『真実の貌』15
エーデルワイスを取り逃がした結果、表社会に甚大な被害を齎すというかつてない大事件を引き起こした元凶でありながらリンドウは、相も変わらずの飄々とした態度でクル・ヌ・ギア本部に舞い戻っていた。目的は切れかかっているMADの補充。無論、この間にも部下の魔法少女たちをこき使い、エーデルワイスの捜索は続行している。時々無線機を通じて寄越される経過報告に生返事で応え、緊迫する相手の様子と自分との落差にほくそ笑みながら、悠々とMADを静脈注射する。状況が悪化すればするほど、リンドウは愉快に思った。
リンドウは映画を好む。何故そうなったのか、それがいつからだったかは思い出せない。今までに観てきた映画も、多くは内容を忘れてしまった。ただ、近似した場面を前にすると、なんとなくの感触だけは蘇る。今の状況はきっと、ディザスター物かクライムサスペンス。大事件発生後の混乱が波及していく場面。高まった緊張感が破裂し、その余波を受けて無数の時限爆弾が起動していくような、次なる大事件へと繋がるフェイズ。夜が明ければきっと次々に二次被害が連鎖していくのだろう。そうなれば最早収まりがつかない。災禍は急速に拡大し、知らん振りをしていた無垢なる人々をも巻き込んで、血の雨をまき散らすのだ。
例え失態の責を追われたとしても、そんなことはどうだっていい。リンドウはどんな事態も俯瞰し、遊興としてしまう。その為なら自分自身すら駒として厭わない。根っからのエンターテイナー、あるいは道化師だと自負している。想定外のアクシデントが重なり失敗を犯してしまったことは確かだが、むしろそれで良かったとすら思えた。
今もどこかで誰かが死に、悲劇が起きている。そこにはドラマが生まれ、無数の人生と交差して壮大な群像劇を織り成している。人間に知性が芽生えた時から、そんな営みが絶えず繰り返され、何万年にもかけて一大巨編を展開しているのだ。嗚呼、この世界のなんと祝福されしことか。世界はエンターテイメントに満ちている。
恍惚に浸りながら、ふと一人の少女のことを思い出す。イヴァナ。フルネームはたしか、イヴァナ・エランティス。苦悶する顔が麗しく、淫猥で、愛おしい。リンドウにとって今最も興味深い少女だ。彼女は今回、作戦に参加させられず本部の自室に軟禁されている。コリウスへの執着が強いことを懸念し、エレシュキガルから待機命令を下されていた。その判断は正しかったと思う。コリウスが負傷した時、あの場に居合わせたとしたら、彼女は間違いなく作戦を妨害してでもコリウスを護ろうとしただろう。だが、寵愛するコリウスが目の前で傷付くさまを見せつけられたイヴァナがどんな顔をするのかと考えると、それもまた見てみたかった気がする。
度重なる過酷な調整を受けて自我を喪失しかけているあの“人形”如きに、イヴァナはひどく執心している。二人の交友はどうやらコリウスの調整がまだ初期段階にあったころから始まっているらしい。リンドウは、イヴァナを惹き付けるコリウスの存在が邪魔で仕方なかった。世界を俯瞰視して面白がることしか出来なかったリンドウが、初めて魅入られた単一の人物。初恋の相手と言っても差し支えない存在。その少女にとって最も重大な存在が、自分ではなく壊れかけの“人形”であるという事実に、耐えきれなかった。恐らく生まれて初めて覚えたであろう独占欲を阻害されたのだから。
コリウスのことを考えるたび、胃のあたりがむかむかする。出来ることならばすぐにでも殺してしまいたい。だが混乱を呼び込むための駒としては、この上なく優れた存在であることも確かだ。殺すわけにはいかない。それに今では気持ちの折り合いのつけ方も習熟していた。彼女を甚振ることで、イヴァナは最高の表情を見せてくれる。イヴァナを愛でるために用意された玩具と考えれば、それもまた貴重だ。
余興として今日起きた出来事を知らせてやろう。右胸に深々とクナイを刺され倒れたコリウスのさまを、持ちうる限りの語彙を駆使して臨場感たっぷりに聞かせてやるのだ。
部屋の主たるエレシュキガルが不在の会長室を後にし、監獄のような生活スペースへと進む。窓の代わりに檻を設けられた個室の数々は右も左ももぬけの殻で、作戦に駆り出された魔法少女の圧倒的な人数を改めて実感させる。だが決して全員が参加しているわけではない。イヴァナの監視役として三人の魔法少女が残されているはずだ。見渡すかぎり何処にも彼女らの姿は見当たらないが、職務を怠慢しているのだろうか。
