蛍の丘 5
迷路のような城の回廊をいくつも曲がった先に皇帝の執務室はあった。
正式な謁見ではないため、そちらへ呼ばれたようだ。
執務室の前で警備をする近衛兵に敬礼されると、歩きながら敬礼を返す。
イライラした顔をゲオルグの前で見せるわけにはいかないので、一旦足を止め大きく深呼吸をした。
フィーアのことは忘れるのだ。
ただの侍女だし、侍女として見守ると決めていたのは自分自身だ。我が家の使用人であって、それ以上でもそれ以下でもない。
いずれ適当な男を見つけて嫁に出せばいい。
そう考えた瞬間、エルンストは拳を握りしめた。
嫁には出せない。いや出せるわけがない。
奴隷の焼き印。奴隷を買ったことのないエルンストは、あの日初めて焼き印を目にした。
柔らかな肌に無残に押された罪の印。
消えることのない業。
しかし、それだけではない。あの白い肌、ふっくらとした唇、柔らかなハニーブラウンの髪。
他の男に触れさせたくなかった。
エルンストは長い指で髪をくしゃくしゃとすると、大きく息を吐き、白地に金の装飾がされた重厚かつ豪華な扉をノックした。
「入れ」
ゲオルグの声がして、エルンストは室内へと入ると、その場で敬礼する。
「ああ、堅苦しい挨拶はいい」
エルンストに近くに来るように促す。
「余が以前、お前に言ったことを覚えているか?」
「以前と申されますと」
一体どの以前だ?
この皇帝は以前が多すぎるのだ。
「お前の嫁探しのことだ。忘れたとは言わせんぞ」
ゲオルグの指が執務机をトントンと叩く音が室内に響く。
すっかり忘れていた。エルンストは記憶を引き出すのに時間がかかってしまった。
「私ごとで、陛下のお心を煩わせるわけには——」
まだ言い終えていないのに、「今宵どうだ」ゲオルグが言葉をかぶせてきたのだった。
「今夜・・・でございますか?」
戸惑うのは当然だ。あまりにも唐突すぎる。
「そうだ。嫌とは言わせぬぞ」
ゲオルグは楽しそうだ。
「今宵の宴は非公式でささやかなものだ。お前も気楽に参加するがよい」
「はあ・・・」
気楽ではなく、気重なのだが。
宮仕えの辛いところだ。
「そんな嫌そうな顔をするな。お前の為に、それはそれは綺麗どころを集めておる。実はな、余もいい娘がいたら側室にしようと思っているのだ」
エルンストは驚きを隠さなかった。
「陛下はまだご結婚されて、半年でございますぞ」
「良いのだ。皇妃には内密にな」
どうりで楽しそうなわけだ。
もし許されるのであれば、皇帝の前でため息をつきたい気分だった。
皇帝が側室を迎えるのは何ら不思議でなはいし、問題もない。
だが、いくら何でも早すぎやしないか。皇妃ゾフィーとの間にまだ子はない。まずはそちらが先でなはいのか。
面倒なことになった。と、内心舌打ちした。
皇妃ゾフィーとは従兄妹同士。
今宵の宴で皇帝が側室を選んだとなれば、俺もただでは済むまい。
一緒にいてどうして陛下を止めなかった。と責められるのがおちだ。
やれやれ、屋敷に今夜は急な夜勤であると使いを出さねばならんな。
チラリとゲオルグを盗み見ると、相変わらず楽しそうだった。




