七十五話 誘蛾之計
朝。
村。
ソウとミコトが並んで歩く。
「おはよう、ミコト様。」
「おはようございます。」
村人たちが笑顔で挨拶を交わす。
ソウも軽く頭を下げた。
◇
畑。
老人が手を振る。
「ミコト様。」
「水路、どうですか。」
「とてもいい塩梅です。」
ミコトは笑う。
「よかったです。」
ソウはミコトを見る。
「村のみんなが困らないようにするのも、お役目のひとつ。」
「今少しずつ、お母様から教わってるの。」
ソウは頷いた。
「忙しいね。」
「うん。」
「でも好き。」
そう言って笑うミコトを見て。
ソウも少しだけ笑った。
◇
村外れ。
荷馬車が止まっている。
行商人だった。
「おや、ミコト様。」
少し世間話をして。
行商人が声を潜める。
「そういや。」
「宮守の方で鬼が増えてるらしい。」
兵介が眉をひそめた。
「鬼?」
「旅人が襲われたって話だ。」
「酒蔵の近くだとか。」
ソウが静かに聞く。
「酒蔵。」
「ええ。」
「近頃、誰も近寄らなくなりました。」
ミコトは少し不安そうな顔になる。
「……ありがとう。」
◇
上代家。
屋敷へ戻ると。
アキが待っていた。
机の上。
仙花。
小さな器。
砕いた薬草。
紙いっぱいの書き付け。
「調べ終わりました。」
全員が座る。
◇
アキが静かに話し始める。
「仙花。」
「これは酒ではありますが。」
「毒です。」
兵介が顔をしかめる。
「毒?」
「ええ。」
「飲めば。ほとんどは死にます。」
静かな空気。
「稀に。」
「彼岸を越え鬼となる者が現れます。」
ソウは黙って聞いていた。
「そして。鬼となった者は。」
「酒が切れると人へ戻ります。」
兵介が驚く。
「戻るのか。」
「ですが、再び仙花を飲めば、再び鬼になります。」
「それを繰り返せば。」
「やがて、人には戻れなくなります。」
部屋が静まり返る。
アキは仙花を見つめた。
「こんなものは、存在してはいけない。」
◇
ソウがぽつりと言う。
「そういえば、酒蔵。」
「一つだけ残ってた。」
地図を取り出すソウ。
ムジナも思い出す。
「ああ。」
「ここか。」
兵介も頷いた。
「宮守。」
兵介が立ち上がる。
「俺が行く。新婚にそんなことさせられるか。」
ソウは少しだけ笑った。
「ありがとう。でも。」
兵介を見る。
「双角以上がいたら。」
「兵介。」
「死ぬよ。」
兵介は言葉を失う。
「だから。ここにいて。」
「ミコトを守って。」
「兵介以外に、任せられない。」
兵介は拳を握った。
悔しそうに俯く。
「……ぐ。しょうがねぇな。」
「絶対守る。」
ソウは頷いた。
「お願い。」
ムジナが肩へ飛び乗る。
「俺はソウについて行くぞ。」
ソウは笑う。
「よろしく。」
「おう。」
◇
夜。
屋敷の外。
木陰。
行商人の男が静かに立っていた。
口元だけが笑う。
そして。
闇へ溶けるように姿を消す。
その目は、酷く赤く濁っていて。




