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EX-2.0|部長 黒木正義の休日

 午前四時。

 男の一人暮らしにしては広い寝室に、セットされた目覚まし時計の音が鳴り響く。

 この部屋の主人である黒木正義(くろき まさよし )三十六歳(独身)の朝は早い。


 少し前に某商社の営業部部長を拝命し、更に忙しさが増した彼にとって朝の時間と言うのは以前に増してとても貴重な時間となっていた。


 いわゆる独身貴族である彼の毎日は朝の掃除から始まる。

 今日は何の予定もない正真正銘の休日なので、朝一番から掃除などする必要は無いのだが、こちらに来てから毎日続けている日課であり、ルーティーンとなっているので休日だろうと掃除をしないと何となく落ち着かないのである。

 また、一日でも掃除をサボるとサボった分の汚れが堆積し、汚れの分だけ掃除をする時間が余計に掛かって時間が勿体無いと本気で考えているタイプなので、彼としては朝の掃除を欠かすわけにはいかないのだ。


 早朝からの掃除と言う事も有り、彼の相棒はもっぱらホウキとチリトリとハタキだ。

 掃除機も新しい物が発売される度に買い替えるが、使用するのは年に二・三回程度。

 休みの日でも付き合いなどで出かける事の多い彼が、せっかく買った新商品の掃除機を活用する機会は少ない。

 だが、それ以上に毎朝ホウキやチリトリを使ってアナログに掃除する時間と言うのは嫌いではなく掃除していると言う実感を楽しんでいる。

 彼にとって掃除機は大掃除の時だけに使用するスペシャルアイテムと言う認識のようだ。


 毎日掃除をしないと気がすまないと言う話を聞く限りでは、神経質な潔癖症と言う印象を受ける彼ではあるが、決してその様な事は無く本来の彼は四角い部屋を円く掃くタイプ。

 部屋の隅や入り組んだ場所などには、こんもりとホコリが溜まっている事が多い。


 彼にとって貴重な時間を使っている割には、脇が甘いと言うか、私生活においては「やった」と言う事実だけで満足してしまう所に彼の本質が見えると言っても良いだろう。


 掃除を済ませると次に行うのは入浴だ。

 ここでも、彼の脇の甘さが発揮される。

 表面上は綺麗に掃除されている様に見える浴室だが、石鹸やシャンプーなどを置いている台の裏などには、とても表現の出来ない様な地獄が繰り広げられている。

 大掃除の時に何となく裏も掃除しておこうと見てみるとビッチリと真っ黒くてヌルヌルとしたカビの楽園となっており、思い切り飛び退いてはドアや壁に頭をぶつけると言う一連の流れは半年だか四半期だかに行われる大掃除において毎回の恒例行事となっていた。

 その度に、週に一回は掃除しようと決心するのだが、何となく忘れてしまいカビの温床に戻ると言うのはお約束だと言っても良いだろう。


 もちろん、現在入浴中の黒木正義が使用している台の裏はカビだらけである。


 入浴を終えて次に向かうのはキッチン。

 朝食を用意する前にビールで喉の渇きを潤す。

 黒木正義は、平日でも朝からノンアルコールビールを飲んでしまうくらいのビール好きだ。

 以前はそれほどビール好きではなかったのだが、最近になってキンキンに冷えたビールの味を知ってからと言うもの、風呂上がりに味わうビール類の虜となっている。


 これが無くなるなんて想像もしたくない程に。


「うーん。昼過ぎには一度出かけたいから二本目はどうかと思うが…。開けてしまおうか…。」


 今日は全くの休みと言う事も有り二本目のビールに手が伸びる。


「用事と言っても歩いて行ける範囲だ。最悪、歩けばいいさ。…と、その前に。」


 一度、出そうとしたビールを冷蔵庫に戻し、朝食の用意をする。

 朝食と言っても、もう一本アルコールの入ったビールを飲もうと決めた。

 ご飯は軽めに。

 おかずはつまみとなるものにクラスチェンジだ。


 ほうれん草とベーコンと一緒に水を切った缶詰のコーンをバターで炒めて一品。

 厚揚げを魚用グリルで焼いてパックの鰹節とチューブの生姜を薬味にして醤油をかけて一品。

 小さめの鍋に、袋に入ったカット野菜を適当にぶち込んで味噌を溶いて味噌汁を一品。


 もう一品くらい欲しい所と思うも早くビールを飲みたいと言う欲求の方が強く、ご飯をよそって手早く朝食を済ませる事にした。


 黒木正義はごはん派である。

 ビールも好きだが、米の飯と言うのも大好物なのだ。

 海外生活が長かったので人生の大半はパン食だった。

 どちらかと言うと以前は米を馬鹿にしていた所があったのだが、初めて食べたごはんが土間のお釜で炊いたごはんだった事もあり、ごはん好きとなった。

 都会で暮らす様になり電気炊飯器で炊いた米のクオリティに満足できず、パン派に戻った時期もあったが、最近になり電気炊飯器の進化や土鍋などでのガス炊きと言う方法を知り、再びごはん派に舞い戻ったのである。


