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 昭和二(1927)年三月


「さすがに大正帝の寿命までは変わらなかったか・・・・・・」


 東山は、昭和の始まりに際してそう呟いていた。


「歴史改変にどっぷり漬かってるな」


 深山がそんな東山を笑う。


「まあ、医療知識なんてマトモに持たない俺たちじゃ、どうにもならなかった。それより、南京事件は?」


 東山は、新たな事件に気持ちを切り替える。


「さすがに政局を自在に操れる訳じゃないから、幣原が外相になっているよ」


 5人は専門分野においては権威を有する様になっているが、それが政治に影響する事は稀だった。


 しかも、元老はほぼ居なくなり明治から権勢を誇る人々が減っている事に伴い、5人の政治的発言力は下がる一方となっている。


「幣原こそ、日本の戦犯じゃないか。シレッと平和憲法の功労者みたいに言われてるけど、アレが対支融和なんかヤラカシたから、日本は支那と闘うハメになったんだ」


 小宮山がすかさず口を挟む。


「それは、確かにそうだな」


 東山も、そう返す。


 幣原喜重郎。


 彼の評価はこの時の対中融和外交が戦後評価され、先進的な人物との評が一般的である。


 さらに、彼は新憲法制定に当たり9条を起草したといわれ、平和憲法の創始者としての評価もされる人物である。


 しかし、21世紀を迎え、一部ではその評価に疑問が持たれる様になって来る。

 幣原外交と呼ばれる対中融和は、結果的に中国側に日本は与しやすく民衆の敵意を集める道具と見なされ、漢口事件や後の通州事件に繋がる愚行であったとの考えも生まれてくる。

 とくに小宮山はその考えが強く、中国人の対人関係思想法から幣原外交は下策であり、日本が中国内戦に巻き込まれ、日中戦争に至る原因となったと考えていた。

 

 それに対し、深山や東山も概ね賛同する。


 幣原外交は、日本の対中政策として一貫したものとは言えず、中国に侮られ、欧米に不信感を持たせ、軍や国民に不満を溜め込ませたのは否定のしようが無い。

 この侮りや不満が済南事件へと繋がり、以後の対中政策を生んだという説もある。


 5人の中では、程度の差こそあれ、それが共通認識となっている。


「で?どうなった?」


「幣原の意見は閣内で大反発を食らったよ。南京領事の報告も、海軍の報告と照らして否定された。ま、当然の結果だな」


 北伐において起きた南京での国民党軍による蛮行は、南京領事の報告した『共産党の事前準備による犯行』という説が否定され、仮にその様な扇動が先にあったとしても、軍が乱暴狼藉を働いたのは事実と断じられ、政府として海軍に米英と協力した軍事行動が指示される事になり、中国各地で邦人保護の体制が敷かれる事になった。


