2-8.攻略対象が仕掛ける攻略は始まっている
正真正銘第二王子の行き倒れにベルベットは混乱するも、こんなところで怪我人を放置するほど人でなしでもない。
すぐさまスティーグの容体を確認するが、外傷は擦り傷だけのようだ。成人男性を持ち上げるのは苦かと思われたが、青年をうつ伏せに戻すと、上体を起こして腰から立ち上げて抱え込む。
双子は馬を下りていた。ジンクスは柔らかい草むらで自ら足を折ってくれていたので、青年を乗せるのは容易い。ラウラが腰を掴んで固定すればジンクスは立ち上がるのだが、この賢さは報酬以上だったのではないかと疑問に感じることがある。ただ、この賢さが軍馬としては致命的だったのかもしれない。
帰ったベルベットが最初に行ったのは医者と獣医の手配だ。
近くの医者がいたので捕まえるとスティーグを診てもらい、自身はヴィルヘルムの元へ走った。
彼は常に急患に備えて待機している人だから、ベルベットの頼みも快く引き受けてくれた。青毛の馬は思ったよりも重症で、後脚の怪我以外にも問題があったらしい。処置を施した後、ヴィルヘルムは涼やかな顔立ちを穏やかに緩ませる。
「真新しい傷は、木に擦れたせいでしょうから問題ありません」
「新しい方は、か」
ヴィルヘルムは餌を食む青毛馬を見つめながら見解を述べた。
「元々脚が弱い馬なのかもしれませんが、どこかで無理をさせたのでしょう。脚が腫れていたから、早めに呼んでくれて助かりました」
「この子はもう大丈夫そう?」
「無理に走らせない限りは大丈夫です。ただ、この馬の持ち主らしき方は落馬したのでしたか?」
「見立てでは、だけど」
ヴィルヘルムの言いたいことはわかっている。
二人が難しい顔になってしまうのは、馬体に残っていた鞭打ちの跡だ。ヴィルヘルムは道具を鞄にしまいながら声を落とす。
「獣医として、あまり酷使しないようにとお伝えください」
「そうする。ありがとう、ヴィル」
「私は治療しただけです。褒められるべきは変化に気付いた貴女だ」
代金を支払おうとしたのだが、なぜか辞退された。その理由を、ヴィルヘルムはずれた眼鏡を直しながら教えてくれる。
「診察しながら思い出したんです。黒にも似た青毛の牡馬で、ひとつの模様も入らず、これほど美しく手入れされた馬の所有者は多くありません」
「…………ああー、それは、その」
ベルベットの勤め先と、彼の職業柄的に、馬の特徴で持ち主に至ったのだろう。
だから、とヴィルヘルムは笑った。
「金銭を受領した証拠は残さない方が良いでしょう。ベルベットはセロの容体を気にかけ私を呼び、私もそれに応えた。そこに偶然青毛の馬がいただけです」
「……申し訳ない。正直、助かる」
「なんの。貴女こそ苦労していそうだ。むしろ同情しますよ」
以前、彼の前でグロリアがベルベットを姉と呼んでしまった時もだが、彼は変わらず、なにも聞かないでいてくれる。魔法とてひとつの技術、タダで帰す羽目になって申し訳なく感じていたら、ヴィルヘルムは朗らかに笑った。
「また今度ギディオン隊の皆さんの話を聞かせてください。助手も貴女の話を楽しみにしていますから、昼食を多めに用意してお待ちしています」
「それくらいでいいのなら、喜んで。あ、肉は鶏だと嬉しいな」
「いいですね、私も鶏肉は好きです」
「ヴィルはあんまり他の肉を食べないよね」
「大型の家畜をよく診るせいか、塊肉をよくもらいまして。ですが消費しきれずに溜まって行くので、寄付する以前は連日連夜、肉肉肉と……」
げんなりしたヴィルヘルムは繋いでいた自身の馬に持っていた鞄を引っかける。
ベルベットが足上げのための腕を出すと、ヴィルヘルムは彼女の手に足を乗せ、勢いのままに馬に跨がった。
馬上からベルベットを見下ろすヴィルヘルムの面差しはより鮮明になる。知性と優雅さが宿す目元を際立たせ、まっすぐに通った鼻梁に薄く引き締まった唇は、一介の獣医師を高貴なひとかどの人物と感じさせるには充分だ。
結わえた髪は絹のようで、気品に溢れかえる男の姿に、ベルベットはグロリアのある言葉を思い出す。
──攻略対象。
ベルベットは美人を見慣れている。そのせいで人の顔面に対する感覚が麻痺している自覚があるが、そうでない人にとっては眼福ものなのだろう。
なるほどねと内心で独りごちるも、心の声は気付かせぬように片手を軽く持ち上げる。
「またね、ヴィル」
「ええ、また。頼ってくれて嬉しかったです、ベルベット」
「次も頼むかも」
「食事の回数が増えそうですね」
持つべきは腕の良い獣医師の友だ。
馬房から家に引き上げた頃には夕方を回っており、人間の医師と合わせ無事診せ終わっている。
ヴィルを見送っている間にスティーグは目を覚ましたらしい。神妙な様子で双子の介護を受けていたが、ベルベットの顔を見るなりぎょっと顔を強ばらせた。
どうやらちゃんと彼女のことを知っているらしい。
「お前……!?」
「ワー、メヲサマシタノネー。……リノ、この子、怪我はどうだったって?」
当然ながら家族にはスティーグの正体を伏せている。
林檎の皮を剥いていたリノは困ったように切り出す。
「身体には異常はなかったんだ。顔の傷も、枝で切ったくらいのものだったんだけど……」
「ど?」
「彼、自分のことを覚えてないみたいだ。頭を強く打ったせいで、記憶喪失になったのかもって先生は言ってた」
「キオクソウシツ」
真顔で首を動かすベルベットに、青年は露骨に目をそらした。この反応を弟妹達は見知らぬ人間への反応と受け取っているためか、疑っている様子はない。
特にリノなど本気で記憶喪失の話を信じているので、真剣な様子で姉へ訴えた。
「今日はひとまず、彼はうちで泊めたいなって思うんだけど、どうかな」
「なんなら、今からこの子のこと知ってそうな人を探してこようかなーって思ってるんだけど」
「明日にしなよ。この時間じゃ朝にならないと衛兵はまともに動かないだろうし、他の人も似たようなものだろ。姉さんだってずっと動きっぱなしじゃないか」
彼女の言葉に、目に見えて焦ったのはスティーグだ。尊大さはなりをひそめ、殊勝な態度で申し出た。
「俺のために、こんな時間から走ってもらうのは申し訳ないです。明日になったら出ていきますから、今日だけ泊めてもらえませんか」
「何言ってるんだよ。身元もわかってないのに、出ていったって行く当てがないだろ」
「そ、それは、そうなんだが……」
リノの正論に反論できないスティーグ。ベルベットは知っていそうな人の元へ行くことは容易かったが、二人の問答を見つめた後に折れることにした。
「……しょうがない。とりあえず、ご飯にしますか」
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