「ヤバイ…。米がうますぎる…。」


 ビールをもう一本と思っていたが、思いの外に食が進む。

 ほうれん草・ベーコン・コーンにバターの組み合わせが極悪すぎた。

 風呂に入り、汗を出した後に染み込む塩分。

 脂質と糖質と炭水化物が織りなすハーモニー。

 そう。少し考えれば食が進むと分かる事なのだが、この脇の甘さが黒木正義なのだ。


 その上に、今日のお米は新米の極東小町なのである。


 えぇぇぇい!ままよ!


 ビールの誘惑は何処へ行ったのか、黒木正義はしゃもじを手に取り素早く飯を盛る。

 ツヤツヤと光る炊きたての米がお椀の中で黒木の食欲を誘う。

 そして、席に戻り、口いっぱいにそれを放り込んだ。


「はふはふ…。ヤバイ…。ヤバイ…。」


 口の中に広がる米の甘みと粘り気。

 ベーコンから溢れ出す塩味を含んだ肉汁とコーンの甘み。

 それら味を纏ったほうれん草が良いアクセントとなって口の中に広がる。


 そして、味噌汁だ。

 味噌汁と米の組み合わせもヤバイ。

 スーパーやコンビニなどで売られているカット野菜を入れただけの手抜きな味噌汁だが馬鹿にできない。

 本来は野菜炒め用として販売されているタイプの物だが、味噌汁の具として使っても優秀だ。

 キャベツやニンジンにモヤシなどが食べやすい大きさにカットされパック詰めされた野菜は短時間で味噌の味が浸透して手軽で簡単に美味く食べられる味噌汁に変貌する。

 本来なら、出汁から取って一手間かけたい所だが、だし入り味噌に顆粒のだしの素をちょい足して、野菜をぶち込んだだけの味噌汁も悪いものではない。


「はっ…!お腹いっぱい食いすぎた…。」


 少し大きめのお茶碗に山盛りのごはんが盛られていたとは言え、成人男性としては腹八分目程度の量だったが、この後にビールを飲むのかと言われると、遠慮したくなる程度には朝食が腹に溜まっていた。


