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平塚志之の日常-4

 私の持つ刃物を恐れもせずに、唐薙はこちらに向かって突っ込んできた。何の工夫もないその単調な体当たりをかわしつつ、私は小手調べのつもりで彼の肩に切りつけた。

 乾いた金属音と共に、私のナイフは黒い膜に傷一つつけることなく弾かれた。衝撃で硬質化するようになっているのか、流体のままそのような硬度を持ち合わせているのかはわからないが、未知の物質であることには違いない。

 体勢を立て直して再び攻撃に移ろうとした瞬間、先の粗末な体当たりとは比べ物にならないほどの精錬された動きで、唐薙は私の懐に正拳付きを繰り出してきた。とっさに腕を出して防御するが、衝撃をいなしきれず後ろに突き飛ばされた。骨の髄まで響くようなその拳打は、とても素人のものとは思えない。

 反撃に移る間もなく、私の肩目掛けて二打目が襲ってきた。身体をひねって避けたところに、容赦のない膝げりをくらう。

 内蔵がえぐれるのではないかと思うほどの衝撃を腹に受け、私の身体は後方へ弾き飛ばされた。空中を数メートル浮遊した後、後ろに止まっていた車のフロント部分に背中から突っ込んだ。

 このわずか十秒足らずの戦闘で、早くも身体が悲鳴を上げ始めた。損傷を受けた箇所で、ナノマシンが活発に活動しているのがわかる。折れた骨の位置を修正し、体内の出血を押さえる。唐薙の身体を覆う膜は、防御だけでなく攻撃にも貢献しているようだ。いくらナノマシンで強化されているとはいえ、肉体の強度は運動能力ほど上がっているわけではない。

 さらなる攻撃を加えようと突っ込んできた唐薙を、私は横っ飛びに避けた。放たれた拳が、まるで大砲にでも撃ち抜かれたかのような穴を車のフロント部分に空ける。どうやら攻撃力では、及ぶべくもないようだ。

 私は声帯に寄生したナノマシンを稼働させ、高速で振動させた。人間の可聴域を超える二万ヘルツ以上の音、いわゆる超音波と呼ばれるものだ。

 強化された聴覚が反射した音を捕らえ、周囲の状況を鮮明に伝えてくれる。反響定位エコーロケーションという特殊な能力。コウモリやイルカなどの一部の生物が持つその力を、ナノマシンによって再現したのだ。

 車に突き刺さった腕を引き抜いて、唐薙が再び攻撃を開始した。幾度となく放たれた拳を、私はすべて紙一重で回避した。目まぐるしく流れてくる大量の五感情報で能が圧迫されるが、今ナノマシンを停止させれば負けるのは目に見えている。

「……まいったな。攻撃が当たらねえ」

 一分近くの攻防の末、唐薙は間合いを維持しつつも攻撃の手を休め、何かを思案するかのように立ち止まった。

 束の間の休息を得た私だったが、まだ安心はできない。奇襲に備えてナノマシンをフル稼働させておかなければならない私にとっては、一分一秒の時間も惜しいのだ。このまま攻勢に移れなければ、負けは確実。かといって、無策で飛び込んでも私の攻撃力では唐薙の体表を覆う膜を破れない。

 退くか攻めるか。二つの判断の間で揺れ動く私の視覚に、ふと気になるものが映った。

 宙に浮かぶ、黒い塵のような物体。唐薙の身体から発生していると思われるそれは、おそらく例の黒い膜が剥がれ落ちたものだろう。時間経過と共に硬質化し、分離するならば、削ぎ落とすことも可能かもしれない。

 一か八かの可能性に賭け、私は攻勢に出ることにした。動きの止まった唐薙に向かって突進し、ナイフを叩きつける。その一撃はあっけなく腕で防がれたが、私は気にせず攻撃を続け、できるだけ同じ箇所に当たるように気をつけながらナイフを振り続けた。刃の表面が変形し、もはや刃物と呼べなくなってきた頃、ようやく唐薙の腕の膜から黒い粉塵が舞った。チャンスとばかりに、渾身の力を込めてナイフを振るった。

 次の瞬間、腕に凄まじい衝撃が走り、ナイフは真ん中で二つに折れた。腕が痺れ、筋肉が一瞬硬直する。

 そのわずかな隙をついて、唐薙の拳が飛んできた。なんとか身体を捻って回避するが、例の黒い膜が突如として膨れ上がり、私の腹に打撃を加えた。

 衝撃でまたしても後方へ飛ばされた私は、再び開いた内臓の傷の痛みによって立つことも困難な状況だった。頭は今このときも大量に流れ込んでくる五感情報によって、割れるように痛む。そもそもナノマシンを保有しているという点以外は一般人とさほど変わらない私にとっては、激痛に耐えるというだけでも十分な苦痛だ。

