3-6.たかが口移しと言いきかせ
不審がるギディオンを置いて帰る姿は、傍目にはいつになく颯爽としていたに違いない。いつもよりほう、と見惚れるような眼差しを向ける女性が多かったようだが、彼女はおかまいなしに廊下を抜け、厩舎へ向かった。帰れるとわかったのか、目を光らせる葦毛馬を繰って駆け、途中で我に返った。
「この格好じゃカルラのところは無理じゃん!」
いわば裏街と呼ばれる場所に近衛制服で入るなど、いくら黙認してもらっているベルベットでも自殺行為が過ぎる。人の服装にこだわらないカルラにすら「その制服で家に来たら敵対行為と見なす」と本気の目で言われた記憶があったのだ。ベルベットは盛大な舌打ちを零し、自宅へ戻るようジンクスを方向転換させる。
冷静でいようと努力しているが、どうにもうまく行かない。もしここに弟や上官がいたのなら、手綱捌きの荒さを叱りつけていたかもしれない。
一度着替えるべく自宅に戻るのだが、そこで彼女は思わぬ人と遭遇する。
「ヴィル?」
自宅の玄関で、ルーナの見送りを受けていたヴィルヘルム・ルディーンだ。
ちょうど帰ろうとしていたタイミングらしく、二人はベルベットの帰宅に驚いた。
どうやらヴィルヘルムがセロの薬を届けてくれたらしいのだが……彼女が問わずにいられなかったのは、彼の服装にある。
「もしかして、貴方今日は休みなんじゃないの?」
獣医師は普段の格好と違い、貴族然とした装いに身を包んでいる。
ベルベットの問いに「ええ」と苦笑しながら答えた。
「少々実家に顔を出す必要があったので、ついでにです。……ルーナさん、私はいいですから、どうぞ家に戻ってください」
「ありがとうございます。ええと、ベルベットさんは……」
「私は彼と話してから戻るから」
「わかりました。じゃあ、お茶を淹れておきますね」
よろしく、と頼むとジンクスの手綱を外す。いまはセロが不在の時間帯。柵もあるし、移動可能範囲は教え込んでいるので、勝手に敷地外へは行かないはずだ。
まるでスキップするかのような足取りで遠ざかる葦毛馬を見送ると、ヴィルヘルムと歩き出す。このとき彼がジンクスから距離を置いていたのは、おそらくコロンをつけていたからだろう。帰りは途中で馬車を拾うそうで、ベルベットは見送ることを決めた。
「ベルベットは、早番……ではないですね。もしや仕事の途中ですか?」
「実はしばらくお休みもらえることになって……」
「それは素晴らしい。やっと私の忠告を憂慮してくれたのですね」
「ま、そんな感じということで……あー、えーと、ヴィルこそ実家帰りなのに、わざわざ家に寄るのは、仕事に熱が入りすぎじゃない?」
「私は生き物相手の商売ですよ。小まめな配慮を怠っては、飼い主の方々に大切な命を預けてもらえません」
この気配りが、ヴィルヘルムが獣医師として人気な理由だろうか。
ベルベットはヴィルヘルムが貴族らしい格好をした姿を初めて見た。服装が違うだけで、柔らかな風貌が引き締まり、彼の魅力を一段と引き出している。
視線を逸らすベルベットに、彼はやや気まずそうに頬を掻く。
「……と、本来は言うべきなのでしょうが」
「ん?」
「実は今朝、ふいに貴女と会いたくなったので、薬を理由にして足を運びました。いえ、居ないのはわかっていたのですが、それでも……」
もし彼女の目に間違いがなければ、ヴィルヘルムは照れているように思える。いつもとは違う雰囲気にベルベットはぎこちない動きになったが、視線を逸らすヴィルヘルムは気付かない。
「ルーナさんには薬と一緒に、今度の晩餐の招待状を預けたところだったのです。ですから本当に会えるとは思わず、少し困りました」
「あ、あー、そっか。じゃあこのタイミングで会えたのは運が良かったのかな」
「私としては嬉しかったですよ」
もしこの場にハーナットの弟妹や居候がいれば、長女の明らかな対応の違いに驚いたろう。だがそれはベルベット本人も同じで、知らない人物を相手にしているような錯覚に襲われるから、迷いを隠せない。
とはいえ、不自然な態度を取ってはヴィルヘルムに失礼だ。
気を取り直そうと顔を上げたところで、違和感を覚えた。
「ベルベット!?」
一瞬の出来事で、気付けば頭から地面に昏倒しかけたところを、ヴィルヘルムが支えている。
まったく状況に追いつけていないベルベットは、自身がたったいま倒れたことに遅れて気付き「あれ?」と呆然と呟いた。
――なんで倒れた?
