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【承】恋は/盲目/は故意

 ヴァーストスの血から得た知識によると、彼は神の一柱ということになる。

 巫女たちはそんなヴァーストスに仕える巫女だ。

 女性の集団ともなれば、新入りには辛く当たりそうなものなのだが、長く神に仕える巫女たちに、凡百の女たちのような嫉妬心はないらしい。

 心の底から歓迎されているとわかる微笑みで迎え入れられ、風呂を用意され、新しい服も用意される。

 巫女姫として滞在することになった私に用意された服は、彼女たちと似たような古代ギリシャ風の衣装だ。

 幾重にも布を重ねていて肌は透けないのだが、コスプレでもしているようで、少し気恥ずかしい。

 周囲の女性がみな似たような服装なので気にする必要は無いと判っているのだが、要は慣れの問題だろう。


「……ここはどこですか?」


 身支度を整え、今日からはこの部屋を使ってください、と案内された部屋の鏡台の前に座って巫女の一人に聞いてみる。

 校則でいつもは綺麗に編んでいた髪だったが、鏡の中の私はそのまま背中に流していた。

 風呂に入った際に泉の水をかぶってしまった髪を洗ったのだが、巫女たちはこの黒髪が気に入ったらしい。

 彼女たちの神であるヴァーストスと同じ色の髪だ。


『ここはヴァーストス様の主神殿があるオアシス、イソツ・ウオヤリスです、異世界の巫女姫さま』


 巫女の言葉に、ヴァーストスの血から得た知識を探ると現在地が判った。

 この世界は巨大な一つの大陸から出来ており、ヴァーストスの治める地は大陸の西よりにある砂漠だ。

 今は建物の中にいるため砂漠と言われてもピンと来ないのだが、外の見える露台バルコニーへと案内してもらったところ、確かに城壁の向こうにはどこまでも続く砂漠が見えた。


 ……思ってた砂漠とは違う感じだね。


 露台から見下ろせる街並みは、砂漠と聞いて想像するものとは少し違う。

 水路が街中に走っているのが見えるし、緑も多い。

 日差しが強いのか、店先には色とりどりの日よけ布が見える。


 砂漠と聞けば一面の砂色を想像するのだが、この都市は実に色鮮やかだ。


 砂漠にある都市だというのに、このイソツ・ウオヤリスに水と緑が豊かなのは、神ヴァーストスの力によるものらしい。

 彼の守護によって、この砂漠の都市は厳しい気候であるにも関わらず、民たちは水を巡って争うこともなく平和に暮らしていけるのだとか。


『異世界の巫女姫さま、寝室はいかがいたしましょう?』


「その『巫女姫さま』というのは、そろそろ止めていただけませんか?」


 なんとなく居心地の悪い呼び方に、呼び方を変えて欲しいとお願いしてみる。

 巫女たちは困ったように顔を見合わせた後、それでも「どのように呼んだらいいのか」と呼び方を変えてくれることになった。


「私は相薗あいぞの梨乃りのです。名前が梨乃なので、こちら風に言うとリノ・アイゾノでしょうか……」


『では、リノさまと』


「できれば『様』も取っていただきたいのですが」


『それはできません』


 涼やかで柔らかな口調なのだが、そこは頑なにゆずってくれなかった。

 異世界の巫女姫と呼ぶことは止めてくれても、『様』だけはとれないようだ。


『リノ様は我等が神の連れてこられた尊きお方』


わたくしたちと同列になど扱えません』


 どうやら彼女たちの神ヴァーストスが連れて来た、ということで私は巫女の中でも頭一つ分ぐらい抜きん出た存在らしい。

 古株の巫女たちより優遇され、大切に扱われるべきなのだ、と彼女たちは口々に言う。


「異世界の巫女とは、一体何をすれば良いのでしょう……?」


『ヴァーストス様が仰られておりました』


『リノ様は民に安らぎをもたらす巫女である、と予見されたそうです』


『我等が神は予見も得意とする神です』


『ヴァーストス様がそう予見されたのなら、リノ様は民に安らぎをもたらせてくださるのでしょう』


 ……なにそれ。何か、すごく期待されているような?


 私自身は特別な力なんて何も無いただの高校生だ。

 巫女姫やら、民に安らぎをもたらすやらと持ち上げられても、困ってしまう。


 そんな私の空気を察してくれたのだろう。

 心配ならば詳しい話は今夜、寝所でヴァーストスから直接聞けばいい、と巫女たちが教えてくれた。


 ……うん? 今夜、寝所で?


