第二章 -30-
「何か話をしておくれ」
さっきのきつい口調に、堅魚が気分を害したと思ったのだろうか。それとも、矢傷からくる気分の悪さを紛らわすためか。
麻奈古はいつになく甘えたような響きのある声音で言った。それを嬉しく思った堅魚は、そっと微笑みながら麻奈古に尋ねる。
「何をお話しましょうか」
「都の話を」
抱えた膝に頭を持たせかけながら、麻奈古は堅魚の方をじっと見上げている。
正直言うと、堅魚にとって奈良の都は、あまり良い思い出のある場所ではなかった。でも、今の麻奈古にそんな話をしてもはじまらない。
堅魚は賑やかな市場の様子や、異国の人間すら行き交っている大通りの光景を、手振りを交えて明るく話した。
麻奈古も少し目を輝かせながらそれを聞いていたが、ふと寂しそうな顔つきになって、ぽつりと言った。
「都というのは、きっとこの国で一番美しいところなのだろうな。そこにある風景も、物も……人も」
「高価なものや珍しいものはたくさんありますよ。でも、本当に美しいものは、この出雲の方が……」
そう言いながら、堅魚は麻奈古の顔を見つめる。だが、麻奈古はそんな堅魚の視線には気づかず、膝の上にまた額を乗せながら囁いた。
「確かに、出雲の景色はいつも優しくて美しい。わたくしにとっては、やはりこの世で一番素晴らしいところだ。でも、ここは寂しい。都の人間にはきっと退屈で、長く留まっていられる場所ではないと思う。それに、都には帰りを待っている人がいるのだろう?」
「ええ」
それを聞くと、麻奈古はふと黙り込んだ。
その沈黙が苦しくて、堅魚はすぐに麻奈古に話し掛ける。
「弟が。身体が弱くて、都の私の家で臥せっています」
「弟?」
「私の身内は弟だけですから。母は私が幼い頃に亡くなりました」
「そうか。わたくしと同じなのだな」
麻奈古は俄かに顔を上げて堅魚の方を見た。
その顔は、いつになく優しげで哀れみに満ちている。
自分と同じ身の上の者に寄せる同情の表れなのだろうか。
麻奈古はまた尋ねた。
「父上は?」
「父は十年程前に。でも、それ以前から、父は私にとって……遠い人でしたから」
「他に兄弟はいないのか」
「幾人かはいますが、一緒に暮らしていた弟以外はみな母が違います。だから、あまり親しくはありません。でも、兄だけは私を可愛がってくれました」
「そう。それも、わたくしと同じ」
麻奈古は少し微笑んだ。堅魚も微笑を返しながら話を続ける。
「とにかく、弟以外にはもう、身内と呼べる人間は一人もおりません。みんな死んでしまって」
「では、妻や子も亡くしたのか」
そう言うと、麻奈古は眉を曇らせた。堅魚は急いで、でも少し苦笑しながら答える。
「いえ。もうこんな年だから、普通なら子供だって大勢いて当たり前ですが、私はずっと独り身です。私は甲斐性なしですからね。妻のなり手などおりませんよ」
「そんなこと」
麻奈古は首を横に振りながら言ったが、その顔は心なしかほころんでいるような気がした。




