3-15.父娘
質問に面食らいながら、ベルベットは答える。
「もちろん。わたしは母に大事にされていたし、世界で誰よりも愛されていた。それだけは、たとえ母の過去になにがあろうとも揺るぎません」
ベルベットの愛情如何など関係ないだろうに、オーギュストはやたら安堵していた。
話を聞き終えたベルベットはフォークを置く。
「求める答えが見つかるかはとにかく、母の知り合いなら心当たりがあります。形見も探してみるので、そちらの結果をお伝えする形でよろしいですか」
「尽力に感謝する。そして無論、協力は助かるのだが……」
他に何かあったろうか。
目で問うベルベットに、オーギュストは覚悟を決めたように問うた。
「……ミシェルの墓は、何処にあるだろうか」
それは認めたくない事実を渋々受け入れるような苦しみがある。長い沈黙を置いて、ベルベットは嫌々ながら答えた。
「家の近くに作りました」
ミシェルは家族のいるところで静かに眠りたいと言ったので、放牧場の奥にあった小さな広場を彼女の墓とした。やはりオーギュストが墓を訪ねたいと望むのは当然で、ベルベットは渋面になる。
この際、もう拒むことはできないだろう。
「ただ、日時はこちらに指定させてもらえますか。お越しになるのであれば、弟達がいない時間帯にお願いしたいので」
「……やはり余が行くと問題かね?」
「いくらご身分を隠されようとも、母との関連を疑われるのは困ります。知ってしまった以上は隠し続けるのも悩ましいですし……伝えるのは慎重になります」
ベルベットは弟妹達を思う。
グロリアは既に知っている話だが、そもそも自分自身というアイデンティティをしっかりと持っているから心配していない。
リノも悩みはするだろうが、受け入れるだけの強さは備わっているだろう。
双子のギルバートとメイナードは、血の繋がりを気にしたことはないが、ざっくばらんなようで繊細だから気を配りたかった。
母の記憶をほぼ有していないラウラを含め、全員がどう受け止めるかは、慎重に見極める必要がある。
そもそもミシェルは子供達にすら出自を一切漏らさなかったのだから、知られたくなかったのではないだろうか。
「……頭痛くなってきた」
これ以上オーギュストの顔を見ていると、どうにも腹の底がむずむずして仕方ない。嫌な予感が拭えないから、それとなく男を見ないように首の後ろを掻きながら席を立った。
「わたしは隠れておきたかったのが本音ですが、こうなったら協力は止むなしと言うことで……仕方ないでしょう。連絡は追って報せます」
「もう行くのかね」
「話すべきことは終えたと思うので。あ、一応母の過去話はありがとうございました」
「そなたには話すべきことがある。もう少し待ってもらえないかね」
「すみませんが、いまの話だけでお腹いっぱいなので」
テーブルの上の皿は、味覚がほぼなくなったベルベットにより空に近くなっている。
身も心も満腹な状態でも危機察知が働くのは、もしかしたらレオナールの教育の賜物かもしれない。
聞く耳を持たないと言わんばかりに庭を後にするベルベットは、真っ直ぐに玄関へと向かった。出入り口の広場ではちょうどエルギスが上官達と話し込んでいる。
早々に姿を現したベルベットに彼らは驚いた。
「もう終わったのか」
「終わったのか、じゃありませんよ隊長」
恨みが深そうなベルベットにギディオンは肩をすくめる。
「仕方がなかろう。俺とて宮仕えだ。大体、お前が偽りの報告を上げていたのも問題がある」
「知りませんねそんなことは。でも恨みは後日たっぷり言わせていただきます」
ミシェルのことで仲間が態度を変えてくるかも……と心配したが杞憂だったようだ。内心で安心している自分を自覚したベルベットは、普段通りの顔を作る。
