表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

21/30

設備支配

1


R-SECの空気は冷たくて、甘かった。


透真は端末から三歩離れたまま、画面右上の数字だけを追った。

秒が刻まれている。止まっていない。


04:17


その下に、別の行。


SCHEDULE : 04:30


残り十三分。


扉の奥で、金属が動く。


ゴウン……


止まらない。止まらないまま、音が“太く”なる。

近づくというより、確信が増える音だった。


端末に近づかなかった。

近づけば匂いが移る。移った匂いは戻れない。


代わりに、壁際の黒い箱を見た。

扉付き。吸気穴。警告ラベル。

その上に紙のラベルが貼ってある。手書き。


FIRE / SMOKE

SPR ZONE

DOOR


SPRは分かる。ヘッドに同じ刻印がある。

DOORも分かる。扉だ。


ここは“動かす部屋”だ。


扉の外で、遠い金属音が一つ。


カン。


探している音。

叩いているんじゃない。縁を測っている音。


透真は息を薄くして、手順だけ胸の中に置いた。


危ない場所は、使わせない。

掃除と同じだ。


---


2


白波ユウの画面は、ノイズの粒が増えていた。

途切れそうになるたび、コメント欄の壁だけが白く濃くなる。


> ◆設備:R-SEC系統なら防火扉と排煙が同じ盤で動く可能性

> ◆防災:SPRはゾーン弁。全部じゃなく通路だけ濡らせる

> ◆電気:照明は上げすぎるな。誘導灯だけ太くしろ

> ◆無線:妨害、周期短縮。映像落ちるかも


ユウは二行に削った。

長い文字は光の時間を増やす。光は位置になる。


「R-SECで防火扉+排煙。箱を作れる」

「SPRは通路だけ。全部濡らすな」


送信した瞬間、画面が白く飛ぶ。


一、二、三。


戻った。

透真はまだR-SECにいた。

黒い箱の前で、手を動かしている。


ユウは「よし」と言わなかった。

言えば声になる。声は配信に残る。


指だけを動かした。


---


3


黒い箱の蝶番側に、小さなネジが二本。

工具が要る種類。


透真は刻印板に親指を当てた。

声は返事になる。


返事になるなら、先に“意味のない音”を作る。


吸気穴の前にペーパータオルを一枚置く。

風で擦れて、かすかに鳴る。


その鳴りに、息を滑らせた。


「……解体」


ネジが掌に戻る。落ちない。鳴らない。

扉がわずかに開く。


中に赤いレバーが並んでいた。

ラベルは短い。


FIRE DOOR / B1 EAST

FIRE DOOR / B1 WEST

SMOKE EXH / HIGH

SPR / ZONE-3

SPR / ZONE-4


視界の端で、さっきの二行が重なった。

ユウの文字。箱。排煙。SPR。


目の前のラベルと、同じ並び。


繋がった、と指先が勝手に理解した。

理解した瞬間だけ、手袋の内側が少し温かい。


透真はまず SMOKE EXH / HIGH を倒した。


吸い込み音が太くなる。

部屋の小さな音が全部、その唸りに沈む。


次に FIRE DOOR / B1 EAST。


遠くで金属が落ちる。


ガシャン……!


