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2-37逢瀬来たりて+書籍化お知らせ

 フランカは隠しきれないため息を吐く。


 「はぁ」


 息に乗って、胸を押しつぶしそうな痛みが少しだけ流れ出て行く。

 彼女がこの教会に預けられてしばらく経った。はじめはぎこちなかった草むしりは、いまやすっかり慣れた手つきで畑の雑草を抜いている。ずっと体を曲げて移動するから腰が痛むが、せいぜい早く作業を終わらせるしか解放される術はないので、黙々と草を抜いて行く。

 ただ、この時は何度も無駄に息を吐く。

 今日の彼女は、十を数え切れないくらい肩を落としている。


「……スティーグさま」


 漏れ出る声は、諦めが悪い証拠だ。

 せっかくすべてを手放す覚悟を決め、これからの人生すべてを教会に投じると決めたばかりなのに、噂話は耳に入ってくる。

『不仲だって噂のスティーグ殿下とデイヴィス家の令嬢が仲良く並んで歩いてたらしい』

 聞きたくもない噂は、商人が届けてくれた荷運びの最中、ふとした拍子に耳に入ってきたものだ。

 街に出ることが許されない彼女は俗世から引き離されていたが、それでもスティーグとグロリアの不仲だけは知っていた。それゆえに、ある一定の安心感が彼女を支えていたのだが……噂を聞いて、心を揺らした。


「諦めたはず、なのに……」


 俯き、悔しそうに下唇を噛む。

 いっそ感情のままに駆け出して王城に訴えれば、彼女の想い人は気付いてくれるだろうか。

 目頭が熱くなるのを抑えきれない彼女は、好きな人に握ってもらった手の温かさを思い返しながら、馬鹿な考えに目を閉じ、自らを落ち着けるために息を吐く。絞り出すような声で泣いた。


「むりだよ」

 

 視界を閉じても、爪の間に入り込んだ土の跡はなくならない。ささくれだった指先は農民のそれだ。働き者の手は決して嫌いではないが、王子の隣に並ぶには相応しくないと知っている。

 こんなみすぼらしい修道女見習いが王城に訴えたところで、誰が彼女を貴族の令嬢だと信じてくれるだろう。親でさえ彼女を見放し、決して身元が割れないよう仲介を挟んで、片隅の教会に追いやったというのに。

 だが……王宮を混乱に陥れたのもまた事実なのだ、と彼女はすすり泣く。彼女自身でさえなにも理解できていないのに、他人を説得する声など持てるはずがない。ならば罪を甘んじて受けるしかないではないか。

 雑草を握りしめる力が強いせいで、草の汁が手に滲む。

 彼女は鼻を鳴らしながら手を開いて、荒れた手を見つめ、沫と化した過去と頭の片隅に追いやろうとした――ときだ。


「ルーナ」


 フランカは幻覚を聞いた。

 その名を知っている人は、ここにはいない。

 彼女の新しい名前はフランカ。最近田舎から都に預けられた、世間知らずの娘だ。

 そういうことになっている……のだが。


「やっと見つけた」


 振り返ってもいないのに、その人は言った。

 彼女が何も応えていないのに、絶対間違っていないという自信に溢れた声は、彼女にとって心地の良い、ずっと聞きたかったものだ。

 フランカは肩を縮み込ませながら、肩越しにおそるおそる振り返る。恐怖に揺れる瞳が捉えたのは、想像に違わない人だった。

 不思議なことに既製品に身を包み、平民と変わらない姿をしているが……。


「スティーグさま」

「ルーナ!」


 つい名前を呼んでしまったら、スティーグが駆け出してくる。フランカ――ルーナも彼の胸に飛び込もうとして、次の瞬間、恐怖に慄いた。


「近寄らないで!」


 今にも死にに行きそうな悲痛な叫びに、スティーグは足を止める。


「……ルーナ?」


 立ち上がったルーナは、いまにも倒れてしまいそうなほど真っ青だ。

 スカートをぎゅっと掴み、指まで震わせながら、強い意思でスティーグを睨んでいた。


「ど、どうしてここにいるのか、き、聞きはしません」

「どうしても何も、ずっとお前を探して……」

「き、聞かないと、いいました。な、なのでお話は、しま、せん」


 ルーナは自分を叱咤する。逃げ出したい。家に帰りたい。そんな思いばかりで毎日過ごしていた。今の生活が辛かったから、夢見たほど会いたかったスティーグの迎えが、死んでしまいそうなほど嬉しい。

 いますぐ彼の胸に飛び込みたい。

 ……そう思いながら、弱音ばかり吐く自分の情けなさを呪った。

 せめてこんな時くらい、彼が苦手とするデイヴィス家のグロリアのように振る舞えばよかったが、ルーナは彼女ほどの高潔さを持ち合わせていない。教室の隅っこで小さくなって本を読んでいた自分では、好きな人から顔を逸らす程度が精一杯だ。


「お、お帰りください。私は、もう、伯爵令嬢ではありませんし、殿下と並び立てるような身分を……いえ、元々、そんなのありませんでしたから」


 ここにいるのは、恋に恋をして浮かれた小娘の残夢だ。

 元々身分違いの二人、いつか諦めようと思っていた恋が偶々実ってしまって、浮かれて別れを切り出すタイミングを逃してしまった愚かな夢の結末だ。

 浅ましい夢は彼女の知らぬ間に現実を犯した。

 気付いたときには何もかも手遅れで、罪を贖うことも許されずに家から捨てられた。

 そんな娘に王子がかまけて良いはずはなく、故にここは自分を憐れんで泣いて良い場面ではない。

 ルーナは嗚咽を堪え、頭を下げる。


「王城を混乱に陥れたこと、申し訳ありませんでした」

「いまさら、なにを……」

「何を言っても遅いのかもしれませんが、貴方やグロリア様の名誉を汚したことを、心から謝罪いたします。本当はあの御方にも直接謝るべきですが、勇気のない私をお許しください」


