第二章 -14-
「なにをいう。お前ほどの女に相応しい男が、この辺りにはそうそういないというだけだ。今に私がどこからか良い婿君を探してきてやる」
「また、そんなことを」
「だが、今度はやたらと剣を振り回したりしないでくれよ。お前の方から是非添いたいと思うような、立派で見目良い男を連れてきてやるから」
「もうそんな話はよしにしてくださいませ」
麻奈古は急に青ざめて立ち上がった。
そして、太田に挨拶もせずに、そのまま部屋を出て行く。
太田は掌でぺしゃりと額を打ち、思わず舌を出しながら呟いた。
「しまった。調子に乗って余計なことを」
「無理もありませぬ。あのようなことがあったばかりなのですから。でも、きっとすぐに機嫌を直してくださいますよ」
史は太田を慰めるように囁く。だが、太田はまた頭を掻きながら、史に泣き言を言った。
「まったく、あれには困ったものだ。もう二十歳を過ぎているというのに、男などにはまるで見向きもしない。縁談など昔から降るようにあったものを、あれが片っ端から断ってしまうのだよ。それに、あれがいつも馬に乗ったり剣を振り回したりするもので、まともな男は皆怖気を振るってしまう」
太田は溜め気をつきながら呟く。
「ああ、亡くなった父上が、あんなにもあれを甘やかさなければ良かったのに。馬に乗れば、何と上手な子だだの、むしろ元気があって良いなどという風ではなあ。父上のせいで、すっかり自由気ままな性格になってしまったではないか」
「そりゃあ、娘御に麻奈古(注)と名づけるくらいだから、亡き父君もそれはそれはお可愛がりになっていたことでございましょう。でも、麻奈古様はしっかりした気性にお育ちでございますよ。それに、賢くて器用な方ですから、なんでも上手にこなすではありませんか」
「それは馬術や剣術のことだろう。機織なんぞの女らしいことは、何から何までからきし駄目ときては」
「教えてくださる母君がおられないのですから、少しは多めに見て差し上げなくては」
「教え手なら、この家には大勢いるではないか。私の母や妻には、麻奈古にいろいろ教えてやるようにと、私から何度も言っているのだ。だが、麻奈古の方にやる気がなくて、何度教えようとしても嫌がって寄り付かないというのだよ。これ以上私にどうしろというのだ」
頭を抱える太田に、史は密かに溜め息をついていた。
史の言いたいことは、堅魚にもよくわかる。太田は気の良い人物だが、いかんせん繊細な気質に欠けているのだ。
家人のあの様子からすれば、おそらく麻奈古が頭を下げて頼んだところで、まともに教えてくれる者などおるまい。むしろ、格好な苛めの機会と、容赦なく馬鹿にしたり無意味にしごいたりすることだろう。
それくらいのことは、ここへ来たばかりの堅魚にすら容易に推察できる。
だが、太田はただ単純に、母親や妻女の言い分を鵜呑みにしているようだ。
人を疑うことを知らない素直さは確かに美点ではあるが、時と場合によっては慎重になって状況を把握する必要があるということを、史は太田に言いたいに違いない。
しかしながら、史はこの家の居候のようなものだ。主である太田や、この家を取り仕切っている太田の母や妻に批判めいたことを言えるわけもない。
史はただ太田を慰めるようにこう言っただけだった。
「麻奈古様も、そのうち自然と落ち着かれますよ。今はそっとして置いてあげてくださいませ」
それから、史は太田にも丁寧に頭を下げ、麻奈古に堅魚の手助けをしてもらいたい旨を申し入れた。
またもや麻奈古を馬に乗せお転婆な真似をさせるのかと、太田は少々渋ったが、麻奈古が既に承諾していると聞くと、仕方なさそうに頷く。麻奈古のいうことなら、どんなことでも容易く言いなりになってしまうのだ。
太田は諦めたような口ぶりで堅魚へ言った。
「まあ、あれも久しぶりに遠出するのを楽しみにしているのだろう。だが、あちらには例の佐底麿もいる。何かあっては、麻奈古が可哀想だ。とにかく、危ないことがないように、あれを守ってやってくれ」
*注「麻奈古」…まなご=愛子。私の可愛い子の意。