もう一つの事変
「はぁ、なるほどなぁ」
黒髪の国王はため息をついた。その顔はかなり疲れている上に、アンジェリーナたちの話を聞いて、疲労がたまっているのだろう。前にいた世界でよく感じていた状況なので、かなり同情してしまった(だが、もちろん、半分ぐらい迷惑をかけたのはアンジェリーナたちの言動だ)。
「しかし、まぁタイミング良い時に帰ってきてくれたよ」
エルネスト王の言葉に、アンジェリーナとエミリオは揃って首を傾げた。ほかの列席者は深く頷いている。
「スルグラン国が最後通牒をたたきつけてきたのさ」
エルネスト王の言葉にアンジェリーナはカールの言葉を思い出した。
『リーゼベルツはスルグラン国と仲が良い。それは、困り物だろう?』
その言葉は今、ようやく理解できた。
(確かに、私の見込みが甘かったわね)
まさかスルグランが本当に攻め込んでくると思わなかった自分―――襲撃事件の後、すぐにこの国へ戻らなかった自分を殴りたくなった。そして、それはあの時と同じ感覚だった。
「そんなことはない」
アンジェリーナはどうやら無意識に爪を立てて右手を握っていたみたいだったが、それを治療するかのように暖かいぬくもりに包まれた。
そのぬくもりの持ち主はアンジェリーナの考えを見透かしていたようだった。
列席者たちは気づいていなかったようだが、エルネスト王はニヤニヤ笑っていたので、アンジェリーナは、この人は一応あなたに歯向かう一族ですよ、と言いたくなった。
その後、今後の方針として、挙国一致でスルグランと一戦交えることを決めた会議は終了し、アンジェリーナは王の私室へ招かれた。
「長かったな」
彼は女官にお茶を入れてもらった後、呟いた。通常、アンジェリーナは文官としての立場を崩さないため、あまりこういったお茶には同席したくないのだが、今は、侯爵令嬢としてそこに居ろ、と言われているので、おとなしく従った。
「どう意味ですの?」
「挙国一致体制を作るまでさ」
エルネスト王の言葉にアンジェリーナは首を傾げた。
「あなたは以前、公爵家を滅ぼしたいとか言っていませんでしたっけ」
そう指摘すると、王は笑い、
「確かに言っていたな。だが、今の公爵家当主夫妻やあの息子を見ていると、滅ぼそうなんて考える気力もなくなった。むしろ、あいつは使う方が有効だろう。今回も君の父親の下で動いてもらうつもりだ」
滅ぼすだけの労力に見合わない一族だ、と彼は言ったので、なるほどな、と感心した。
「そうですか。でも、エミリオ様はお気を付けになったほうがいいですわよ」
アンジェリーナは忠告した。
「どういうことだ?」
エルネスト王はアンジェリーナの発言に興味を持った。
「あの方はヴァンゲリス宗主猊下に気に入られていたみたいですから」
『英邁の公爵子息』と呼ばれていましたわ、というと、それは面白いな、とエルネスト王は目を細めた。
「まあ、後々滅ぼすにしても駒にするにしても、今は騎士の国との一戦が先だ。君にも少なからず働いてもらうよ」
「しょうがないわね」
アンジェリーナとしては一つやりたかったことがあったが、国務の方を優先しなければならない。したかったものはあまり時間が経ちすぎるとできなくなる可能性が高いため、同時並行して行うことにした。
「おや、久しぶりだな」
アンジェリーナは国王に会ったついでに近衛騎士団長の部屋を訪れた。
「ええ、久しぶりね。あなたのおかげで、私たちはいつ命を狙われるか分からなかったわ」
彼も先ほどの会議には出席していたが、挨拶などする時間がなかったので、今が久しぶりということになるのである。そして、あのことを揶揄しながら言うと、それに気づいたみたいで、彼も返してきた。
「ああ、ただでさえスベルニアとの仲が悪い上に、スルグランとの情勢悪化であいつらを派遣することができなかった。あいつらも俺も行きたがったし、行かせたかった。しかし、さすがは『碧眼の毒娘』だな」
ジョアンの言葉にアンジェリーナは頬がひきつった。倍返しであったのだ。
「何よ」
「レゼニア教宗主が所有する唯一の配下、そしてこの大陸最強軍団である筋肉集団でさえ手に入れ、駒のようにして遊んでいる―――――って言われているぞ」
ジョアンの言葉にアンジェリーナはうんざりした。
それは、今から数時間前の出来事だった―――――
スベルニアからレゼニア教宗主の助けを借りたアンジェリーナたちは襲撃者の気配さえないままトワディアンに戻ってきた(※:ただし、途中すれ違う人々や宿泊地の住民から筋肉集団は非常に怖がられ目も合わせてもらえなく、馬車の中にアンジェリーナが乗っていることを知った兵士や騎士たちからこれが人身売買ではないのか疑われることが何回かあった)。
そして、王宮に入ってからも、あまり必要性は感じられなかったものの、どうやら宗主に命じられているらしく、筋肉集団は王宮内部まで付いてきてくれた。
最初はちょうど緊急の高官会議が開かれるというので、アンジェリーナたちの謁見と状況報告は許可されなかったが、彼らのおかげで宗主からの伝達、皇帝からの親書があることを知った高官たちは慌ててアンジェリーナたちの席を用意したので、宗主の命令といえども、筋肉集団には助けられたのだ。
多分そのことだろうな、とアンジェリーナは遠い目をした。
そろそろその身体も心配されているくらいだぞ、と言い切った。アンジェリーナはその噂を聞いて、無性に誰かを殴りたくなってきた。
「ま、俺はそれはないと分かっているから何も心配していない」
ジョアンのフォローは慰めにならなかった。
「で、用件は何だ?」
コホンと咳払いすると、アンジェリーナの方に真顔で尋ねてきた。彼の変わり身の早さになんだこいつはと思いながらも、アンジェリーナは話し始めた。
「ニコラスとロレンソをもう一度貸してほしいわ」
「何がしたい?」
ジョアンはその言葉に惑わされなかった。
「私とエミリオ様の警護よ」
「本音は違うんだろう?」
アンジェリーナはわざと建前を言ったつもりだったが、ジョアンには見抜かれていた。
(さすがは近衛騎士団長様ね)
「まあ、いい。本当は二人とも戦場へ連れていく予定だったが、コレンス侯爵令嬢の頼みならば断われないな」
いたずらっぽく笑うと、書類をさらさらと書き上げた。
「二人には今晩にでも指令を出す。陛下は今回はここに居残るという。だが、いつ出立してもおかしくないと思え」
そうすれば、二人とも回収する、と言外に言われ、アンジェリーナは頷いた。
「そうならないように帰ってきて頂戴」
アンジェリーナの頼みに、ジョアンはお前なぁ、とため息をついた。
「まあ、俺としてもそうしたいが、最悪の時を考えておけ」
彼の釘をさす言葉に再び頷いた。
「わかったわ」
3日連続更新はここまでです。
来週30日はおそらく更新お休みさせていただくと思います。ご了承下さい。




