河野しげるの日常2-3
ようやく事態が収拾したと判断した僕は、他の生徒に習って授業の準備をし始めた。といっても教科書とノート、筆記用具を机の上に置くだけの作業なのだが、今日の僕にはその他にもやるべきことがあった。前々から考えていた善悪カウンターの数字を効率的に減らす手段。それを実行に移す時がきたのだ。
僕が自らのすばらしき計画について思いを馳せながらニマニマしていると、隣の席からちょいちょいと僕をつつく者がいた。
「……おいしげる。しげる」
振り向くと、右隣の席で浅波佑真が弱々しい八の字眉毛でこちらを見ていた。そう、何を隠そう彼女は僕の隣の席だ。
「騒がしくしてしまってすまなかった。まさか小型のハンマーがストラップではないだなんて思わなかったんだ。……トンカチならよかったのかな」
「あっはっは。気にすることないさ。僕もよくストラップとスクラップを間違えるし」
「そうか……すまない。ああ、ところでしげるに少し頼みたいことがあるのだが……」
「なんだい、水くさいな。僕らの仲だろう何でも言ってよ」
「そうか助かる! 実はハンマーの調子が――」
「おっと忘れるところだった! 僕は今日どうしても外せない用事があるんだった。命に関わる大事な用件だからいくら親友の頼みと言えど聞けない可能性が高いなあ!」
「うーむ……残念だが仕方がない。藁人形で我慢しよう」
さて危ういところで死線を逃れた僕だが、まだ生命の危機が去ったわけではない。僕の息の根を止めようと三日置きに活動する死神。善悪カウンターだ。
これを手に入れた経緯については先程も言ったように話が長くなるので簡単に説明するが、僕は幾ばくかの特殊な能力と引き換えに、三日置きに良い事と悪い事を三つずつ行うというミッションをクリアする必要がある。制限時間は二十四時間。これを過ぎると死ぬ……らしい。
条件が条件だけに試すことができずにいるが、おそらく本当のことだろう。少なくとも僕に備わった力は本物で、疑いようがないものだ。
ちなみにその力をご親切にも授けてくれたのは、通りすがりの宇宙人。……いや、もしかしたら通りすがりではなく待ち伏せていただけかも知れないが、結果は同じことだ。僕は彼らに拐われて、体内に極小の機械――ナノマシンを注入された。形式的には僕の望みを叶えたという形になってはいたが、あれは計画的なものに違いない。
そしてこの数ヵ月。僕はミッションを着実にクリアしていくと同時にこのナノマシンの使い方についても研究を重ねてきた。残念ながらいまだに透明人げ……いや、僕の望む使い方はできないようだが、いくつかの新しい技は手に入れた。
僕は早速その成果の一つである代物を、鞄の中から取り出した。ウズラの卵程の大きさと形を有するその黒い物体は、僕がプログラムした特性のナノマシンである。
僕にはナノマシンを使う上で非常に有利な管理者レベルの権限がいくつか与えられている。その一つが体外でのナノマシンの使用だ。
ちなみにこの卵自体は体内で作成した。あいにくと○ッコロ大魔王のように口から産み出すという度胸は僕にはなかったので、別の場所を使うことにした。どこを使ったのかは企業秘密だ。まあ、将来の予行練習にもなったし一石二鳥だろう。
しばらくの間僕が作り出した綺麗なその球体を眺めていると、いつの間にか授業が始まったようで国語の担当教員が教科書の指定のページを開くように指示をしていた。僕はそれに従ったふりをして教科書を広げ、その下に隠すようにして卵を机の上に置いた。同時に卵を構成するナノマシンに起動命令を下す。それに応じて卵は教科書の下で変形を始め、あらかじめプログラムしておいた形状へと変化する。
現れたのは十数匹の蚊。教室でばれないように活動させるには、これが限界の大きさだろう。生まれたての子供達一人一人に新たな命令を与え、教室中に飛散させる。初めての試みなのでうまくいくか不安だったが、ナノマシンの蚊は案外うまいこと羽を動かし、瞬く間に所定の位置へと移動した。
