プロローグ
[オクトーブル社・会議室/午後15時]
ミーティングが終わり、資料を片付けていると背後から、控えめな声がした。
「あの……すみません……」
振り返ると、小柄で少し幼い顔立ちの女性が立っていた。
緊張しているのか、両手を胸の前で重ねている。
「あの……如月さん……如月……環さん、ですよね?」
「え? あ、はい……そうですけど……」
「あ、よかった……」
ほっと息をついたあと、彼女は深く頭を下げた。
「私、立原美玖といいます。ここの事務職の派遣で……名刺がなくて……すみません」
「あ、いえ……大丈夫ですよ。立原さん……わたしに、何か……?」
「その……突然すみません……私、子どものころ、児童保護施設で育っていて……その時、よく一緒に遊んでくれた年上の方がいたんです」
言葉を探すように、一度視線を落とす。
「その方に……とても、よく似ていて……違いますよね……名字も違いますし……でも、雰囲気が……」
「え……?」
「……あ、すみません。変なこと言って……本当に失礼しました」
美玖は、また深く頭を下げ、立ち去ろうとした。
「あ、待って……」
自分の口から、自然に言葉がこぼれていた。
「もしかして……美玖ちゃん?」
美玖が、はっと顔を上げる。
「……え?あ、はい……美玖、です!」
「ごめんなさい……すぐに気づかなくて……」
「いえ……!私こそ、突然声をかけてしまって……」
「ううん……ありがとう。覚えててくれて……うれしい」
美玖の表情が、ぱっと明るくなる。
「はい……!会議中、環さんが気になって……内容、ほとんど覚えてないくらいで……」
「ふふ……それは困りましたね」
少し近づいた美玖が、小さな声で言った。
「あの……環さん……ご結婚、されたんですか? あちらの……すっごく、かっこいい方と……」
「え? あ、はい……結婚しました」
環はそう言って、少し離れた場所に立つ柊を見る。
視線に気づいた柊が、微笑んだ。
「環? どうした?」
「あ、柊……こちら、立原美玖さん。子どものころ、同じ施設にいて……わたしを覚えていてくれたんです」
「あ、た、立原美玖と申します……すみません、長く呼び止めてしまって……」
「いえ。如月柊です。はじめまして」
「あ、は、はじめまして……」
「どうしたんですか〜?」
「あ、凪くん」
「環さん、お知り合いですか?」
「はい……子どものころ、同じ施設にいた立原美玖さんです」
「へぇ〜……すごい偶然ですね。あ、はじめまして。僕、凪陽翔です」
「は、はじめまして……立原美玖です。よろしくお願いします」
「美玖さんも、このプロジェクトのメンバーなんですか?」
「はい……一応……派遣なので、資料作成とか雑用が中心ですけど……」
「それなら、またお会いできますね」
一瞬、迷うように視線を伏せてから、美玖は言った。
「……でも、今回は顔合わせだけって言われていて……今後のミーティングには出ないと思います」
「そうなんですね……」
美玖は、環の名刺を見つめた。
「あの……何かあったら……ここに、連絡してもいいですか?」
「はい……ぜひ」
「……ありがとうございます」
深く頭を下げ、美玖は会議室を後にした。
その後ろ姿を見つめながら、環の胸が、きゅっと締めつけられた。
理由は、わからない。
懐かしさなのか、うれしさなのか、それとも……別の、何かなのか。
「環?」
柊が、そっと肩に手を置く。
「気になること、あったか?」
「……うん……なんだか……胸が、きゅっとして……いいことなのか……イヤなことなのか……よく、わからなくて……」
「……そうか」
「何もないといいですね〜」
|凪の明るい声が、少しだけ空気を和らげる。
「……そうだな」
「……はい」
環の胸に残る、説明のつかない“きゅっ”が当たらないことを願いながら3人は会議室を後にした。




