8:大ピーンチ!!
いったい何時間走り続けているのだろう。暗かったはずの森の中も、今は朝日が強く照りつけていて、僕とアイツの影がよく見える。
一生懸命せまくて通りづらい道を選んで逃げているのに、アイツは邪魔なものをみんな力づくで薙ぎ倒して追いかけてくる。
僕のことを殺すために。
足元の小石に躓いた。転んで、すぐに立ち上がろうとするけど、動かない。体がいうことをきいてくれない。アイツが近づいて来ているのに。
すぐ近くで大きな咆哮が聞こえて、目の前にある木が倒れた。その木と僕の間には何もない。アイツが数歩歩いただけで僕を潰せるだろう。
・・・アイツが姿を現した。目がギラギラと光っていて、大きな口からは涎がダラダラ垂れている。
ああ、僕は死ぬんだな。そう思って目を閉じた。僕を逃がすために死んでしまったははうえには申し訳ないけど、どうしようもない。
アイツの足音が、止まった。もうすぐ、アイツの前肢が振るわれて、僕は肉塊になる。
少し恐怖を覚えて体を強張らせると、何か柔らかくて温いものに抱き上げられた。
驚いて目を開けると、そこには、金髪碧眼の人間の女がいた。
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「ん~・・・いい朝だなぁ~」
眩しい朝日と小鳥の声で目を覚ました私は、部屋に満ちた森の香りを胸いっぱいに吸い込んで、大きく伸びをした。
私よりも先に起きていたフィリアちゃんは、頬を桃色に染めて、鼻血を垂らしていた。
『大きく欠伸をしたときの眠そうな顔とか、その時に大きく揺れる柔らかい胸とか、胸とか・・・ご馳走さまです』
朝からどこを見てるんだコイツ・・・。よし、ちょっとからかってやろう。
思い立ったが吉日とばかりに、フィリアちゃんをつまみ上げ、私の胸の谷間に埋めた。
世の男どもが見たら、羨ましさと悔しさに発狂していただろう。
驚いて目をパチクリとさせていたフィリアちゃんは、私の胸を恐る恐るつっついて、自分の置かれた状況を理解したようだ。
その瞬間、急に顔を真っ赤にしたかと思ったら、大量の鼻血を勢いよく噴き出して、昇天してしまった。
これは私もドン引きした。
私の予想としては、血の量は多くなるけど、緩んだ顔をして『あたし今日死んでも未練はないわ』とか宣言すると思ってたんだけど。
いや、どっちもどっちだけど。
まさか意識が無くなるとは・・・(しかも鼻血の飛距離も凄い)。
ってパジャマが血濡れじゃん!どうしてくれるんだよ!
『あ、鼻血は一応魔力でできてるから汚れないよぉ』
そうなんだ。じゃ、いっか。・・・ってフィリアちゃん復活早っ。
心の中で突っ込みをいれていると、ミレディさんに「朝ごはんできたから早く起きなさ~い♪」と言われてしまった。急いで着替えて、寝室のドアを開ける。
そのとたん、朝ごはんのいい匂いが漂ってきた。
今朝は焼きたてのパンに、ミレディさん特別製のフルーツ+花びらのジャムをつけて、いただきます。煎れたての紅茶も美味しい。ん~幸せ!
「あー、そうだ。シルヴィ、肉が今日の夕飯分で最後だから、狩りに行ってもらいたいんだが」
パンをモグモグしていると、バルドさんが私にお仕事をくれた。久しぶりに働けるぞ!
