3-2.新しい友と古い友
しっかり食後のデザートまで堪能したベルベットを、玄関までヴィルヘルムは見送った。
「飲ませすぎたかもしれませんが、一人で帰れますか?」
「平気平気。酔ったっていってもちょっとだけだし、もうほとんど覚めてる」
「ですが心配です、家まで送りましょうか」
この言葉にベルベットは少しだけ視線を外す。そしてゆっくりと首を横に振り、考えすぎの獣医師に笑ってみせる。
「ありがとう。けど、このあと人と会う予定だし、何かあったらそちらで休ませてもらえるから」
「それなら……本当にお気を付けて」
心なしか残念そうに引き下がったヴィルヘルムは、思いだしたように言った。
「そうだ。ベルベットは観劇に興味ありますか?」
「劇? それなら可もなく不可もなく……」
「私のおすすめの劇団がいます。今度観に行きませんか」
「ヴィルのおすすめか。だったら興味あるかも」
「よかった。それなら今度、是非行きましょう。本当に面白いのです」
「そうまで言うってことは余程入れ込んでるんだ。じゃ、どこかで時間作るから」
無理をさせるつもりがないから今日の足はセロなのだが、右前足で地面を削る愛馬は酔うまで飲んだベルベットに憤っているようにも見える。
セロが落ち着かないので、ベルベットは早々にルディーン動物診療所を後にした。
人に会う予定といった通り、彼女が向かったのは街の方だ。普段は足を向けない歓楽街付近でセロを預けると、薄汚い裏路地に足を踏み入れた。昼間にもかかわらず小路地では若者がたむろし大声を上げて笑っている。
ベルベットに惹かれた若者が悪い顔で近寄ろうとしたが、先達と思しき者がそれを耳打ちでやめさせた。そういった光景が見られるのは主に若者で、煙管をふかしている年配ほど彼女を気に留めない。ちらりと視線を寄越すだけで、顔を確認したら、また何事もなく煙を吸うだけだった。
中には忌々しいものを見る目で彼女を睨んでいたが、視線如きでベルベットの足は止められない。
ある集合住宅の入り口は顔パスだ。
常人なら決して近寄らない古びた建物の出入り口は、強面達が複数陣取りながらカードに興じていたが、彼らもまた何も言わなかった。彼女の後から入ろうとした人が呼び止めを食らい、その声を背中に、ベルベットは三階まで階段をゆっくり登る。
その足は動物診療所を出てから止まることなく順調だったが……一番奥まった部屋の扉の前で、歩みに陰りが見えた。
尋ね人が留守だったのだ。
何度ノックしても出てこないので、とうとうノブを回し乱暴にドアを叩いたところで、隣の住人が顔を出した。
「情報屋ならいないよ」
「は?」
まさかの報せに、ベルベットの顔には驚愕が広がる。
「あの出不精が留守? どこいったかわかる?」
「さてね。こっちが知ってるのは、いつになく青い顔してどっかに行ったくらいだ」
「この時間に約束してたんだけど……」
「そんなこと知らないよ。とにかく、叩かれると迷惑だからどっか行ってくれ。あと、情報屋に会ったら、いつもいつもドアを叩かせるまで居留守を使うなって言っといてよ」
乱暴にドアを閉められ、残されたベルベットは頬をひくつかせる。
「あ、あいつ……自分から指定しておきながら……」
しかし家主がいないものはどうしようもない。
彼女の八つ当たりの矛先が向いたのは街中のパン屋で、買い込んだのは焦げチーズの匂いが香ばしいパンだった。紙袋いっぱいの量は一見過剰だが、食べ盛りが四人もいる家庭では数日と経たず消費されるはずで、ベルベットの財布が少し寂しくなった以外は無駄にはならない。
セロには果物を与えて背に乗ると、今度は寄り道せずにまっすぐ帰路につく。愛馬は持病持ちのためゆったりとした歩みだが、帰る頃にはすっかり酔いが覚めていた。
「しっかし、買い出しも近所の子供に任せるほどの外嫌いが、なんでまた外出を……」
馬上のぼやきは風に流れ、帰り着いた我が家。
そこで待っていたのは意外な人物だ。
「ひぃっ! 顔面がぁ! 顔面が強いぃ!!」
女が悲鳴を上げながら、ハーナット宅の居間の隅で怯えている。
両手で頭を抱え込みながら縮こまる女が怯えるのは、最近はすっかりハーナット宅に馴染んだベルベットの異父妹だ。
「えぇ……なんなの……」
制服姿だから、いつもの通り学校を終え立ち寄ったのだろう。
グロリアの隣には同じように困惑した少女と男性がいる。少女はハーナット家預かりで、近頃はエプロン姿が似合うようになったルーナ。
黒尽くめの男性は魔道士エルギスだ。
彼は悲鳴を上げる不審人物に声をかけるべく近寄ろうとした。
「おい、あんた……」
「ぎええええええええ!!!」
しかしながら、彼を見た途端に奇声を上げる女に伸ばしかけた手を止めた。
一同の視線を集める女は、長い髪をぼさぼさに乱し眼鏡を指紋だらけにしながら叫んだ。
「顔面偏差値が高すぎる! 殺せ、いっそ殺せぇぇぇぇ!!!」
あまりの奇抜さに、リノは室外から興味津々の弟妹やリリアナを体でせき止めている。騒然とした場で、家主の帰還に気付いたのは玄関近くにいたルーナであった。人柄を現したような柔らかな瞳がめいっぱい開かれるのだが、少女はなぜか腕一杯の花束を抱えている。
「ベルベットさん。おかえりなさいませ」
「ただいま。で、あれは?」
