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2-9.一介の平民には荷が重い

 しかし飯とは言ったが、ハーナット家は最近改善されつつあっても貧乏平民だ。果たして王子に庶民の料理が舌に合うのか。

 答えはわかりきっている。


「どうした? 腹減ってないのか、大丈夫か?」

「い、いや……」


 しきりに問いかけるメイナードに、スティーグは半分絶句したようにスープの入った器を眺めている。ベルベットも「そうだろうな」と思わないでもない。

 リリアナが用意してくれる作り置きなど、とっくに食べ盛り達に消費され尽くしている。従って料理の腕など可もなく不可もなく、なベルベットが作ったのは塩をまぶして焼いた肉と、豆とトマトをくたくたに煮込んだ料理にパンを添えたもの。

 リリアナのおかげで香辛料の類は十種類以上揃っているが、生憎塩と、その辺に自生している野草以外は使い道なんてわからない。ベルベットは塩味があるだけかなり美味い方だと思っているが、リリアナの料理や、城で昼飯を馳走になる経験を重ねると、自宅の料理は中の下くらいだと理解できる。

 グロリア曰く、ベルベットの料理は「旨味」の概念がないそうだ。

 弟妹達はベルベットの料理の腕を知っているのでお察しだが、食べ残しはしない。そしてこれらの料理は、上流階級の王子には「不味い」部類だ。

 神妙な顔をしていたスティーグは、ゆっくりとスプーンを動かしながらベルベットに尋ねた。


「……いつも、こういう食事なのか?」

「そうだけど」

「でもねえちゃんのおかげで、だいぶ改善されたんだぞー」

「うんうん。ギルがそう言ってくれるのは姉さん嬉しいけど、食べながら喋るのやめなさい」

 

 文句をいったら追い出してやろうかとも思っていたが、そんな気配もない。夜になるとスティーグは双子に絡まれながら二階に上がり、残されたベルベットは天井を仰ぎ、ほろりと涙をこぼした。

 

「…………せめて夜はゆっくり寝たかったなぁ」


 翌朝、一階に降りてきたスティーグが見たのは、椅子に腰掛け優雅に紅茶を啜るグロリアである。彼女がいるだけで、ただの一般家庭の内装が豪華に見えるのは何故なのか。

 青年の狼狽え具合は面白いほどだった。

 一晩ですっかりリノと打ち解けたのか、仲良く階段を降りてくる姿は微笑ましかったが、彼女を見た途端、彼は思いきり後ろに下がって、背中から壁にぶつかった。


「な、なな、なななな……!?」

「グロリアちゃんだ」

「おはよう、ラウラ。さ、こっちにいらっしゃい」


 同じように起きてきたラウラを、グロリアが笑顔で隣に迎える。続く双子達も席に着き、いつまでも驚いているスティーグを、リノが促した。


「怖がらなくていいよ。ほら、養子に行った姉がいるって話しただろ、彼女が……」

「グロリアが姉!?」

「え? あ、うん。グロリアのことは知ってるのかな。記憶が戻った?」

「あ、や、いや……」


 本来ならもっと大変な場面だが、生憎、子供がいる家庭の朝は戦争だ。腹を空かせた小さい猛獣たちはリリアナの持つフライパンに夢中で、大人の事情など見てやしない。

 ベルベットも盛り付けだけ手伝ってリリアナと共に卓に着き、祈りを捧げてからフォークを手に取る。

 スティーグがややもの言いたげなのは、侍女が共に食事を摂ることだろう。リリアナも始めは遠慮したが、家主のベルベットと主グロリアが強く反対したのでいつも通りだ。

 リノのジトッとした視線が刺さるが、ベルベットはまるっと無視だ。朝まで大人しく待っていたら王子に逃げられる可能性があるのに、黙っている理由はない。深夜、子供らが寝静まったのを確認してから、彼女はグロリアを頼った。まずは王子の保護者に連絡を入れるべきかもしれないが、グロリアを後回しにするのは、どうも気が引けたのである。

 この判断は間違っておらず、夜中にもかかわらず、グロリアは話を聞くなり馬車に飛び乗った。

 気まずそうなスティーグを余所に、ギルバードは百人力を得たと言わんばかりに目を輝かせる。

 