さて、これでようやく準備が完了したわけだが、まだ実行するわけにはいかない。悪戯というのは、最大限の効果を発揮する瞬間に最高のパフォーマンスをすることで初めて悪戯として成立するのだ。やりすぎるとただの暴力と化してしまうし、手を抜くと悪戯であることすら気づいてもらえない。悪戯をする方も、こう見えて色々と気を使っているのだ。これを機にされる側の諸君も気を引き締めていただきたい。
僕は先生が教科書の文章を読ませるのを見て、一匹の蚊を前の方の席にいる穂夏の元へ飛ばした。国語を担当する榎本先生は、いつも席の順番で生徒を当てる。穂夏を選んだのは彼女があと数回で当てられる位置にいるのと、いつも悪戯の対象としているのでやりやすいという理由だ。
ナノマシンの蚊は命令に従って瞬く間に彼女の元へ到達し、呑気に教科書を眺めている穂夏の腕に止まって口吻を差し込んで特製のナノマシンを静脈に注入する。このマシンは人の体内で性欲を促進させる物質――いわゆる媚薬を作り出すことができる。もちろん効果は永遠ではなく、一定時間経つとナノマシンが自身を分解する仕組みだ。
一人二人と当てられた文章を読んでいき、ついに穂夏の前の席の生徒が当てられたその時、効果は表れた。いつもお行儀よく座っているはずの穂夏がもじもじと足を動かし、顔が見るからに赤らみ始めた。どうやら企みは成功したようだ。
「――えー、では次、五十八ページの十行目から次のページの最後までを。華柳」
「は、はい……」
いつもより若干上擦った声で返事をした穂夏は、非常にゆっくりとした動きで立ち上がった。見ると、おしっこを我慢しているかのように股を閉じて懸命に何かを堪えているようだった。……ナノマシンに、カメラ機能でも付けておけばよかった。
「……私は、走った。服が乱れるのも構わずに、ひたすら走った。雨に濡れた服が……んっ……。肌にへばりつき……呼吸は乱れて……あっ、んん! はあ……心臓が脈打つ音が……耳に届いた。私は叫んだ……彼の、名前を。淫らな獣のように……何度も、何度も……あっ、やあ……もう、だめっ!」
わずか数行読んだところで、穂夏は耐え切れなくなったらしく体をビクビクと痙攣させながら机に突っ伏した。顔は湯気がでそうなほど赤くなっており、呼吸も激しい。少々分量を誤っただろうかと心配する僕をよそに先生は意外と俊敏に対応し、保険委員を呼んで穂夏を保健室へ連れて行かせた。ちなみにその間隣の席の男子はごくりごくりと生唾を飲み続け、その他の男子も明らかに穂夏へ視線を送り続けていた。いやはや男というのはわかりやすい生物である。まあ僕も涎を垂らしながら凝視していたけれど。
さて予行練習も済んだことだし、そろそろ本番に移るとしよう。僕は騒ぎに乗じてナノマシンをそれぞれ手近な席の生徒に接近させ、いつでも実行可能な状況で待機させた。騒ぎが収まり、先生が再び生徒を当て始めるのを見計らって、ナノマシンの蚊を使い数人の生徒を刺した。
今使用したのは遅効性の睡眠薬だ。効果に時間差をつけるため、配合量を調節してある。幸いにして国語の授業は『榎本ゾーン』という名称をつけられるほど睡魔が襲ってくる授業として有名なので、僕が怪しまれる可能性は皆無だ。思わず笑いがこみあげてきそうになるのを必死に抑えながら、僕はしばらく教室の様子を観察した。やがてもっとも配合量の多かった生徒から一人、また一人と頭が下がっていき、授業時間の半分が過ぎた頃には三分の一近くの生徒が机に突っ伏していた。僕が投薬した人数よりもだいぶ多い気がするけれど、たぶん気のせいだろう。
僕としてはここで先生に喝の一つでも入れられることを期待していたのだが、あいにくと寝ている生徒を注意するような熱心な先生ではなかったので、授業はその後いつも通り平穏無事に終了した。念のため左手のひらを確認してみると、悪い事を示す『wrong』の値が一つ減っていた。今までは休み時間や放課後でしかミッションを行えなかったが、この方法ならば授業中にも消費できる。我ながらすばらしい手法である。次回はぜひともカメラ機能を実装しよう。うんそうしよう。
適当ですんませんんん。ひっさしぶりの更新ですな。




