03 令息と令嬢
いつもありがとうございます。
「大丈夫、すぐに見つかるわ。居場所は分かっているもの。ふふ、本当に心配性ね。そんな事なら、普段から気持ちを言葉にしておけば良かったでしょうに」
ころころと笑いながら、落ち込んでいる彼を励ます為に、肩にポンと手を載せた。輝きを失った瞳で何とかこちらを向き、力なく微笑んでくる。何とも健気で情けない友人。非常に優秀な癖に、好いた女の事となると、途端に役立たずになってしまう。
彼はエドモン。ブランシュ公爵家の嫡子にして、類稀なる魔術師。互いに公爵家の人間という事もあり、元々面識はあったが、二人とも分野は違えど魔法を研究しており、そこから交流を持つようになった。
そんなエドモンは、頻繁に悩みを打ち明けてきた。魔法の事なら大歓迎だが、それは決まって色恋について。その度に、盛大な溜息が出た。よりにもよって私に聞くとは、余程追い詰められていたか、ただの間抜けだろう。
確かに私にも、婚約者が居る。デルヴァンクール王国の第二王子ユルリッシュ。輝かしい金髪に白皙の肌、翡翠を嵌め込んだような瞳の美丈夫として名高い。私ことレセップス公爵家ソフィといえば、珍しいのは金色の瞳だけ、平凡な茶髪のありふれた顔だ。あぁ、その事を気に病んでいるという事は無い。正直、見てくれなんて、どうでもいいから。
私たちの婚約は、まだ公にしていないのだが、うっかりエドモンに漏らしてしまった。けれど、他人の恋路には興味が微塵もないようで、その無関心さに笑ってしまった。だからエドモン経由で広まる事は無いと、放置している。王子妃教育が面白過ぎて、三年足らずで終えており、私には割と自由な時間がある。その為、王子と婚約してるなんて誰も思わないだろう。使える時間全てを、魔法陣の研究に費やせているのは僥倖だ。ユルリッシュとは、可もなく不可もなくといった仲だったが、政略結婚とはそういう物。
そんな研究莫迦の私に、男と女の何たるかを問うとは、蝿に曲芸を教えるのと同じだ。つまり、全くもって時間の無駄だという事。
「今年は婚約から十年目なんだ」
「へぇ…」
訓練場で右手に雷の魔法を纏わせ、遠くを眺めながらエドモンが呟く。心底どうでも良くて、話半分で地面に術式を書き続ける。ここの曲線が中々に難しいのだ。
「リリが可愛すぎて、直視出来ない。妖精姫のようだろう?だから、私という婚約者が居ても言い寄る阿呆が後を絶たない。いっその事、婚姻を早めようと思うんだが…。どう切り出せばいいのだろうか?」
「えぇ、そうかもしれないわね。間違いないわ」
エドモンの話を聞き流し適当に相槌を打ちながら、流れるように線を描き続ける。ここは一気に仕上げないと、発動した魔法が尻すぼみになってしまう。えいやっと勢いを付けようとした途端、視界の端に青紫色をした巨大な光の塊を捉えた。
エドモンは先程の場所から動きもせず、しかし途切れる事無く右手に魔力を集めていたようだ。あぁもう、あの莫迦!この辺りの地形を変えるつもりなの?常時、懐に備えている空の魔伝書を取り出し、魔力を吸い取る。パチパチと僅かに放電している紙を指で摘まみ、定着魔法をかけた。
「…これ、とんでもない代物よ…?」
戦の勝敗が変わる程の魔伝書をクルクルと丸めて、懐に仕舞う。また蒐集品が増えたと、ほくそ笑みながら。
「ああ、すまない。…で、私はどうしたらいい?頼む、教えてくれないだろうか。君しか頼れる人が居ないんだ」
そんな事、私が分かるとでも?…いっその事、相手に直接話を聞かせれば、きちんと返事を貰えるのではないかしら?…けれど、この木偶の坊が当人を前にして、ちゃんと気持ちを伝えられる訳がないのは目に見えているもの。…ならば最近完成させた、あの魔法陣を試しに使うのはどうだろうか。…そうなると、ヴェルデ嬢は被験者になってしまうけれど。魔法陣作成を中断させられ恨みを無かった事にしてあげるのだから、それ位したっていいでしょう?
