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植人  作者: NAO
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審判の日

202X年7月18日午前7時10分【神奈川県 横浜市 某所】


「怠いな」


 梅雨空の蒸し暑い月曜朝の時間帯、市営バスの座席で揺られる石野光太郎はボソッと呟く。


先月末までの狂ったようなノルマ(会社は『課題』と表現する)から解放された光太郎の気分は、今月のノルマを思いゲンナリと下降していく。


 くそったれな会社はどこまで貪欲なのだろうか。


 三流私大を出てメガバンクの一角に就職出来たものの、理想と現実の乖離に精神はごりごり削られ、消耗する一方だ。消えても良いと何度思った事か。でも消える決断ができぬまま、しぶとく生きている自分に自己嫌悪してしまう。


公団団地を発車したバスは、横浜の住宅地によく見られる急な坂道をくねりながら走る。


 冷房の快適な空気を顔に受ける光太郎は夢見心地だ。

 横浜駅西口の終点までまだ時間があるので一眠りしようと光太郎はとりとめなく思いながら、ふと昨晩のニュースを思い出す。


昨晩はテレビのニュースやネットで珍しく「都市伝説的な話」を取り上げていたのだ。


「……なんだっけ。……ヴォイニッチ手稿だっけ?」


 ニュースでは「中世の書物から進化論的な発見が有った」と大真面目に伝えていた。


ネットのオカルト板では以前から解読不可能な文字と、奇妙な挿絵が何を意味するかユーザー達の謎解きが盛んに行われていたのだ。

中学生の頃からUFOやネッシー等のUMA(未確認生物)、心霊現象等に興味を抱いていた光太郎は、この「ヴォイニッチ手稿」のことも覚えていた。


 昨晩は久しぶりにニュースで取り上げられたのを視ながら「マスゴミもついにネタが尽きたのか?」等と思ったものだ。

 同時に、テレビの画面に写された手稿の挿絵が妙に頭に残っていた。


その挿絵は、浴槽に浸かる裸の女性と、女性の身体に絡みつく植物のようなものを描いていた。

 途中のバス停で乗客を増やしながら坂道を下るバスに揺られる光太郎は、挿絵をぼんやりと脳内再生する。


「あと、変な事を言っていたな」


 ヴォイニッチ手稿を取り上げたニュースの最後にアナウンサーが「祖は植人にならんと欲す、でしょうか」と意味不明なコメントで締めくくっていた。


 あれはアドリブ?滑ったジョークか?とりとめなく思いながら、アナウンサーのコメントを脳内で反芻する。


「祖は植人にならんと欲す」


 次の瞬間、身体が解れていく感覚に生命の危機を感じつつも、現実社会の辛さから解放される刹那的な心地良さに安らぎを覚えた光太郎の意識は、そこで途絶した。


 午前7時28分、日本全国で1000万人を超える人々が同時に溶解した。


――――――――


 同時刻【 東京都千代田区永田町 首相官邸 危機管理室】


 首相官邸は朝から緊迫した空気と慌ただしい動きに包まれていた。


「国土交通省から報告です!」

首相官房職員が叫ぶ。


「航空各社から飛行中の旅客機が多数消息不明との通報!一部は市街地に墜落している模様!」


「JRは新幹線、在来線共に異常事態発生の為運転中止!私鉄、メトロもです!」


 官房長官の須賀は、矢継ぎ早に入る異常報告を耳にしながら、冷や汗まみれの顔を拭うこともせず、必死に僅かな根性を振り絞って、職員に確認する。


「異常事態とは何だ?」


「どこも異常事態とだけしか・・・現在も状況が続いており、まともに話せません!」

職員の報告は要領を得ていない。


「今は情報の収集が最優先だ。警察・自衛隊にも、協力を要請しろ!」

須賀が直接指示を出す。


「総務省消防庁から入電!都内で多数の交通事故!道路通行が麻痺!」


「原因は?」

「人体溶解、だそうです・・・」


「「「「は!?」」」」

思わず須賀や他の職員の動きが固まり室内が沈黙する。


 室内のスピーカーにはさらに報告が入り続ける。


「こちらJR東京駅。乗客多数が列車内や駅構内で溶解!駅員も溶解!列車運転不可能!総合運転指令センター連絡途絶!」


 須賀は必死に叫びたい本能を抑え、1つの指示を出す。


 「今すぐにJアラート、緊急放送システムを作動させろ!民放各社にも要請して国民に外出を控えるよう指示するんだ!」


 須賀の指示により、全てのテレビとラジオチャンネルが政府広報に切り替わり、緊急放送の表示が流れる。


「全国各地で緊急異常事態発生。直ちに建物や地下街に避難してください」


 エリアメールが鳴らす聞き慣れない、不自然な旋律を耳にしながら須賀は、この後何が起きるのか想像するのが怖かった。


