きに答える。


「ああ、こいつが生まれによって虐待されていたのは、確かに同情すべき点ではある。だからって、なんで助けを求めず、訳の分からない方向に逃避したんだよ。もし助けを求めたらどうなっていたのか、お前その無駄に賢しい脳みそで考えられなかったのか?」

「・・・・・・」

「俺だってつらいことがあれば逃げるようにしてる。でもそれは行き止まりまでだ。そこに越えなきゃならない壁があるなら、死に物狂いで戦うさ。お前の場合、物心ついたと同時に立ちふさがってた越えなきゃならない壁から目を逸らし、進んでいる気になってその場で足踏みしてただけなんだよ。自分が逃げてる自覚すらないんだから、本当に最悪だ。もしそこで壁を乗り越えようって、勇気を出して「誰か助けて!」って叫んでたら、どうなってたのか想像もできなかったのか?」

「・・・・・・」

「・・・・・・」


 美里が黙っていたからか、一樹もそれに付き合って口を閉じた。

 美里はうつむき、一樹はそんな美里をじっと見ている。

 こうして見ると、本当に兄と妹だ。

 精神的には、父と娘だといってもいいかもしれないが。


 本来ならこのまま腹違いの兄妹にまかせるべきだろう。

 えりなは美里にいじめられたとはいえ、血縁的には赤の他人なのだから。

 それでも彼女は口を閉じることができなかった。

 それは研究者としての知的好奇心からか。

 それともこの一連の事件の黒幕としての責任を感じ、その幕引きの義務に突き動かされたためか。


 えりな本人にもそれはわからなかった。

 少なくとも、復讐心からでないことは確かだ。 

 この胸に黒くてねばりついた嫌な感情は、美里ではなく自分自身に向いていた。


「もし助けを呼んでいたらどうなっていたの?」


「――!」


 美里がはっとした顔をする。

 彼女がその答えを聞きたくなかったことは明らかだ。

 いままの自分の人生をすべて否定するようなその答えを。


 そして一樹は言った。


「……祖父ちゃんと祖母ちゃんが飛んで助けに行ったさ。大事な孫娘だからな。俺と2人だから裕福な暮らしはできなかっただろうけど、少なくとも温かい飯も食えたし、寒空の下で風を引くことなんて絶対になかった。美里の不幸は美里が招いたものだ。何も言わないくせに孤独だと思い込んで、唯一完全に味方になってくれる家族を苦しめ、本当に独りになっちまったんだよ」


「――!!!」


 美里は顔を抑え、その場に頽れる。


 彼女は心の底では常に孤独を感じていた。

 ただその一方で孤独で不幸な自分に酔ってもいた。

 やがてそんな自己矛盾に苛まれ、自分を顧みることができず、仮面をかぶった生活を送るようになった。

 その仮面が、本当の自分と錯覚することを期待して。


 けれど仮面はあくまで仮面であった。

 それはこの数時間で砕け、中から全く成長していない、どうしようもないほど臆病者の少女が現れた。少女は本当の自分と向き合わされ、自分がどれだけ馬鹿で、とんでもない間違いをしたのかも思い知らされた。


 えりなは顔を抑え、引きつるように泣く美里を見ながら、何とも後ろめたい気持になる。

 本来のグラス・ヘキサゴンの目的を考えるなら、大成功と言える結果だ。

 自分のことを女王の様に思いこんでいた少女の内面を、完全に暴いたのだから。


 だがようやく知った本性は、えりなが予想していたものとは到底違っていた。

 何か財宝のようなものが埋まっていると思っていたら、見えたのは恐ろしくか弱く、また他人がおいそれと手を出していいものではない、神聖な()だった。

 

