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ストイック  作者: ドライサーの小説の翻訳作品です
69/79

第69章

 

 自分の死後アイリーンのものになる富の重要性と、その管財人として彼女が遭遇しそうな諸問題を現実的に理解する必要性を、アイリーンにはっきり説明しようとしたクーパーウッドの試みは、優しく見守ろうという気分を誘発するどころか、そのすべてが徒労だったかもしれない感覚を彼に残した。この問題が彼にとってもアイリーンにとってもどれほど重要であるかという認識が、アイリーンには欠けていることを彼が知ったからだった。アイリーンが人の性格や意図を読み取れないことをクーパーウッドはよく知っていた。自分がこの世にいなくなったら、遺産の多くが具体的に配分されるさまざまな理想を実現するのを、何が保証してくれるのだろう? この考えは、生きる意欲にいい影響を与えるどころか、実はクーパーウッドを落胆させた。その分、少し疲れただけでなく、少しうんざりし、人生そのものの重要性を精神的に疑った。

 三十年以上にも及ぶ二人の共同生活が、ほとんど途切れることがない苛立ちだったとは、何とも不思議だった! まず、アイリーンが十七歳で、クーパーウッドが二十七歳だったときは、彼の初期の熱意があった。そして、その少し後ではアイリーンの美しさと肉体的な強さが、理解力の欠如を隠しているという発見もあった。だからアイリーンは彼の経済的・精神的な大きさに気がつかず、同時に、彼が彼女の不変の所有物である、だから彼女のいない方向をよそ見しただけでは変わったりしない、とアイリーンに思わせた。しかし、彼がちょっと気晴らしをすればその後で嵐が吹き荒れたのに、何年経っても、二人はここいた。アイリーンは、ゆっくりと確実に彼を現在の富へと導いた彼の資質について、ほとんど理解しないままだった。

 それでもクーパーウッドは、自分の人生を、最高に価値あるものにしてくれる気質を備えた女性をついに発見した。彼はベレニスを見つけた。するとベレニスの方でも彼を見つけた。二人は一緒に、自分のことをそれぞれ相手に明らかにした。ベレニスの不思議な愛は、その声、目、言葉、触れ方の中で輝いた。時々彼の上にかがむようにしてベレニスが話しかけるのが聞こえた。「あなた! 愛しい人! 私たちのこの愛は今日限りじゃなくて、永遠なのよ。あなたがどこにいようとそれはあなたの中で生きているし、あなたの愛だって私の中で生きているわ。私たちは忘れちゃいけないのよ。あなた、安静にして、幸せな気分でいてください」

 看護婦の白衣をまとったベレニスが部屋に入ってきたのは、クーパーウッドが考え事をしているときだった。ベレニスが挨拶したときクーパーウッドはその聞き覚えのある声に反応して体を動かし、目で見たものがよくわからないかのように凝視した。その衣装は、類まれな美しさを魅力的に演出した。クーパーウッドは頑張って頭を上げ、明らかに衰弱していたが叫んだ。

「あなたでしたが! アフロディテ! 海の女神! 純白の白!」

 ベレニスはかがんでキスをした。

「女神よ!」彼はつぶやいた。「金色を帯びた赤い髪! 青々した目!」それから、ベレニスの手を握りしめるようにして自分の方へ引き寄せた。「今でも私にはあなたがいるんですね。あの日、青いエーゲ海に近いテッサロニキで、手招きしたときのあなたが見えます!」

「フランク! フランク! 私が永遠にあなたの女神だったらよかったのに!」

 ベレニスは彼が錯乱したのがわかって、なだめようとした。

「その笑顔ですよ」クーパーウッドは続けた。「また私に微笑んでください。まるで太陽の光のようだ。私の手を握ってください、私の海のアフロディテ!」

 ベレニスはベッドの横に座って、ひとりで静かに泣き始めた。

「アフロディテ、私から離れないで! 私にはあなたが必要です!」クーパーウッドはベレニスにしがみついた。

 ここで、ジェームズ医師が部屋に入ってきた。クーパーウッドの容態に気づいて、彼のところに直行した。ベレニスの方を向いてその様子を見ながら、ジェームズは言った。「誇っていいですよ! 世界の巨人があなたに敬意を表してます。だけど、少し二人だけにしてほしい。彼を正気に戻さないとね。死にはしませんよ」