 寝所とは、つい先程どうするか、と巫女たちが聞いてきた場所ではなかっただろうか。

 ついでに言えば、寝所とは文字通り寝る場所だ。

 もっと言えばベッドルームである。


「え? 待ってください! 寝所でヴァーストス様に聞け、というのは……」


 そういう意味でしょうか、と言葉を暈して聞いたのだが、巫女達は私の言葉の意味がわからないとでも言うように首を傾げた。

 暈したから解らないのかと思い、恥ずかしいながらも直接的なことを聞いたのだが、こちらも通じなかった。

 どうやら彼女たちからしてみれば、ヴァーストスとねやを共にすることについて、疑問に思う方がおかしいらしい。

 巫女はヴァーストスが望むのなら、その身体を使ってヴァーストスを癒すのだそうだ。


「む、無理です! ファーストキスだって、さっきのが初めてだったのに……っ!」


『ふぁーすときす?』


『口付けのことではございませんか? リノ様は先程、ヴァーストス様から口移しで血を受けておられました』


『初めての口付けが我等が神だとは……、リノ様は清らかな巫女であらせられるのですね』


 いくらひと目惚れをした相手とはいえ、出会ったその日に同じベッドでなんて寝られるものか、と訴えてみるのだが、巫女たちの反応は芳しくない。

 それどころか、ファーストキスをヴァーストスに捧げられたなんて、なんと素晴らしい巫女か、と見当違いなところで感心されている。


 ……え? 私の反応がおかしいの? そりゃ、最近は早いって言うけど、だからって出会ったその日にだなんて……っ! まだ付き合ってもいないのに……っ!







 心の準備ができないままに、巫女たちの手によってヴァーストスの寝室へと追い立てられるように押し込められた。

 貞操観念やら乙女の純情やらを巫女たちに一生懸命説いてもみたのだが、効果はない。

 というよりも、貞操観念がこの世界は少々緩いようだ。

 未経験しょじょだから必要以上に男性を恐れるのだろう、ととにかく一度経験してみれば恐れることではないのだと解るはずだ、と私の訴えは聞き入れられなかった。

 巫女たちにしてみれば、ヴァーストスの閨に侍ることは喜ばしいことであり、恐れたり逃げたりとする事柄ではないのだろう。


 ……最初は寝室について、相談に乗ってくれそうだったのに。


 呼び方を『異世界の巫女姫』から変えてくれ、と巫女たちと親交を深めることを優先したせいで話が逸れていき、言葉を暈すからこの戸惑いが通じないのかと恥ずかしい思いをして処女だと告げたら、とにかく一度経験をしてこい、と寝室に放り込まれてしまった。

 なんでこうなった、と頭を抱えたい気分だ。


 ……石のベッド?


 一人ではとても開けそうにない重い扉から逃げ出すことを諦め、ぐるりと室内を見渡す。

 寝室と呼ばれているせいか、部屋にはベッドと思われる石の台座が一つあるだけで、家具らしいものは何もない。

 天井から大きな布を天蓋のように吊るしてベッドを覆い隠し、行為の最中に扉が開かれてもベッドの上は見えないようになっているようだった。


 ……や、この状況じゃ、そんなことなんの救いにもならないよ。


 薄っすらと布の向こうが透けて見えるため、目隠しとしてはあまり役にたっていない。

 しかし、そのおかげで寝室にヴァーストスの姿がないことも確認ができた。


 つい意識してしまう石のベッドを避け、壁伝いに寝室を移動する。

 扉からは外へ逃げられないが、逆側には大きな窓が開いている。

 砂漠という気候のせいかガラス窓なんてものは嵌っておらず、露台からは簡単に外へと出られるはずだ。


「ひっ……」


 回りこんだ露台から見た眺めは、想像もしていないものだった。

 想像はしていなかったが、よく考えてみれば外の景色など自室として案内された部屋の露台からしか見てはいない。

 神殿の主の寝室という、ある意味でもっとも守られるべき場所なのだから、神殿の奥まった場所にあろうとも、外からの侵入を防ぐために露台の向こうが切り立った絶壁であろうとも、なんら不思議はなかった。

