3-14.ただ彼女へ『それ』を聞くために
肉を食べながらも疑わしげなベルベットに、オーギュストは慌てて弁明を始める。
「い、いや、真実、誓ってミシェルに対し不義は働いてはおらぬのだ。それに余が彼女と心を決めるまでの間について、彼女はすべて知っている。すべてを呑み込んだ上で余との婚約に至り、以降は良い関係を築けていた……はずなのだ」
「……つまり後ろめたい事は、なにひとつとしてないと?」
「女関係ではない。余が思い当たらない可能性はあったかもしれないが、少なくともミシェルの周りの人間からはそう聞いている」
断言するからには、オーギュストは本当に身に覚えがないのだろう。
確かに後ろめたい思いがあったのなら、最初に出てくる言葉は謝罪のはず。ベルベットの体感で「真相が知りたい」などと抜かすのは、よほどの馬鹿か、それとも本当に身に覚えがないかのどちらかだ。
ベルベットがオーギュストの人柄を見極めようとしている中、熱の入った男は身を乗り出す。
「余はミシェルを探すと決めるに至るまで悩んだ。己に非があったのではないかと、何度も自問自答した。ゆえに第三者を挟んで調査を入れた」
「いまさらですが、相当引きずられてるんですね?」
「……引きずりたくもなる。あの話を聞いてしまっては、尚更な」
「あの話?」
オーギュストの眉が悩ましげにきゅっと寄り、悔しげに右手を握る。思うところがありそうなのだが、ベルベットの問いには答えず
「だがいくら調べても、余に対しての不満を漏らしている様子はない……いささか散財が過ぎると言われていたくらいだ」
「出てくるのは、彼女が『何か』に悩んではいたという話だけだ」
「……何か?」
オーギュストは重々しく頷く。
「余の記憶だと、ミシェルは婚姻式の前あたりは気の浮き沈みが激しかった。ただそれは、来たる大公妃としての己に不安を抱いていると……そういう類だと余を始めとして、彼女の友人や乳母も思っていた」
「内容がわからなかったと? たとえば友達付き合いが上手くいってなかったとか、そういうのもあるでしょう」
「どれも信憑性が低い。そうだとしても、多少友人と仲違いしたくらいで、あのような事件を起こすような動機には至るまいよ。なにせミシェルは暴力沙汰が嫌いだったのだ。余は手が早いせいで、それで何度も彼女に叱られ……」
口にして、はっと顔を上げる。
「そなた、ミシェルが公国でどのような事件を起こしたかは……」
「ここまで話を聞いたのですから、問題なければお聞かせください。どのみち、なるべく納得できる答えを求めるために、わたしの協力は必要でしょう?」
「う、うむ……」
ここまでオーギュストと話をすると、「やっぱり聞きたくないです」とも言えない雰囲気だ。人柄を見極めたいとはいえ、それはどちらかといえば協力しない理由を探しているだけであって、現時点ではどうも難しそうな気配を感じ取ってしまっている。
「そもそもわたしだけをお呼びになったのは、政に絡まない者に留めておきたかったとお見受けしましたけれど」
「ああ、いや、それは……」
本来ならもっと話が通じそうなグロリアを呼ばない理由をベルベットなりに述べてみたのだが、オーギュストはどうも歯切れが悪い。
心なしか背後にいる護衛を気にかけながら、心に潜んでいた懊悩を吐き出した。
「もはや今となってはミシェルの気持ちを汲むことはできぬが……余の見立てが間違いないのなら、当時の余と彼女は互いを想い合っていた。若さ故に熱くなりやすい余を、ミシェルは受け入れ支えてくれていた」
「話を逸らしましたね。まあいいですけど」
奇妙な振る舞いに若干引っかかりながらも、机に肘をついてオーギュストの話に耳を傾ける。
そこで静聴したのは、意外にもミシェルの方がオーギュストに入れ込んでいたということだ。当時の次期大公だったオーギュストの、数ある婚約候補者の一人だったコルネイユ公爵令嬢。彼女は異性へのアプローチが苦手だったらしく、はじめはかなり消極的だった。ところが主立った他の二人のライバルが、突如別の意中の相手を見つけたことで状況は一変。積極的にオーギュストへ声をかけ、二人は距離を縮めていった。
「周囲の後押しもあったやもしれぬが、ミシェルは教わったとは思えぬほど、余の考えや好みを熟知していた。彼女の支えがあればと考えたからこそ、若き余は大公の座を継ぎ国を安寧に導こうと決意を固められたのだ」
「……それは……すごいこと、ですね」
「故に忘れられぬよ」
ここまではカルラから聞いた話の信憑性を高めるものだ。
オーギュストの自然体は足を組む癖があるらしく、膝の上で両手を組み、ここではない彼方へ思いを馳せている。
「ミシェルが変わったのは婚姻式の下見の日だ。突如錯乱し、持っていた短剣で大公殿下を斬りつけようとした」
「――――ん?」
ここで話が違うことに気が付くベルベットは、それまで実は黙々と食べていた食事の手を止める。
