第二章 -15-
太田の元を辞去した堅魚と史は、出発の準備に取り掛かるために離れ家へ戻った。
数日間とはいえ、野宿をすることになるだろう。だから、探索に必要な道具類だけでなく、食べ物や飲み物もある程度用意していかねばならない。
史は離れ家にあるものをあれこれ掻き集め、布の包みに詰め始めた。
堅魚は手渡された竹の水筒を持って井戸端へ出ようとしたが、どうにも気になるので史に尋ねてみた。
「先ほど、太田殿の言った佐底麿とは何者か。例の、と言っていたが」
「ああ、そのことですな」
「麻奈古殿と何かあったのか」
縁談の話の途中でふいに席を立って行ってしまった麻奈古のことを、堅魚は思い出していた。史は溜め息をつきながら教えてくれた。
「あれは、一月ほど前のことでしたか。麻奈古様のところへ、夜這をかけた者がおりましてな」
「夜這?」
「さよう。もっとも、その男は麻奈古様から見事に追い返されましたが」
「それが、佐底麿か」
「はい。日置臣佐底麿は出雲郡の大領で、麻奈古様の母方の遠縁に当たります」
史の口調はまるで吐き捨てるようだった。いつもは誰に対しても礼儀正しい史が、大領という高い身分を持つ相手を、佐底麿と名前で呼び捨てにしているところからしても、よほどこの男を嫌っているらしい。史は眉を顰めながら話を続ける。
「麻奈古様が母君と共に出雲郡におられた幼い頃から、佐底麿はひそかに目をつけていたようで。麻奈古様を妻にしたいと、今まで何度も太田様に申し込んできたそうです」
「隣の郡の大領なら、ちょうど釣り合いの取れる縁なのではないか」
「ええ。特に太田様の母君などは、大そう乗り気だったようですよ。まあ、麻奈古様の良い厄介払い先ができると思っていたのでしょうな。いつになく熱心に勧めておられました」
「だが、麻奈古殿は断ったのか」
「そうです。麻奈古様は昔から佐底麿のことは良く知っておられたようで、全く鼻にもおかけになりませなんだ。太田様も最初は佐底麿を気に入っておりましたが、そのうちあまり身持ちのよくない男だという噂が伝わってまいりましての。それで、太田様もはっきりとお断りに」
「それでも、まだその男はあきらめていなかったというわけだな」
「はい。そのようにして、断っても断ってもまたしつこく話を持ちかけてくるので、太田様もとうとうお怒りになりましてな。もうこれ以上こちらには来てくれるなと、珍しくきついおっしゃりようで、佐底麿を追い返しておしまいになったのですよ」
「それで、太田殿のいない隙を狙って、麻奈古殿のところへ強引に通ってこようとしたのか」
「はい」
「でも、どうして遠い出雲郡にいるのに、太田殿の留守がわかったのだろう」
「どうやら、太田様の母君が一枚噛んでいるようでございます」
「麻奈古殿を佐底麿に渡すために、太田殿の留守を知らせたと」
「おそらくは」
「なんと。それはあまりにひどいのではないか」
「そうでございます。わしは麻奈古様がお可哀想で。でも、幸い麻奈古様は武術の心得のあるお方。危く手篭めにされかけたところを、一太刀ふるって、佐底麿を手酷く追い払いなさいました。今でも、あの男の右頬には、麻奈古様からつけられた刀傷があるそうですよ」
史は佐底麿を嘲笑うかのように、意地悪な微笑みを浮かべた。そして、満足げに頷きながら言う。
「それほどこっぴどくやられたのです。あれから、こちらへはぴたりと音沙汰がなくなりましたから、ようやくあの男も麻奈古様を諦めたのでしょう」