 これほどの絶壁であれば、外から壁伝いに侵入をしてヴァーストスを害そうなどということは不可能であろう。


「そこから飛び降りれば、そなたなど簡単に死ぬぞ」


 石造りの露台から崖下を見下ろし、あまりの高さに腰が抜けて座り込んだところで、背後から声をかけられた。

 思わずドキリと高鳴る胸に、声の正体が振り返らなくとも判る。


「腰でも抜けたか? そのようなところで座り込んでいると、さすがに風邪を引くぞ」


「ひゃ……っ!?」


 すっとヴァーストスの腕が伸びてきたかと思ったら、ひょいっと簡単に抱き上げられてしまう。

 そのまま抵抗する間もなく室内へと足が向けられ、広い胸に安堵するよりも先に視界へと入った寝台に緊張した。


「あの、あのあの! ベッドは……っ! 私、まだ心の準備がっ!」


「その言い方では、ベッド以外なら、もしくは心の準備が出来れば良い、と聞こえるが……」


「違いますっ! いえ、違わなくも……あれ? やっぱり違います! 間違えました。聞かなかったことにしてくださいっ!」


 自分でも驚くほどに思考が纏まらない。

 ヴァーストスが側にいるというだけで、思考が彼に占拠される。

 愛だの恋だの、自分には縁がない話だと思っていたのだが、落ちてみればこんなにも簡単に心を乱されるものだとは知らなかった。


 そして、恋に思考が占拠されて狂いつつも、私の中にやはり理性は残っている。


 理性の部分でもヴァーストスにひと目惚れしたという自覚はあるのだが、キスやそれ以上のことをしたいかと問われれば『ノー』と答えるだろう。

 ではそういった触れあいをまったくしたくないのかと問われれば、こちらも『ノー』だ。

 緊張してらしくもなく言動がおかしくなっている自覚はあるが、自分の気持ちとしては一つだ。


 ヴァーストスの近くにいたい。


 たったこれだけだ。

 その先にことなど、まだ考える余裕はない。

 恋に落ちたと自覚した瞬間から、私の思考の大部分をヴァーストスが占めていた。

 どう頑張って頭からヴァーストスを追い出そうとしても、追い出すことができない。

 恋を知る前の自分には、どうしても戻ることができないのだ。


 ……そう、たぶん、必要なのは時間です。


 初恋なせいか、ヴァーストスに慣れていないせいか、とにかく彼の近くにいたいのに、近くにいると思考が纏まらないのだ。

 そのせいで混乱状態パニックになり、正しいと思う判断が下せない。

 恋なんてただ感情に流されてしまえば良い、という人もいるかもしれないが、それはきっと私には向いていない方法だ。

 感情に流されてしまった後のことを考えてしまい、気軽に恋に溺れるなんてことはできない。


 石のベッドへと下ろされて、ついヴァーストスから逃げるように端へと移動する。

 そんな私を見たヴァーストスは、少しだけ楽しそうに金色の瞳を細めた。


「そんなに緊張などしなくとも、子どもには何もしない」


「こ、この世界では普通に結婚とかしていそうな年齢なのですが……っ!」


 ヴァーストスの血から得た知識には、一般常識も少し含まれている。