 黒木正義らしいと言えば黒木正義らしいのかも知れない。

 彼は基本的に優秀だが、脇が甘かったり、のめり込み過ぎる事が有る。

 三杯目のおかわりをしなかっただけ自制心が有ったと言えるだろう。


「仕方ない。用事を先に済ませて昼から飲むか…。」


 そう。今日は休日だ。

 この世界の神ですら休んだと言われる日曜日だ。

 時間はまだ有る。急がなくてもビールは逃げないのだ。

 用事を済ませてから、ビールと一緒にゆっくりと怠惰な休日の午後を楽しめば良い。

 そう気持ちを切り替えると出かける準備を始めた。


 この十年、何も予定のない休みの日には出来るだけあいつの部屋を訪れる様にしている。


 かつて、黒木正義を親友と慕い共に笑いあったあいつの部屋に。


 あいつが戻ってくるとは思えないが、あいつがいつでも戻って来られる様に黒木正義が家賃を払い、あいつの部屋を維持していた。


 あいつは素質がありすぎた。

 興が乗って追い詰めすぎてしまった。

 もう少し調整していれば今も黒木正義に利用される良い友人だったかも知れない。

 だが、追い詰めすぎて失踪してしまった。

 上手くやっていれば、もっと搾り取れていただろう。

 夢中になりすぎると、のめり込み過ぎてしまう。

 それは、黒木正義の悪い部分で実に彼らしい部分だと言えるだろう。


「よし。出かけるか。行ってきます。」


 黒木の他に誰が居るわけでもない部屋に「いってきます」と挨拶を残して部屋を出る。

 昔の女に散々仕込まれたからか、誰が居なくとも口に出してしまう。

 いつまで引きずっているのかと黒木自身も思ってはいるが、身についた癖と言うものはなかなか抜けないものだ。


 生きると言うのは経験の積み重ねで、長年積み重ねた行動や強い思いからの行動を修正するのは難しい。


 それは、普通の人間とは随分と違う黒木正義でも同じだった。

 どんなに逃れようとしても、抜け出せない記憶や行動と修正するのが難しい。

 そう。どんな人間(・・・ )でも…。


 いや。それが神でも同じなのかも知れない。


 そんな事を何となく考えながらマンションを出る。

 少し前まで嫌になるほどの暑さだったが、今はもう秋の空気に変わり涼やかな風が心地いい。

 その風に乗って嗅いだ事の有るような懐かしい香りが鼻腔をくすぐった。


「あらあら。大枚はたいて調べてみれば、噂の実力者さんが貴方だったなんてね。実に運命的だわ。黒木さん。」


 マンションを出た所で不意に美しい女子高生に声をかけられる。

 日本人形の様に腰まで伸びた黒髪に、赤みがかった瞳。

 透けるような白い肌と、幼さを残しながらも整った顔立ち。

 控え目な胸と、華奢な体を包み込むブレザーの制服。

 それは確か隣街の高校の制服だと記憶している。


 幼さを残しつつ、妖艶な雰囲気を持った少女。

 普通の人間が見たら魅了される様な雰囲気を持った少女。


 だが、その少女には見覚えがあった。


「ほぉ。貴様。チヨか。久しいな。まだ生きていたとは。」


 相手を判別すると黒木正義は素早く人払いの結界を展開する。

 その様子を見て少女がケタケタと笑い出す。


「…クックック。いやいや。笑ってごめんなさい。私を覚えているのも驚きだったのもあるけど。あなたのその慎重さ。百年前とあまりにも変わらないものだから。私とお姉さまを弄んだあの頃と本当に変わらないのね。あなたは。アハハハハ!」


 黒木を馬鹿にしている訳ではないだろうが、裏返った彼女の特性なのだろう。

 人を小馬鹿にする小鬼。

 それが今のチヨだと言う事だ。


 ただ、それだけでは無いのだろう。

 明らかに気持ちが高揚しているのだと言う事が分かる。

 狂気を孕んだ笑い声がそう告げている。

 最初に目にした美少女と言う印象は跡形もない。

 そこに有るのは醜悪な狂った小鬼としてのチヨの姿だった。


 人間でも同じだが狂った小者ほど厄介な者はない。

 どんなに金を使っても黒木の真の姿にたどり着くのは困難である。

 それにたどり着いただけでも狂っていると言っても過言ではない。

 黒木は早々に小者を処理をして追い返してしまうのが得策だと判断した。

 何かしらの面倒事に巻き込まれる可能性はあったが、黒木なら小者が持ってきた面倒事くらい簡単に処理出来るだろうと言う判断であった。


「で?手間をかけて俺を探したのは昔話をする為ではあるまい。何が望みだ?」


 黒木の問いにチヨの笑い声が止まる。

 チヨが狂っているのは確かだが、本来の目的を思い出せば落ち着くだろうと言う事を黒木は分かっていた。

 黒木を殺しに来たなら、出会い頭に攻撃されていただろうし、黒木だと分かった瞬間に攻撃してきただろう。

 つまり、黒木以上の目的が有り、ここまでたどり着いたのだから、本来の目的を思い出させてやれば良いだけである。


「あぁ。そうだったわ。そうだったわー。あんたの顔を見て殺したすぎてテンション上がりすぎたわー。本題の方が重要だったわー。じゃあ本題ね。なんつーか?私らの様な裏返りじゃ分からない事があってさー。この辺りの実力者を探してたら~、あんたに行き着いたんだけど~。これも何かの縁だから私に協力するなら私とお姉さまを弄んだ事はチャラにしてあげても良いわ! まあ、協力した方がお得よね! あんたの正体を売ったりとかしたら殺されそうだからそんな事を取引材料にしないけどさー。 多分、あんな物は滅多に見られないんだから! あんたにとってもこの件に関わっておいた方がお得だと思うんだよねー。あんたが悪魔だかその子孫だか魔族だか知らないけどさー。私ら裏返りだけでは理解できない事象なんてあんたらの領分でしょ? でね!その事象ってのが、とんでもない高純度の魔力の痕跡と高度な魔法陣が普通の女子高生の家に現れて、その女子高生が消失したって言ったら興味湧かないかなー?私としては私の餌がいきなり消えて困ってるんだよー。たすけてよー!まさえもーん!!」