 30分後、緊急放送直後に官邸に到着していた日本国総理大臣 日向誠から、日本全国に非常事態宣言が発令された。

 同時に太平洋戦争後初めて、戒厳令の布告と自衛隊の治安出動を命令する緊急声明が全てのメディアを通じて世界に発信された。


後の世に「審判の日」と言われた異常事態が始まった。


――――――――――


 日本の非常事態発生から40分後 【米国 ワシントンDC(特別州)ホワイトハウス上空 】


 大統領執務室で補佐官と打ち合わせをしていたペンス大統領は、突然ペンタゴンから来た迎えのヘリに乗せられアンドリュー空軍基地へ向かっていた。

 アンドリュー空軍基地には常に大統領専用機(エアフォースワン)が待機している。


「アジアの我が軍兵士の安否はどうなっている?」

ペンス大統領が同乗していたマッコイ国防長官に訊く。


「いずれも当直を離れていた兵士の多くと連絡が取れず、又ある者は基地内で溶解しているとの事です」

マッコイが顔を青ざめさせながら答えた。


「ロシア熊どもがやったのか?」


「CDC(疾病対策予防センター)からは細菌兵器の可能性は極めて低いとの一次報告が来ています。現在も調査中です」


「ホワイトハウスへ向かう直前にロシア軍参謀総長からペンタゴンに細菌兵器使用の問い合わせがありました」

マッコイが報告する。


「ロシアも混乱しているようです」

「いずれにしても緊急事態だ。万一に備えねばならん」


「デフコンは2(出動準備態勢)に上げろ。モスクワと北京、同盟国にも通告するんだ!」

ペンス大統領が指示する。


 海兵隊の大統領専用ヘリは、アンドリュー空軍基地に着陸しようとしていた。



―ーーーーー日本の非常事態発生から50分後【米国 ニューヨーク CNNニューススタジオ】


 半分以上顔面が引きつって蒼白顔色の女性アナウンサーが、プロ根性を総動員して感情を抑えた低い声で視聴者に語りかける。


『番組の途中ですが、アメリカ国民の皆様、この放送を視聴されている全世界の皆様にお伝えします。

 本日東部時間23時頃、現地時間で朝の7時半頃から日本全土で多数の市民が突然溶解し始めたとの事です』


『現在、東京支局からの連絡は途絶しています。日本の国営放送は、先程から総理大臣による非常事態宣言と戒厳令の布告、自衛隊の出動を命令したとの緊急声明を繰り返し流すとともに、国民に安全な自宅から外へ出ないように呼び掛けています』


『ペンタゴン報道官は、日本の沖縄、佐世保、横須賀、座間、横田、三沢ベースは”機能している”とコメントしましたが、駐留兵士の安否についてはコメントを拒否しました』

 国務省報道官は、東京の大使館と連絡は取れているとしながらも、東京以外の領事館からの連絡が途絶していると発表しました』


『日本の異常事態に対して、間もなくホワイトハウスから緊急声明が出される模様です。国連の安全保障理事会は緊急理事会の開催を決定しました』


 ここまで一気に読み上げた女性アナウンサーは、一息ついた後に脇から差し出されたメモを受け取って一瞥すると、顔を俯けてしばらく無言となってしまった。


 やがて顔をあげた彼女の表情は恐怖を通り越して無表情になっていた。


『今入った情報によりますと、北京、ソウル、台北、マニラ、バンコク、ジャカルタ等アジア各地でも日本と同様の異常事態が発生している模様です』


『アジア全域で発生した異常事態により、ニューヨーク証券取引所(NYSE)は先程から”全ての”取引を停止、先物市場や原油取引も無期限閉鎖を発表しました。ロンドン、パリ、フランクフルトも同様の措置を取った模様です』


『未確認情報ですが、先程アンドリュース空軍基地からエアフォースワンが離陸したとの事です』


『CNNでは通常の番組を全て中断してアジアの異常事態について引き続きお伝えする予定です』


 女性アナウンサーを映した画面から、日本の国営放送が中継する渋谷スクランブル交差点を写す画面に切り替わる。

 世界的な観光名所として有名な渋谷スクランブル交差点は人気がなく、ただ人体の溶解した赤や黄色の液体が交差点一面に拡がる異様な光景となっている。


 画面の外で女性アナウンサーが何度も「アンビリバボー!!」と絶叫しているのをマイクが拾っていた。

 

 多くのアメリカ人は、アナウンサーと同様に呆然と言葉もなく画面を凝視していた。

 だが、遠いアジアの出来事であり、まだ自制心はある様だった。


 人々は知らなかった。


 夜明けとともにアジアの異常事態が''こちら''でも起こるということを。


 米国東部標準時7時30分、合衆国大統領マイケル・F・ペンスは全てのメディアを通じて全米に非常事態を宣言、全世界に展開する米軍にデフコン1(戦闘出動態勢)を発令した。



