天の光はすべて星 (プロジェクト・ノア)
星の海へ(宇宙植民地計画本格始動)
ウゥゥゥゥゥゥゥ――ッ、ウゥゥゥゥゥゥゥ――ッ。
いつもと変わらない、低く地を這うような怪獣警戒サイレンの音が、種子島宇宙センターの巨大な組立棟に響き渡っていた。
「――本日の怪獣警戒予報をお伝えします。相模湾エリアにカテゴリー1の上陸確率『中』。種子島沖の海水温は平常。カテゴリー2以上の接近はありません。各作業員は、耐熱シールドの閉鎖を確認し、定時運行を維持してください」
スピーカーから流れる、聞き慣れたお天気お姉さんの乾いた声。
組立棟のキャットウォークに立つ蓮は、支給されたヘルメットを小脇に抱えながら、眼前にそびえ立つ「人類の希望」を見上げていた。
高校を卒業した蓮は、今や宇宙開発事業団の若き技術員の一人となっていた。
彼の目の前にあるのは、全長七百メートルを超える、超巨大世代間宇宙移民船
『アーク・ノアⅠ(ワン)』。
その漆黒の船体を覆っているのは、かつて三浦半島の解体処理場で大吾たちが血を流しながら剥ぎ取り、日本の巨大重工企業が極限まで精錬した「怪獣甲殻ハイブリッド装甲」だった。大気圏を突破する際の超高温にも、宇宙空間の過酷な放射線にも耐えうる、地球上でもっとも強靭な生体素材。
人類を地球から追い出そうとしている化け物の肉体が、今や人類を宇宙へ逃がすための唯一の盾となっていた。
「おい、蓮! ボサっとするな、第3推進セクターの生体燃料パイプの気密チェックを急げ! 阿澄艦長の飛行船が、復路のアメリカから持ち帰ったレアメタルの最終便が今、種子島ポートに到着したぞ!」
インカム越しに怒鳴ってきたのは、現場のベテラン作業長となった大吾だった。
「了解です、班長! 今すぐ向かいます!」
蓮は、工具を手に取って船体のキャットウォークを駆け出した。
地球での暮らしは、あの大決戦の後も、何一つ変わっていなかった。
いや、これ以上の戦闘を諦めた人類は、怪獣との「共生」を完全に受け入れていた。
だが、それは物語にあるような、自然と人間が手を取り合うような美しい共生では決してなかった。
互いに理解し合うことなど永遠にない。
言葉も通じず、慈悲もない。
海は相模湾の窓から見える通り、緑色に光る劇薬のプールのままであり、怪獣たちは今も陸に上がっては人間を襲い、人間は10式改の焼灼砲でそれを淡々と「処理」し、その肉を剥ぎ取って生きながらえている。
手綱の切れた檻なき飼育場。
そこにあるのは、ただ「食うか食われるか」の冷徹な自然の摂理そのものだった。
人類は怪獣との戦いに負けたのだ。
この地球という生態系の主権は、完全に奴らのものとなった。
だからこそ、日本は国力のすべてをこの宇宙植民地計画へと傾けていた。
アメリカ、中国、ヨーロッパ――世界中から集まった目端の効く生き残りの科学者や、命を繋いだ難民たちの期待をその双肩に背負い、日本はただひたすらに、星の海へと続く不屈のバトンを削り出していた。
ゴゴゴゴゴゴ……という、重厚な地鳴りのような音が響く。
雲海の向こうから、傷だらけの巨体を揺らしながら、全長一キロメートルの超大型飛行船『アトランティスⅦ』がゆっくりと種子島のマストへと係留されていくのが見えた。
その艦橋では、五十歳を過ぎた阿澄艦長が、無事にアメリカからのレアメタルを届け終えた安堵感の中で、スマートフォンの画面に映る、少し大きくなった孫の愛の写真を愛おしそうに見つめているはずだった。
そして、その係留ポートを見下ろす管制室の特等席には、退役を間近に控えた鳴海少将の姿があった。
大佐から少将へと昇進し、今や種子島防衛部隊の総括官となった老兵は、白髪の混じった頭を小さく振って、不敵な笑みを浮かべた。彼の胸元には、あの日失われた軍の栄光と伝統、数万の部下たちの遺志が、今も静かに脈動している。
「――鳴海少将。アーク・ノアⅠ、すべての物資搬入およびカウントダウン・シミュレーション、オールグリーンです」
オペレーターの報告に、鳴海は静かに頷いた。
「結構だ。これより、プロジェクト・ノア、第一段階を完了とする」
鳴海は、遮光ガラスの向こうの、怪しく緑色に光る相模湾の海を見つめた。
人類は海を失った。
地球をも失おうとしている。だが、背中を丸めて絶滅を待つだけの従順な家畜に成り下がるつもりは、毛頭ない。
「私たちは地球での戦いには負けた。だが、人類の種としての足掻きは、ここからが本番だ」
鳴海が視線を上へと向けると、そこには、不気味に変色した海とは対照的な、どこまでも純粋で、どこまでも広大な、満天の星空が広がっていた。
キィィィィィィィン――。
遠く、水平線の彼方から、地球の調停者たちの微弱な高周波が聞こえる。しかし、もうそれを恐れる者は、この種子島には誰もいなかった。
カウントダウンのブザーが鳴り響く。
世界で唯一残された技術と資材のを注ぎ込んだ、白銀の宇宙船のエンジンが、静かに、しかし力強く点火の時を待っている。
人類の未来を乗せた最初の一歩が、今、始まろうとしていた。
地球という揺りかごを離れ、遥かなる漆黒の海へと旅立つその船の行く手には、かつての青い海を彷彿とさせる、眩いばかりの希望の光が、確かに輝き始めていた。
(『プロジェクト・ノア』 完結
次回、第三部 天の光はすべて星
人類=日本人の地球脱出計画は恐るべき冷酷さで進められていく。
日本人は日本人の種を生き残らせる為に全てをかけた!
日本人自身も例外とせず煉獄にくべられた、全ては日本人の種の保全のために
そこには、人としての尊厳、正義、何もかも捨てられた、ただ生き残るために。