 少し正気を取り戻した様に見えるチヨがまくし立てる様に話しきった。

 人間の頃から面倒な娘だったが色々と輪をかけて面倒さが増した気がする。


 つまり、話を要約すると「魔力を確保するために狙ってた(女子高生)が濃い魔力の匂いと高度な魔法陣を残して、謎の失踪をしたから調査して欲しい」と言う事らしい。


 ダラダラと喋らずに要点だけ言えば良いものをとも思ったが、チヨが持ってきた話は少なからず黒木の興味を引く物であった。


 この世界の魔力やそれを利用した魔術は神代の頃より衰退の一途を辿っている。

 マナが循環しないこの世界では魔術や魔法を使おうと思うと低レベルな物でも至難の業だ。

 この世界の管理を行っていた神々が引き上げる前の神代の時代なら簡単だった魔術や魔法も現在では準備だけで一仕事。

 中世の頃ぐらいまでは、現在に比べて簡単な準備で人間でも使えた技術だったが、産業革命以降の科学技術が発達した現在ではマナの減退に加えて人間が本来持っていた魔法や魔術を扱う能力自体が低下している。

 今となっては人間の影響を受けて、魔の者でも人間のドロドロした感情や希少元素を材料としコツコツと準備を重ねなければ、その技術を使えないと言うのが現状である。


 魔の者としてはレベルの低い裏返りだとは言え、チヨは人間に比べれば魔術や魔法や怪異などに対して普段から慣れ親しんでいると言える。

 人間が「それ」を行ったのかそうでないかの判断くらいはつくだろう。


 そのチヨが、どんな方法を使ったのかは知らないが普通なら魔族や悪魔でも辿り着けない程の偽装を行って普通の人間として暮らしている黒木を見つけ出してでも、失踪した人間の家に残された「濃い魔力の匂い」や「高度な魔法陣」について解明をしたいと言うのだから余程の事なのだろう。


『濃い魔力の匂いに高度な魔法陣を残しての失踪か…。何か関係があるのか…。』


 黒木には思い当たるフシが有った。

 継続的に黒木に負の感情を供給していた「あいつ」が消えた状況と少し似ていたのだ。


 十年前のあの日。

 チヨが言う様な「濃い魔力の匂い」や「高度な魔法陣」などは無かったが、何の痕跡も無く「あいつ」は失踪した。

 いや。消失したと言う方が正しいだろう。


 鈴が付けられた「あいつ」が逃げ出そうものなら、一定のエリアから出た段階で鳴る様に魔術がかけられていた。

 それは、獲物へのマーキングと逃さないための仕組みとして、この地球に生息する魔族や悪魔など魔の者が行うポピュラーな仕組みだ。

 チヨも獲物に鈴くらいは付けて居ただろう。

 ゆえに消失したなんて言い回しを使ったに違いない。


 あいつの場合は「濃い魔力の匂い」や「高度な魔法陣」などは残されていなかったが、それを除けば「獲物が消失した」と言う状況は合致する部分が大きいと言える。


『チヨから詳しく事情を聞くのには手間がかかりそうだが、見ておく分には損はないか…。』


 無下に断り粘着されるリクスも合わせて考えると、チヨが持ってきた話に付き合うくらいは問題無いだろうと判断した黒木はいくつかの条件と共に了承する事にした。


「良いだろう。ここまで辿り着いた褒美も兼ねて一ヶ月程度を期間として調査に協力しよう。ただし。この件が終わった以降に私と関わらない事、何の成果も得られなかった場合でも、それで納得する事、契約後は私の正体に関して一切流布しない事、これらに関して契約するように。違反しようとした場合には度合いによって血が止まったり口が封じられたりなどの行動制限が発動し最悪の場合は生きたまま死に至る。契約内容はそれで良いな?」


 と、言い終わると黒木は右手の小指の第一関節と第二関節の真ん中を、魔力で鋭利な刃物となった左手の小指で少し血が滲む程度に切ってチヨに差し出した。


 チヨはニヤリと笑うと、同じように左手の小指で右手の小指の腹を少し血が滲む程度に切って指切りをする。


 黒木とチヨの結ばれた右小指の血が魔法陣を形成し赤黒く光って消える。

 黒木とチヨの契約は成立した。


「よし。契約成立だ。俺はこれから用事がある。詳細はメールで送っておけ。現地には…。そうだな。来週の水曜日の十八時以降で時間を作ろう。段取りは任せた。」


 と、言うと黒木はCyborgのスマートフォンを差し出した。


「あー!アドレス交換ね!へっへー。私もやっと手に入れたんだー♪ケータイ!ジャジャーン!AKICOのJzOrz TYPE-M!!この赤色がエロくて素敵でしょ!?はい!準備おっけー!!赤外線送って良いよ!!」