「狩りはこの前一緒にやったから大丈夫だろうが、油断は禁物だ。この森には基本低ランクの魔物しかいないが、世の中何が起こるか分からんからな。手強い相手だったら、すぐに逃げるんだぞ」
「うん、ひゃんほきをちゅけるお(ちゃんと気をつけるよ)」
しまった、モグモグしたまま喋っちゃったよ。
「おいおい、本当に大丈夫なのか?まあ、気をつけて行ってこいよ」
「(ゴックン)はーい!」
食べ終わったので、さっそく出発だ。
フィリアちゃんは一旦自分の家に帰るので、私の頬にキスをしてから飛んでいった。前世では考えられない挨拶だけど、最近はもうすっかり慣れている。毎晩バルドさんとミレディさんにおやすみのキスを両頬に貰っているし、わたしも二人にしているからだ。バルドさんのは、してもされても髭がくすぐったいが。
それはともかく、出発前の確認だ。装備は森の中でも身軽に動くために半袖半ズボンで、靴は膝下まで足にぴったりついて柔軟性のある、編み込みブーツだ。防具は革製のベストぐらいしかしていない。いざという時は胸元のペンダントが護ってくれるからだ。武器は弓と、止めを刺すためのレイピアを持っていく。短剣はこの前の狩で折ってしまったので、とりあえず大剣よりは使いやすいレイピアを選んだ。というのも、森の中で大きな武器を振り回すことは自殺行為だからだ。だから、レイピアも少し刀身が短めのものだ。
長い髪を邪魔にならないようにポニーテールにして、家を出る。
歩いて一分くらいで森に入った。結構近い。
何を狩ろうかなー・・・この前の野うさぎのシチューは凄く美味しかったんだよね。よし、野うさぎを狩ろう。
水場は動物達が飲みに来るので、その辺で足跡を探すよりよっぽど効率がいい。だから、近くにある湖の、茂みに身を隠す。
息を潜めて数分後、さっそく獲物がやって来た。が、野うさぎではなく大きな鹿に似ている動物だった。
狩れるけど、持って帰るのが大変だし三人では食べきる前に腐ってしまうだろう。そういうことは避けたいから今は見逃す。
暫く様子を見ていると、突然その鹿が湖から顔を上げたかと思うと、逃げ出してしまった。気配が隠しきれてなかったのかなぁ、と思ったが、すぐ近くで大きな咆哮が轟いた。
すこーし怖かったけど、好奇心に負けて咆哮のした方へ移動する。現場に近づけば近づくほど、周囲の様子は酷くなっていた。大きな足跡が草花を踏み潰し、木々は抉れ、倒れている。これはヤバくないか?と思ったときには、そこに到着してしまっていた。
おーまいがー
私が一番に思ったことは、それだった。
そこには、巨大な熊がいた。
高さは3m弱ぐらいあって、いやに長い爪と牙、血走った目が普通ではないことを表していた。
こ、これは・・・魔物じゃーん!
実は魔物を見るのは初めてだったりする。
魔物というのは、普通の動物と見かけが変わっていて、1.2倍くらい強くなっているものだ。発生条件には諸説あるが、既にいる魔物が子供を産むか、動物が大量の魔力を浴びて突然変化する、というのが一番押されている説だ。というかほぼ確定。そして、魔物は必ず体内に魔石を持っている。これは、魔物の定義である『魔力が結晶化した魔石を体内に保有している動物』の由来であり(ていうか、そのまんま)、強い魔物ほど大きくて純度の高い魔石を持っている。ちなみに、魔石は前世でいう石炭みたいなもので、色々な魔力型装置に燃料として使われている。だから、最も高く売れる魔物の部位のひとつだ。
さて、私がガックリくる理由はそれだけではない。なんと、ズタボロの雑巾みたいな黒い猫ちゃんがいたのだ!しかも、さっきのおっかない熊に狙われてる。そう!もし、熊だけだったら私は全力で逃げたのに、か弱い猫ちゃんが絶体絶命の大ピンチだったのだ!に、逃げられない・・・!良心の呵責に耐えきれない!
私が葛藤していると、熊が、猫ちゃんに向かって動き始めた。私の本能が、猫ちゃんが危ないと言っている。
だから私は、熊が前肢を振り上げても構わず走った。そして、爪が届く直前に猫ちゃんを拾い上げて、勢いにまかせて転がった。私が間一髪で避けた攻撃は、衝撃波だけで猫ちゃんの後ろにあった木を粉砕した。
そしてその木が倒れて、唯一の逃げ道が、塞がれた。
う、嘘だろー・・・。
これが最後の言葉になる気がした。
あるー日、森の中、熊さんに、出会ーった♪
・・・初登場の魔物は熊でした。
よく、他の小説ではゴブリンが初めての魔物だったりしますが、あれは気持ち悪いです。女の敵です。
と、いうわけで生理的な恐怖ではなく、本能的な恐怖を抱く熊さんにしました。
皆さんは、熊が出るような森に行ってはいけません。『俺の封印されし右手の力で倒してやる!』とか思ってはいけません。無理です。