第一話 「バカな幼なじみ」
結局緑間が就寝したのは、夜というには若干おこがましい午前四時頃のことになる。珍しく朝起きられなかったのはそのせいだろう。遥に起こされるまで、緑間は普通に惰眠を貪っていた。
環が用意した朝食を食べ終え、身支度を整えた頃にはもう十時を回っていた。ちなみに緑間が起きた(起こされた)のは八時である。
昨晩、二時頃に遥から解放されたはいいが、色々今日のことについて思うことがあったわけで、寝るに寝付けず結局寝たのは朝方の四時だったのだ。それはもう、起きられなくても仕方がないかもしれない。
赤崎の母親との八年ぶりの再会。勿論緑間は遠足前日の小学生ではないし、ドキドキわくわくなど持ってのほかではあるが、それでも―思うところはある。
らしくもなく、暴力を振るってしまうかもしれないと緑間は思った。というか、暴力を振るわない自信がそもそもなかった。
赤崎の母親の対応いかんによっては、我を忘れて殴りかかってしまうかもしれないなど、緑間は冗談抜きに思っている。
おそらく彼女を恨み憎む気持ちは、当の本人である赤崎よりも、緑間の方が強いだろうから。
だが、そんな緑間に対し赤崎は、
「殴れれば、いいんだけどね」
と、意味深に言うだけだった。
目的地へは車で行った。運転したのは赤崎の祖父である衛で、助手席には祖母の環、そして後ろに緑間と遥がそれぞれ座る。
三十分ほどかかると言われていた道中は、始終ほとんどが無言だった。赤崎に似ても似つかずよく喋る遥でさえ、沈黙を保っていたくらいだ。
緑間としてはその、なんともいえない微妙な空気を不思議に思いはしたものの、かといって何を喋るわけでもなく。車窓から移り変わる景色をぼんやりと眺めていた。赤崎はやはり無言だった。
目的地に着いたのは、十一時近くである。いつの間にか眠ってしまっていたようで、緑間は今朝同様遥に起こされて目を覚ました。何故だかとても眠たかった。
車は砂利道の続く長い坂道の手前で停め、そこから先の交通手段は各々の足のみとなる。
照りつける太陽を背に、足場の悪い砂利道の坂を上りながら―どうしてこんなところで落ち合う約束をしたのだろう、と緑間は思った。
暑さにやられているのか、足元が覚束ない様子の遥に手を貸しつつ、しっかりと地に足をつけて一歩一歩前進する。途中から、坂道の両脇に生える木々達が良い感じで日陰を作ってくれて助かった。
だが、どうしたところで緑間の疑問が解消されることはない。
一体何故―どうしてこんな山奥に?
緑間は、環に何度か問いかけたが、彼女は苦笑いをして「もうすぐわかるんよ」とただはぐらかすだけである。もすぐわかるなら今教えてくれ、と緑間は本気で思った。
赤崎の方は飄々と涼しげな顔で宙に浮いていて、そこには一種の隔絶された空間が出来上がっているようにさえ緑間は感じた。暑くはなさそうであった。
ようやく坂道が終わって一行は一息つく。そこで初めて気がついたのは、線香の匂いがすることだ。さすがにこの後景には、緑間も唖然とした。
坂道が終わっても砂利道は続く。手を引いていたはずの緑間は、いつの間にか遥に手を引かれて歩く形になっていた。
赤崎静には、昔から霊を寄せ付けない力があった。霊媒体質だった緑間祭は、赤崎のその特異な体質によって、今まで霊(主に悪霊)の手から逃れることが出来ていたのだ。そう、赤崎がいたから。
その力は赤崎が霊となってからも有効であったようで、赤崎は生前のように―霊のくせに、緑間から霊を遠ざけた。
だからたとえ、今此処に百を越えるほどの霊がいたとしても、それらが緑間に対して何かを仕掛けてくることはない。どれだけの霊が此処にいようとも。
だが、引き寄せはしなくとも姿は視える。声だって聞こえる。今だって緑間の中には、たくさんの霊が抱えている負の感情が流れ込んできていた。
死にたくなかった。生きていたかった。助けてほしかった。お前が死ねばよかったのに。どうして私が死ななくちゃいけなかったの。
緑間は、ぶんぶんとそれを振り切るように首を振って、目を反らすように俯いた。繋いでいる遥の手は、心なし震えているような気がして―当たり前だ。彼女だって、姿は視えなくとも声は聞こえる。
それはある意味、姿が視えている緑間よりも、辛いものなのかもしれない。というか、今この状況で何も感じないのは衛くらいだろう。
一体どうして―盆が近い、霊がかえってくるこの時期に、墓地を再会場所に選んだのか。
精神的に厳しいことは、環にだって視えているのだからわかっているはずだろうと緑間は思う。視覚的にも聴覚的にも、正直かなりしんどかった。
それに、墓地にいる霊の全てが、良い霊だとは限らないのだ。今の赤崎に対し、悪影響を及ぼすおそれがある霊だって、多かれ少なかれいるはずである。それに関しても、環はきちんとわかっているはずなのだ。
それなのに、よりにもよってこんなところで落ち合う約束をするなど。
最早自殺行為だ。
この時点で若干(いや、かなり)キレかかっていた緑間だったが、なんとか理性でそれを押さえ込み、遥に手を引かれるまま歩いていく。
そして。
「は…は、か?」
一行が足を止めた先にあったものは、山ほどある内の一つである墓標だった。
藤黄家之墓、そう書いてある墓標の前。
混乱する。藤黄家―これは一体、誰の墓だ?
環が墓前に花束を置き、衛が杓子で桶に汲んできた水をすくい、墓石にかける。ちょろちょろと、水が墓石を流れていく。そして、遥も一緒に黙祷をした。緑間はしなかった。
怒りが急速にしぼんでいくのがはっきりとわかった。
赤崎がそっと目前の墓標を撫で、目を伏せる。
「あのさ、祭」
くるりと身を翻し、赤崎が緑間の方を向く。とても辛そう―いや、悲しそうな顔をしていた。
―何も知らないのは緑間だけである。赤崎も、環も、衛も遥も。緑間を除く全員が、全てを知っていた。知っていて、今まで隠していた。
そのことに関して、緑間は怒りすら湧いてこなかった。ひどい脱力感だけが自分を支配している。
確かに環は、一度だって待ち合わせたとは言っていない。
それに、おかしいとは思った。昨日の今日で会える―だなんて、おかしいと、そう思ったじゃないか。
遥がぎゅうっと緑間の手を握った。歯を。歯を、とりあえず食いしばる。というか、食いしばることしか出来ない。
(何が、絶対に許さないだ)
こんなの、許すも許さないも、ねえだろうが。
『殴れれば、いいんだけどね』
殴ることすら、出来ないって言うのかよ。会って文句を言うことすら―出来ないっつうのかよ。
赤崎の気持ちが、埋もれてしまいそうになるくらい膨大に、とめどなく緑間の頭に流れ込んでくる。
ああ、だから、本当に。
(厄介な能力だよ、こいつは)
その現実に、誰よりも覚悟が出来ないでいたのは。 ※もう離れられること。
バカな幼なじみを庇って死んだ―バカな幼なじみの幼なじみではなく。
消えたあいつの方じゃなくて、
「―僕の母さんは、遥を産んですぐ亡くなっているんだ」
幼なじみに庇われて生かされた、バカな幼なじみの、俺の方だ。