 チヨが嬉々として取り出したのは、まさかのガラケー「JzOrz TYPE-M」だった。

 確かに「JzOrz TYPE-M」は名機と言っても過言ではない機種である。


 AKICOが携帯開発から撤退してからと言うもの、kyoPhoneがコンセプトを引き継ぎ、後継機種をスマートフォンで発売しているが、デザインは元よりアプリやUIデザインなど細部までこだわっている様な感じは受けず「なんちゃってJzOrz後継機」の様に見える分、チヨに差し出された「JzOrz TYPE-M」は輝いて見えた。


 だが…。


「お前、その格好から察するに女子高生に紛れて生きているんだよな。そんな携帯で大丈夫なのか?」


 そう。「JzOrz TYPE-M」は女子高生が持つような機種ではなかった。

 ましてや、このスマートフォン最盛期に約十年前のガラケーを嬉しそうに差し出して赤外線通信をしようとするチヨに黒木はとまどいを禁じ得なかった。


「えー?なんでさー?最新機種だってば!私もさー暇じゃないから早く赤外線通信しよ☆」


 何とも嬉しそうに「JzOrz TYPE-M」を最新機種と言い、赤外線通信を要求するチヨに黒木は目頭が熱くなった。


 チヨが裏返って約百年。

 外見は女子高生だが、中身はきっとあの頃とあまり変わっていないのだろう。

 時代に合わせて外見を模倣する事は出来るだろうが、中身や本質を対応させると言うのは難しいものである。

 流行や話し言葉の真似は出来るだろうが、小鬼程度のチヨの中身は多くのご老人と大差ないのかも知れない。


「仕方がない。俺のアドレスを手打ちで登録してやる。携帯を貸せ。」


 確か「JzOrz TYPE-M」でもQRコードを読み込めたと記憶しているが、QRコードと言ってもチヨには分からないだろうと黒木は判断をして携帯を要求した。


「えー!?赤外線通信はー!?」


 余程、赤外線通信がしたかったのか、ほっぺ膨らましチヨが抗議しながら携帯を差し出した。


「残念なお知らせだが、赤外線通信は衰退の一途を辿っている。そのうち無くなる。この携帯も数年のうちに使えなくなるかも知れんからスマートフォンに変えるんだな。」


 そう伝えると余程ショックだったのかチヨは膝から崩れ落ちた。

 そして「スマホ怖いスマホ怖いスマホ怖い」とブツブツと呟いている。


 こうして見ているとあの頃のままだなと昔を思い出し懐かしさを感じる。

 新しい物が少し苦手で、保守的で、嫉妬深くて、狭いコミュニティを好み、気を許した相手には思い切り甘えて依存するネコの様な性格のチヨ。

 故に裏返ったと言っても、愛すべき小娘だった。


 懐かしさに思いを馳せるのも悪くはないが、貴重な休日をこれ以上無駄にする訳にはいかないと、チヨの携帯電話のアドレス帳を開き黒木は驚愕する。


────────────

【がっこう】

【いたみたえこ】

【いたみたえこ(いえ)】

【いたみたえこ(はは)】

────────────


 四件。

 四件。だった。

 百件以上登録出来るアドレス帳に四件。

 しかも、その半分以上が同一人物で占められていた。


 自分の事では無いのに目頭が熱くなる。

 親友だろうと何だろうと死ぬまで追い込める黒木の目から涙が溢れ出した。


『くっ。俺も歳を取ったと言う事か。この程度で。いや。でも、この不意打ちは卑怯だろ。』


 同時に笑いも込み上げてきそうになったが、それ以上に昔の愛らしさを覗かせるチヨの現在を思うと不憫でならなかった。


「ほら。俺のアドレスは登録しておいた。確認でメールを送ってみろ。」


 黒木は冷静さを取り戻し、溢れる涙をこらえて高速でメールアドレスと携帯の電話番号を登録するとチヨに携帯を返す。


「やったー!まさにぃのアドレスゲットー!」


 たかだかアドレスくらいで無邪気に喜ぶチヨを正面から見られない。

 裏返った事と予期せず懐かしい黒木に出会った事で精神的に不安定になっているだけなのだと理解出来るが、子供返りしているチヨを黒木はまともに見られなかった。

 そして、辿々しく一生懸命にメールを打つチヨを見ていると、とても切なくなった。


 ポーン。

 メールの着信音は響く。


~~~~~~~~~


 ぁ ー⊂″れす  ぁ 丶) カゞ ー⊂ ぅ


 < ゎ ι < レよ ぁ ー⊂ τ″れ ω ら < す ゑ ね