 それによると、この世界では十代の前半で嫁に行くことも珍しくはなく、現代日本の高校生ぐらいの年齢にもなれば嫁ぎ遅れに片足を突っ込んでいるような状態だ。

 これらの結婚事情を考えれば、私が子どもとして扱ってもらえるとは考え難い。


「十にも満たない年齢で嫁に行く者もいるが、それらは為政者の娘で、政略結婚が主だな。……おまえの精神はそれらの娘たちよりも幼い」


 そう指摘されれば、確かにその通りな気がした。

 甘やかされ、守られて育った現代人は、同じ年頃の昔の人間よりも精神が幼い、と聞いたこともある。


「……本当に、何もしませんか?」


「してほしいのか?」


「聞かないでください!」


 なんとも返答に困る言葉を返されて、気恥ずかしくて顔が合わせられず、顔を逸らす。

 ツンっとそっぽを向いてから、なんて可愛げのない反応だろうか、と自分で自分が情けなくなった。

 これがもう少し恋愛経験のある娘であれば、いわゆる恋の駆け引きということもできたのだろうが、生憎と私のこれは初恋だ。

 ただただ自分の気持ちに振り回されるばかりで、相手の気を引く能力も、様子を探る心の余裕もない。


「……私に聞きたいことがあるようだ、と巫女から聞いたのだが?」


「あ……はい。そうです。お聞きしたいことが……」


 話題が変わった、と気を取り直してヴァーストスへと顔を向ける。と、意外にも近くに居たヴァーストスに緊張してしまい、思わず背後へと後ずさることになった。


「巫女たちから、私が民に安らぎをもたらすと聞いたのですが」


 具体的に自分は何をすれば良いのだろうか、と聞いてみる。

 突然異世界へと連れてこられてはいるのだが、何をしろとはまだ聞いていない。

 異世界召喚で課される役目といえば、オーソドックスなところで魔王討伐や、女性で巫女といえば不思議な力で世界を救うといったところだろうか。

 残念ながら何の力も備わっていない私には、そのどちらも不可能だと思われた。


「そなた自身が何かを成すのではない。ただ、私がそなただと予見した。そなたは何もせずとも、ただ私の傍らに在ればよい」


「横に在るだけ、ですか?」


 本当にそれで良いのだろうか、と不安にはなるが、そうしろと言うのなら、そうするしかないだろう。

 自分に何ができるか、何が求められているのかなんて、異世界の人間である私には判らないのだ。

 今のところは私を召喚したらしいヴァーストスの指示に従っていればいいだろう。


 ……何か様子がおかしそうだったら、自分で調べる必要もあるけど。


 今のところ、その必要を感じてはいない。

 出会ったばかりの男性をどうしてそこまで信じられるのか、と言えば、ヴァーストスの血から知識を得たためだろう。

 ある程度の考え方や人となりまでもが理解できていて、そのおかげで私に彼を疑うという考えは微塵も湧かなかった。


 ……何もしなくていいってことは、このまま神殿そばに居てもいい、ってことかな。


 ヴァーストスの傍にいられるということは、素直に嬉しい。

 なんらかの使命をもって旅立つ必要がなく、そこに在ればよいということは、そういうことだろう。


 ……あれ? でも、このままここに居たら、元の世界の家族はどうなるんだろう?