 医者が気つけ薬を投与する間、ベレニスは部屋を離れた。クーパーウッドはすぐに錯乱状態から抜け出して言った。「ベレニスはどこですか?」

「彼女はすぐにきみのところに来るよ、フランク、だけど今は休んで静かにしているのがきみには一番いいんだ」ジェームズは言った。

 しかし、ベレニスはクーパーウッドが自分を呼ぶ声を聞くと入って来て、ベッドの横の小さな椅子に腰掛けて待っていた。彼はすぐに目を開けて話し始めた。

「ねえ、ベレニス」まるで二人がこの問題を話し合ってでもいたかのように彼は話した。「あの屋敷を私の芸術品の家として、そのままの形で残すことがとても重要なんです」

「そうよね、フランク」ベレニスは優しく共感して答えた。「あなたはいつだって大事にしてましたものね」

「ああ、私はいつも大事にしていた。五番街のアスファルトを離れて、敷居をまたいで十秒もすれば、そこはヤシ園の中なんだ。花々や生い茂る植物の間を歩き、その中に腰掛けると、水が跳ねる音や、小さな池に落ちる細流のせせらぎが聞こえる。森の涼しい緑の中の小川のような、水が奏でる音楽の調べとなるようにね……」

「そうよね、あなた」ベレニスはささやいた。「でも、今は休まないといけません。あなたが眠っているときも、私はあなたのすぐそばにいるわ。私はあなたの看護婦なのよ」

 そして、ベレニスはその夜も一夜あけた次の夜も、自分の務めを果たす間に、クーパーウッドがもうおそらく自分では管理できない多くのことに、あきらめずに関心を持ち続けていることに感動した。それがアートギャラリーの日もあれば、次の日は地下鉄、また次の日は病院だった。

 ベレニスもジェームズ医師も実際には予想していなかったが、クーパーウッドは余命いくばくもなかった。それでもベレニスが彼と一緒に過ごす時間はいつもより元気そうに見えたが、それ以外の時は少し話をしただけでも、いつもひどい疲れを見せて眠りたがった。

「できるだけ眠らせてあげてください」ジェームズ医師は勧めた。「ああしてただ体力を温存しているだけです」という発言はベレニスをひどく落胆させた。彼のために何か他にできることはないんですか、と尋ねたほどだった。

「ありません」ジェームズは答えた。「彼には本当は睡眠が一番いいんです。乗り切れるかもしれません。私が知っている最高の強壮剤を試しているんですが、待つしかありません。回復に向かうかもしれません」

 しかし、クーパーウッドが回復に向かうことはなかった。それどころか、亡くなる四十八時間前に、溶態は明らかに悪化した。ジェームズ医師は息子のフランク・A・クーパーウッド・ジュニアと今はテンプルトン夫人となった娘のアンナを呼び寄せた。しかし、駆けつけたとき、娘と息子はアイリーンの姿がないことに気がついた。ジェームズ医師は、どうしてクーパーウッド夫人がいないのかと尋ねられて、夫人なりの理由があってもう面会には来ないことを説明した。

 しかし、この息子と娘はアイリーンとクーパーウッドの間が疎遠だったことは知っていたが、この大事なときにどうしてアイリーンがクーパーウッドに会いに来るのを拒むのか、自分たちなりにずっと腑に落ちなかったので、自分たちにはクーパーウッドの容態を知らせてやる義務があると感じた。

 二人は急いで公衆電話に行き、アイリーンに電話をかけた。しかし、驚いたことに、二人はアイリーンがクーパーウッドや他の人たちのことを何か考えるどころではないことに気がついた。クーパーウッドのことは、ジェームズ先生とフレミングさんが本人の同意を得て、妻の意向を無視して手配しているので、きっとすべての世話ができるはずだと言い切った。アイリーンは来ることをきっぱり断った。

 一方、二人はアイリーンのこの一見冷酷な行為に唖然としながらも、クーパーウッドの病状悪化の結末を見守るために戻る以外に自分たちにできることは何もないと感じた。恐怖がそこにいる全員、ジェームズ医師、ベレニス、ジェーミソン、確かなアイデアのひとつもなく無力に立ち尽くしていた全員、を支配した。彼らは何時間も待った。クーパーウッドの激しい呼吸かしばしの沈黙に耳を傾けた。そして二十四時間後、突然、ひどい疲れを終わらせようとするかのように彼は激しく体を動かし、まるで周囲を見回すかのように片肘をついて半身を起こし、それからいきなり後ろに倒れて、じっと横になった。

 死! 死! 死があった……みんなの前に抗いようのない侘しさがあった! 

「フランク!」ベレニスは体をこわばらせ、まるでこれ以上ない驚きに包まれたかのように見つめながら叫んだ。急いで彼の傍らに行き、膝をついて、彼の湿った手をつかみ、それで自分の顔を覆った。「ああ、フランク、愛しい人、あなたはもういないのね!」そう叫ぶと、ゆっくり床にうなだれ、気を失いかけた。

 


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