 もはや取るべき手段は逃亡しか残されていなかったが、怪我をした状態で逃げきれるほど、目の前の相手は甘くない。どうしたものかと困り果てる私の耳に、遠くからバイクのエンジン音が聞こえてきた。一瞬白バイかと危惧したが、サイレンの音はそちらの方向からは聞こえてこない。私が判断に迷っている間にも、バイクは停車した車の間を縫ってこちらへ近づいてきた。

 警戒して身を引き締める私だったが、バイクは私の横を素通りして数メートル直進し、唐薙との間に割り込むようにして停車した。全身を黒い服装で固めたその人物は、身体のラインからして女性のようだった。

「……ん、誰だあんた。悪いことは言わないから離れた方がいいぞ。そいつは殺人鬼だ」

 簡潔な説明。しかし地面に横たわる死体を見れば十分に脅威が伝わる唐薙の言葉を聞いても、彼女は微動だにしなかった。どころかこちらを振り返り、手振りで後部座席に乗るよう示してきた。状況から判断して私の味方をしたいようだが、胡散臭いことこの上ない。

「へえ、味方がいたのか。じゃああんたも、敵でいいな」

 こんなやつは知らないと言いたいところだったが、信じてもらえるわけもない。それに事態が差し迫っていることは明白で、私には起死回生の手段はなかった。仕方なく、私は痛む身体を無理矢理動かしてバイクの後部座席に乗り込んだ。

 唐薙はとくに焦ることなく、ゆっくりとこちらに近づいてきた。最高速度ならともかく、ナノマシンを搭載した人間に瞬発力でバイクが勝ることはないと、私は経験から知っていた。どうするつもりなのかと前に座る人物を見やると、ちょうど彼女が懐から拳銃のようなものを取り出して唐薙に向けるところだった。銃身が極端に幅広で、銃器に関して多少知識のある私でも見たことがない代物だった。

 彼女が引き金を引いた瞬間、小さな球状の物体が銃身から飛び出すのを私はかろうじて確認した。着弾と同時に、唐薙の身体を青白い閃光が包み込んだ。手足を硬直させて地面に倒れ込んだ唐薙を尻目に、バイクは身の危険を感じるほどの加速度で発進し、その場を後にした。

 私が引き起こした渋滞のおかげで、前方の道路は不自然なほどに空いていた。反対側の車線を、入れ替わるようにしてサイレンを鳴らしたパトカーが通りすぎて行く。タイミング的には、まさに間一髪といったところか。

 バイクはそのまま環八通りを直進し、しばらくして路地に入り、何度か右左折をしてからアパートのような建物の前で停車した。明らかに年期が入った様相で、屋根などは錆び付いて今にも崩れそうだ。

 バイクを降りるなり、運転手の女性はヘルメットも取らずにアパートの二階へ続く階段に向かった。おそらくついて来いという意味だろうと判断し、彼女の後に続いて階段を上る。

 女性の部屋は、二階の一番奥にあった。部屋には必要最低限の家具しかなく、普段使用しているのかも怪しいくらい閑散としていた。

 部屋の中央にはテーブルと椅子が二脚あり、彼女はその片方の席に座ってからようやくヘルメットを脱いだ。

「……どーも、シノさん久しぶり。といっても、昨日会社で会ったばかりだけどね」

 不気味なほどに晴れやかな笑みを浮かべるその人物は、私のマネージャーをしている御厨怜だった。予想外のことに戸惑う私を気にも留めず、御厨は話し続けた。

「てか、そのお面もう脱いだら? ちょっとばかり長い話になるし、正体もとっくにバレてるから意味ないよ。脱いだらそこの椅子座って」

 仕方なく、私は彼女の言う通りお面を取って椅子に座った。

「お前、御厨か?」

 ふいに口から漏れた疑問は、確認するまでもないことだった。質問したことを、私は少々後悔した。

「ええ、そうよ。まあ、シノさんが思っている『御厨怜』とは大分違うけどね」

「違う……とはどういう意味だ? いや、そもそもなぜお前があの場に現れた?」

「あはは、そんな矢継ぎ早に質問しないでよ。一つ目の質問に関しては簡単よ。私、人間じゃないの。ああ、といってもナノマシンを注入された人間、という意味ではなくて、文字通り人間とは別種の生き物って意味ね。あなた達の言い方で言えば、宇宙人かな」