 比較的良好な親子関係を築いてきたと思うし、私はご近所でも評判の真面目な高校生だった。

 突然姿を消して家出をしたことになんてなってしまったら、家族はきっと心配することだろう。


「あの、民に安らぎを、というお役目を果たしたら……私は家に帰れますか?」


「役目を果たした後になら、望めば帰そう」


「その場合、元の世界ではここで過ごした時間は過ぎていますか?」


 何日も行方知らずになれば、家族が心配するだろう。

 そう懸念を伝えると、ヴァーストスはなんということもない、とでも言うように笑った。


「私がそなたを攫ったその時、その場所へと帰すことを約束する」


 まずはこの世界に慣れるが良い、と言ってヴァーストスは寝室を後にする。

 巫女たちには閨に侍るだなどと脅されたが、なんということはなかった。

 彼とは本当に、ただ話をしただけだ。







 ヴァーストスの傍にいれたら嬉しいな、とは思っていたのだが。

 驚くべきか、喜ぶべきか、ヴァーストスは起きている時間をほとんど私と過ごすつもりでいるようだ。

 昨夜も、ヴァーストスのいなくなった寝室に取り残され、石のベッドに一人で寝ていたはずなのだが、目が覚めたらヴァーストスの腕を枕にしていた。


 ……目が覚めたら目の前に超絶美形とか、心臓に悪い。


 まだヴァーストスの寝顔が見られたのなら役得と思えたかもしれないが、寝顔を眺められていたのは私だ。

 いつごろ寝室に戻ってきたのかは判らないが、無防備な寝顔をずっと見られていたかと思うと恥ずかしい。

 あの金色の瞳に映る私は、変な寝言など言ってはいなかっただろうか。


 ヴァーストスは私と過ごすつもりのようだとは言っても、別々に過ごすこともある。

 主には入浴と睡眠時間がそうだ。

 どちらとも私が辞退しているだけで、巫女たちからしてみれば一緒に過ごすことの方が普通らしい。

 ヴァーストスは巫女たちに自分の体を洗わせて、気が向けば目に付いた巫女を連れて寝室に篭る。

 以前はそんな生活をしていたそうだ。


 ……さすが神様。やりたい放題だね。


 貞操観念が違うようだし、相手は神様なのだし、と人間の感覚で遊び人だとか、浮気者だという扱いは受けないらしい。

 一番しっくりと来る表現をするのなら、一夫多妻制だろうか。

 この場合、夫が神ヴァーストスで、多くの妻たちは巫女のことだ。

 本物の一夫多妻は多くの妻達を平等に扱うことで成立するようなのだが、ここではこの妻である巫女たちの上に私という存在が置かれている。

 私という上位の妻が来たため、以前からいた多くの妻たちの扱いが悪くなったのだろうか、とも思ったが、これも少し違った。

 もとから最上位の妻が空位だっただけで、巫女たちの立場は変わらない。

 そのために巫女たちは私に対抗心など持つことも無く、笑顔で受け入れてくれているとのことだった。


 ……一夫一妻で育った私には、ちょっと理解できない感覚だね。


 好きな人を他の女性と共有なんて出来るものだろうか。

 巫女たちの感覚が解らなくて、このままヴァーストスを好きでいて良いのだろうかと二の足を踏んでしまう。

 感覚が違いすぎて、私には巫女たちのように新しい女性を歓迎できる気がしなかった。


 そういえばヴァーストスは一体なんの神様なのだろうか、と今さらな疑問に気が付いて記憶を探る。

 パッと記憶に引っかかる物がないので、ヴァーストスから受け取った知識には入っていなかったのだろう。


 ……あとで聞いてみようかな?


 着替えるためにヴァーストスを部屋から追い出したため、彼は今この場にいない。

 どうせすぐに会えるだろう、と昨日着替えさせられた物と同じような衣装を着付けられると、髪もハーフアップに編みこまれた。

 この世界では、髪を綺麗に纏め上げているのは既婚者で、髪を下ろしているのは未婚の女性だ。

 髪を下ろしているという意味でだけならば娼婦も同じなのだが、彼女たちは『髪を整える暇もない程に閨に侍っている』という意味で髪を短く切っていた。

 私の世話をしてくれる巫女たちはというと、巫女は神の妻ということで髪を綺麗に結い上げていた。

 巫女として扱われるのなら私も髪を結い上げるべきかと思ったのだが、未経験を理由に髪は下ろされている。

 これはからかわれているのだろうか、とも思ったが、巫女たちから見れば私の黒髪は珍しいらしい。

 せっかくの綺麗な黒髪を結い上げてしまうのは勿体無い、というのが主な理由だったようだ。


『リノ様、目覚めに冷えた水をどうぞ』


「ありがとうございます」


 銀の盆に載せられた杯を手に取り、中身を確認する。

 杯の中には澄んだ水が入っているのだが、奇妙な違和感を覚えた。


 ……なんだろう?