この場合の大公殿下とは――オーギュストの父親だ。
「母が斬りつけた相手は貴方ではないのですか」
「違う。当時の殿下をお守りすべく余が盾になり、傷を負った。故に婚約者を傷つけたと噂が流れたのだろうが、余がそのままにした」
「それは大公殿下に殺意があったという事実から、母さんを遠ざけるために?」
「もみ消そうにも刃傷沙汰については漏れてしまっていたのでな。であれば痴情のもつれとした方が、いくらかマシというもの。余に責があったとのだとできよう」
本当にあけすけに話してくれるではないか。
ベルベットは考え込むように、片手で口元を覆い隠す。オーギュストの話がすべて事実と仮定するなら……否、もはや半分以上嘘偽りはないと信じている己がいるが……彼は婚約者を守ろうとしていたことになる。
そして同時に思った。
――嗚呼、そんな事実、ヘディア公国の貴族派は認められないわけだ、と。
だが気になるのは、肝心のミシェルだ。
「母さんは、刃物を向けたことに対して何と?」
「何も。口を貝のように噤み続けるから苦労していたら、最終的には殿下への殺意は否定したが、共に余への愛情をも否定した」
「……信じなかった?」
「信じぬよ。嘘をついていたかどうかくらいはわかる」
そうして、彼女の頭を冷やすために少し距離を置いたタイミングで、コルネイユ公爵家の忠臣レオナール・マイエルと姿を消した。探そうにも痕跡が消されていたことと、陸路と海路の両方を、当時のオーギュストで追うのは難しかったという。
これにベルベットは首を傾げる。
「いくらレオナールが優秀でも限度があります。消えた時点で人を使っていれば、まだ追いつけたのでは?」
「そう、だろうな……ああ、確かに人海戦術を駆使すれば間に合ったろう」
「コルネイユ公爵家もですけど、母を探そうとしなかったんですか?」
これにオーギュストは難しい顔で一瞬黙り込むが、すぐに彼女の言葉を肯定しようとしたところで、別人が割り込む。
「探そうにも状況が許さなかったのです」
オーギュストの背後に控えた護衛だ。よく見ればオーギュストと大して年齢の変わらなさそうな、淡々とした様子の男だった。
「当時は大公殿下に仇なそうとし、結果ご子息が傷つけられたことを、大公妃殿下が酷くお怒りになられた。オーギュスト様は妃殿下のお怒りを解くために、日々奔走されていたのです」
「ガブリエル!」
この男とベルベットとは初対面のはずだが、どこか既視感を覚えるような人物だ。
ガブリエルと呼ばれた男性は、腰を浮かし声を荒げた主へ短く嘆息を吐いた。
「殿下。あの頃のご自身を、力がなかったと嘆く必要はありますまい。貴方様は婚約者を守るためにあちこちをお渡りになった。公爵家すら諦めざるを得ない状況ですら屈しなかったのです」
つまりガブリエルはこう言いたいのだ。
ミシェルに対しては大公妃の怒りが凄まじく、追いかけようにも窮地に達していたのだと。
そうまで言われてしまえばベルベットも察せる。ミシェルが行ったのは、紛うことなき国家元首の暗殺だ。まして他の男と手を取り合って逃げてしまえば、言い訳は不可能に近い。オーギュストが下手に追いかけて捕まえても極刑だった可能性が高く、彼は行き詰まった状況に追い込まれた。
ガブリエルは静かにベルベットを見る。
「殿下は婚約者を愛しておられた。しかし、親子の情と違い男女の愛は無限ではない。真実はどうあれ、比翼の片割れが裏切りを働けば信じ続けるのも難しいでしょう」
「……貴方は母さんが婚約者を裏切ったからとおっしゃりたい?」
「左様。他の者と駆け落ちしたと信ずるのも無理なきことかと」
ミシェルを庇いがちなオーギュストと違い、こちらはいささか冷徹な印象を受ける。だが婚約者と他人ではそうかもしれない、とベルベットは反論せず口を閉ざした。
こうして話を聞いて、思い出すのはミシェルのことだ。
本当かどうかもわからない、初対面の男が語る母の過去。妙に得心して納得してしまうのは段々と忘れていた記憶の蓋が開いて行くためだ。
ふと、思うのだ。
ベルベットの記憶にある母は、誰か一人の男を深く愛したことはあったろうか、と。ディヴィス侯爵のように良い雰囲気の人は何人もいたが、最後まで妾になることは了承しなかった。『客』へまるで聖母のように微笑んでいたミシェル。娘としては自分以外の人に母を奪われるのが癪だから考えたくなかったが、こうして一人の人間として記憶と対峙すれば、本気で異性を愛そうとしなかったようにも思える。
思い悩むベルベットへ、オーギュストが居住まいを直す。
「ガブリエルは気にするな。余からの話は以上になるが……改めてミシェルの娘であるそなたの口から聞きたいことがある」
「あ、はい。なんでしょう」
緊張は解れたろうに、なぜかオーギュストは必要以上に身を固くしている。じっと彼女を見つめながら、額に汗を滲ませ、こんな質問を口にした。
「そなたは母に愛されていたか?」
続き:できたら明日