 美里の愚かさは、えりな自身の愚かささえも浮き彫りにしたのだ。

 自分が今までしてきたことは無駄だったと痛感させられ、恩人を散々謀り、その末に見た光景が()()で、お前は本当に人のことが言えるほど偉いのか、と。


 いったい何のためにこんなことをしてきたのか。

 結局、自分は高度な手を覚えただけのデバガメにしかなれなかったのではないか。

 達成感などかけらもなく、ただ自分が愚か者に思えてならなかった。


「……終わったなあ」

 一樹がつぶやく。

 一樹も精魂使い果たしたのか、その場に座った。

 そんな一樹に、まるで自分の失態から目を逸らすようにえりなは言った。


「そういえばさっき、瀬尾君復讐について聞いてたわよね」

「いまさらその話か……」

「あの時私は誤解を解くと同時に、「そもそも現実的にそんな都合よくいくはずがない」と言ったわね。けど今の納屋はまさにあの時瀬尾君が言った通りの状態ね。正直尊敬するわ」

「皮肉どうも。で、実際その立場になってみてどういう気分だよ?」

「・・・・・・」

 今度はえりなが責められる。

 何と答えればいいのか。

 復讐心は確かにあったし、途中までは達成感もあった。

 しかし今はそのどちらもなく、じっと自分を見つめる一樹の圧力に負け、「良くはないわ……」と正直に話した。


 すると一樹は苦笑し、


「そこまでが復讐だ。奪われつくしたマイナスの人間がしたら、そりゃ気分もよくなってただろうさ。でも俺たちみたいにすでにプラスになってる人間がしたところで、後味が悪くなるだけだ。だから嫌なことは忘れるに限るのさ」


 と、どこか、えりなでは絶対に見られない場所を見ながら言った。


「で、これからどうするんだ?」

 しばらくえりなが黙っていると、一樹が不意に聞いてきた。


「……もうここでできることはないでしょうね。みんなもお互い抱えている不安を出し合ったし、私自身システムが不完全と分かった以上、何をしていいのかすら思いつかないわ。ただこれが実験でもある以上、最後はシステムにのっとって終了させたいの。全員の投票の一致でね」

「一致かあ。難しいな。ここまで俺たちで散々ひっかきまわして、「理由は聞かずにとりあえず出るを選んでくれ」なんて言えないよなあ」

「でしょうね」

 ここでの話はどう考えても他言無用だ。

 それはえりなにもわかっていた。

 これ以上美里を責めるのは非人道的すぎた。

 ここは適当な理由をこじつけて、なし崩し的に開放する流れにした方がいいか。

 そう思っていると、


「……いいわよ、話して」


 意外な人間――美里が秘密を打ち明けることの許可を出した。


「美里……」

「アンタの言うとおり、物心ついた時点で学校の誰かにでも、助けてって言う勇気があったら。自分の不幸を認め、すべてをさらけ出す勇気があったら、あの地獄はすぐに終わったかもしれないわね。でも私にはその勇気がなかった。不幸な人間として同情されるのが怖かったし、何も変わらなかった時の絶望に耐えられる気がしなかったから……」

「ああそうだな、お前はどうしようもないぐらい臆病だ」

「ふ……兄貴だからって言ってくれるわね。認めるわ。私は間違っていたって。そしてもう二度と自分の臆病さゆえの、馬鹿な間違いをしたくないの。でも多分ここでこの話を秘密にしてたら、私は結局何も変われないと思う。だから言うわよ、私自身の言葉で。地獄から抜け出るためにはもう遅すぎたけど」

「・・・・・・」

 一樹は何も答えなかった。

 その代わりにえりなの方を見る。

 どうするか、と目で聞いていた。


 えりなは少し考えてから答える。


「今までのルールを考えると、小泉の声じゃなく、質問を通してクレアに言わせた方がいいと思う。そうじゃないと、今までのすべてのことまで茶番になってしまうわ。文章はクレアがうまくまとめてくれる。それでいいなら私に異存はないわ」

 えりなの言葉に美里はうなずく。

 結局生い立ちを聞いても全く好きにはなれなかったが、彼女が大勢の人間を魅了できる資質を持っていることには納得できた。


 やがて質問の時間になり、同級生たちの疑問がえりなに殺到する。

 その回答はクレアの声を通して美里が直接答えた。


 そして驚愕とともにすべてを知った同級生たちに対して投票が行われる。


 えりなの言った通り、もはや彼らにここに残る理由はなかった――。

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