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3-16.想うがゆえに

 その瞬間、脳内を駆け巡ったのは、おおよそ貴人達の前では口にするのも憚られる、ありとあらゆる罵詈雑言だ。


「こっ――!」


 この野郎、と周りが見えなくなるほど怒りを覚えたのは久しぶりだ。手の平が痛くなるほど拳をつくったのも、ブチ、とこめかみの音が鳴ると思うほど血管が収縮して行く感覚も、もう二度とないだろうと思っていた。

 ベルベットは爆発寸前だ。

 ただでさえミシェルの素性は慎重に進めたかったのに、よりによって自分がヘディア公国の前大公の子だなんて公の場でバラされて、いままさに日常が侵されようとしている。

 なにゆえぽっと出の父親を名乗る男に、これまで培ってきた自分自身という権利を侵略されねばならないのだろうか。よもや感激に涙を流して両手を広げると思っているのかとすら思ったほどだ。

 大体、いまさらそんなことを明かしたところで何の意味がある。

 生身よりも遙かに殺傷能力の高い義手の指を丸め込み、勢いを付けて腰を持ち上げようとしたところで――。


「冷静になれ」


 背後から小さく声が掛かった。

 それは彼女を起こそうとしゃがんだエルギスであり、他の人間にはけっして聞こえぬよう最小限の声量を落としたものである。

 もしこの一言がなかったら、その場で殴りかかっていたのは間違いない。

 一度深呼吸を行い立ち上がった姿には、すでに先ほどまでの怒りはなく、オーギュストを見据える瞳は淡々としている。


「すみません、見苦しいところをお見せしました」


 一言だけ謝って、男の手を払いのける。

 

「すみませんが、何のことだかわかりかねます」

「ベ……」


 男の言葉を「そもそも」と遮る。

 

「わたしは私の父親というものについて母から聞いたことは一度もありません。証拠があるわけでもないですし、なんら確証のない妄言を仰られましても受け入れるのは非常に難しくないでしょうか」


 なお、言われて見比べると、この二人の顔の部位はところどころ似通っており、親子だ、と言われれば充分納得できる面差しだ。ベルベット自身、それは一切合切承知の上であり、またこの時ほど母に容姿が似たかった……と悔いたことはない。誰が見てもうんざりした様子でじりじりと後ろに下がり、両手で「お断り」のポーズを取ってオーギュストを拒絶する。

 それはもう心底勘弁してくれという態度だったが、これに割り込んだのは意外にもオーギュストではない。会談中ずっと前大公の護衛を務めていたガブリエルで、男はベルベットにとって――それこそ母にどこか似た――覚えのある面差しで言った。

 

「妄言というには無理がある。なにせ君は容姿のみならず、あらゆる所作が若かりし頃のオーギュスト殿下に非常に似通っている」


 まさかのオーギュストの若い身空からの従者らしい。余計なことを口にする中年には感情の揺らぎがなく、事実を事実として受け入れる淡々とした趣がある。

 背後でカルラが「あ、ガブ君か」と呟いたのが聞こえた気がしたが――。


「それでおいて、君は姉の特徴もよく受け継いでいるようだからな。これで間違えるのは無理があるだろう」


 このハゲ、と禿げてもいない相手に口走りそうになった。

 会談中、なぜオーギュストはずっとこの男を立ち合わせているのか、ベルベットはその理由が不思議でならなかったが、これでやっと判明した。

 この男はコルネイユ家の男だ。

 それでいてミシェルの弟で、ベルベットとは叔父と姪の関係なのだろう。

 母とはまるで似つかない冷酷そうな男は、なんとも嫌な立会人ともいえるが、この状況において狼狽えたるのはオーギュストを受け入れるも同様だ。

 この場に必要なのは鋼も顔負けな図太い神経であると、心にもない笑顔、所謂営業スマイルを全面に作り出す。


「失礼ですが母をお求めになるあまり幻覚を見られているようです。一度お休みになり、その目と頭をよく洗濯されたほうがよろしいかと存じますね。長い渡航と潮風のせいで錆びていらしゃるようだから」

「殿下、ご覧を。この口の悪さと、ぶち切れるととにかく相手を怒らせて有耶無耶にしてしまおうという部分が、貴方のお若いころにそっくりだ」

「ううむ……余、こんなに悪かったか?」

「先ほど殿下に手を出しかけたことといい、嫌というほど似通っていますな」


 若い身空から付き添っているから、素ではオーギュストを殿下と呼び続けているのだろう。

 そして勝手に自分を評価されたベルベットはガブリエルが気に入らない。はっきりと青筋を浮かべると口を開きかけたが、このまま滞在し続ける不利を悟ると、エルギスとカルラの手を掴み踵を返した。

 そこからは誰に呼び止められようが知ったことではない。

 ほぼ強奪といっても差し支えない勢いで馬を奪い取ると、とにかく館から離れるよう走らせた。

 馬車を走らせたグロリアがハーナットの家の玄関を潜ったとき、まず目の当たりにしたのは仏頂面のベルベットと、地面に正座したカルラである。


「姉さん、お父様が姉さんが大変だって学校に報せを走らせたから、急いで帰ってきたんだけ、ど……」


 グロリアから見た姉は、それはもう、稀に見るほどの不機嫌だ。たとえハーナット家やんちゃ代表の双子が家中に落書きをしても、ここまで怒ることは絶対にない。長い足を堂々と組みながら頬杖をつき、塵を見る目で友人を見下ろしている。

