2-10.呑気な盗み聞き
鬼の形相と化したエドヴァルドがハーナット家に乗り込んだのは、しばらくしてから。
大股で歩くエドヴァルドが扉を開いたとき、スティーグはベルベットの弟妹達と野いちごを食べていた。
「なぁ!? あ、兄上!?」
「ま、エドヴァルド殿下ったら怖いお顔」
壁の端に逃げるスティーグとは反対に、グロリアは呑気に弟妹達を連れ出す。
「ナナシさんったら、相変わらず御しやすい方なんだから……」
「足止めご苦労さま」
「うふふ、いえ、楽しかったですから」
「ねえちゃんねえちゃん、あの人誰」
にらみ合う王子達を前に、メイナードが当然の疑問をあげる。グロリアが弟妹達の背を押し、外へ誘導した。
「ナナシさんのお兄さんよ。さあ、それより喧嘩に巻き込まれてはいけないから、外に出てましょう」
「なんで怒ってんの?」
「心配したからよ。あなたも連絡もしないで遅くまで遊んだ日は姉さんに怒られるでしょう」
「じゃあもしかして、ナナシって家出なんだ」
「そういうことよ。さ、しばらくあっちで遊んでましょうか」
最低限の随員にしたが、外にはギディオンやエルギスいった者達も一緒だ。仰々しい一同 一行にハーナット家の弟妹達は驚いたが、ある人物の姿に気付いたラウラが「あっ」と声を上げ、急いで髪を直す。
そして、そんな小さな淑女の前に膝をつき、手を取ったのはセノフォンテだ
「おはようございます、ラウラ嬢。朝から騒ぎ立てて申し訳ない」
「お、おお、おはよう、ございます……っ!」
輝き二倍増しの微笑みに、ラウラは顔を真っ赤にして俯く。ベルベットはセノフォンテを忌々しげに見るが、弟妹の気を逸らすためには我慢するしかない。リノや双子も普段間近で見ることのない立派な風采の騎士達に目を奪われているし、セノフォンテに弟妹を任せると、自身は彼らから見えない家の影に回り込んだ。そして窓の下に座り込むと耳を澄ませた。
この辺りは家主の特権である。
微かに開けていた窓からは、エドヴァルドとスティーグの声が聞こえていた。
「勝手に姿を眩ませて、皆がどれだけ心配したと思っている!」
「あ、兄上達が俺を自由にしてくれないからでしょう!」
「お前がそう気に病んでいたから、護衛を減らすよう父上に進言したのではないか。お前が一人の時間を取れるよう取り計らっていただいたのに、皆の信頼を裏切ったのか」
「貴方たちが俺の行動を制限するせいで、いつまで経ってもルーナが見つからないんだ!!」
ルーナ。グロリアの婚約破棄時にスティーグの傍にいた伯爵家の娘は、いまだ見つかっていないらしい。
堂々と盗み聞きをするベルベットは、なるほどねぇ、と頷いた。
「好きな女の子のために抜け出したってこと? ……わかーい」
ベルベットの左隣にしゃがんだのはグロリアだ。兄弟喧嘩を音楽に、感慨深げに、唇に手を当てる。
「スティーグ殿下ったら、あそこまで一途だと、美人局に引っかからないか心配しちゃう」
「それって、婚約者として?」
「幼馴染みとして、かしら。お友達としてなら悪くないのよ、あの人って」
「恋人としては合わなかったか」
「私は賢しすぎて嫌なんですって」
良い思い出のように語るグロリアに、ベルベットは躊躇いがちに視線を彷徨わせる。
「皆がいたから難しかったと思うけど……少しは話せた?」
はたと真顔になり、姉を見上げたグロリアの唇は半開きだ。大きな瞳を精一杯開くグロリアは、あることに気付いた。
「姉さん、まさか私と殿下を会わせるために、エドヴァルド殿下への連絡を遅らせたの?」
「そこまで深く考えてたわけでもないんだけど、話してないんだろうなと思ったから」
スティーグ発見の報告を遅らせた理由だ。
しかし頼まれてもいない余計な世話を回した自覚があったし、妹のためになった自信はなかったが、機嫌を損ねることはなかったようだ。グロリアはご機嫌に姉の腕を取り、大事そうに抱え込む。
「久しぶりに素の殿下を見られたのは楽しかったわ」