異変には予兆も自覚もない。足に力をこめようともうまく起き上がれず、意識をしっかり保ったままヴィルヘルムに体を預けている。これに獣医師は慌て、彼女の熱を測り、頬を軽く叩くなどした反応を見た。
「どうして突然……いま運びます!」
「え? は? え? あ、ちょ、ヴィル待った。肩を貸してくれたら自分で歩け」
る、と言い終わる前に、体は横抱きで持ち上げられている。
その細身では想像もつかない力強さに、途端、ベルベットの顔は朱を帯びた。
「わたし、重いんだけどっ!?」
「黙って! ご自分がまともに喋れていない自覚がないのでしょう!」
ヴィルヘルムが怒りを示し、ベルベットはふわりと鼻腔を突く、嗅ぎ慣れないコロンの香りに押し黙った。意外と逞しいらしい体に抱えられてベッドまで運ばれるのだが、これで終わりではない。
「私の専門は動物なのですが、弱音は言ってられませんね。人間の量はどのくらいだったかな…」
ヴィルヘルムは素早く診察を終えると、鞄からいくつかの薬を取り出した。悩んだ末に粉薬を飲ませてくれようとしたのだが、ベルベットの指先は言うことを聞かず、水すら上手く飲めなくなっている。
麻痺の悪化を見たヴィルヘルムは躊躇なく水と粉薬を口に含むと、彼女の顎を持ち上げた。
「ん、ぐ!?」
抵抗する暇などあたえられない。
ベルベットは口移しで流し込まれた薬を無理やり流し込む。飲み終わっても気管に水が入ったせいで咳き込んでいると、背中に手を当てられた。正体不明の熱が全身を伝い、やがて手足が意のままに動くようになったところで、息咳切らしたルーナが部屋に飛び込んでくる。
「先生! 近隣の人にお医者様を呼んでもらいました! ベルベットさんはどうですか」
「ひとまず治癒が効いています、体の麻痺は解けているはず」
「ぶ、無事なんですよね」
「ひとまずは、というところです。治癒魔法が効くものだったから回復が間に合った。運がよかったとしか言いようがない」
ベルベットはいまだ自分の身に何が起こったか理解できていない。
「わたし、いったい何、が……」
「専門家でないのでなんとも言えませんが、私には何かの発作のように見えました。……ベルベット、貴女はいままで病を患ったことが?」
赤ん坊の頃は病弱だったらしいが、記憶がある限りは頑丈すぎる健康体である。
いまのヴィルヘルムに距離感がないのは、医師としての義務に駆られている為か。
ベルベットは口内に残る強い苦みに顔を顰めた。
「いまの薬は?」
「治癒の効き目を高めるものですが、悪いものは入っていませんよ。人間の治療時にも用いられています」
「ルーナ、なにか、お茶をお願い。これ、すごく不味い」
「持ってきます!」
慌ただしい少女とは反対に、ヴィルヘルムは落ち着いている。
「味を気にする余裕があるのなら、もう大丈夫ですね」
「心配かけてごめん。でもいてくれて助かった、あり……」
友人へ謝辞を述べようとしたら失敗した。
なぜなら引き寄せられた身体はヴィルヘルムの手の内側にすっぽりおさまり、顔は彼の胸に圧迫されている。
力いっぱい抱きしめられていると気付いた瞬間、ベルベットは固まった。
「貴女が倒れたときは、まるで死人のようで……」
微かに震えた声が、ベルベットの無事を喜んでいる。躊躇いがちなベルベットの手がヴィルヘルムの背中の服をゆっくり握りしめた。
「ありがとう」
彼が恐怖することで、ベルベットの実感もやっと追いついた。もしあのまま死んでいたら、自分がミシェルに置いて逝かれてしまったように、皆を置いて行くところだったのだ。
ルーナだけでは手に余ったろうし、ヴィルヘルムがあの場に居合わせたのは本当に僥倖だった。
微かに震える自分の手に、ベルベットは誰にも見えぬよう眉を寄せる。
つい先ほど病歴はないと言ったばかりだが、倒れたときの感覚を思い返すと、似たような状況へ行き当たるのだ。今回の方が質が悪いが、それはまるで御前試合の時に体験した、義手の魔法障壁が壊れたときの――と、思考に埋もれようとしたところで、騒がしい足音に気を取られた。
廊下からやってくる複数人分の足音に顔を上げると……。
「姉さん!! ルーナが、姉さんが倒れたって!」
「ベルベット、無事か!?」
なぜか学園にいるはずのグロリアと、登城したはずのエルギスがいる。二人がドアを叩きつける勢いで乱入した。
そのまま一瞬後に凍り付く空気の中で、涙目のままのグロリアと、状況を理解できず硬直する友人の姿に、ベルベットはこの世の終わりを悟った。
誰よりも早く動いたのは妹だ。
「こ」
手の届く範囲にあった箒を掴み、構えながら突撃をはじめる。
「この泥棒猫ぉ!!!!」
――その例えはどうなの?