 ずっしりとのし掛かるような重い表情のエルギスが壁に背を預けながら立っているが、彼もまた一言も発しようとしない。言葉をひとつ発するのも酷く悩んでいるようであり、その雰囲気にグロリアは呑まれかけた。


「あのぅ……」


 グロリアの登場で、そろりと発言を求めたのはカルラだ。

 前のめりになりながらベルベットへ陳情を述べる。


「帰ってきてからずっとこの姿勢で……足が、痺れまして……ひぃっ」


 ベルベットの真顔にカルラが慄く。

 余裕がないガラの悪さにグロリアですら慄くが、実を言えばこちらも彼女の貌だ。具体的には貧しく若いために、下に見て足元を見てくる相手と対等に渡り合うために会得せざるを得なかった側面になる。弟妹達のために原則話し合いとより良い情操教育が指針ではあるが、話が通じない相手へは相応の返礼をするのがベルベットという人間であり、そしてそれをカルラだけは知っている。なぜならかつて持って行かれたミシェルの形見を実力行使で取り返していった姿を、彼女だけは間近で見ていたからだ。

 だが先も述べたように、暴力は根本的に誰の幸せにもならない手段だ。ひとたび力での解決を知れば、以降の日常に必ず「暴力」の文字が頭をかすめてしまうから、そんなのはミシェルの教育にもとるとして、レオナールは暴力は護身用と最終手段と教えたし、ベルベットもまた教えを守ってきた。

 だというのに、いまやその教えを隠し通せないほどに怒りがおさまらない。身内と信じていたからこその友人の裏切りに腸が煮えくり返り、いまや逆に口数が少なくなるほどだ。

 しかし足の痺れが限界に達したのか、カルラは足掻いた。


「あの、あのっ、ここはいったん……私の話をちゃんと聞いた方がいいと思う……なぁ! ベルベットだって、ただ怒ってるだけで状況が解決するなんてひとっつも思ってないでしょぉ!」

「それはわかってるけど、裏切者に言われるのは腹が立つ」

「だからそれは説明するし……この通り謝るからぁ……」

「あの、姉さん……状況がまったく掴めないのだけど」

「ほらほら、グロリアちゃんだってこう言ってるし!」


 どの口がのたまうか、と言いかけて、妹を怯えさせるのは本意ではないと口を噤んだ。如何によっては『元』が付きそうな友人へ釈明をさせるまえに、グロリアへは経緯をかいつまんで説明する。

 グロリアが声をなくしたのは、やはりベルベットの実父のくだりだろう。絶句して声をなくしたまま本題に移ろうとするのだが、そこでカルラが力なく笑った。


「それでぇ、私の理由とか……話すのは構わないんだけど……その、ね?」


 彼女がちらりとみたのは、先ほどからずっと何かを考え込むように押し黙っているエルギスだ。

 ベルベットもカルラの言いたいことは察しているが、ここまで付き合ってくれた相手を仲間はずれにするような真似などしたくない。だが、いかにエルギスが頭の柔らかい人物だとしても「自分たちはゲームの世界の住人らしい」というのは説明しがたい。内容自体も教会から追放されてもおかしくないものだし、グロリアの身に関わるのだから、カルラの言いたいことは間違いでもない。

 苦渋の決断の末、ベルベットはエルギスに一時退室してもらうよう頼んだのだが、なぜか彼はあっさりと了承し部屋を出てしまった。

 きっと渋るだろうと思っていたから三人は呆気にとられたが、いち早く我に返ったのはベルベットだ。駆け足で廊下へ出ると、去ろうとする背中を捕まえる。


「エルギス、ごめん」

「別に謝らなくていい。心配しなくても怒っちゃいないから安心しろよ」

「でもさ……館まで付き合ってもらったのに、いまさら一人だけ席を外してもらうのは気分が悪いでしょ」

「その通りかもしれないが、あんたらを見てたらわかる。好きで隠してるわけじゃないんだろ?」

「それはもちろん、ちゃんと説明できたらいいなとは思うんだけど……」

「あんたらの顔を見ているとワケありだなってくらいはわかるし、それを無理やり聞き出すつもりはないさ。それより……」

「それより?」


 おもむろに伸びたエルギスの指が、ベルベットの髪を掻き乱す。彼にしてはひどく珍しい行動に、驚きのままなすがままにされていると、彼はやがて力を抜いて笑った。


「少し悔しいが、あんたはグロリア嬢が来てやっと力を抜いたからな。ここでまた余計に気負わせる真似はしたくない」


 それは、この魔道士にしては珍しいくらいの屈託のない笑みだ。幾度となく顔を合わせていても、初めて見る表情に、ベルベットは一瞬だけ虚を突かれる。


「じゃ、また聞いてもいいタイミングで呼んでくれ」


 都合の良い役割をあえて演じてくれるという背中に、怒りに飲まれて忘れていた言葉を述べる。

 

「あと、あの時冷静になれっていってくれて助かった。あのままじゃオーギュストを殴って大変なことになってたから、ありがとう」

「ストッパー役くらいならいつでも、だ」

「ええ、また頼りにさせてもらう」

「任せてくれ」


 去りゆく背中は、これまでで一番頼りがいのある姿だった。



遠い存在になりそうなのが嫌で触れたかったけど誤魔化したエルギスさん

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ああこのエルギスならベルベット様まかせてもいい
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