「ん。まあ、楽しめたのならよかった」
姉妹は仲睦まじいが、それとは正反対に家の中は騒々しい。
「ルーナを何処に隠したか、彼女に会うまで俺は帰らない」
「なにを馬鹿な……」
「貴方たちの操り人形になることが賢い証明だったら、俺は馬鹿でいいんだ!」
「……お前は理想論ばかりで現実をわかっていない。いいから、今は私に従うんだ」
「嫌だって言ってるだろう! どうしてそうやって、いつも俺の話を聞かないんだ!」
「聞いているだろう。無視したことなんてなかったはずだ」
「いいや……いいや! 兄上はわかっていない……」
感情的になったスティーグをエドヴァルドは連れ戻そうとしているが、上手く行く兆しは見えない。
ベルベットは頬杖をつきながら感想を漏らした。
「兄弟喧嘩ってどこのご家庭もそんな変わらないのかね」
ぼやいていると、さらに傍聴者が増えた。
エルギスがベルベットの右隣に座り、兄弟喧嘩に耳を澄ます。
「今回の家出だけどな」
「お、エルギスも喧嘩に興味ある?」
「ない。だが、怪我をされたら僕たちが減給を食らうから困る」
「連れ戻しに来ただけでしょ。そこまで発展する?」
グロリアが身を乗り出し抗議する。
「待ってください。それよりもエルギス様は、なんで姉さんの隣なんですか」
「僕が隣だと、あんたはいつも黙るじゃないか」
「そんなこと……」
そっと目をそらすグロリアの面差しに、ベルベットは思い当たる節がある。
「大丈夫大丈夫、これ、よくわからないけど照れてるだけっぽい」
「照れ……?」
「姉さんっ」
グロリアが照れているとは信じられないらしいエルギスは、揶揄われていると思ったらしい。そうか、とひと言で終えてしまうと、事の始まりを教えてくれた。
「実は、誘拐だと心配していたのはエドヴァルドと陛下達だけだ。僕たちは……ギディオンも含めて、家出だろうとの見解が強かった」
「……なんでそんなことになってんの?」
「そりゃあエドヴァルドにとって、スティーグがかわいい弟だからに決まってる。ベルベット、あんただって家族が突然姿を消したら、誘拐の可能性だって考えるだろ」
「それは、まあ……」
納得するベルベットとは反対に、妙に驚いているのはグロリアだ。
「陛下達はともかく、エドヴァルド殿下がそこまで可愛がってたなんてびっくり」
「グロリアは婚約者なのに知らなかったの?」
「姉さん。なのに、とおっしゃるのは違います。婚約者だからって相手のことを何でも知ってると思ったら大間違いですからね」
「はい、すみません」
スン、と大人しくなるベルベットの傍らで、エルギスが難しげな表情で腕を組む。
「それについてはエドヴァルドにも問題があってだな。あいつ、スティーグは婚約者の前で格好付けたいんだと思って花を持たせようとしたせいで、皮肉を皮肉と思わず流していたというか……」
「やだ。もしかして、お兄様に情けをかけられてると殿下は誤解されていたと?」
「兄貴は可愛がってるつもりでも、まったく伝わってなかった」
兄弟関係のねじれを、エルギスはこう説明する。
「エドヴァルドとスティーグは昔から成績に差があった。エドヴァルドはもちろん、陛下達だって、そんなのは気にしてなかったんだが……どうしても、周囲がな」
周囲の人間の心ない言葉が、いつもスティーグに付きまとっていた。優秀な兄と比べられた想いが強かったのだ。窓から届く語気の強い言い争いに、エルギスはため息をつく。
「ただでさえコンプレックスが募るばっかりなのに、婚約者まで譲られたときたもんだ。それが自分よりも優秀な才女だったとしたら……」
「……まあ。それも初耳だわ。私、てっきりただ振られただけだと思ってました」
「あんたをエドヴァルドの婚約者候補から変更したのは他にも理由がある。ただ、そのあたりの話をスティーグは誤解してるから……」
明かされて行く事情に、なるほどねぇ、と姉妹は空を見上げる。その姿は揃って似通っており「そっくりだな」とエルギスが呟いた。