 何か忘れている気がするのだが、それが何かは思いだせない。

 首を傾げながらもまずは一口、と水を口へと運ぶと、舌の上へと水が落ちた瞬間の違和感に思わず水を吐き出してしまった。


「けふっ……、な、なんですか? これ。不味いとかいう次元ではない味が……」


 まさかやはりあった新入りいじめだろうか、という考えが頭を過ぎったが、戸惑った顔をして私を見てくる巫女たちの顔に悪意は感じない。

 数人で顔を見合わせた後、意を決したように私のもった杯へと手を伸ばしてきた。


『リノ様、失礼いたします』


 そう言って私から杯を受け取り、一人の巫女が杯の中身をあおる。

 私は口に入った瞬間にせて吐き出してしまったのだが、巫女は普通の顔をして杯の中の水を飲んだ。

 水を飲んだ巫女は少し考える素振りを見せて、水を用意した巫女へと向き直る。


『檸檬が腐っていたのかしら?』


『今日市場から届いたばかりの新鮮な物をつかいました』


『では、異世界の巫女姫さまにこの世界の檸檬は口に合わなかった、ということでしょうか?』


『……そういう可能性もあるかもしれませんね』


 巫女たちの間で相談が行われ、異世界の檸檬が私の口に合わなかったのだろう、ということになった。

 本当に巫女たちは普通の顔をして水を飲んでいたので、嫌がらせをされたわけではないということだけは確かだろう。


 ……口に合わないのが檸檬だけなら、なんとかなったんだけど。


 口に合わないものは、檸檬だけではなかった。

 食事として運ばれてきた物の全てを舌が拒絶し、水で流し込めばいけるかと檸檬を入れていない水を持ってきてもらったのだが、こちらも飲み込むことはできなかった。

 ここまで酷い物を並べられればやはり嫌がらせだろうと思ってしまうのだが、檸檬水と同じように巫女たちは平然とした顔でこれらを食べてみせてくれる。

 本当に、この世界の食べ物が私の口に合わないだけなのだ。


 ……これは困った。さすがに食べられる物がないんじゃ、飢え死にしちゃうよ。


 どうしたものかと巫女と顔を見合わせていると、窓からヴァーストスが入ってくる。

 私の部屋も高所にあったはずなのだが、さすがは神と言うべきか、ごく自然に窓から姿を現していた。


「……ああ、少し遅かったか」


 そう言ってヴァーストスが両手に持ってきたのは、大きな桃だ。

 手渡されたものの、すでにこの世界の食べ物は口に合わないと学習してしまった私には、どうにも警戒せずにはいられない物体だった。


 ……あ、いい匂い。


 桃に罪はない、と鼻を近づけて香りを嗅いでみる。

 ヴァーストスの持ってきた桃からは、かすかに濃厚な甘みを連想させる芳香がした。


 ……そういえば、さっきまでの食べ物は匂いがしなかったような?


 思い違いだろうか。

 手にした桃は、この世界に来てから口に入れてきた食べ物とは何かが決定的に違う。

 そう確信をしてヴァーストスを見上げると、もう一つの桃を巫女に渡しているところだった。


「この桃ならば、そなたにも食べられるだろう」


「私に食べられるものと、食べられないものがあるのですか?」


「まあ、そんなところだな」


 言葉を暈された。

 そんな気がして、記憶を探る。

 異世界の人間に食べられる物と食べられない物があるだなんて知識は、ヴァーストスから得た知識の中にはない。

 ということは、故意に隠されているのか、教えるまでもない知識と判断されたということだろう。


『リノ様、どうぞ』


「……ありがとうございます」


 ヴァーストスの渡した桃が巫女の手によって早速皮が剥かれ、食べやすいサイズに切り分けられる。

 綺麗に盛り付けられた皿とフォークを渡され、後は私が口へと運ぶだけの状態になった。


「美味しい」


 また吐き出したいほど衝撃的な味がするのでは、と警戒しつつも口へと運んだ桃は、実に桃らしい柔らかな甘みだ。

 この桃であれば、普通に飲み込むことができる。


「ヴァーストス様は食べないのですか?」


「私は人の食事を必要とはしていない。二つともそなたが食べるといい」


「では、巫女のみなさんと……」


「あの者たちには必要ない。あの者たちは、ここの食事が口に合っているのだから、それはそなたの物だ」


 頂き物なのでみんなで食べた方が良いかと思ったのだが、普通に食事が食べられる巫女たちへの気遣いは必要ないらしい。

 というよりも、ここの食事が食べられない私のために用意されたものと考えた方が良さそうだ。


 ……少し嬉しい、とか思っていいのかな?


 なんだか特別待遇をされているようで、くすぐったい。

 特別待遇は特別待遇でも、甘やかな恋人待遇でもなんでもなく、好き嫌いをする子どものために嫌いな食材を小さく刻むといった、とにかく物を食べさせるためだけの処置で、本来なら喜ぶような要素はないのかもしれないが、それには目を瞑る。