 残した後悔の消化は、胸に新たな塵を積もらせた。

 苦しいのは罪を認めねばならない証拠だが、ルーナはそうするしかない。

 さあ、言え、とルーナは心で叫ぶ。

 それがスティーグの将来のためだ、と自分を鼓舞した。


「殿下は情の深い方です。だから私を心配して探しに来てくれたことを、本当に、本当に……嬉しく思います。ですからどうか、ルーナのことはお忘れください」

「おい、ルーナ!」

「それが貴方のためなんです!!」


 叫びは慟哭だ。

 声を詰まらせるルーナにスティーグは息を呑み、伸ばしかけた手を下げてしまう。

 ルーナはこれ以上、己を偽るのは胸がいたい。

 胸の前で手を合わせ、ルーナはぎゅっと目を閉じる。


「お願いですから、帰って……!」


 本当にスティーグが帰ったらガッカリする自分がいるのは気付いている。だがすべてを諦めて教会行きを受け入れてしまったのだから、彼を拒絶する他ないのだ。

 俯いている時間は、とても長く感じられた。

 さく、と土を踏む音。

 歯を食いしばって恋しい人が去りゆくのを聞き届けねばならないルーナだが、その足音は、遠ざかるばかりか近づいてくる。

 彼に抱きしめられたと気付いたのは、数秒遅れてからだ。

 少女は咎めるように叫ぶ。


「スティーグさま!」

「俺は兄上ほど賢くない」

「なにを……」

「それと、女の子に詳しくないから察しも悪い。だからお前が言っていることや、何に悲しんでいるかも、半分も理解してやれてない」

「やめてください……やめて」


 ルーナは抵抗する。だが、スティーグの腕の力はまったく揺るがない。

 求めていた体温に負けてしまいそうなルーナを、スティーグはさらに強く抱きしめる。


「ただ、お前が辛そうなことだけはわかるよ」

「辛いなんて、違います。辛かったのはグロリア様に、殿下や、陛下達です。私が馬鹿だったせいで、皆さんに迷惑をかけました。だから――」

「ごめんな」


 抵抗はたった一言で小さくなった。

 わずかに残っていた逃走の欠片は、手を重ねられたことで封じられる。

 スティーグの両手が、ルーナの荒れた手を包み込んだ。


「あ……」

 

 荒れた手を見られてぐしゃりと顔を歪めるルーナに、スティーグは微笑む。

 嘲笑するでもなく、拒絶するわけでもなく、ただただ優しい瞳でだ。


「恥じる必要なんてないさ。それによく見ろ、俺の手だって荒れてるだろ」

「え? あ……ほんとうだ……」

「まったく酷いよな。王子を王子とも思わない家主ときたら、やれ馬房を掃除しろだの、槌の使い方を覚えろだの、挙げ句雑巾の絞り方がなってないって叱りつけて……あんなやつ、いくら恩人でも仕返しするつもりでいたんだけど」


 言葉の意味を理解できないルーナは目を白黒させる。そんな彼女に、スティーグはカラカラと笑う。

 それは彼女と一緒にいるときにスティーグが見せていた、王子という形に囚われない彼本来の姿だ。


「まあ、お前を見つけてくれたんだからなんだっていいさ」


 そしてスティーグは、土に汚れたルーナの指先に口付けを落とす。呆気にとられながら、次第に真っ赤になって行く少女に告げた。


「働き者のお前の手を、俺は愛おしいと思うよ」

「…………スティーグさま」

「……なあ、それ以外の評価は、お前に必要か?」




 

 

 大声で泣き出す少女から隠れるようにして、物陰にベルベットはしゃがんでいる。


「意外とやるなあ」


 一部始終はすべて彼女の耳に入っていた。

 揶揄うように、しかしどこか嬉しそうに呟くのは、もちろんスティーグに対してだ。

 彼女は膝下まであるスカートが台無しにならないよう、膝を折りたたみながらしゃがみ、壁に体重を預けている。

 顔に施された薄めの化粧は、普段と違って淡い色合い。艶やかな髪は一部だけまとめてグロリアと揃いの髪留めを付けている。あくまでも見た目だけを優先した格好は、間違いなくいっぱしの淑女である。

 魔道士のおかげですっかり元通りになった右腕、その先端に施された艶やかな爪細工を観賞するベルベットは、鼻歌でも歌いだしそうな陽気さで隣に佇む男性に話しかける。


「で、どうです?」


 見上げた先にいたのは、片手で頭を抱えるエドヴァルドだった。

次→明日 (ブックマーク・評価いただけますと嬉しいです)


そして書籍化します!!1巻発売は2025年1月下旬となりました

 

イラストレーターはオロロさん(最近だとFGO礼装イラスト等)

1巻とある通り、この話以降の最終刊まで出ます。出版は早川書房です。

また、青空に新しいアカウント作りました。向こうでも告知して行きます。

どうぞよろしくお願いいたします。


活動報告:悪女呪い書籍化について 更新

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― 新着の感想 ―
えええええおめでとうございます!!! これからも応援します! デートで弟のラブシーンを見せつけられるお兄ちゃん笑。
書籍化おめでとうございます! ルーナ嬢はこんなかんじだとスティーグの重荷にしかなれないのでは。愛妾として夫個人を支えることになりそうな。その方が本人にとっても気が楽だろうな。
スティーグさんルーナさんを影から見て頭抱えたエドヴァルドお兄ちゃんにホッコリしました。ニヤニヤがとまりません。  祝⭐ 書 籍 化! おめでとうございます!
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