やがて突き当りの個室の前にまで辿り着き、いよいよ静けさが訝しく思えてくる。
イヴァナの奴、脱走したか――――リンドウは直感的に悟った。
扉を開くと、果たして三人の魔法少女が血を流し倒れていた。確認するまでもなく絶命していると分かる。猛烈な殺意の残り香が雄弁に語っていた。そしてそれと同質の殺気が背後より鮮烈に漂ってくる。振り向く先にイヴァナの姿はあった。
全身から溢れ出る濃密な闘気。強大な魔力。昨晩とは比にならない生気が今のイヴァナにはある。MADの過剰投与だとすぐに解った。
「イヴァナちん、もしかしテMADを勝手ニ持ち出しちゃっタ? いいのカナ? いいのカナ? これって紛れモない横領だヨ?」
「知ったことじゃないわ。コリウスはどこにいる……言え」
「シッタコトジャナイワーッ。どうカナ? 似てたカナ?」あえて口調を真似て返答し挑発する。だがリンドウの思惑は外れ、イヴァナは毛ほども気にしていない様子だ。よほどコリウスのことが気掛かりなのだろう。
「お前が知らない訳がないわ。疑似エーデルワイスの運用を前提とした作戦だ。コリウスは実働部隊を指揮するお前の手の内にある」
生来の適性を見出され、“世界の理”と自らとを繋ぐ術的感応領域の拡張と、霊魂の強引な書き換えを施され、疑似エーデルワイスへと改造された少女。それがコリウスだ。最終調整を終えた彼女は今、事実上エーデルワイスと同質の存在となっている。
エレシュキガルの目的は、コリウスにエーデルワイスを取り込ませ、より強大な災厄をもたらすことらしい。最終目標の具体的なビジョンまでは側近たるリンドウですら聞き及んでいないが、結果として起きうる事態の大まかな予想はつく。混沌を好むリンドウにとっては飛びつかない理由がない話だ。
今回の作戦――オペレーション・ドゥムジッドのために各魔法少女組織へ内通者を潜り込ませ、在籍する魔法少女と拉致した少女たちとを照合し、エーデルワイスの特定を急いだ。長い時間と共に仕込み続けてきた計画なのだ。いかに最愛のイヴァナであっても、妨害を許すわけにはいかない。
「教えてあげルと思ウ? イヴァナちんト違っテ、ボクハそこまで馬鹿じゃなイんだよネ~!」
言い終えるが早いかイヴァナの放つ正拳突きを回避する。尋常ならざる殺気が放たれていたおかげですぐに反応できたが、一瞬遅れていればリンドウの頭は消し飛んでいただろう。リンドウの知る限りでもかつてないほどイヴァナの拳は速く、桁外れの殺傷力を帯びていた。気がつくと彼女は既に魔法衣を纏っている。膂力と機動性の強化魔術――――それも後先を考えていない馬鹿げたレベルの行使だ。
慌ててこちらも魔法を最大行使する。リンドウが持つ固有魔法の効果は、任意の対象の心身を自由に操るというもの。あらゆる他者を駒として“演出”する、そんなリンドウの性質に起因する効果だ。これを用いれば大抵の相手を戦闘不能にできるし、自害させることすらも容易だ。気に入った相手ほど苦痛を味わわせたい性分のリンドウとしてはあまり進んで使いたくない能力ではあるが、そんな贅沢を言っていられる場合でもない。
戦闘態勢の解除。即座に与えたその指示を、しかしイヴァナはあっけなく無視して足刀蹴りを繰り出してくる。これも回避し、改めて感覚を研ぎ澄ませる。魔法衣によって強化されているはずの身体に、奇妙な不全感。最大行使したはずの魔法が機能しなかったという事実。魔法が無力化されていることは疑いようもない。
事ここに至ってようやくリンドウは思い出した。イヴァナの魔法が、自身を中心として術式不干渉結界を展開するものだったことを。ただでさえ厄介なその能力は、MADによって更なるブーストを受けている。一定のリーチ内に留まる限り、あらゆる異能の力は完全に封じられたままだろう。さりとて後退しようにも背後はイヴァナの個室。退路を断たれた袋小路だ。
普段ならば戦闘技能においてリンドウがイヴァナに後れを取ることはない。格闘戦に持ち込めば難なく捻じ伏せることができる相手だ。しかし今は互いの身体能力に埋めがたい溝がある。技量の差を押し退け得る圧倒的パワーとスピードに対して、こちらはまったくの丸腰。正面からぶつかって勝てる見込みは限りなく薄い。
リンドウは早々に構えを解き、交渉を持ち掛けた。
「OK、OK! ボクの負けだヨ。降参。仕方なイから教えテあげル!」
「早く言いなさい」
「エーデルワイスを確保するたメのイシュタル本部の襲撃デ……イシュタル本部は新妃谷市ニあルかラ…………ボクが指揮してル部隊ハ新妃谷市ノどこかにいル。これハ分かるかナ?」