 恋は盲目だ。


 ……これが恋の魔法ってものですか。


 好きな人が自分のことを考えて行なってくれることは、どんな些細なことでも嬉しい。

 そんな乙女心だろうか。


「これからは私の用意したものだけを食べよ。水は泉から汲んだものだけを飲め。巫女たちが食事を用意したからといって、無理に食べる必要はない」


「それは……?」


 さすがにおかしい、と感じて首を傾げる。

 巫女たちの食事に手を出すな、とは、まるで巫女たちに毒でも盛られているかのようではないか。

 折角用意された食事を食べられなかった私を気遣い、あれもこれもと様々なものを用意してくれた巫女たちに対して、少し失礼な物言いな気もした。







「ただ傍らに在れば良い、とは具体的にできることは無いのでしょうか?」


 退屈に耐えかねて、私に与えられた部屋へと入り浸っているヴァーストスへと聞いてみる。

 この世界へと呼び出されてから数日、特にやることもなくて暇をしていた。

 そこに在れば良い、というのだから、神殿から出ない方が良いのだろうかとも聞いてみたが、都市から出なければ好きにして良いと言われている。

 都市から出てはいけないという理由は、単純に迷子になった際に探すのが大変だかららしい。

 このイソツ・ウオヤリスという都市は、ヴァーストスの加護によって砂塵から守られているのだそうだ。

 同じ力の応用で、都市の中なら私がどんなに奥まった場所へと迷いこもうとも、すぐに見つけ出してくれるのだとか。


 巫女を誘って神殿の外へと出てみたところ、商人たちの元気な客引きの声や、子どもたちが走り回る笑い声が響く活気ある街だった。

 女性だけで出歩いても危険はないのかと聞いたところ、女性の一人歩きであっても危険はない、と巫女の一人が誇らしげに教えてくれる。

 イソツ・ウオヤリスは治安の良い都市なのだ、と。


「特別に何かを成す必要はない。ただそなたは、そなたとして在れば良い。その時になれば、おのずと役目を果たすだろう」


 自分は何をすれば良いのか、と何度か聞いてみたのだが、ヴァーストスの答えは変わらない。

 特別にすることはなく、私は私として在ればいいのだと言う。

 漠然としすぎた役目に不安を感じているのだが、ヴァーストスはそれすら笑って流す。

 私は私であるだけで、ヴァーストスの求める役目を果たせるのだ、と。


「民に安らぎを、とはどういうことですか?」


 何をすれば良いのか、と聞いても具体的な答えは返ってこないので、少し質問を変えてみた。

 私が民に安らぎをもたらすというのなら、逆に言えば民に安らぎが足りていない、ということになる。

 街を見た印象からすれば活気ある街であったが、とても安らぎが足りていないようにも見えなかった。


「……今は人心が乱れているのだ」


 見てみるか? と言いながら、ヴァーストスが私の体を抱き寄せる。

 しっかりと回された腕に腰が固定されたと気付いた瞬間、座っていたはずの長椅子が消えた。


「え?」


 消えたのは長椅子だけではない。

 複雑な模様が織り込まれた絨毯も、石畳の床も、階下にあったもの全てが消えた。

 消えた、という表現は少し間違っている。

 私が今いる場所のはるか下方に、石造りの建物が見えた。


「私、宙に浮いて……?」


 そのことに気が付いた瞬間に、ヴァーストスへと身を寄せる。

 すでにヴァーストスの腕がしっかりと腰へと回されているため、その必要はないのだが、落とされてしまえば私は死ぬだろう。

 露台から落ちるなんて高さではない。


 足の下にある石造りの建物が、今まで居た場所だということが直感的にわかる。

 建物の周囲には小さな建物が密集し、街の中央には大きな泉があるのが見えた。

 泉からは真っ直ぐに神殿へと水路が引かれ、時折枝分かれをして街の住民達の憩いの水となっていることがわかる。

 都市は砂漠にあるはずなのだが、緑が多い。

 これがヴァーストスの加護の効果なのだろうか。


 視線を街並みの奥へとむけると、街を囲む城壁が見える。

 その先にあるのは砂漠だ。


「イソツ・ウオヤリスは私の都市だ。この街の時はわたしの影響下にあるため、外の影響を受けることはない」


「外の影響……というと、この都市以外はどうなっているのですか?」


「人心が乱れている、と言っただろう」


 すっとヴァーストスが腕を横薙ぎに振る。

 その瞬間、周囲の景色が一転した。


「……なんだか、街が灰色なような?」


 周囲を砂に覆われたイソツ・ウオヤリスの方がまだ色鮮やかだと感じる。

 一転した視界に移ったのは、周囲を森と草原に囲まれた街なのだが、街全体の雰囲気が暗い。

 彩度を落とした感じ、と言うのだろうか。

 目を凝らしてみれば街路樹や家々の窓辺に花が植えられていたりとするのだが、精彩に欠ける。


「この街ももう直ぐ始まるな」


「何がですか?」


「殺し合いだ」


 静かな声音で呟かれた言葉に驚き、改めて眼下の灰色の街を見下ろす。

 殺し合いということは、戦争か何かが始まるのだろうか。

 そう思って注意深く街を見てみるのだが、特に武器を集めているだとか、食料を用意しているといった様子はない。


「……気のせいか、街の人に生気がないような?」


 物資を集めているとった様子はないのだが、街で暮らす人々には表情が暗いという共通点がある。

 俯いて通りを歩いている女性がいると思えば、イライラとした様子で犬を蹴飛ばしている男の姿があった。

 子どもの姿もあるのだが、イソツ・ウオヤリスの子どもたちのような笑顔や笑い声はない。

 うつろな目をして路地の端に転がっていた。


「人が増えすぎたのだ。そのため、人間の国では騒乱が起こり、次々と為政者の首がすげ変わる。そして、それでも持って数年でまた騒乱が起こり、また首が変わる。そんなことをもう二百年ほど人間は続けているな」


