第一章 -10-
堅魚は思わず絶句してしまった。
だが、父は気味の悪い目つきで堅魚の顔を見下ろしながら囁く。
「お前も石上にいたから知っておろう。天璽十種瑞宝の言い伝えを」
天璽十種瑞宝。
それは、石上神宮のご神体となる神宝である。
神宮の本殿の奥の奥。神官以外は立ち入りを許されない聖域に、三つのご神体が大切に祭られていた。
平国之剣、天十握剣……そして、天璽十種瑞宝。
天璽十種瑞宝は一つの宝物をさすのではなく、その名の通り十種類の宝物が一まとまりにされて、一つの白木の筥に納められているものだ。
もちろん、その筥の中を覗くことは神官であっても許されない。
だが、沖津鏡、辺津鏡、八握剣、生玉、足玉、死反玉、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、品物比礼という十の宝物が、その中には納められていると言われていた。
神話によれば、この十種の神宝は、饒速日命が天降られる折に、天津神々から贈られたものなのだという。その時、天津神は饒速日命にこう言われた。
若し痛む処あらば、この十宝をして、一二三四五六七八九十と言いて振るえ。ゆらゆらと振るえ。かく為さば、死れる人も生き反らむ。
生者の病や傷を治すだけでなく、死者すらこの世に呼び戻すことのできる神宝。
それが、天璽十種瑞宝なのである。
「私は豊庭に命じ、天璽十種瑞宝を石上まで取りに行かせた。そして、それを持って出雲へ赴き、首皇子の命をこの世に再び呼び戻してまいれと申したのだ」
「でも、なぜ兄上に」
「天璽十種瑞宝は、我ら物部氏の祖である饒速日命が賜わったもの。物部氏の血を引く者でなければ、その力を使うことができない。それに、このことは決して余人に悟られてはならないのだ。我らの身内の中で、秘密を守ることができ、これほどの大事を成し遂げられるほどの器量を持つ者は、豊庭を置いて他にない」
確かにそうだが、それにしてもなぜ出雲なのだろう。
その疑問に答えるように、父は堅魚に話した。
「出雲には黄泉比良坂……つまり、あの世への入り口があると言われている。出雲のどこにあるかまではわからぬが、それを出雲へ行って探り出し、無事に首皇子の魂をこの世へ連れ帰る。それが豊庭の役目だった。それが……」
父は俄かに咳き込んだ。みぞおちの辺りを抑え、苦しげに身悶える。
堅魚は思わず父の背をさすろうとしたが、父はその手を跳ね除けるように身を捩り、堅魚に向かって叫んだ。
「余計なことをするな」
堅魚は凍りついたように動けなくなった。
父に拒まれた右手が、ただ虚しく宙を彷徨う。
父は自分で何とか呼吸を整えると、声を搾り出すようにして話を続けた。
「公には病で臥せっているということにして、首皇子の身体は密かに宮中から運び出した。そして、都祁にある我が家の氷室に安置し、国盛だけを付き添わせて、始終見守らせておいたのだ。それが、豊庭が出雲へ発って一月ほど経った頃、俄かに息を吹き返した」
「何と。本当に生き返ったのですか」
「その通りだ。しばらくの間は思うように身体が動かなかったようだが、都の宇合殿の屋敷に移して十日ほど養生させると、見た目には以前とあまり変わらないようになった」
「では、兄上が皇子の魂を黄泉国から呼び戻したのですね」
「そうだと思う。だが、それからいくら待っても、豊庭の方は帰ってこない。安否を尋ねる文を密かに出雲へ送ったが、それにもなしの飛礫だった。だが、更に一月ほど経って、出雲からはようやく一通の文が届いた」
「兄上からですか」
「いや、そうではない。豊庭は自分の従者を一人、出雲へ同行させていた」
「では、その者から?」
「ああ。文にはこう書いてあった。豊庭は一人で探索に出た後、そのまま戻ってこない。その後も、様々な手を尽くして探したが、今も豊庭の行方は杳として知れない、と。天璽十種瑞宝も、豊庭と共に姿を消した」