続けて FIRE DOOR / B1 WEST。


もう一つ、遠い ガシャン。


東西が閉じる。

この部屋を中心にして、外側が分かれる。


最後に SPR / ZONE-3。


どこかで水が走り、天井から床を叩き始めた。

漏水の乱暴さじゃない。区画の雨。


音が増える。

匂いが薄まる。

足跡の線が、水で一度だけ崩れる。


透真はレバーの根元に養生テープを巻こうとして、指が止まった。


芯の硬さが当たった。

空だった。


巻けたのは半周だけ。


空の芯をポケットに押し込んだ。

捨てない。捨てれば痕跡になる。


残りを数える。


洗剤ボトル、わずか。

雑巾、一枚。

ゴミ袋、三枚。

ペーパータオル、数枚。

スキル、あと数回で体力が底をつく。


テープがない。

つまり、時間を買う“貼る”が減る。


透真は箱の扉を閉めた。ネジは戻さない。

声を出す回数を減らす。


閉めた瞬間、空気が止まる。


箱の外側に、何かが止まっている。


---


4


閉ざされた廊下の向こうから、音が二つ来た。

一つは東から。爪。 重い。遅い。水を避ける歩幅。


カツン……カツン……


もう一つは西から。金属。 速い。間隔が揃っている。


カン、カン。


叩いているのは扉じゃない。

落ちた防火扉の“縁”だ。


縁を叩けば、隙間が分かる。

隙間が分かれば、回り込める。


箱を作るたびに、箱の形が相手に渡る。


透真の身体が、数を数えた。


二つ。


爪と金属。

歩く側と測る側。

避ける側と読む側。


一匹じゃない。


透真は SPR / ZONE-4 に指を置いた。

置いて、まだ倒さない。


濡らせば足跡は崩れる。

でも濡らせば「ここで濡らした」という地図も増える。


扉の奥で ゴウン が二回鳴った。


ゴウン、ゴウン。


間隔が縮む。

04:30が近い。


倒すかどうかじゃなく、いつ倒すかを考えた。

設備を動かすほど、閉じ込められる。

それでも、動かすしかない。


---


5


水瀬さやの記事は、更新から十数分で“本文じゃない形”になっていた。


スクショ。

行だけ。


APPROVE : KUJO_REIJI


承認の行だけが切り取られて回る。

本文を読まなくても燃える。行が燃える。


水瀬は追記を一行だけ増やした。


「下層の設備ログが同時刻に動く。これは救助ではなく“運用”だ」


断定はしない。

でも、線は置く。


線を置けば、誰かが繋ぐ。

繋ぐ速さは、水瀬にも止められない。


水瀬は三秒だけ手を止めた。

三秒だけ、あの清掃員のことを考えた。


名前がコマンドになって、レバーを倒している人。


三秒で手を動かした。


---


6


62階ラウンジ。


床が微かに震えた。

二回。短い。


星野が端末を見る。


「……B1、防火扉東西閉鎖。排煙高回転。SPRゾーン作動」


城戸が立ち上がった。


「誰がやった」


星野は答えなかった。

答えなくてもログが答える。


御影が低く言った。


「下が箱を作ってる」


九条が穏やかに返した。


「なら、なおさら我々は動くべきではありません。危険区域に人を追加すれば混乱が増える」


その言葉の直後。

九条の端末の入力欄に、また文字が並び始めた。


KUSUMI_TOMA…


星野は自分の端末で送信ログを開いた。

残す。消さない。


九条は「安全」を使う。

でも手は「記録」を作る。


ラウンジ隅のモニターが一瞬だけ光った。

ノイズ混じりでも読めた。


SPR / ZONE-3 : ACTIVE


柊が救急キットを抱え直した。

包帯の端を指で確かめる。


この部屋にいる誰も、現場に行っていない。

それでも現場は動いている。


下にいるのは、救助を待つ人間じゃない。

現場を動かしている人間だ。


---


7


R-SECの冷たい空気の中で。


透真は SPR / ZONE-4 のレバーに指を置いたまま、視覚を捨て、耳の神経だけを外側の廊下へ限界まで伸ばした。


東側。爪。


水を踏まないように慎重に歩いていた歩幅が、さっき、一度だけ乱れた。


チャプ、と浅い水溜まりを踏み抜いたような微かな音。


西側。金属。


防火扉の縁を叩く音が、ただ強度を測る叩き方から変わった。


カン、カン、カン。


三回。


一定のリズム。明らかに意味を持った、合図みたいな間隔。


次の瞬間。


分厚い壁の反対側——東側の通路から、呼応するように同じ三回が返ってきた。


カツン、カツン、カツン。


呼び合っている。


聞き合っている。


挟んでいる。


透真は迷わず、ZONE-4のレバーを押し倒した。


バチン。


どこかの天井で弁が弾け、新しい水が走り始める。


もう一つの乾いていた通路が、無慈悲な雨で濡れていく。


その水音を聞いた瞬間。 東側の爪の音が、ピタリと一歩だけ止まった。


止まって——歩き方を変えた。


バシャッ。バシャッ。バシャッ。


水を避けない歩き方。


濡れた床の上を、泥を跳ね上げながら、最短距離で一直線に向かってくる歩き方。


透真の背中を、氷のような冷たい汗が一筋だけ流れた。


隠れるのを、やめたのだ。


これだけ大規模に設備を操作されている以上、足跡や匂いを隠しながら進む意味がないと、魔族が気づいた。


「狩り」が、暴力的な「強襲」に変わった音だった。


水で止まらない。 箱で止まらない。


こちらの意図を読み、返事をして、罠ごと力で踏み越えてくる。


設備を動かして壁を作るほど、こちらの手の内が読まれる。


読まれるほど、透真が隠れられる箱の中が狭くなっていく。


背後の奥の扉で、ゴウン、とひときわ大きな音が鳴った。


もう秒読みだ。 04:30が近い。


---


右から短い吸気、左から短い吸気――同じタイミングで鳴った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