などとベルベットが内心突っ込んでも、勢いは止められない。
暴走したグロリアの叫びで場はさらなる混迷を極めた。
♦♦♦
「えー……グロリア、エルギス」
ヴィルヘルムが帰宅し、家中が落ち着いても相変わらずベルベットはベッドの上の人だ。
もう大丈夫だと言ったのだが、ルーナが運ばれた際のベルベットの状態を見ていたせいで、家族全員に倒れた事がばれてしまい、先ほどまでは弟妹達が小まめに様子を見に来ていた。
ベルベットも本来は安静にせねばならないが、そうは言っていられない。なんとか二人を宥め呼びつけたのに、どちらも機嫌が悪かった。
「あのさグロリア、ヴィルは命の恩人でぇ……」
「知ってるわよ? でもそれだけで、必要以上にあんなに強く抱きしめる必要ってないわよね? 姉さんの方も珍しくお顔を真っ赤にしてたけど、それについて教えてくれることはないの?」
「エルギスさーん」
「処方箋は任せろ。料金は当面の宿泊代でいい」
「いやそっちじゃなくて、この拗ねっこをどうにかしてほしいというか」
「自分でどうにかしろ」
ふくれっ面の妹と魔道士の気分を直すのは難しい。ベルベット自身、自分が倒れてからのことについて整理できていないので、上手い言葉を持たないのだ。
気怠さが残る身体を高く積んだ枕に預け、深い息を吐く。
「相談はグロリアだけに留めるか迷ったんだけど、たぶん、二人じゃどうにもできないからエルギスにも聞いてほしい」
「姉さん?」
「私の身体については後で話そう。医者でも原因がわからなかったのなら、様子見をするしかないし」
原因究明には時間がかかる。
ベルベットの用事が身体のことではない、と気付いたらしいエルギスが顎を撫でた。
「早退した理由か?」
「さっすがエルギス、察しが良い」
パチンと指を鳴らし笑うが、その表情はどこか後悔に滲んでいる。姉の変化にようやくグロリアがふくれっ面を止めた。
彼女の面差しにも母の面影を見出すベルベットは、寂しそうに視線を逸らす。
「なんていうか、元は形見を売ったのが原因だから、自業自得と言えばそうなんだけど」
「形見? 形見って、もしかして母さんの形見を売ったってこと?」
「……残ってたヤツで、一番高かったんだよね」
売ったのは生活費欲しさ故だ。当時の不甲斐なさを突きつけられるようで記憶に蓋をし語らぬようにしていたが、この期に及んで誤魔化しは効かない。
ベルベットは母の形見を数年前に売り払ったことを白状した上で、遠い目になった。
「それでさ、母さんってヘディア公国の公爵家の人だったみたいで」
「へあ?」
「あ、なんかコルネイユ公爵令嬢って言ってた」
「ん? え? えと、ね、姉さん?」
「形見を持ってきたのはヘディア公国の前大公ね」
「んん? んんんん……?」
姉の言葉を必死に理解しようと努めようとする反面、やたら跳ね上がる妹の声音。彼女の気持ちが痛いほど理解できるベルベットはしみじみ頷く。
「で、前大公閣下が母さんを探してるみたいなんだけど、私としては正直何も見つけず帰ってほしいわけ。どうしたらいいと思う?」
「待て。待て待て待て待てベルベット!」
「なに?」
「なに? じゃない。やっぱりあんた、まだどこかおかしいだろ。いつもより頭のネジが飛んでるぞ!?」
エルギスが止めに入り、彼の聴き取り作業を持って正確に状況が伝えられる。
すべてを話し終えた後に残るのは、沈痛な面持ちで頭を抑えるグロリアとエルギスだった。
今章は恋愛も多いです
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