2-閑話.授業参観は突然にⅠ+1巻カバー公開
「母上、正気でいらっしゃいますか」
心底嫌そうな息子の声にヨセフィーナはまなじりを吊り上げる。
いくら愛息子とはいえ、今の言葉はいただけない。木陰に身を隠す彼女は、こそこそと木の陰に隠れながらエドヴァルドを咎める。
「母に向かって正気とは何て口の聞き方ですか! そんな失礼な子に育てた覚えはなくってよ!」
「サンラニアの母ともあろう御方が、そのように不審者丸出しでコソコソしていれば嫌でもそう思います」
「だって隠れなきゃ見つかってしまうでしょう!」
「声が大きいですよ」
「あっ」
小さくなって木の幹に隠れようとする女性に、エドヴァルドは深いため息を吐く。彼が視線を動かすと、遠くの物陰にアレーンの外套の裾がはためいている。王妃の近衛騎士隊長は、こんなときでも職務に忠実なようだ。しかしながら馬車の偽装は完璧なのに、騎士隊長の装いを変えてくれないのは誠に遺憾である。エドヴァルドとしてはこんなときくらいプライドは捨てて欲しい気持ちで一杯だ。
「母上、そのように茂みに身を潜めてどこに行くのですか」
「どこもなにも、大回りするのです。ここからではスティーグが見えません」
嗚呼、平民に扮装するどころか、四つん這いになって身をかがめながら移動をはじめる中年女性を見かけたら、普通の人は間違いなく怪しい人だと勘違いするだろう。エドヴァルドはここが郊外で良かったと心底安心しつつ、同時にこの不審者こそがサンラニア国、王妃ヨセフィーナだとは夢にも思うまい、と遠い目になる。
エドヴァルド達兄弟に似たかんばせを泥で汚しながら、ヨセフィーナが木陰から必死にのぞき込もうとするのはある一軒家だ。
「母上、ハーナット家の人々なら、そのように隠れずとも、素直に話せば中に入れてくれますよ」
その対象はハーナット家。
現在エドヴァルドの弟スティーグが、学校と仕事の合間を縫って遊びに行った家だ。
そしてサンラニアの母がなぜこんなところに居るのかといえば、無論、息子を追いかけてきたためだが、見つかれば怒られてしまうために潜んでいる……らしい。
エドヴァルドの提案にヨセフィーナは怒る。
「ばかっ。おばか!」
「今回私はばかと呼ばれるような行動はなにもしていませんね」
「母の気持ちを考えないからばかといっているのですっ」
怒り心頭の母親に、エドヴァルドは先ほどから堪えきれない気持ちを声と共に吐き出す。
「現実的な話しかしていません。スティーグを見ていたいのなら、ベルベットに協力を仰げば良いでしょう。彼女は……多少雑ではありますが、サンラニアに害をなす人ではありませんよ。それは母上もご存知でしょう」
「だからっ」
ヨセフィーナは涙目になり、取り出したハンカチをくわえて引っ張る。
「母が慰労会のご挨拶で彼女に逃げられたのは知ってるでしょうっ。アレーンの件もですし、きっと無礼な態度に気分を害してしまったのです。息子が世話になっておきながらろくに挨拶もしないままで、さぞ礼儀のなっていない王妃と思われたに違いありません」
「恐縮しただけですよ。ただの慰労で王妃に直接礼を賜るなど、普通は思いませんから」
しかし不器用なヨセフィーナの態度がベルベットに誤解を与えたのは事実だろう……とはエドヴァルドは伝えない。王妃は厳しい教師じみた雰囲気が漂っているだけに、冷たく見られがちなのは事実。そして口下手で素直になれないヨセフィーナの気性が他人には威圧感を与え、萎縮させるのである。本人が酷く気にしているだけに、話してしまえばしばらく立ち直らないので、エドヴァルドは言えないのだ。
しかし実際の王妃は性格は見ての通り。
彼女は悔やむように目を瞑った。
「嗚呼、本来ならスティーグがお世話になっているお礼もたくさんしなければならないのに……ねえ、ベルベットさんはたくさんご姉弟を抱えているのでしょう。やはり援助を行った方がよくなくて?」
「それだけは絶対におやめください」
「周りが優遇してると怒ってしまうから? でもそれとなく助け船を出す方法はいくらでもあるでしょう」
「本当に必要な時は私が助けられます。それに母上はやり過ぎてしまうのですから……」
「まあ、やり過ぎてしまうとは何事ですか」
「……ご自覚がないならなおさらおやめください」
こんな時こそ王妃を諫める近衛隊長の口添えが欲しいのだが、肝心なときには近くにいない男である。
エドヴァルドは話を逸らすために視線を逸らした。
「それより、スティーグが畑に行ったようですよ」
「あら!」
ふたたび裾を引きずり四つん這いで移動をはじめる母親に、エドヴァルドはなんとも言えない表情になる。一方、長男の気もしらないヨセフィーナは、鍬を肩に持つ次男を見て感激していた。
「ご覧なさい、エド。あんなに汚れるのは嫌だと言っていた綺麗好きさんが、土も嫌がらずに草を抜いているわ」
「……本当ですね」
「鶏まで鷲づかみで……」
スティーグの周りをうろついている物体はベルベットの弟の双子だろう。エドヴァルドの弟は、彼らに追いかけられていた鶏を、目に物を言わせぬ早さで鷲づかみにし、双子に手渡した。子供らに何かお説教をして、再び作業に戻る姿にヨセフィーナは涙を拭う。