 ちょうどここが区切りだろう、とヴァーストスが腕を振ると、また景色が切り替わった。

 区切りだとヴァーストスが言ったように、タイミングはだ。

 切り替わった景色の目の前で、為政者であったと思われる男の首が胴体から切り離される瞬間を見てしまった。


「……首がっ」


「あれは二年ほど前に、民たちを率いて前の為政者を討った男だ。新たな為政者となって特に圧政を布いたわけではないが、今日討たれることになった」


「二年前……」


 何があって以前の為政者を討つことになったのかはわからないが、新しい為政者になってたったの二年だ。

 以前の影響から抜け出すにしても、何かを持ち直すための簒奪劇にしても、まったく時間が足りていない。

 ようやくこれから、と言ったところで、今日討たれることになってしまったのだ。

 彼が良い為政者の資質を持つ者であったのならば、その無念は計り知れない。


「たった二年で何が変えられると……なぜ、あの街の人たちは、たった二年で彼を討つことにしたのですか?」


「なにも好転しなかったからだ。さすが二年は短慮がすぎると思うが……段々短くなってきているな。以前は十年や二十年は持っていた」


「……その言い方だと、ずっとこのようなことが続いている、というように聞こえますが」


「人心が乱れている、とはこういうことだ」


 人の心が乱れているために、冷静に考えれば判ることが判らなくなっているのだ。

 為政者が変わってたった二年やそこらで生活が変わることなどないと、私にだって想像できるのに、今首と胴体を切り離された男の民たちはそんな冷静な判断もつかなくなっている。

 男の治世が続けば好転したかもしれない生活を、男を討ったことで後退させてしまったのだ。


「人が増えすぎたのが原因だ、というようなことを先ほどおっしゃられていましたが?」


「大昔、一柱の神が勇者に討たれた。その影響だな」


 討たれた神が司る『死』を恐れた人間が勇者を用意して神を討ち、『死』が遠いものとなった人間は地上に溢れた。

 幸いなことに、人に神を殺せるはずなどなく、神が生きているおかげで『死』そのものがこの地上から消えてしまったわけではないため、死んでいく人間もいるにはいる。

 ただ、寿命で死ぬ人間の数は激減した。

 試しに聞いてみたところ、ヴァーストスの把握している人間の最年長は七百六十四歳だそうだ。

 日本のご長寿記録が可愛く感じる数字だった。


「……人が増えたのなら、開拓でもして外へ出たらよいのでは?」


「増えたのが人間だけなら、な」


 神を討ったのは人間だが、神が司っていたのは『死』そのものだ。

 死から遠ざけられたのは人間だけではない。

 地上に生きる全てもものから『死』が遠いものになったのだ。

 魔物も獣もみな平等に死から遠ざかり、数が増えた。

 そのため、新たな地を開墾することは難しく、結果的に人間は今ある街の中へと閉じ込められてしまったようだ。

 老人たちはいつまでも生きているというのに、子どもも新たに産まれてくる。

 ならば外に出れば良いのだが、外へ出ることも叶わない。

 街の内側でどんどん増える人口に、人々は隣人への思いやりなど遠い彼方へと忘れ去り、自分と自分の家族のことだけを優先するようになった。

 そのうち老人たちはこれ以上口が増えてはかなわん、と新たな子どもを歓迎しなくなり、うるさいだけで自分の世話すらまともにできない老人たちを若者は嫌うようになった。

 死が失われたせいで、家族間の助け合いですらも、現在は失われつつあるようだ。


「……民に安らぎをもたらす、とはこのことですか?」


「そなた一人に成せることではない。そなたはただのきっかけだ。そなたが在ることで、民に安らぎがもたらされることだろう」


 私に何ができるのかはまったく判らないのだが、この世界の現状がよろしくないということだけは嫌という程にわかった。

 たった数年で起こる革命が何百年も続いているということも、新たな命の誕生が喜ばれないということも、やはりどこかおかしい。


 ……でも、『死』から離れたことで乱れた人心へもたらされる『安らぎ』って?

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