蛍の丘 9
静けさの中から、ふわ・・・ふわ・・・。
あちらこちらで黄緑色の小さな点滅が。
最初は遠くで光っていたものが、いつしか近くでも。
これは・・・蛍?
フィーアは光を追うように首を動かす。
「お前の髪にも、とまっているぞ」
「ご主人様の髪にも」
手を伸ばすと、フワリと指の間から飛んで行ってしまう。
蛍については書物で読んだことはあったけれど、実物を見るのは初めてだった。
こんなに美しく、不思議な生き物がいるなんて。
フィーアは感激していた。
ぼぅっと闇に浮かび上がる光は幻想的で、光っては消えてを繰り返している。
そこは見事なまでの蛍の丘だった。
「ここの蛍は、陸生蛍と言う種類らしい」
小声でエルンストが教えてくれた。
川がなくても生きていける蛍のようだ。
「ここは俺の秘密の場所だ」
少年のような顔になる。
「幼いころ、母に連れてきてもらった。俺は夏が嫌いだが、蛍は好きだ」
「はい」
「俺は女を愛せない」
「ヘレナさんから聞きました」
「・・・俺は女を愛せないのではなく、愛さないようにしていた。それが本心だ」
幼い頃に母親を亡くした衝撃と悲しみもそうだったが、エルンストをそうさせたのは——。
「母は、父を裏切っていた。俺は不義で生まれた子だ」
「!!」
「それを知ったのは、俺が六歳くらいの頃だ。心に大きなヒビが入るのが分かった。悲しくて苦しくて母を激しく憎んだ。それ以来、俺は女を信用できなくなった」
それに——とエルンストは続ける。
自分はべーゼンドルフ家の正当な後継ぎではない。弟も死んでしまった。
自分の代でこの名家を終わらせてもいいのではないか。きっと、先祖たちもそれを望んでいる。母が犯したことは、それくらい罪深い。
と話してくれたのだった。
「だから俺は結婚などしないのだ」
エルンストの話を静かに聞いていたフィーアだったが、ここでなにか言ったところで、エルンストの心には響かないだろう。
そう思いフィーアは黙っていた。
時折二人の間を抜ける風は、草原の草を揺らし、フィーアの髪を揺らし、エルンストの軍服の飾緒を揺らした。
「自分勝手だと思っている」
そう前置きしてエルンストは薄くかたちのいい唇を動かした。
「俺の未来は独りで歩いていくと決めていた。だが・・・」
エルンストの長い指が、フィーアの頬に触れた。そして、瞳から零れ落ちる涙の雫をそっと拭いた。
「お前はいつも泣いてばかりいるな」
伏し目がちなフィーアをのぞき込むように、エルンストはフィーアの顎をくっと持ち上げた。
ドクドクと心臓が早鐘を打つ。
エルンストの瞳に吸い込まれそうだった。
「俺たちは神の前で生涯の愛を誓えない。けれど、形式なんてどうでもいいと思う」
徐々に熱くなる体。
きっと後悔はしない。だからエルンストに身をゆだねた。
「フィーア」
エルンストが優しく呟くと、その唇はフィーアのそれに重なった。
やわらかい触感がフィーアに伝わる。
フィーアの唇を確かめるよに、何度も何度もついては離れる。
「お前の本心を知りたい」
そうささやく。
フィーアはゆっくりと言葉をつむいだ。
「奴隷に身を落とした時から、誰かを愛し、愛されることなど無いと思っておりました。ご主人様・・・エルンスト様を愛しています」
フィーアは熱い胸のうちを吐き出すように答えた。
蛍は二人の周りで淡い光を放っている。
「求めるものはただひとつ。お前の心だ」
ご主人様の求めるものは、体なんかじゃない。
失われることのない、真実の愛。
それを知ることができて、フィーアのグレーの瞳はさらに濡れた。
「俺を孤独から解放してくれ」
フィーアの温かい手はエルンストの頬を包んでいた。エルンストの大きな手がそこに重なる。
「お前を、蛍の海で溺れさせてもいいか」
今度はフィーアがエルンストの唇へ自らのそれを重ねた。
エルンストは静かにフィーアを草の上に横たえる。
指と指をからめると、時間を忘れたように長い長い口づけを交わした。
蛍の光が消えるまで。




