3-1.始まりは獣医師と
じっくり焼いた鶏のソテーは、少し珍しい味付けだった。
「ベルベット、私は時々思うのですが、貴女は働き過ぎだと思うのです」
獣医師ヴィルヘルム・ルディーンの心配に、ベルベットは充分な咀嚼を終えてから答える。少し癖のあるスパイスは好みが分かれそうだが、おおむね彼女に合う味だ。
「働きすぎって、まさか仕事のこと?」
「そう。ただでさえ最近は近衛の務めであちこち引っ張りだこだろうに、最近は王妃殿下からもお呼びがかかっているとか」
「うん。なんでかお呼ばれする機会が増えたね」
「貴女が認められるのは嬉しいですが、本来はエドヴァルド殿下の近衛でしょう。無理をしているのではありませんか」
「否定はしないけど、向こうでやることは結局一緒だから。それに、忙しかったのは昨日まで。これからは殿下やギディオン隊長が一言申し添えてくれるから、出向は減るはずだし」
二人がこうして卓を囲むのは珍しくない。初めて愛馬セロを診てもらってからというもの、二人は時折昼食を一緒にとっている。この日はヴィルヘルムの仕事場兼自宅で料理に舌鼓を打ち、雑談に勤しんでいた。
ベルベットの回答では納得できなかったのか、ヴィルヘルムがやれやれと首を振った。
「今日も朝早くからセロ達の世話を欠かさなかったのが、聞かずとも想像できます。確かに昼食に誘っていたのは私だったけれど、今度にしてもよかったのに」
「貴方もグロリアみたいなことを言うなあ」
妹の名を口にするベルベットは、フォークでジャガイモを刺し肘をつく。ヴィルヘルムは貴族だが、作法には寛容だ。このときも机の下で足を組み楽な姿勢を作るベルベットに物申すような真似はせず、彼自身も肩の力を抜いている。
「昨日は帰りが遅かったと、さっき話したばかりだったから」
「せっかくの休日に家に籠もるって、それこそ休みの意味がないでしょうに。疲れてるって言うのは本当だけど……」
ヴィルヘルムの眉間に皺が寄ったのを見て、ベルベットは急いで否定する。
「どっちかというと気疲れって意味での疲労だから、体は元気。こういう時こそ好きなところに出かけて、友人と食事してお喋りしなきゃ……それこそがお休みってものでしょ?」
「前から思っていましたが、君は本当に人と話すのが好きですね」
「普通だと思うけど、その言い方は含むところあり? だったら言ってほしいんだけど」
休んだ方が、と渋るヴィルヘルムの元へ、ワインを一本携え押しかけたのはベルベットだ。食事の用意もされていたので卓についたが、迷惑をかけるつもりはない。
少し不満げなベルベットに、ヴィルヘルムがおどけたように笑う。
「違いますよ。こう言っては恥ずかしいのですが、どちらかといえば私が人見知りなんです。人付き合いというのも苦手だから、貴女が昼食の約束を気にして、無理に来たのではないかとずっと心配で」
「疲れてるなら疲れてるってちゃんと言うって……って、それよりも人見知り? ヴィルが?」
「何故でしょうね。本当の事なのに、みんなその話をすると疑問形になる」
ベルベットは信じられない、と言いたげに目を見張った。
「いや、だってヴィルは獣医だし、動物以前に飼い主と話をするなんてよくあるものじゃないの」
「仕事と思えば誰とでも話せる勇気が湧くんです」
胃を押さえる獣医師が重い息を吐いた。
「だからこの仕事に就くまでは、家で催されるパーティが本当に苦手でした。父の顔がある手前、嫌でも挨拶に顔を出さねばならない重圧は……正直、今でもトラウマです」
「うん? じゃあ今は?」
「……忙しいとは素晴らしいことですよ、ベルベット」
満面の笑みを浮かべるヴィルヘルムに、ベルベットは表情だけで理解を示した。
ヴィルヘルムは名うての獣医師であり貴族だが、その割には質素な暮らしぶりで、自らの出自を鼻に掛けることをしない人柄だ。