挑発交じりに会話を引き延ばしながら、身振り手振りでアピールし、意識を上半身へ集中させる。その一方で下半身は少しずつ後ずさり、術式不干渉結界の境目を探る。肩をすくめるようにして半歩。相手を指さすポーズをとり更にもう半歩。
リンドウの見立てでは、イヴァナが展開するフィールドは、強化することで射程範囲が変動するタイプの魔法ではない。
瞬間的に行使される“魔術”と違い、魔法少女の“魔法”は契約が続く限り半永久的に機能し続ける。発動するものではなく、強弱を操るものだ。そして一口に強弱と言っても、射程範囲が変動するものと、効力が変動するものの二種類に大別される。
リンドウはついさっきMADを摂取し、術的強化の施された無線機を使ったばかりだ。いずれも異能の力ありきの代物だが、機能に支障は見られなかった。これほどのMADを過剰投与した上で、もしイヴァナの魔法が射程範囲を変動するタイプだったとしたら、少なくともクル・ヌ・ギア本部全体が覆われていてもおかしくはないだろう。つまりイヴァナの魔法は効力に変動を来すタイプと見るべきだ。
「ソこでエーデルワイスを取り逃がシちゃッたかラ……部隊ハ今、散り散りニなってル。報告だト川に落とさレちゃッタらしいかラ……主に川の下流ヲ探させテテ、位置的にハ北東の辺りだネ」
ほどなくして指先に電流が走るような感触を受ける。指の第二関節から先に僅かだが充足感。フィールドの境目だ。半径にして約2メートルといったところ。決して広くはない。それさえ解ってしまえば、窮地を脱する手立てもある。
「部隊ノ構成員はエーデルワイスにいっぱイ殺されちゃッたかラ、捜索班自体モ少ないんダ。全部デ三班。ボクもそろそろ捜索ニ参加しないト怒られちゃうンだよネ…………!!」
フィールドから飛び退き、すかさず魔術を行使する。反応したイヴァナの追撃よりもリンドウの魔術のほうが一手早い。室内に積まれた物言わぬ三つの肉塊を操り人形とし、一斉にイヴァナへと飛びつかせた。
土くれを死体で代用したゴーレム使役術。リンドウの得意分野だ。以前、瀬川恭参を殺害した際にイヴァナを援護したゴーレムもリンドウが使役したものだった。複数の使役は当然のこと、精密動作や複雑な立ち回りも彼女にとっては赤子の手を捻るより容易い。そして死者を冒涜することにも罪悪感は一切ない。元より皆、駒に過ぎないのだから。
使役する死者のうち一体目はイヴァナ渾身の正拳を受けて跡形もなく爆散する。術式不干渉結界に入った時点ですぐまた操作を受け付けなくなるため、文字通りの捨て駒となる結果に終わった。だがそれは目論見通りだ。二体目・三体目は飛び散る肉片を盾に、意表を突いた軌道――――イヴァナの足元めがけて襲い掛かる。
はじめに前へ出ている方の脚に圧し掛かる。パンチを繰り出す際に踏み込む脚、すなわち体重の乗った“軸”となる脚だ。いかに反応が早くとも、軸足から即座に蹴りを放つことは難しい。脚に絡みつく重さ約四~五〇キロほどの人体を振り払おうとすれば、次に出るのは自然と反対側の脚になるだろう。そこで最後の一体がイヴァナの腰へと飛びつく。軸足を取られ、腰に衝撃を受けたイヴァナは体勢を崩し、仰向けに倒れてしまった。そうして出来た一瞬の隙を見計らい、死体ごとイヴァナを踏みつけにしてリンドウは部屋を飛び出す。
「イヴァナちんはクル・ヌ・ギアを裏切ッチゃうんだネ。寂しいナァー。次ハ正々堂々勝負しようヨ!」
挑発を吐くなり、出口を目指して颯爽と駆け抜ける。背後からイヴァナの怒号が聞こえてきたが、脇目もふらず走り続けた。
内心、今回ばかりは殺されていたかもしれないと思った。しかしここぞという所でやはりイヴァナは詰めが甘い。それ故に彼女がリンドウに勝つことは決して有り得ない。リンドウは生きたい。生きて、より多くの人々の悲劇を演出したい。だからどんな窮地にあっても生き延びることを諦めない。“人形”如きのために命を投げ打つような安い意志に敗れはしないのだ。
災禍は広がり続ける。多くの人々が嘆き、悶え、死にゆく。生ける者もまた悲劇を繰り返す。それを見届け、操ることが今のリンドウにはできる。そんなリンドウの生殺与奪を決定できるのはリンドウ自身に他ならない。如何に愛する人であっても、イヴァナにそれを決定することはできないのだ。
暗く湿ったトンネルを抜け、寂れた裏路地に出る。リンドウを見下ろす曇天の夜空は、新たな悲劇の訪れを知らせるように白み始めていた。
魔法少女ヒギリ×シルヴィア『真実の貌』 終