「帰ってきたときに自分から馬の世話をはじめて、皆を驚かせた姿を思い出すわ。三日坊主と言われてたのに今も続けているし、あんなに逞しくなって……」
母の気持ち、エドヴァルドもわからないではない。
表向きは謹慎としていたスティーグの長期外泊。実際はハーナット家でやっかいになっていた弟は、城に戻ってきてから、まるで別人……否、まるで昔に戻ったかのように勤勉な若者に戻った。多少憎まれ口は残っているが積極的にエドヴァルドの仕事を補助するし、スティーグなりに政を理解しようと努めている。
彼の教育係セバスティアンは最早召されてしまうのではないかと思うほど毎日慈愛の表情であり、兄弟の父を心底震え上がらせたのは記憶に新しい。
きっと遠くからスティーグを見ている近衛騎士も同じ気持ちだろう……感慨に耽るエドヴァルドは母の表情が曇っている事に気付き、その視線の先にいる少女に納得を示す。
「母上は止めないのですね」
「……貴方はできるの?」
エドヴァルドは答えられない。
ヨセフィーナが複雑そうな理由は、スティーグに差し入れを行う少女にあった。彼がハーナット家に通う一番の理由であり、現在ハーナット家に居候しているルーナだ。
本来ヨセフィーナやエドヴァルドは彼女とスティーグが接近することを許せない立場だ。スティーグの婚約者であるグロリアと、その実家デイヴィス家に対し誠意を見せるならいますぐにでも彼らを引き離す責任があるのだが、いまやルーナの無実を聞いたばかり。
ヨセフィーナの身に渦巻くのは王妃としての責任と、無実の少女を追い詰めてしまった罪悪感、息子の笑顔と成長を喜ぶ母の気持ちと複雑で、エドヴァルドもまた口を出せずにいる。
ルーナに差し入れをもらったスティーグは、心なしか身も心も軽そうである。
途中、つまみ食いをしに来たらしいハーナット家の芦毛馬と自身の馬を追い払う姿には、エドヴァルドには持てない逞しさが備わっており、それがエドヴァルドの称賛と、少しの嫉妬心を攫った。
いつの間に拾ったのか、両手に葉のついた枝を握りしめ木陰に隠れるヨセフィーナに、やはり家主の協力を取り付けようと提案したところで、遠くのアレーンが動いたことに気付いた。
理由は突如かけられた声にある。
「……なにやってるんです?」
「ぎゃひぃ!」
ヨセフィーナが奇声を発し肩を跳ね上げる。
そこにいたのは片手にカゴを持ったベルベットだ。平らなカゴの上には洗ってきたらしい肉の塊が載っており、彼女の隣には姉と腕を組むグロリアがいる。
「やだ、姉さんの言うとおり本当にいたわ」
「なんか見覚えのある制服がチラホラ見えると思ったら、殿下とは……」
エドヴァルドは失念していた。
ベルベットは己とデイヴィス家のシモンの企みでギディオンに預けた人だったが、その実力は近衛に相応しいだけの実力者だったのだ。目端が利けば、隠れた近衛隊に気付くのも当然だろう。
ハーナット家の家主は私服を着崩し髪をほつれさせている。普段の凜とした姿とはまた違う趣だが、これだけで彼女が持つ美しさが綻ぶことはない。グロリアは……まあ、いつも通りだろう。妹より姉の方に目を奪われるエドヴァルドだが、この時ばかりは普段通りではいられない。
咄嗟にヨセフィーナを隠そうとしたが、グロリアが気付いてしまったのだ。
「そこにいるのは、ヨセフィーナ王妃殿下」
妹の言葉に目を丸めるベルベットは、まじまじと自国の王妃を見つめ、記憶の中にある王妃と目の前の不審者を一致させる。
彼女は大多数の国民がそうであるように、国王と王妃に敬意を抱く健全な国民だ。エドヴァルドもその像を崩さぬようつとめていたのに、葉っぱで顔を隠す姿は台無しという他ない。挙げ句、ヨセフィーナは顔を逸らしながら口笛を吹いた。正確には口笛を吹けないから、それっぽい乾いた空虚な音だけを発した。
「ヨ、ヨセフィーナ王妃殿下ですって? 麗しの可愛い子猫ちゃんのような王妃様がこんなところにいるわけないでしょう!」
麗しの可愛い子猫ちゃんは国王が王妃によく言っている言葉だ。両目を閉じるエドヴァルドを尻目に、ヨセフィーナは近寄ろうとしたアレーンを必死の形相で追い返し、持っていた肩掛けで顔をグルグル巻きにすると声を高くする。
「わたくしはスティーグ殿下の教育係ですの! 本日は殿下がどのようにお過ごしになっているか、見守り……ンンッ! 検査しに来たんですわ!」
「はぁ……」
はじめは王妃と知って身を固くしたベルベットだが、ヨセフィーナの行動に冷静になったようだ。妹に目配せすると、そのグロリアは諦めたようにエドヴァルドへ肩をすくめる。
――ばれたからにはもう隠せませんわよ、殿下。
……とでも言いたげなグロリアに、エドヴァルドは母の威信を誤魔化す真似を止めた。
二人の諦観を受け、ベルベットは無言でスティーグのいる方向とヨセフィーナを二度見する。
形容しがたい奇妙な空気の中で彼女が出した結論は、事態を穏便に済ませることだった。
「とりあえず、うちでお茶していったらどうですか」