彼にできる嫌がらせは後日練るとして、思い浮かべるのは先ほどの対面。あまり話し込んで長居したくないが、これだけはとギディオンへ指を突き出した。
「それより、どうして前大公殿下への報告を怠ったんですか。おかげで一から説明するの大変だったんですよ」
「報告?」
「しらばっくれないでもらいたいですね、わたしの母のことですよ」
オーギュストに先に説明してくれていれば、彼との問答はもっと短い時間で済んだはずだ。文句が止まないベルベットだが、ギディオンの反応は不可解なものだった。
「報告ならひとまとめにして、オーギュスト殿の側近であるガブリエル殿に渡している」
「はい?」
「間違いはないぞ。エドヴァルド殿下から渡しているのを俺は見ていた。繊細な話だからガブリエル殿が直接話をなさると話はまとまったからな」
「んん?」
話に齟齬が生まれている。
ギディオンの話では報告はなされていたとのことだが、しかしオーギュストが知っていたとは思えない。あれが演技なら歌劇の主役を張れるはずだし、ベルベットも嘘を言っていると思わないから、突如あの主従関係に疑問が浮かんだ。
「あのガブリエルって人……いや、それは帰ってからにしよう」
思考に沈みかけたが、いまは館を離れるのが先決だ。ギディオンがいるなら馬を融通してもらえるはず。交渉に乗り出そうとしたら、魔道士がじっと己を見つめていることに気付いた。
「エルギス? どうしたの、そんな黙り込んで」
「……大丈夫か?」
それはどんな意味を込めた「大丈夫」だったかは、ベルベットにしか伝わらなかっただろう。実際彼女は虚を突かれて反応が遅れたし、ひどく疲れていて、そしてそれを隠したつもりが正確に見抜かれていることに驚いた。
ここで「平気」というのは簡単だ。
しかし自分を案じている相手へ嘘はつきたくない。
ただ人前もあって、素直に答えるのも難しかった。
「少し疲れたかな」
「なら、帰るか。よかったらあとで話を聞かせてくれ」
ハーナット宅はエルギスの家ではないが、突っ込むのは野暮か。ただこの時は、ベルベットの側に立って添ってくれる意思が嬉しい。
積もる話もある。帰宅に関しては全面同意だったが、ベルベットは最後に、ひっそりと上官の傍らに立っていた眼鏡の同僚に顔を向けた。
「そんでセノフォンテ殿、貴方の後ろに隠れている不届き者を渡してもらえますか?」
「ひぇ……!」
「おや、気付かれておいでで」
ベルベットの姿を見た途端に隠れたカルラの存在には、当然気付いている。
薄い微笑を浮かべる彼女が漂わせる雰囲気はただ事ではなく、このままではカルラがどんな目に遭うかは想像に難くない。セノフォンテは自分の背後でガタガタと震えるカルラと、張りついたような笑みを浮かべるベルベットを見比べて、やがて釘を刺した。
「暴力はいけませんよ」
「精神的に痛めつけるだけです」
「おぎゃあ!」
「黙れ裏切者」
ベルベットは逃げようとするカルラの襟首を掴むと意図的に締め付ける。ヒキガエルが潰されたような悲鳴を上げるカルラは、懇願するように猫なで声を出した。
「こ、これにはぁ、深海よりも深いわけがあってぇ……なんていうか、これもベルちゃんのためっていうかぁ……あ、でも私も知りたいことがあってぇ……」
「言い訳は帰ってから聞く」
「ひぃ! お、怒ってる、やばい、久々のマジの怒りじゃん」
「逃げたら家と隠れ家を潰すから」
声量が小さいだけで、友人に売られた恨みはかなり深い。顔は笑っても目は笑っていないベルベットに、カルラは大人しくなる。ベルベットが「潰す」と宣言したら有言実行することを誰よりも知っているから、逃亡はしないはずだ。
ギディオン達とは積もる話もあったが、ここはひとまず退散したい。エルギスも同意しているし、さて玄関を潜ろうというところで呼び止められた。
「ベルベット! 待て!」
彼女を呼んだのはオーギュストだ。
