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第二章 -4-

だが、そうしてはいられない。


女が去ると、史はすぐに堅魚を自分の離れ家に招き入れた。そして、奥の板敷きの間に堅魚を座らせると、急に床に手をついて頭を下げ、言葉を改めながら言う。


「都の国盛様からの文で、あなた様が出雲へお出でになると聞き、ここでお待ち申し上げておりました。本来なら国境までお迎えにいくべきところ、わしは身体がこのような有様。どうぞお許しくださいませ」


「いや、そんなことはどうでも良い」


恐縮して平伏したままの史に、堅魚は肩を叩いて頭を上げさせながら、ふと疑問を口にした。


「お前は、私のことを知っているのか。たぶん、お前に会うのは初めてだと思うのだが」


「はい。お目にかかるのは初めてでございます。でも、あなた様のことは、豊庭様からよく伺っておりました」


「私の兄を知っているのか」


「はい。わしは豊庭様がご幼少の頃からお仕えしてきた守役でございますれば」


「何と」


貴族の家庭では、実の親が子供の世話を自身ですることはほとんどない。生まれた子の世話は、全て乳母となった女性に任されていた。


乳を飲ませるのも襁褓むつきを替えるのも、夜寝かしつけるのも昼間遊んでやるのも、皆乳母の役目である。人の出入りの難しい石上の森で生まれたおかげで、実の母の乳で育った堅魚などは、むしろ稀な方なのだ。


養い君がある程度大きくなって、女手がさほど必要とされなくなると、今度は乳母の夫などが守役となる。守役は、警護として養い君を見守る傍ら、男として社会で生きていくための躾や教養を身につけさせるのが役目だ。


堅魚にも、乳母の夫ではないものの、優しい守役の老人がいた。堅魚にとっては、実の父よりももっと身近に感じられ、慕わしく思い出される人物である。


この史は、豊庭にとっての、そんな懐かしい存在なのだろうか。


史の方も、どうやら豊庭をこよなく大切に思っていたらしい。史は豊庭の顔でも思い出したのか、目にまた涙を溜めながら言った。


「豊庭様は、昔からわしにだけは何でも話してくださいました。あの時も、出雲へ行く理由を、わしにだけそっと打ち明けてくださったのでございます。それで、豊庭様へ無理にお願いして、わしは豊庭様のお供をしてまいりました」


では、兄が行方不明になった後、出雲から文を寄越した従者というのは、この史なのか。


今の風体からして、ここへ来た時に史は既に六十歳を越えていただろう。堅魚は史を労わるような口調になって言った。


「それにしても、その年でこんな遠くまで」


「命さえ危ぶまれるような旅に出られる豊庭様を、都で手をこまねいてお案じしている方が、わしには辛うございましたから。それに、わしの母の一族は、その昔出雲国から大和へ移り住んだ者たちの子孫でしてな。わしも子供の頃から、一族に伝わる出雲の言い伝えなどを、母から寝物語に聞いて育ったのです。それで、このような老骨でもお役に立つこともあろうかと、無謀を承知でついて参りました。でも、結局大したことはできずに、とうとうあんなことになってしまって」

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