「じゃあ、グロリアねえちゃんならナナシの家族を探してあげられるかな」

「ナナシ?」

「名前がわかんないから名無し。昨日メイと話して決めた」

「あらあら、あらあらあら……」


 可笑しそうに笑うグロリアは、ちらりとスティーグを見やるも、二人の視線が交わることはない。

 グロリアはかわいい弟に力強く頷いた。


「任せて。ギルや姉さんの頼みだもの、お姉ちゃん、張り切って探しちゃう」

「おねえちゃん……」

「あら、ナナシさん、なにかおっしゃって?」

「なんでもない」


 後事をグロリアに託したベルベットが直行したのは職場だ。

 ベルベットの予想通り、詰所の雰囲気は張り詰めていた。

 口を真横に結んだ騎士が五名単位で組みながら、慌ただしく早歩きで通り過ぎて行く。馬の出入りも激しいが、かといって怒号が飛び交うわけでもない。なのに全員の目元がつり上がり、落ちた針ひとつ見逃さぬと言わんばかりの鋭い眼差しで行き交っている。

 ベルベットは疲れ目を隠せないまま、コルラードのところへ顔を出す。彼女を見た少年は一瞬顔を怒気に染めたが、彼女の隠しようのない疲労に、奇妙な納得を見せた。


「もしかして、もう話を聞いたか?」

「まだですが推察はつきます。で、隊長は出かけたらしいですけど、どこにいます?」

「うん……? 隊長なら会議室だ」


 コルラードの誤解は誤解のままにさせておこう。

 なにせベルベットは、結局一睡もしていない。夜中にグロリアを頼りに走ったものの、昨晩に限って彼女は別荘の方に泊まっており、あちこち駆け回る羽目になった。 

 会議室では、ギディオンが椅子の上で仮眠を取っている。

 ベルベットのノックにすぐ目を覚ましたが、彼もまた疲労が濃い。昨日から帰っていないらしかった。


「お前、その顔はどうした」

「報告です」


 声に力が入らないのは、夜中に神経を使いながら馬を走らせただけでなく、三頭分の馬房掃除や餌やりをしたからだ。人間と違って動物の世話はサボれないから仕方ないが、流石のベルベットとて疲れが顔に滲むし、服にも気を使えない。


「……胃が痛いのか?」

「珍しくやられてます」


 おまけに夜中からずっと、ベルベットの胃はしくしくと痛みを訴えている。

 なにせ一晩中、スティーグに逃げられやしないかと『もしも』を考えねばならなかったせいだ。

 スティーグに農地帯の地理はないから、逃げてもたかが知れている……そう思う反面、健康な青少年が本気を出して逃げたら、どこまで行くかわからない。森で猪なんかに襲われでもしたら、それこそ死なせてしまう可能性だってある。

 夜中まで出発を遅らせたのはスティーグを油断させるためであり、下手を打って王子を逃がして死なせ、一家死刑なんて最悪を回避するためだ。一人なら覚悟もできようが、弟妹の命がかかっているとなれば、ベルベットといえど荷が重い。


「ああ、やっと楽になれ――」


 そのとき、扉が開いた。


「ギディオン、昼の捜索だが――」


 なんというタイミングだろう。エドヴァルドが慌ただしく駆け込んできたではないか。護衛の制止を振り切ってやってきた王子はなにやら焦っているのか、端正な顔を緊張に張り詰めさせている。

 ベルベットに気付いたのも彼女にぶつかりかけたからで、疲れたベルベットに驚きはするも、それどころではないようだった。


「すまないね。ギディオンと話していたようだが、私も彼に用事がある。ギディオン――」

「殿下、お気持ちは察しますが、捜索の件でしたら我々にお任せを。貴方は城は一歩も出てはなりません」


 エドヴァルドの用事は理解していたらしいギディオンが断るも、エドヴァルドは諦めない。

 

「エルギスを連れて行く。もし犯人の目当てが私だとしたら、私が囮になれば……」

「なんとおっしゃろうが、俺の答えは変わりません。騎士達を信じお待ちいただきたい。幸い青毛馬も行方不明とのことですし、目撃者を探せばすぐにでも見つかるでしょう」

「弟が誘拐されたかもしれないのに、黙って待っていられるか!」


 思った以上に騒動になっていた。

 おまけにエドヴァルドの怒りようは激しく、ベルベットの胃が再びしくしくと痛み出す。

 二人のみならず、周囲には熱が入っているようだ。彼女が割り込む余地はなく、ベルベットは仕方なく周りを見渡し……部屋の片隅に置かれているラッパを見つけた。

 おもむろにそれを手に取ると、思いっきり空気を吸い、楽器に息を吹き込む。

 勢いだけに任せた、鼓膜を破る、鋭く高らかな音色が空気を震わせた。

 執務室どころか、廊下まで轟く音に場は静まりかえる。一同の注目を集めたところで、ベルベットは疲労を滲ませた目でエドヴァルドを見た。


「おたくの弟さん、うちでいまごろ食後のデザート食べてます」

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