エドヴァルドや護衛達を引き連れた前大公が、大股で彼女を追ってきている。
その瞬間、ベルベットの毛は逆立ち、いつになく大慌てで二人を連れ出そうとした。
「急いで、早く!」
「あー、いや、しかしだな……」
「ええー……でもさ、もしかしなくても、あのイケオジが年を取ったオーギュスト君でしょ。権力者を無視して帰るなんて打首獄門とかになんない?」
エルギスは戸惑い、カルラは意味不明な言葉を吐いて足を止める。
こうなったら誰かの馬を奪ってでも逃走するべきだ。ベルベットはそう判断したが、彼女の考えを読んだのがオーギュストだ。
前大公は、庭で対峙した時とは打って変わって大声を上げる。
「薄々気付いておろうに、逃げても解決にはならぬ。余だけでなく、ガブリエル達もとうに察しておるぞ」
「いえいえいえいえ何のことだかサッパリなので!」
返事をしたのが失敗だったが後の祭り。
「だから……そなた、そういうところが似ているのだ!」
「は? 似ている? 親になった母を知らないくせに気持ち悪いことを言われましても!」
「違う、ミシェルではない。彼女ではなく……」
ここでは駄目だとわかっている。
王子や上官、まして数多くの近衛の前で、公国の前大公と口論まがいを始めるなど、従来なら投獄ものだ。しかしベルベットはそれどころではない。
どうしても「ある言葉」を言わせては駄目だと全身が訴えている。
何故ならば、オーギュストの顔を見ていたら、嫌でもある答えに行き当たってしまうせいだ。
むしろ気付けない方がおかしいだろう。
なんだか嫌になってしまうくらい自分に似ている髪質、もし、彼がもっと若ければ、鏡を覗いた自分とほんのり似通っていたかもしれない顔立ち――。
図体に見合わず素早く距離を詰めたオーギュストが、ベルベットの肩へ手を置いた。
「顔だけではない。これまでの様々な所作に、気付いていながら、あえて避けようとする逃げ様が、昔の余に似ていると――」
「うわぁああああ!?」
言わせてなるものか――状況を忘れたベルベットが取った行動は、オーギュストへ足払いをかけることである。
いっそ転ばせてしまえば口も閉じよう。
瞬間的に思いついた手段は乱暴だったが、考えるより行動に移しているのが身体だ。叫んだ瞬間から掌底がオーギュストの肩を打ち、足で引くように男の足首を引っかけようとする。
次の瞬間、男は仰向けに倒れるだろう――そうベルベットは思った。
思っただけだった。
「ぬっ!?」
ベルベットの攻撃に超反応を示したオーギュスト。
彼は肩を押された瞬間から上体にかかった力を受け流し、身体の軸をずらした。彼女の手を払いのける瞬間の目は、為政者というより一人の武人だ。
そしてこれは、半ばパニックになったベルベットが油断したせいかもしれないが……。
「やはり、そなたは余の娘だ」
逆に足払いを仕掛け、相手を怪我をさせることもなく倒し返したオーギュストは、柔らかくも半分泣き出しそうな顔で彼女を見下ろす。ベルベットの腕を強く握りしめながら「あと一つ」の理由を伝えた。
「彼女が出奔して何年も経ってからの話だ。ミシェルは身篭もっていたのではと……公爵家で彼女の身の回りの世話をしていた侍女に知らされた。それからずっと諦めきれずに探していた」
オーギュストがベルベットと顔を合わせる前から緊張していた理由。
何十年も前に去った婚約者を探していた理由。
本当の目的を語るオーギュストは声を震わせる。
「余は、余と彼女の子に会いたかった。たとえどれだけ罵られようとも、その姿をこの目に焼きつけておきたかった」
間抜け面を晒す成人過ぎの女を、まるで幼子を眺めるかのように、愛おしげに見下ろす。
「ミシェルの他にもう一人……余は自分の子を探していたのだよ。他ならぬそなたをな」
書籍では加筆したいです(備忘録)