「ポンコツ興亜論が否定されたのウッマ」


 奥山がそう茶化すが、確かにその通りとなる。


 5人や元老の意を汲んだ新聞では、国民党軍が起こした暴行事件に言及し、中国での商売は不経済だと断じている。

 史実の様な対支一撃論の方向性ではなく、大陸から離れる論調(脱亜論)で報じたのである。

 その論調を受け入れるだけの内需が、この世界の日本にはあった。


 技術が進み、工業化で道路整備や電力需要に応えるダム建設が進むなど、いくらでも公共事業があったからだ。

 食料供給に不安があるにはあったが、農業、土木の急速な機械化による南樺太開拓が始まり、大豆やソバ、ジャガイモの生産量は史実よりも増加傾向にあった。

 もちろん、それによる自然破壊も後の目から見れば著しく、尾瀬湿原はもうしばらく後にダムに沈む運命となるのだが。




 昭和二(1927)年六月


「ヒャッハー!今日は一段と爽快だぜ!」


 マン・サドルを駆るフランス人は、とても気分が良かった。


 性能が高く、何より壊れない。


 トラブルが起きても、しっかり部品が届く。


 そんな環境で、幾多のグランプリを制して来た彼は、今年もル・マン24時間レースへと出場していた。


 今年の参加台数は少なく、この日の為に入念に整備した愛車はすこぶる快調だった。


「今年はどうしたんだ?周りが止まって見えるぜ!あ?ジャポネが追って来やがる!」


 23時間を走り終えた時、首位はこのフランス人、そして、マトモに付いて来ているのは、日本チームだけであった。


 参加台数が少なく、リタイヤも多い波乱のレースの中、残り1時間を無事に走り切れば、そこには総合優勝が見えていた。



 その日、電報を受け取った鞍山は震えていた。


「どした?鞍山ちゃん」


 奥山が心配そうに声をかける。


「ル・マンで、サルトで・・・・・・」


 その姿に、周りも注目する。


「・・・・・・チーム大倉が総合2位!総合優勝もマン・サドル!」


 叫んだ鞍山の言葉は、皆が理解するまでにしばらく時間を要した。


 間を置いて、沸き立つ総科研。


「マジか!日本車が総合優勝!しかも、戦前時点で日本チームが表彰台かよ!」


 第一回大会から参加を続けるマン・サドル自動車は、クラス優勝こそ常連だが、さすがに総合優勝はなかった。

 いくら空力に優れていても、馬力の無さは遺憾ともし難く、最高速度が速い大排気量を置き去りには出来なかった。

 毎年改良は重ねており、フランスでも数百台の販売に成功している。

 今年優勝したフランス人には、すでに改良型が渡り、今年は上位獲得を目指していたのである。


 さらに、内山ら日本人参加者を支援するため、大倉喜七郎がル・マンチームを結成し、参戦支援を行う体制も構築されている。


 これまでも、日本人がクラス上位には入っていたが、総合2位などはまるで夢の様な話だった。


「台数も少なかったみたいだし、運も良かった。でも、これを単なる運にしない様に何かやらないと・・・・・・」


 鞍山は今後の事に悩んでいた。


「いっそ、クラスチェンジしちゃえば?新たに車造ってさ」


 奥山がそういう。


 彼も新たな飛行機開発に参加しており、日本の飛行機産業を底上げする取り組みをはじめていた。


「せっかくのベースだから、あまりコロコロ変えたくないんだけど、クーペにすればさらに空力も良くなるし、重量分の排気量アップくらいはやろうか」


 こうして、マン・サドル自動車のスポーツカーには、オープンカーに加えてクーペが加わる事になる。


 クーペは耐候性を求め、ボディの素材を和紙からガラス繊維へ変える事になり、重量増加に対して排気量アップも行われ、1.4Lとなった。


「これで、2クラス制覇って新たな目標も出来るじゃん」


 奥山がそういう様に、フランスにおいても排気量アップは快く迎えられる事になり、さらなる販売促進へと繋がっていく。


 影響はそれだけに留まらず、日本人の総合2位は新聞でも大々的に報じられ、一大ブームを巻き起こす事になった。


 富裕層はこぞってマン・サドルを買い求め、農村では耕運機や運搬車によるレースが始められる。


「転移前、タイで耕運機のドラッグレースが流行ってるって聞いた事はあるけど、運搬車はさすがに危ないなぁ」


 こうして、鞍山は後のカートの原形となる簡素な競技車を作り出す。

 史実においてカートが登場するのは1950年代アメリカでの事だが、それを待つ余裕は、今の日本には存在しなかった。


 そもそも自動車レースは、その開始から波乱含みであり、死亡事故の度に何度も禁止や中止が論じられた歴史を持つ。


 それを知る鞍山は、安全性を重視し、安価に誰でも乗れる競技車両を販売する事にしたのだった。


「これはカートか?なんか不恰好だけど」


 被験者となった小宮山はそう頭を傾げたが、この時代の日本では、それが精一杯だった。


「いや、案外良いかもな。エンジンが重いから動きは鈍いけど」


 まだ軽量小型ガソリンエンジンなどなく、バイク用サイズを載せ、低速仕様に仕上げたものではあるが、レースを行うには十分な性能だった。


 まさか、レースではなく日常使いされるなどとは夢にも思わない2人であったが、これが後に軽自動車規格を設けるきっかけとなる。

 運搬車より小さく、スピードが出る。しかも、富裕層でなくとも自動車レースが出来るとあって、販売が伸びたが、それによって無免許、無登録で公道を乗り回す者達が溢れたのだから仕方がない。


 ル・マン24時間レースにおいて日本車が優勝し、日本人が表彰台を獲得した。

 このニュースは日本が先進国になっただけでなく、海外でも活躍出来る事を示した。


 史実の様に背伸びして列強に並ぼうと、劣等感に染まることなく、戦争によらずに世界的な地位を得る手段があると知った事実は、人々の心に余裕を与える事に繋がって行く。 

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流石に大正天皇の寿命まではどうにもならなかったですか…これは仕方ないですね… 日本国内が発展している以上無理をして大陸に行く必要はないですが米やソは大陸の混乱を見定めて何か起こすかな? 海外で日本の製…
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