―ーーーーー同時刻


 ロンドン、パリ、ベルリン、ブルュツセル、モスクワ、北京でも同様の内容が各国政府から宣言された。


 この日、世界でどれだけの人間が溶解したかは各国政府の混乱により定かではないが、国際赤十字の非公式集計によると、少なくとも十数億人は超えていた。


――――――――――


 世界各地【7月18日~同月21日】


 人間が突然溶解する歴史的異常事態に世界は震撼し、パニックに陥った。

 全世界の国々が可能な限りの人員を投入して治安維持と事態の収束をったが人々の溶解は止まず、世界情勢は悪化していった。


ーーーーーー(以下、15年後に教科書検定で採用された日本の中学生が使う世界史教科書の記述より)


――――――7月18日 平壌標準時 正午


 北朝鮮軍が突如として中朝国境地帯を越えて中国吉林省に電撃作戦を展開し侵攻、同省内に在る人民解放軍ミサイル基地を占拠した。

 これにより北朝鮮は実戦配備可能なICBMを入手する事に成功した。


――――――同日深夜


 吉林省のミサイル基地から複数のICBMが発射され、日本海上空、北太平洋上空のそれぞれ高度400キロで核爆発が観測された。


 直後に大量の電磁パルスが北半球アジア・太平洋地域に降り注ぎ、各国で大停電が発生したのを始め、大半の電子機器がショートして使用不可能となり、地域のあらゆる活動が麻痺状態となった。


――――――7月19日 北京時間 早朝


 中華人民共和国政府中枢である北京の中南海地区で軍事クーデターが発生、共産党指導部要人の大半が射殺された。


――――――同時刻


 上海、南京、瀋陽、西安で地方政府が北京共産党からの訣別を宣言、北京政府支持派の人民解放軍に地方政府支持派部隊が攻撃を仕掛け各地で交戦状態となり、中国全土に内戦が拡大した。


中東では黙示録の最終戦争アルマゲドンが近づいたとの噂が真実味を持って広まり、危機感を感じたイスラエルがイランの首都テヘランと郊外にある核施設を中性子爆弾で攻撃、テヘラン市民と施設職員の大半が、大量の中性子で細胞を破壊されて死亡した。


テヘラン空襲の3時間後、シリア、リビア、エジプト、ヨルダンがイスラエルに宣戦布告し第五次中東戦争が勃発、 その日のうちにクネイトラ、ダマスカス、トリポリ、カイロ、アンマン、ガザ地区、ゴラン高原で核兵器が使用されこれらの都市は破壊された。



――――――7月20日 日本標準時 午前5時


 朝鮮半島38度線に展開する北朝鮮軍砲兵隊がソウルを砲撃、ソウル市街の7割が壊滅し700万人が死傷した。


――――――同午後1時


 北朝鮮軍機甲師団が38度線の非武装地帯(DMZ)を越えて電撃作戦を展開してソウルを実質的に占領。

 北朝鮮 朝鮮労働党代表の文委員長が首都を平壌からソウルへ遷都し、南北統一を宣言した。

 ソウルを失った韓国政府は、釜山を臨時首都として政府機能を移転させ、国連に対して国連軍の出動と平壌、開城への核攻撃を要請した。


――――――同日夕刻


 日本各地の米軍基地に北朝鮮の弾道ミサイルによる飽和攻撃が行われ、弾頭に搭載された放射性廃棄物により各米軍基地が被爆し、一時的に基地機能の停止を余儀なくされる。

 日米のミサイル防衛システムは日本の三大都市圏を防衛する事に成功したが、迎撃ミサイルの弾頭が不足して米軍基地への着弾を許す事になった。


――――――7月21日


 インドとパキスタンがカシミール地方で軍事衝突、全面戦争にエスカレート。

 カシミール方面の両軍陣地とムンバイ、イスラマバードは核兵器で破壊され、双方合わせて4億人が死亡した。


 朝鮮半島では国連軍として米国戦略空軍がグアム島から出撃し、平壌、開城に核爆弾を投下し両都市は死の都市となった。


――――――同日夜


 朝鮮労働党に代わり北朝鮮「共和国」臨時政府代表となった元人民武力相が韓国臨時政府と国連に停戦を申し入れた。


――――――同日、ヨーロッパ中央時間午後11時


 バチカンのサンピエトロ大聖堂でローマ法王がミサを行い、人類は「審判の日」を迎えており、直ちに全ての戦闘行為を停止し、人類全体の試練に立ち向かうべきとのメッセージを全世界に発信した。


 7月18日からの4日間で世界人口75億人のうち3分の1が戦争により死亡し、人々は人類滅亡の危機を間近に感じ、戦慄した。



――――――7月22日 グリニッジ標準時 午前4時


 ニューヨークの国連本部で緊急拡大安全保障理事会が開催され、全ての国家が直ちに戦闘行動を停止する決議を全会一致で採択、同日中に世界各地の戦争は終息へ向かった。

(四省堂書籍 「世界史 21世紀の国際情勢」より)



――――――その日、日本では人間溶解現象によって赤や黄色に拡がった液体から、スライムのような生物が身じろぎをすると光を放ちながら、ある形に成ろうとしていた事に気づいた者は誰もいなかった。

ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m

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