「宇宙人……」

 私に力を授けた者も、確かそのような自己紹介をしていた。あの時は白昼夢でも見ているのだと思ったが、今となっては現実に起こったことであるのは明白だ。

「そう、宇宙人。シノさんにナノマシンをくれた人達とはちょっと違うんだけどねー。所属している共同体は同じだけど」

「……その言い方だと、他にもあるように聞こえるな」

「うん、あるある。ただし、彼らが地球に来ることはまずないよ。私達とは技術力が雲泥の差だから」

 どうやら、宇宙人とやらは私が思っていたよりも数多く存在しているようだ。

「それで、私を監視していたのは何の目的で? 助けられたということは、どこかで見ていたということだろう」

「わお、さっすがシノさん、話が早い。そう、私はある目的のためにあなたを監視していた。仕事している時も寝ている時も、トイレで用を足している時もお風呂に入っている時もね。シノさん、結構いいもの持ってますね。きゃー言っちゃった」

「……それで、なぜ私を監視していた?」

「うわ、相変わらず冷たい! うーん、もう少し引っ張りたいところだけど、仕方ないから教えてあげる。私が所属している共同体は、『ゼノックス』。私達の目的は、すべてを知ること。何においても、情報の取得と保護を最優先に行動する集団よ。宇宙に数多ある共同体の中では比較的大人しい方だから、武力によって惑星を侵略する、みたいなことはやってないから安心して 」

「……安心しろ? わざわざ地球人をさらって改造してしまうような連中を相手に? できるわけがないだろう。どちらにせよ、社会というのは異端をことごとく排除する。例え和平を求めようとも、人間をいじくり回していたことがバレればお前達に敵対心を抱く者が少なからず発生する。愚かな権力者達は、ちゃちな正義感を振りかざして民衆を操作し、最悪の場合世界が真っ二つに割れることにもなりかねない。人間なんてそんなものだ。安心はできないよ」

「へえ、そんなもんですか。まあ確かに、私達がやっているのことは人間の『倫理』に反する行いだけど」

 そう言って、御厨は一拍置いて含み笑いを一つした。彼女らが倫理の類いを気にするとは、少し意外だった。

「ねえ、今ゼノックスが地球で行っていることの意味、わかる?」

「……そんなもの知るわけがないだろう」

「ふふっ、やっぱりレベル4じゃ調べられないか。私達の目的はシンプルだよ。人間を知ること。それが今回の目的。様々な条件を課して人間にナノマシンを与えたのは、反応を調べることで人間の精神の成り立ちを調べるため」

 御厨の答えは、私が予想していたものとだいたい同じだった。 そもそもナノマシンをくれた宇宙人が調査のためだと明言していたのだから、特に驚くべき情報ではない。

「それで、続きは?」

「あ、やっぱそういう意味での『知らない』ってことね。一応表向きの理由は、被験者に教えるようにしてるけど、最も重要な部分は基本的に秘密にしてるの。ただし、私のように選ばれた人間には、それを教える権限が与えられる」

「つまりその重要な部分ってのが、あんたの仕事に関係しているということだな」

「大正解! というか、シノさん他人行儀過ぎない? 名前で呼ぶか、お前って呼んでよ。あ、嫌ならハニーでもいいよ」

「……お前の目的はなんだ。さっさと答えろ」

「やーん、怖い。そんなにがっつかなくても教えるってば。ゼノックスが最優先目的としているのは、共同体に参加させてもいいと思えるような人間を探すこと。つまりは仲間探し。私の目的もそれと同じで、自分の気に入った人間を仲間にすることよ。例えば、シノさんとかね!」

「ナノマシンを与え、条件を課して行動を縛ったのもその一環か」

「そうそう! 実は私の種族と人間って見た目がそっくりでさ、ちょっと身体をいじくれば異種交配もできるらしいのよね。おまけにシノさんってほら、イケメンだからさ。私一目惚れしちゃったんだよね。クールで頑固なところも私好みだしー」

「…………ようするに、スカウトマンのようなものか」

「そう、当たり。一応、地球の言葉ではアドバイザーと呼ばれてるの。日本語では助言者だけど、カタカナの方がかっこいいでしょ?」

 正直ネーミングについてはどうでもよかったが、これで色々と謎が解けた。例えるならば、ノアの方舟に乗せるものを選ぶ選定者といったところか。

えーなんだか久しぶりの投稿です。正直あまりいいできとは言えないけれど、このままズルズルと投稿しないのもアレかと思ったので……。

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