「ベルベットさんのお知り合いっておっしゃるので、お招きしたんです。グロリア様がご挨拶したいとお見えになったら……いきなり。それと私にお詫びと言ってお花をくださったのですが……」
「……うん。ごめん、ほんとごめん」
ルーナに謝るベルベットはパンの袋を置き、頭痛を堪える面持ちのベルベットが部屋の中央を通る。
全身震えながら縮こまる女に話しかけた。
「カルラ。カエルラ・マリス」
「また顔がいいのがでたぁ……! ああ神よ、どうしてこうも世の中理不尽なんですかぁ! 私はこんなんなのに、顔が良くて声もいいとか二物を与えすぎではありませんか!」
「落ち着け」
ベルベットは絶望するカルラの手首を掴むと、無理矢理腕を持ち上げて己の顔をしっかりと見せつける。
涙目になっていたカルラは声をかけてきた相手が誰かやっと認識したのか、ポカンと口を丸める。
「ベルベット?」
「そうだよわたしだよ。約束すっぽかしたと思ってたら、うちでなにやってんの?」
思わず半眼になるベルベットを呆然と見上げるカルラ。ようやく彼女が落ち着くと、半信半疑で話しかけてきたのはグロリアだ。
深紅まじりの黒髪を揺らす、百人中百人が美しいと称えるだろうとベルベットが信じて止まない愛らしい妹は、姉とその友人を見比べた。
「姉さん、そちらの方は、本当にお友達でよろしいの?」
「あーうん。外でしか会わないからリノ達も知らないかもだけど、ほんとにほんとの友達。ちょっと行き違いがあったみたいで……」
グロリアが恐ろしいのか、カルラは膨大な汗を流しながらベルベットの背中に隠れ、しつこいくらいに頷いている。その所作はとてもグロリアより年上に見えないが、これでも立派な成人である。
ベルベットは背後の友人を気にしながら、なんとかフォローを吐こうと頭を捻った。
気分は小汚い動物を拾ってきた、親に言い訳する子供だ。
「突然叫ぶから驚いたでしょ? 普段は挙動不審だからアレなんだけど、時々暴走する以外は普通だから……」
ちなみにこれで、ベルベットとカルラは十年来の友人である。
さらに言えば、ヴィルヘルムとの食事の後に会う予定だった相手だ。
すっぽかされたと思った約束が、まさか自宅で果たされるとは思わなかった。
ベルベットが次に行ったのは謝罪だ。
「グロリア、気を悪くしたらごめん。カルラはちょっと大袈裟に騒いだりするけど、悪い人じゃないから」
「ううん。そこは気にしてないから……」
「ありがと。それとルーナ」
「はい」
相変わらずおっかなびっくり花束を握っている少女。口下手な友人を呆れたように見下ろすベルベットが代弁する。
「花はカルラなりに、貴女に向けて選んだものだから受け取ってくれると嬉しい」
「わ、わかりました。でも、私はベルベットさんのご友人に謝られるようなことはなにも……」
「あの時は脅かしてごめんねって意味だと思う」
「え?」
「……わからないならいい。そっちはいずれ本人から説明があると思うし、とにかく、わたしたちは部屋に行くから気にしないで」
これ以上留まっていても、カルラの身心に悪いだけだ。友人の気性を知るベルベットは、カルラを引きずるように自室へ連れ込んだ。
知らない人達に囲まれなくなったためか、二人きりになって友人はようやく額の汗を拭い、安堵の息をつく。
「はぁ……命が助かった。ありがとベルベット……」
「いや、感謝の前に説明」
カルラは冷静になればすっかり別人の形相で、まるで学者然とした知的な大人の雰囲気を醸し出している。目元の隈さえなければ、グロリア達に怯えていたのが不思議に思える愛らしい顔立ちの人だ。
「冷たいこと言わずに、私の命の残機が無事だったことに喜んでよ」
「またわけのわからないことを。いいから約束をすっぽかした理由を言え」
「すっぽかしたなんて失敬な。約束の時間になっても貴女が来ないから、私自ら出向いんだっつうの」
やはりか、とベルベットは目を閉じる。これがたとえば二度目三度目であれば青筋を浮かべるところだが、カルラ相手においてはもはや諦め気味だ。
辛抱強く、言いきかせるように言った。
「約束は午前から午後に変更。昼過ぎまで寝てたいし、夕方近くまで絶対来るなと言ったのは誰だったか覚えてる?」
ベルベットの言葉に、カルラは記憶を探るように視線を彷徨わせる。やがて「あ」と小さく呟くと、明後日の方向を見た。
「……えへ」
「…………まったく」
とはいえ、この程度で腹を立てていたらカルラとは付き合えない。
ベルベットはベッドに腰掛ける。
「それで滅多に外に出ない貴女が家に来た理由はわかったけど、あの叫びは何」
「いや、ルーナちゃんって改めてみると可愛くて……グロリアちゃんもびっくりするくらい美人だったから……」
「まったくわからん」
「ちゃんと謝ろうと思ったら、彼女私が誰だかわかってないみたいで……説明しなきゃとは思ったんだけど、そしたらまた顔の良い宮廷魔道士が出てくるしで、頭はもうパニック」
「つまり緊張でああなったと」
「ハイ」
へらりと笑うカルラに、ベルベットは長い息を吐く。じっくり観察すれば気付けるはずだが、たしかに、この様相ではルーナは気付くまい。
それはルーナがハーナット家の預かりになる前。少女の味方が誰一人としていなかった頃、ベルベットがルーナについて調べるために頼んだ友人一同。少女の人柄を探るべく、失せ物の濡れ衣を被せた偏屈者の友人こそがカルラであった。