ソフィは地面に視線を向ける。術式の途中で、ぐちゃぐちゃになった魔法陣の残骸が目に入る。
あれは、もう駄目だ。破棄するしかない。
…ヴェルデ嬢に使う魔法効果は、どんなに長くても一日程だし。
丁度、エドモンがヴェルデ嬢に呼び出されたと、嬉しそうに話していた。それを利用しようと思い付く。待ち合わせ場所に、件の魔法陣を仕込んでおけばいい。そこで、ヴェルデ嬢への想いを全て吐き出せと伝えておこう。エドモンが素直な気持ちを出し切った後、ヴェルデ嬢が元の姿に戻る。二人の想いは深まり、めでたしめでたし。うんうん、とてもいい台本だ。何だか楽しくなってきた。
いい加減、さっさと幸せになってもらいたい。そうでないと、私の研究にも支障を来すから。
「私に任せて。貴方は一足先に待ち合わせの場所へ行き、一人で彼女への想いを洗いざらいブチまけなさいな。予行演習と思えばいいわよ。その後、ヴェルデ嬢を連れて行くわ。本人を前にしてしまえば半分も伝えられないでしょうけど、いきなり本番よりは上手くいくのではなくて?」
まさかあんな事になってるなんて、この時は思いもしなかった。
◇◇◇
早くして欲しいと、煩わしい程にエドモンが、せっついてくる。ヴェルデ邸に戻っているだろうから確かめろ、と何度も助言したが、その度に確認したのにまだ帰ってないと泣かれた。いい加減、私も痺れを切らし、二人で王宮の庭園へと向かう事にした。
もしかしたら、まだ百合のまま?…となると魔法浸透が、活発な体質なのかもしれない。もしそうなら今度、更なる検証させてもらえないか聞いてみよう。
「リリは何処だ?…どうして、この百合の前に来たんだ?昨日、来たばかりだが」
「この百合が、ヴェルデ嬢だからよ。貴方が気付けないんだから、なかなか素晴らしい魔法だと証明された気がするわ」
ふふん、と右手を当て胸を張るソフィの横で、エドモンは目を瞠る。
「はぁっ!?レセップス嬢、君は何て事…っ。あぁ、もうっ。…言いたい事は色々あるが、今はリリを元に戻すのを最優先にして欲しい」
「はいはい、分かってるわよ」
解除魔法を認めた魔伝書をソフィが取り出していると、件の百合を見つめたエドモンが小さく零す。
「…リリを感じない」
「何言ってるの。貴方、昨日だって感じてなかったくせに」
やや呆れた様子で、ソフィは返事をしながら視線を百合に戻す。魔伝書を開こうとしていた手を止め、睨むように凝視した。真っ白な花弁に鳶色の雌しべを付けた百合が、穏やかに揺れていた。
「…嘘でしょ、何てこと…」
ソフィの様子がおかしい事に気付いたエドモンは、サッと顔色を変えた。エドモンの見立て通り、既に百合の中にリリアーヌが居ない事は明白だった。
「…居ないのだな?」
「…えぇ……」
ハッと息を呑む音の後に、気まずい沈黙がやって来る。その事実に耐えきれなくなったエドモンが、崩れる様に膝を付いた。
「あぁ、リリ…何で…」
掠れた言葉を絞り出すエドモンに、ソフィが制した。
「諦めるのは早いわ。ほら!ヴェルデ嬢の魔力がポツポツと向こうへと続いて…、貴方も見えるでしょう?追いかけるわよ!」
「…っ!分かった」
僅かばかり残るリリアーヌの魔力に、二人は望みを繋いだ。
次回も見て頂けると嬉しいです。