~~~~~~~~~


 黒木は膝から崩れ落ちた。

 まさかのギャル文字だった。

 自分が会社員として生活をしているからではなく、既に失われた物だと思っていた黒木に大ダメージを与える。


「チヨ。その書き方も既に…。いや。おっさんの俺には読みにくいから俺にメールを送る時には普通に書いてくれ。」


 これまでの流れを鑑みると、これもチヨなりの女子高生っぽさなのかも知れないが十年程の感覚のズレが有るらしい。

 チヨなりに頑張った結果だと思うが、さすがにこれに付き合う気にはなれなかった。

 多分、俺以外のメールを送る機会は無いだろう。

 ギャル文字が過去の物だとわざわざ伝える必要も無いだろう。


「えー!?こんなのも読めないの~!?仕方ないなぁ~。普通に書いてあげるよー♪」


 黒木にメールで勝ったと思ったのか上機嫌でチヨは了承した。


 チャララーチャラララララーチャララー。

 チヨのメール着信音なのか時代劇のテーマ曲が鳴り響く。


~~~~~~~~~


 受信確認メール。

 悪いがそうしてくれ。頼んだ。

 では、来週の水曜日の十八時以降に。

 時間が確定したらメールで知らせる。

 遅くとも十九時までに時間を作る。


~~~~~~~~~


 返信された黒木のメールを嬉しそうに眺めながらチヨがクルクルと回る。

 こうやって見ると普通の少し頭の足りない女子高生に見える。

 多分、これはチヨの本質ではないだろうが微笑ましく見えた。


 懐かしかろうが、不憫だろろうが、この件が終わった以降もチヨとの関係を継続する気など全く無いが、長く生きてきた黒木の人生の中でもチヨとの再開は、なかなか面白い体験だと感じて楽しんでいた。

 自分が陥れ、餌として全てを吸い尽くした相手と再び対峙する事は非常に稀である。

 少なくとも黒木がこちらに来てからは初めての出来事だった。


「じゃあ!あとでメール送るから!あと水曜日の十八時位で段取りしておくねー!」


 目的は充分果たせたのだろう。

 チヨは軽い足取りで結界外に出ようと走り出す。

 その顔は、数十分前に黒木と対峙した物とは違い女子高生らしい笑顔だった。


「あっ!そうだ!!」


 言い忘れた事でも有ったのか結界の間際で止まると、スカートをはためかせクルリと黒木の居る方に体を向けて告げる。


「今はわたし「糸氏 樹々(いとうじ じゅじゅ )」と名乗ってるわ!!ご老体の頭で覚えていられるなら覚えておいてねー!!」


 実に楽しそうに糸氏 樹々は「今」の名前を告げる。

 その笑顔は普段の彼女の顔とは違い、普通の十七歳の少女のものだった。

どうも。となりの新兵ちゃんです。


はい。EXストーリーにて新キャラ登場です。

いつか本編にも絡ませたい糸氏樹々さんが、伊丹妙子の消失を調べる為に探し当てた魔の者の実力者の一人である黒木正義さん。多分、この人もそのうち本編にぶち込まれそうな気がしますね。


ちなみに結構長生きで元々は欧州辺りから流れ流れて、この国へ来たそうです。

「最近」とか「昔は」とか言ってもスパンが違うので、最近ビール好きになったってのは冷蔵庫が一般的に普及した頃だったり、昔土間のおかまで食べたご飯と言うのはそれこそ百年前くらいの話だったりします。

結構、時間感覚が違いそうです。


黒木さんを今後どの様に絡ませるかは未定です。

そこそこ重要な位置を担ってもらいたい所ですが、この人もポンコツっぽいので、どうなる事やら。


ポンコツと言えば今回の糸氏樹々さんは様子がおかしかったですね。

その少し詳しい理由は次回アップ分のEX-1.2にて書きます。

それを仕上げて「其之ニ」は〆となります。


なお、EXのナンバリングは【登場人物→EX-1.1←話数】となっていて、バージョンが下がったとかじゃないのでご注意ください。

少し気持ち悪い感じはしますけど。


と、言う事で今回もお付き合い頂きありがとうございました。

それでは、またいつか。

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