ベルベットはいつかグロリアが言っていたことを思い出したが、サンラニア人はとにかく人を招いて喋りたがる習性を持つらしい。仲の良い友人や同僚のみならず、さらにその友人を招いた自宅パーティも頻繁に行うし、ベルベット自身、すでに同僚の催した集いには何度か足を運んでいる。
グロリアはサンラニア人のパーティ好きが苦手らしい。そして、それはヴィルヘルムも同じようなものなのだろう。
幼い頃から「お呼ばれ」に出向いていており、特別苦にも感じなかったベルベットにはやや理解し難い感覚だが、人の苦手を揶揄うつもりはない。むしろヴィルヘルムの苦手を知り、嬉しそうに目元を細めて、ワイン入りの杯を掲げた。
「わたしは貴方の厳しい審査をくぐり抜けたってことでいい?」
「もちろん。だからこうして、料理にも力を入れています」
ベルベットとヴィルヘルムは微笑み合い、グラスの出っ張りを合わせるような所作で杯を傾ける。無音でもベルベットの耳にはたしかにチン、と小さな音が鳴り、爽やかな酸味と甘みが喉をすり抜ける。酒精がさほど強くないおかげで、ベルベットでも飲んでいられる銘柄だ。
「ああそうだ、でもヴィルには二つほど聞きたいことがあったんだけど」
「なんでしょう」
「大したことじゃない。ほら、以前、うちの双子のことを気にしてたから、今日なら聞けるかなって思ったのと……」
以前は途中で有耶無耶になってしまい、それからも聞けず終いだったことが、この日ヴィルヘルムの誘いに乗った理由だ。
「あとは……」
もう一つの用件を口にしようとしたベルベットの視線が落ちる。それまで楽しげだった彼女の瞳には一瞬の戸惑いと陰りが浮かび、そして誤魔化すように苦笑を浮かべた。
「ごめん、そっちは忘れちゃった」
「顔色が悪い。大丈夫ですか?」
「お酒が回っただけ」
本当は記憶障害が起こるほど飲んではいない。しかしベルベットはなにを思ったのか、疑問を口にすることを躊躇った。ヴィルヘルムは彼女を心配したが、ベルベットはなんでもないと笑うばかりなので、無理に聞き出すことはしないようだ。代わりに質問に答えるべく、ゆっくりと口を開く。
「貴女の弟さん達について、私が伺いたかったのは……」
そのとき、ヴィルヘルムの声を遮るように慌ただしい足音が割り込んだ。
勢いよく走ってきたのは重い鞄を抱える青年で、「先生」と大声を上げながらヴィルヘルムへ一直線に向かう。
「もう飯を食っちゃってるんですか!? 俺の分は!?」
「ちゃんと君の分も作ってあるよ、ブルーノ」
「や……った!」
「それより診察は?」
「無事終わらせてきました!」
元気溌剌という言葉がぴったりに合う青年は、まだ少年期を終えたばかりのあどけない顔立ちだ。ヴィルヘルムに弟子入りした獣医師見習いだが、腕は確かなので既に簡単な往診くらいは任されるようになっている。
鞄を置いたブルーノは意気揚々と部屋を離れると、やがて料理の載った皿を持ってベルベット達と同じ卓についた。
「先生、ベルベットさん。聞いてくださいよ、さっき街に行ってきたんですけどね、ちょっとおもしろい話を耳にしたんです」
「面白い話?」
青年の乱入で、質問はすっかりお流れになっている。活き活きと語るブルーノを遮るのも気が引けたベルベットは、聞き役に徹するべく口を噤む。
興奮したブルーノが目を輝かせていた。
「港に大きな船が着港したらしいんです。それもこれまで来てたような商船じゃなくて、すごく立派な船だったようで……」
ベルベットは内心で苦笑する。
――ま、いいか。
どのみち、二つ目の質問を躊躇ってしまった時点で目的の半分は達成できなくなってしまっている。
楽しそうに会話を続ける師弟を前に、ベルベットは安心したようにワインの瓶を手に取った。
お待たせしました。ベルベットに焦点があたる新章です。
早川書房公式noteにオロロさんの描いたキャラクター設定画が載りました。あちらや王子兄弟や近衛仲間等の全体図をカラーで見ることができます。
先店のキャラクター紹介にはヴィルヘルムの姿もありますので、よろしければご覧ください。
(書籍のものなのでこちらには貼れません)




