2-13.覚悟は決めていた
あくびをかみ殺すベルベットの前に現れたのはエルギスだ。
彼女の前には果実酒が置かれており、すでに半分近くが消費されている。頬はほんのり赤く、隣ではグロリアが姉に寄りかかりながら眠っていた。
木のカップを傾けるベルベットは、エルギスを見るなり器を掲げてみせた。
頷くエルギスは、棚からカップを見繕うとベルベットの向かいの席に座る。自ら酒を注ぎながらグロリアを顎でさした。
「酔ったのか?」
「そうみたい。あんまり強くなかったみたいで……エルギスは、やっぱり人の家だし眠れなかった?」
「元々夜型なんだ。あんまり眠れるほうじゃないから、夜はこんな感じだ」
果実酒は山で採れたチェリーを漬けたものだ。エルギスが目を見開く姿に、ベルベットは自慢げに笑う。
「近所のおじさんが漬けた評判のお酒、存分に味わうといい」
「なんであんたが偉そうなんだ」
「貴族の皆さまには到底飲めないお酒だろうから」
「まあ、わざわざ安酒を飲む理由はないよな……美味いけど」
つまみはから煎りした胡桃と少量のチーズだ。わびしい酒盛りの他には、一冊の本が置かれている。夕餉時には見かけなかった冊子にエルギスは注目した。
「礼儀作法の勉強を?」
「一応はね。あそこにいると、身分の違いを嫌でも思い知らされる」
「ふぅん。そんなの気にしてないと思ってた」
「気にしないでいられたら、どんなによかったか。グロリアに教わってはいるんだけど、イマイチ難しい」
つい出てくるのは、彼女にしては珍しい弱音。
ベルベットは知っている。近衛の皆は気にしないようにしてくれているが、身分の違いを誰より実感するのは自分自身だ。一見雑そうなギディオンでさえ、観察すれば、その所作は育ちの良さが現れる。
グロリアが完全に眠っているのを確認して、エルギスはチーズで胡桃を挟んだ。
「必要なら僕も教えてやるくらいはしてやるよ。で、腕の方はどうだ。埋め込んだ魔具がたまに痛むのは治まったか」
「そっちはまだ。でも動けないとかじゃないし、慣れだね」
「多少は仕方ないとはいえ、耐えられないようなら言えよ」
ベルベットの失くした片腕代わりとなる魔法の義手は、いまだにエルギスが調整を続けている。本体となる魔具は肩に埋めこまれているが、施されている術式が悪さをするらしく、時折あるはずのない痛みを覚えるようになった。
二人が飲み交わすのはこれが初めてだが、不思議と話題には困らない。
「スティーグを預かってくれたのは僕的には良かったと思うんだが、あんたの方は良かったのか?」
「エルギスは何が心配?」
「グロリア嬢さ。これで他の連中にも、次に職場に顔を出す頃には、彼女の実姉だってバレてる」
「あーそれ……さっきグロリアにも聞かれてたけど」
ベルベットが身を動かすと、倒れ込んだグロリアがベルベットの膝を枕に横になる。妹を起こさぬよう慎重になるベルベットは、すでに状況を理解していた。
「それは殿下がうちにいるって知らせる時点で覚悟していたというか……正直ずっと隠し通せるとは思ってなかった。だからその時期が早まっただけ、かな」
「デイヴィス家は?」
「侯爵はもう対応を考えてると思う。本当にあの人が怒ってたら、グロリアはとっくに外出禁止になってるし、シモン殿が何も言ってこないのは不自然だから」
不意にこめかみを押さえたのは、揺らぐ視界と重い目をほぐすためだ。
あまり酒は嗜まないために、果実酒を水で薄めたものでとっくに頭はふらふらだ。実を言えばグロリアよりも酒は飲めないし、味も好きではないのだが、たまに酔いたくて飲むことがある。
「エルギスにはお礼を言っておきたかったんだけどさ」
「酔い止めはないぞ」
「違う違う。エドヴァルド殿下の説得、わたし一人じゃ無理だったからありがとうってこと」
礼を言うベルベットに、エルギスは少し不思議そうな顔をする。そして「気付いてないのか」と呟いた。
「僕だけじゃない。エドヴァルドがあれだけで引き下がったのは、あんたがスティーグを預かるって言ったからだよ」
「なんで? 貴方と比べたらかなり信用が足りないでしょ」
エルギスは瓶から蜂蜜に浸かった木の実を皿に取り出す。
「いいや、僕だけじゃあいつは納得しなかった。片腕を犠牲にした命の恩人は、それだけ信用があるってことさ……うまいな、これ」
「あ、それ実はわたしが養蜂したやつ」
「凄いな」
素直な感嘆を漏らすと、どちらからともなく互いの器を合わせて音を鳴らす。
とりとめのない話は朝方まで続いたが、軽い休憩だけで済ませたベルベットは、陽も昇らないうちからスティーグの布団を剥がす。
疲労でぐっすり寝入っていたスティーグはもちろん怒った……が、ベルベットは容赦しない。青年の耳を引っ張りながら厩舎へ連れ出すと、馬たちの体調を確認すると飼い付けを行う。
「くそ、なんで俺がこんな……」
「レンブラントはあなたの馬なんだから、お世話をするのは当然でしょ」
「王族所有の馬だ。なんで兄上に連れて行かせなかった」
「わたしが止めた」
「なんでだ!?」
「秘密」
自らも三本鍬を使いながら、汚れた藁を回収するのだが、いまだ及び腰で作業を行うスティーグの愚痴は止まない。
「自分の馬の世話をしろって言うなら、リノ達はどうなんだ」
「あの子達は鶏や畑の世話を重点的にしてるし、朝早くから起こすのは良くない」
「俺はいいっていうのか」
「あなたは学校休むし、しばらく一日中暇でしょ。リノは学園の勉強に追いつくための学習があるし、下の三人も教会で勉強がある。だから手の空いてる人間がお世話する……これ以上ないほどわかりやすい話だと思うんだけどな」
タダで泊める気はない、と言外に言ってのけるベルベットに、スティーグは悔しそうに呟いた。
「俺はルーナを探しに行かなきゃいけないのに……」
「空き時間に行けばいいじゃない。わたしかエルギスの監視が付くけど、止めはしないつもりだし」
「本当か?」
「……たぶん」
「そこは約束しろよ。そういうところ、ほんっっとうにグロリアそっくりだな」
そう言いつつ、鍬をもつ手に力が入ったのを見たベルベットは、ふと動きを止める。
「あなたも弟達と一緒に教会へ行ってみる? 司祭様の話はためになることが多いし、いいことあるかもしれないよ?」
「……そこは貴族の子女を受け入れるような、位の高い司祭がいる教会か?」
「元貴族の修道士様の配属ならあるけど、貴族の受け入れは聞いたことない。だけど貧しい人達であっても分け隔てなく接してくれる司祭様の位は、どこよりも高いと思うけどな」
「なら俺には必要ない。そんなところより、ルーナを探す方が先だ」
「残念。あ、手を抜いてもわかるから、隠そうとしないでね」
「くそ、少しでもお前をいい奴だとおもった俺が馬鹿だった」
ベルベットはこの上なく親切なつもりなのだが、なかなか伝わりにくいものらしい。文句をいいながら与えた仕事は真面目にこなすあたり、根は悪くない青年なのだった。




